幼稚園に入るより前と後、小学生の時、中学生になってからの四回。
もういい加減、引っ越すなんて事は無いと思うてたんやけど……。
「え?また引っ越すて――そんなん嘘やろ?」
エイプリルフールの嘘やって、言うて欲しかった。そんな性の悪い事、言うわけないって判っとったけど。申し訳無さそうに言う親の顔も、都合も、理屈も――全部。嫌や。聞きたないし、行きとうない。やっと…………ほんまにやっと、好きなトコを見付けたのに。なんでまた、越さなあかんの?
どこかで冷静な自分が指図する。我が儘言うてもしょうない。中学生が一人で生活なんて出来んのやし。これまでかて、引っ越した先でちゃんと生活出来とったやん。せやけど――。どこかで自分の本心が騒ぎ出す。我が儘でも越したない。もう、これまでみたいに……さよならするなんて嫌や。どうしてでも神戸に、ここにおりたい。
正反対の気持ちが鬩ぎあって、訳が解らんくらい混乱しとった。口を開いてもなんも言えんと、そのまま部屋に篭ってベッドに突っ伏す事しか……。
翌日――。何とかここに残れんかって、丸一日考えた。一人でここに残るっちゅう提案は、『あかん』の一言で即却下。大人でない事がこんなに悔しいと思うたのは、初めてやった。それから何日か、ずっと調べとった。保護者のおる中学生が一人で暮らす方法を。せやけど、日本じゃ中学を卒業しとらな就職する事すら出来へん。それが最終手段やと思うてたのに。
明日には、新学期が始まる。午後には親が担任に会うて、夏休みになったらまた――。……そんなん絶対に嫌やし、なんとかせんと。切羽詰った私がとった行動は、幼稚な手段やった。
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ほんまやったら、今日も三人で練習しとった筈。いつまで経っても来うへんちゃんの代わりにっちゅうわけやないやろけど、声をかけて来たのは先生やった。
「君達は……確か、君と親しいんだったね?」
何でそんな事を聞きに来るんか。おかしいとは思うたけど、まさか家出しとるやなんて思わへんかったから。それなりに仲はええと思いますけど、としか返せんかったんや。その点、千秋は上手い事返しとった。
「それが本来の質問とは思えませんが。――が、何か?」
最初は――。面談の時間になっても姿が見えん。なんて言っとった先生も、少し突けばボロを出す。親から転校の話をされてから塞いどったちゃんが、朝家を出たきりやっちゅうのを聞いて……俺等は直ぐに学校を出た。
「授業は偶にサボっとったみたいやけど……」
「あいつが学校をサボるとはな」
制服で出たんやったら、目立たんとこにおる。そう当たりを付けて、何度も携帯を鳴らした。学校近くの公園や店なんかも、全部回った。せやけど……どこにもおらへん。そこらから運良く着信音が聞こえてくるなんて都合のええ事も無いし、いい加減、陽も落ちて真っ暗や。あてもなく探しとっても埒があかんし、ちゃんの行きそうなとこに心当たりはあるかって話になって――――呆然としたわ。一年以上一緒におったのに……俺等は、あの子が普段どんなとこに行ってるかなんて全然知らんかった。それだけやない。行きそうな場所も、好きな場所も、仲の良い子も――なんも知らんかったんや。
「ち――こう暗いんじゃ、あいつが居たところで見えやしない」
「ほな、懐中電灯でも買うて来よか」
すっかり学校から離れたそこはちゃんの家の近所やったし、このまま当ても無く探すより、ちゃんの家に行って親御さんに話を聞こうっちゅう話になって……。不意に千秋が足を止めたんは、懐中電灯片手に花見客を避けた時やった。
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「――おい蓬生、聞こえるか?」
「なんやの、こんな喧しいトコで…………って、これ――」
一瞬顔を見合わせた後、それ以上話をする必要なんざ無いとばかりに走り出した。満開の桜の下で酒に酔うだけの花見客を前に、場違いな姿で弓を滑らせていたは――。曲を弾き終えて頭を下げた後も、俺達に気付かないまま次の曲を奏で始める。
まるで咲き誇る大輪の薔薇のような、嫌でも目を奪われる艶は無く。例え耳を背けようとしても、それを赦しはしないだろう覇気も無い音で。ただ淡々と奏でられていく旋律は、絶望的なまでに澱んでいた。
「。っ――やめろ。…………やめろ、!!」
「っ?!千秋?蓬生も――」
「……探したで?」
馬鹿騒ぎに遮られた声の代わりに、俺は腕尽くでを止めた。
「ごめん、なんや迷惑かけとったんやね。けど――もう暫くしたら帰るし、大丈夫やから」
さっきまでとは打って変わった静寂の中。一転して優雅に微笑むお前が、痛々しくて仕方なかった。
「駄目だ。……行くぞ、さっさと来い」
「ちょ――っ、なんやの千秋、痛いって……」
「千秋、そのへんにしとき。痛がっとるやないの」
庇うようにしてを引き寄せた蓬生の視線が向けられていたのは、俺じゃなくにだ。そしてその表情は、決して穏やかなものじゃない。流石に、この場を誤魔化すのは無理だと思ったんだろう。の顔からは表情が消え、何も言わないままヴァイオリンケースに手を伸ばす。あの時と同じだ。碌に遊ぶ時間も無かった奴がやっと打ち解けてきたと思った矢先に、そのままどこかへ行っちまった。またそれを繰り返のか。……繰り返すしかないのか?何か手がある筈だ。お前の背中を見詰めながら、俺は携帯を取り出していた。
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ほんまは、まだ帰るつもりなんて無かった。家を出てから、ずっと考えとった事。
私がこのまま神戸におりたい言うても、父さんや母さんの仕事に都合が悪いんやったら。……どうしたって、アメリカに行かなあかん。我慢するしかない。三年半――そんだけの事。せやけど……今からの三年半は大き過ぎるから、嫌やって本心を抑えられんかった。一人で暮らせるような年になって神戸に戻って来たとしても、千秋や蓬生と一緒に弾く時間なんて無いかもしれん。大学に入れば、嫌でも将来を見据えて生活するようになる。今までみたいに気楽な学生生活なんて送ってられへんのやから。そうなるまで、一緒に弾いとりたかった。
何も言わんまま、思考はどんどん暗い方へ落ちていく。千秋に促されて、蓬生の手に引かれるまま駐車場へ。ああ、もう終わりなんや。せめてギリギリまで、時間の許す限り二人と弾いときたい。夏になれば、もう誰ともあんな時間は過ごせんのやから。そんな覚悟を決めた私の目の前で、見慣れんリムジンの扉が開かれた。
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千秋がパーテーションの向こうと遣り取りしとる間に、俺は俺で家に電話する。その直ぐ後――。スピーカーを切ってこっちを向いた千秋の顔は、かなり真剣やった。
「学校からは連絡行ってへんみたいし、ちゃんが家出したって事は知れ渡ってへんのやろな。状況的には悪ないんちゃう?」
「まあ、少なくとも今はな。だが、こっちに有利ってわけじゃない。おい、何をぼさっとしてる!お前の事なんだ、しっかりしろ」
そうは言うても、呆けたままのちゃんは事態が飲み込めてへんみたいやった。
「おい、!お前、日本に残りたいんじゃないのか?」
「乗りかかった船や、俺もとことん付きおうたるよ。せやから、元気出し」
やっと口を開いてくれたちゃんは、呆けたまま――。次の瞬間、いきなり泣き出してもうた。声に出さんと、涙ポロポロ流して。その後の事より、よっぽど難しい事態に直面して、俺も千秋も冷や汗流しとったって事は……永遠の秘密や。
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諦める前に、まだ何か出来る事があるかもしれん。頼もしい幼馴染達の厚意は、いとも容易く打ち砕かれた。
「……まさか、母親同士がつるんでいたとはな」
「ほんまにびっくりや」
「二人とも……ごめんな?」
にっこり笑うてる千秋のお母さんと呆れ顔の母さんに迎えられたのは、千秋の家に着いてリムジンの扉が開けられた途端や。蓬生のお母さんは家で電話を待っとって、騒動になってへんと思った私等は……まんまと母親達の策に嵌った。
「まあ良いさ、結果的には丸く収まったんだ。お前が謝る事やない」
「ん、気にせんとき。それより……良かったな、ちゃん」
「うん。ほんま――ありがとう」
せやけど、話は思いもせえへんかった方へ転がって。気が付いたら――かなりの条件付きとはいえ、私は神戸に残る事を許されとった。そんなに嫌やったんかって聞く母さんの複雑な表情には少なからず胸が痛んだけど、横におってくれた千秋と蓬生の存在に励まされて……。私は多分、自分の思ったまま――有りのままの気持ちを、素直に話せたと思う。
アメリカに行くのが嫌なんとちゃう。兄さん達と会えるようになるのかて嬉しい。せやけどアメリカには、私の本当に好きな時間は無い。滅多に家族の揃わん家におって一人で弾き続ける寂しさに比べれば、千秋や蓬生のおる学校で過ごして一人で暮らす寂しさのが耐えられる。離れとったって家族は家族やし、友達は友達や。顔が見たいと思えば会いにも行けるし、写真を送る事かて出来る。声が聞きたいと思えば電話があるし、知らせたい事があればメールかてある。
それでも――。
どれだけ一緒に弾きたいと思ったところで、アメリカには千秋も蓬生もおらへん。一人で弾くのは好きやけど、一人で弾いてたら味わえんような感覚を知ったのは、神戸に帰って、千秋や蓬生に会って……一緒に弾くようになってからなんや。
「せやから母さん……一生のお願いや。私は、このまま神戸におりたい!」

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言うまでも無く、主人公の家はかなり裕福。
ついでに家族は甘くはないけれども末娘に弱いという、書いていて羨ましいくらいの環境。
そして主人公は、神戸に残りたいと思う原因がそれだけじゃないという事にはまだ気付いていない。
橘朋美
FileNo.003 2010/8/21 ※2010/10/12修正加筆 |