それは、単なる偶然やった。俺がその公園に入ってったのも、そこにあの子がおったのも。だんだん強くなってく陽射しと、生命力溢れる濃い緑。その隙間の空間にぽつーんと立っとった子が弓を構えた時、俺は、それを真夏の白昼夢やと思うた。流れる風と音が、その子を取り巻いて――ほんの一瞬や。奏でられる旋律は軽やかで、鮮やかな世界をそこに作り出す。暫くして、それは緩やかな凪いだ音に変わってく。さっきまでとは違う、愁いを帯びた静けさを醸し出しながら。弾いてるのはあの子一人やのに……こうまで変わるもんやろか?全身で激しさを表すような雰囲気に変わったあの子が音を消すまで、そこから動けんまま何分か――。気が付いたら、その子に話しかけとった。
『どうもありがとう。宜しければ、拍手のお礼に一曲如何ですか?』
どこから見ても日本人やと思うてたのに英語で返されて……なんや妙な感じやけど、まあええわ。会話になっとるんや、日本語も通じるっちゅう事やろ。
「ええのん?そしたら……あんたが俺に似合いそうやと思う曲、弾いてくれへん?」
ちょっと困った顔して悩んどった子が弾いてくれた曲は、俺が思っとったようなもんやなかった。華やかやのに華美やない。懐かしゅうても憂いはない。明るく弾む音やのに、聞いてると落ち着いてまう。そんな曲や。
「ええなあ。あんたの音、好きやわ」
慣れた仕草で頭を下げて、また礼を言う。初めて笑ったとこを見て――。どっかで会うた事があるような気がしたんやけどな。ほんま、直ぐに思い出せんかったのは一生の不覚や。
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随分と小さなった蝉の声は、ゆっくりと過ぎて行く夏そのものみたいやった。大して好きやない季節が終わりに近付くのを惜しいと思うのは、この国の豊かな季節感のせいかもしれん。
夏休み最終日。私はまた、あの公園でヴァイオリンを弾く。明日からは学校へ行かなあかん。せやから、朝ここへ来て弾くのは今日が最後やのに……。あれ以来、あの時の子に会えた事は無かった。けど、何度もここで弾いてる内に散歩中の人なんかに声をかけられる事が増えて、夏休みが終わってしまうんが、少し寂しいくらいや。
新しい学校へ行くのが嫌やったんとちゃう。長く暮らしたアメリカが恋しかったわけでもない。小さい頃に住んどったこの街は好きやし、少なくとも、他のとこへ越したいとは思わへん。ただ、少しだけ…………不安やった。静かに弓を滑らせて奏でるのは、タイスの瞑想曲。この気持ちを落ち着けて欲しい。そう思うて選んだ曲を弾き終わる前に、雨が一粒。慌ててヴァイオリンをしまい終わった頃には、土砂降り決定って感じの空模様になっとった。
「はぁ……敵わんなぁ」
これが自分の未来を暗示してへん事を祈りつつ駆け込んだカフェには、あの時の子がおった。この子があの子かどうか、確かめたい。そう思うたけど……。こないだ会うた時は何も言うてへんかったし、大して仲が良かったわけでもないうえに八年も前の事や。向こうが覚えてるとも思えへん。見間違いやないと思うても、よう話しかけられんかった。
「ん、オーケー。じゃ……行こか」
誂えたばかりの真新しい制服はなんや落ち着かんけど、昨日とは大違いの青空を見上げて歩き出す。どんだけ考えて始まらへん。転入生なんて大して珍しいもんでもないし、騒がしいのも最初の内だけや。そんな自己暗示にも似た気持ちで向かった先には、やたら大きな校舎と、似たような格好の生徒が大勢待っとった。
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こいつの音が聞こえたのは、必然だったんだろう。周りには幾らでも他の音があった。その中であんな小さな音が聞き取れたのが偶然やなんて事、あるわけがない。カンタレラと同じ種類のヴァイオリン。スピーカーを通さない楽器そのもの音は、迫力に欠ける。だが、こいつの音はそうじゃなかった。煌びやかな音色は声高らかに歌い上げた後、次第に激しさを増して……唐突に終わりを告げる。俺が歓声と共に拍手を送る事が出来たのは、お前という人間のせいじゃなく、お前の音のせいだ。
「おおきに。せっかくやし、拍手のお礼に一曲弾こか?」
人違いかもしれん。なんせ最後に会ったのは幼稚園児の頃や。こいつがあいつ、だという確信は無い。それを覆したのは、昔と同じ笑顔だった。
「そうだな、だったらバッハの無伴奏曲を弾いてもらおうか」
ほんまは、どんな曲でも良かった。もう一度こいつの弾く曲を聞ければ。だが、どうせならその実力を確かめたいと思ったのも事実や。情熱的で歌い踊りながら駆り立てるようなその旋律は、校内でも目立たないその一角を満たして行った。数分後――。弾き終えた女に拍手を送ったのは、俺だけじゃなかった。
「遅いと思うたら、この子に捕まっとったんやね」
「ああ、蓬生か。なんや、こいつの事知っとったんか?」
「蓬生……君?ほな、もしかして君――千秋、君?ほんまに??」
呆気にとられていたを加えて練習するようになったのも、それほど期待していなかった学校生活に面白味が増したのも、その時からやった。
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それほど仲のええ子がおらんでも、平気やった。幼馴染っちゅうにはブランクあり過ぎやと思えるくらいでも、千秋や蓬生とおるのは楽しかったから。それに――三人で演奏するのは楽しかった。中学生になってからヴァイオリンを始めたって聞いたけど、二人とも上達が早くて上手いうえに、音がよう合うから。
二年に上がった頃には、外で演奏する事も増えた。ヴァイオリンばかりで弾く事もあったし、私がピアノを弾く事も。けど、ピアノで合わせるより、ヴァイオリンで合わせる方が好きやった。
「チッ、またここか――――どうもな……」
「ちゃんも千秋も、ソロ向きの音みたいやしなぁ」
蓬生の言うた事は、きっと当たってる。私のピアノは蓬生の音とは馴染むのに、千秋の音とはイマイチ馴染まへん。派手な曲になればなるほど、反発し合うような感じや。私は特にピアノで演奏する事に拘ってへんかったし、ピアノで噛み合わない演奏をするくらいやったらヴァイオリンで合わせる方がずっとマシや。
「本当にそれで良いのか?。お前はピアニストなんやろ?」
「ピアノは一人で弾くんでも充分やし、息の合わんトリオよりマシやろ?」
「まあ二人とも、そう熱くならんとき」
千秋と揉めたんは、文化祭の半月くらい前。『どうせなら、もっと大勢の観客に聞かせてみるか』外での演奏では飽き足らんくなった千秋が言い出した少し後やった。確かに人前で弾いても恥ずかしくないくらいの演奏技術はあるし、長い事練習を続けてきた以上、そう思うのも無理は無い。私は楽しく弾ければ良かったから反対する気もあらへんかったし、蓬生も面倒やって言いながら、割とすんなりオーケーした。練習も、始めの内は上手く行っとった。けど、完璧主義の千秋は、納得出来へんトコがあるまま先へ進む事が許せへんかったんやろな。少しずつ千秋の苛立つ回数が増えてって――。
「くそ……またここか」
「せやから無理せんと、曲変えよ?」
「試しにいっぺん、ヴァイオリンデュオ弾いてみたらどうや?」
「そうやね。千秋、直ぐ弾ける曲ある?2ndで合わせるから」
「……判った。ならバッハだ」
千秋が指定したのは、2つのヴァイオリンの為の協奏曲。一緒に練習するようになってから、何べんも弾いた曲や。最初の内は千秋にも蓬生にも難易度の高い曲やったけど、今は――。
「息ピッタリやな。二人やったら、ヴァイオリンデュオのんがええんとちゃう?」
「……………………」
「なんや攻撃的な仕上がりやけど、こういうのも悪ないね」
「ほら、千秋も。素直になり」
なんで千秋が認めたくないのかが、私には解らへん。黙ってる事自体が、認めとるのと同じやのに。
「そんなにちゃんのピアノが聞きたいんやったら、俺が一曲引き受けたるから」
「なっ――蓬生、俺がいつそんな事言うた?!」
「そやったん?ふふっ、嬉しいなぁ。ピアニスト冥利に尽きるわ」
「ほな決まりや。
ちゃん、なんかこれやって曲、ある?」
やいやい騒いどる千秋を放っぽって蓬生に告げたのは――。リムスキーのスペイン奇想曲、第4曲。こっちは千秋とのヴァイオリンデュオにぴったりや。もう一曲は、ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番。通称、雨の歌。ヴァイオリンとピアノのデュオやったら他に何曲もええのがあるけど、蓬生と弾くんやったら、こういう曲がええと思う。
「流石によう知っとうね。ほな、それで行こか」
「うん、ええよ。千秋――まさか、弾けんなんて言わへんよね?」
「アホ、誰に向かって言うとる」
急ピッチで仕上げる必要もなく思い通りに練習が進んだのは、やっぱり弾く曲を変えたからやと思う。千秋とのデュオは、派手に観客を煽って高揚させる。蓬生とのデュオは、甘く切なく響いて観客を酔わせる。その文化祭でファンが大勢付いたのは予想外やったけど、コンクールで優勝した時には味わえなかった達成感を味わえた。
公園なんでライブをするようになったのは、それからや。気に入った曲を弾き込んで、完成させて、披露する。喝采が沸く、その瞬間の達成感を得る為に。こんな日々がずっと続くもんやと思うてたし、続いて欲しいとも思うてた。それが危うくなったのは、三年になる直前やった。

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主人公が弾いていた曲には一応設定があります。
土岐蓬生:ヴィヴァルディ「海の嵐」第1〜3楽章
クライスラー「美しきロスマリン」
東金千秋:ビゼー「カルメン」前奏曲・闘牛士の歌
J.S.バッハ「無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番〜前奏曲」
単に私の知っている曲でないとイメージが湧かないというだけの事ですが、皆さんにもそういう曲を当て嵌めて読んで頂けたら良いな〜と。
橘朋美
FileNo.002 2010/4/22 ※2010/10/12修正加筆 |