1つ前の駅で降りて  5




仕事先の郊外のレストランをいつもより早く出る。
春まだ浅いとは言え、日差しは暖かく、冷たい風さえなければコートなど要らない程だ。
ベージュのスプリングコートの下は、朝仕事先に持っていった礼服。
片手に行きに着ていった普段着の入った紙袋を持って、そして手には大事な物を握り締めて電車に乗る。

電車の窓から見える代わり映えしない景色を眺めながら、サンジは思う。

今から2年前の事を。




***



打ちひしがれて戻ったマンション。
父コウシロウは、そんなサンジを優しく出迎えてくれた。

そして話してくれたのだ、家の事とゾロとの事を。






コウシロウが12歳の時母親が病気で亡くなり、喪も明けない内に連れ込まれた新しい母親。
一回りしか離れていない女を母親と呼べるはずも無く、女も表立って邪険にはしないものの息子とは到底思えないようで。
ギクシャクした生活が続き、3年後には弟も産まれて。

家の中で更に孤立していく寂しさを感じていた時、サンジの母親と出会った。
見た目の美しさもさることながら、心も優しくて。
ただの女性への憧れが恋に変わるのに時間はいらなかった。

そして家を出る。
後に残されたゾロの事など、考えずに。

15歳離れた弟、ゾロ。

3歳までは、コウシロウが家を出るまでは次男としてのほほんと育てられてきた。
その後も父親は、ゾロをコウシロウと比較しながらも、跡取りと認めることはなくて。
そして、ゾロ10歳、コウシロウ25歳の時、父親がゾロを後継者と指名する。
コウシロウを諦めたのと、ゾロの資質を認めたからだ。

ゾロの生活が一変する。
全てにおいて、後継者たるよう教育を施され、生活を監視され、雁字搦めの日々。
やりたい事もやれず、でも根が真面目だから反抗する気にもなれず。
ただ悶々と悩みを抱えたまま、ズルズルと時は過ぎていく。
そして、大学時代の友人との生活の中で、徐々に自分の進む道に疑問を抱き・・・・・・ゾロは家を出たのだ。

大学も休学し、行方を眩ましたゾロを必死で探し回ったが見つからず、已むを得ず居場所の分かるコウシロウを連れ戻したという。






それはサンジのマンションを出て、すぐだっただろう。
夕方、突然本社ビルに現れたゾロが、驚く父親の前で土下座をして謝ったと言う。
そして、自分が家に戻る代わりにコウシロウをサンジの元へ帰すように頼んだ、と。
そのかわり、自分はこれから父に逆らわず、敷かれたレールの上を歩くと約束する、と。

直ぐにコウシロウが呼ばれ、父親から帰りたければ帰っていいと告げられた。
ただ、仕事は辞めずに今まで通り続けてもらいたい、と。
父の横に立つゾロに視線を移すと、ゾロがコウシロウに歩み寄り、手渡したのが件の手紙だった。
その時のゾロの顔は妙に達観したような感じを受けたとコウシロウは言っていた。

「ありがとう。」
そう告げたコウシロウに対し、ゾロは寂しそうに笑って頷いた、と。




***




その笑顔が何を語るのか、サンジにはわからなかった。
気持ちが離れたのでないとしたら、何故ゾロは自分から去っていったのか。
手紙に書かれた『やり直せ』の意味はなんなのか。

考えても、いくら考えても、答えが出る筈も無く。
ただ時が流れるのに身を任せて、なるべく何も考えないようにして。
父コウシロウと2人、生活してきた。

勤め先のレストランから7つ目の駅で毎日降りる。
1つ前の総合駅で降りる事も無くなった。




だが、今日は・・・・・・。


電車に乗って、サンジが向かう先は自分のマンションの最寄り駅ではなく、その1つ前の駅。
そこに併設されているステーションホテル。
目的地は、そのホテルだ。



そこで今日、ゾロの結婚式が行われる。








最初は行くのを渋った。

実際招待されているのは、父コウシロウ1人で。
サンジが行っても、ゾロは喜ばないだろうと言ったのだ。

だが、父コウシロウはうんと言わなかった。
式はキリスト教式だから、招待されていない参列者も多い筈だ、と。
例え、ゾロがどう思おうとサンジがけじめを付けるべきだ、と。
2年間苦しんで、自分の気持ちを押さえ込んだサンジを見守ってきたのだ、と。
結果はどうあれサンジがどうしたいのか決めるべきだ、と。

確かに、諦める事も出来ず、今の自分の気持ちをゾロにぶつける事も出来ず、悶々と過ごしてきた。
女の子と付き合ってみたりもした。
他の男と会ってみたりもした。

こんなにもゾロを引き摺っているのだと思い知らされるだけだった。

それを終わりに出来るのならば・・・・・・。


参列を決意したのは、昨夜だった。








ホテルの式場は、ロビーウェディングという事もあって参列者以外にもギャラリーが居て。
確かに自分が居ても、なんの違和感も不自然さもないだろう。
ゾロと自分の仲を知られていないせいか、東海財閥の人間も自分の顔を見て訝しがるものの、何か言ってくる者はおらず。
サンジは父コウシロウとは離れた、一番後ろの席の更に後ろに立っていた。

そんな中、新郎が式場に現れる。



ゾロと一瞬目が合って、自分が居ることに驚いたのか、目を見開いて。
そして、フッと柔らかく笑った。
その笑顔に見惚れて、ぎこちなく笑みを返したものの、胸には何か苦いものが込み上げてくる。
視線が外され、自分の前から遠ざかるゾロをただ呆然と見送った。
ゾロはバージンロードの先の祭壇前で花嫁を待つ。
ワッと歓声が上がり、後ろを向けば純白のウェディングドレスに身を包んだ女性が恥じらうように立っていた。

ゾロの結婚する相手。

悪い夢でも見ているかのような非現実感。
彼女と彼女の父親がゆっくり自分の横を通り過ぎる。
向かう先には、ゾロが居る。
彼女の手を取り、祭壇へと向き直る。

その時から、サンジの周囲の音が消えた。
神父の言葉も、参列者のざわめきも、聖歌隊の歌声も、全て消えて。
遠くに見えるゾロの後ろ姿だけしか目に入らなくて。
サンジが見つめる中、式は止まることなく進んでいく。
賛美歌、朗読、式辞、また賛美歌。
そして、誓約が始まる。

神父のお決まりの文句の後に
「はい、誓います。」
そう言ったゾロの声だけが、サンジの耳に届いて。

もう自分のモノではないのだと思い知らされる。
全ては今ゾロの隣に立つ女性のモノになったのだ、と。
その誓いの言葉が、サンジの胸に突き刺さる。

新婦の誓約の後、指輪の交換へ。
新郎新婦が向き合い、ゾロが新婦の手を取り、その細い指に嵌めるのはプラチナだろう鈍く光るリング。

サンジがずっと左手に握り締めていたシルバーのネックレスなど、もう思い出にすらならないだろうに。

ポロリと頬に涙が伝う。
後から後から零れてきて………サンジはヘヘッと笑った。

母が亡くなった時は、ただ愕然とするだけだった。
父が居なくなった時は、自らの状況を惨めに思って唇を噛み締めた。

でも今は、ただ悲しくて。
泣くことしか出来ない自分が情けなくて。

俯いて、目を閉じて、零れ落ちる涙を拭うことなく、声を殺して笑っていた。
どのくらいそうしていただろうか。
周囲が急に慌ただしくなり、自分の方へと駆け寄る足元が聞こえてきて。
サンジは重い瞼を開き、ふと足元を見れば、白くて光る靴のようなものが有って。

顔を上げてぼんやり霞む視界に見えたのは、真っ白な世界で。
それが、ふわりと自分を包んだ。
覚えのある温もりがサンジの身体を温めた。
そして――――。


「……サンジっ!」


愛しい男の声がサンジの心に響いた。

「………ゾロ?」
「何で!……何でそんなふうに泣く?!」
「……ゾロ……服…汚れ、ちまう。」
「馬鹿かっ、てめぇは!何でこんなになってまだ、他人の心配してんだ?!」
「…・・・だって…。」
「オレのことはいいっ!何で、んな顔して泣いてんだ?!」


自分の事を繰り返し繰り返し心配してくれるゾロのその背に手を廻して、その上着に軽く手を乗せる。
そして、神に祈った。


たった、たった1分、いえ30秒でいい。
この男を、自分の結婚式を放り出してまで昔一緒に住んだ者を気遣うこの優しい男をオレに貸して下さい。
オレがこの先めぐり合う事はないだろう愛しい者を貸して下さい。
この身体に、彼の全てを刻み付けさせて下さい。
たった、それだけでオレは十分ですから。

この愛しい者の胸で泣かせて下さい。


グスッと洟を啜って、ゾロから手を離して、サンジは顔を上げる。
そこにあるのは、自分を心配そうに見つめるゾロの顔。
今出来る最大限の微笑を投げ掛けてサンジは言う。

「悪ぃ、邪魔したな。オレちょっと調子悪いから、帰るわ。」
「……サンジ。」
「幸せにな、ゾロ。」
「………。」

ゾロに背を向け、一歩を踏み出そうとした時だった。

「待ちなさいっ、サンジ!!」

祭壇の方から大声で呼び掛けられ、サンジが振り向く。
父コウシロウだった。
父が、その場から走り寄ってゾロの後ろで止まる。

「行っちゃダメだ。ちゃんと言わなきゃダメだ、ゾロもサンジも。何が欲しくて、何がしたいのか。他の人のことなんか考えないで、
ただ自分の気持ちを今出さないでどうするんだ!」
「………親父。」
「………兄貴。」

流石にそこまできて、状況が飲み込めたのか周囲がざわめき始める。
ゾロの会社の人間が、ゾロを連れ戻そうとゾロの手を取る。

「サンジっ!!オレはっ!!!」

それを振り払って、ゾロが叫ぶ。

「オレは、お前に必要なのはコウシロウだって、兄貴だって思ったからお前から離れた。兄貴さえ居ればお前は寂しくなくて、お前
が男と暮らす必要なんて無くて……そう思ったから。オレはコウシロウの代わりだってそう思ったから。オレはいつだって兄貴の
代わりで、オレを必要としてるヤツなんていると思わなかったから。違うのか?お前は違うのか?!」
「…………。」

ゾロの言葉に驚いて、思わず気持ちを打ち明けそうになる。


そんなワケ・・・・・・変わりなワケあるか!!
親父が居たって、この2年、どれだけ寂しかったと思ってるんだ!
あの2ヶ月が、ゾロと居た2ヶ月がオレにとっては全てだったのに。


でも、サンジは何も言わずに、もう一度背を向ける。

自分はそんな風に思うゾロの寂しさに付け入りたくないから。
ゾロの方こそ、自分をただ足りない何かの代わりにしているのだと。
きっと今祭壇の前で待っている女性がその役割を果たしてくれる、それが一番ゾロにとっていい事だろうとそう思ったから。

何も言わず、一歩、足を踏み出す。

「サンジっ!!」
「オレは……、オレは親父がいればいい。」
「……………。」
「オレは、ゾロが居なくてもやっていけるから。」
「……………。」
「ゾロは……彼女と、幸せに……なって…。」




「それ、こっち向いて言ってみろ。」


折角、なんとか堪えて言ったのに。
聞いたことのある優しい声でゾロが言うから。

思わず肩が震えてしまって。
うっと嗚咽が漏れてしまって。
涙がポタポタッと床に落ちてしまって。

「親父、悪ぃ!」
そう言うゾロの声がして。

カツカツとエナメルの靴が音を立て、振り向けずに佇むサンジの背をゾロがギュッと抱き締める。


「愛してる、サンジ。死して尚、お前だけを愛するとこの場で誓う。」


そう言って、涙でぐちゃぐちゃのサンジの顔を覗き込んでキスをした。
誓いのキスを。

そしてそのまま抱き上げて、呆然とする参列者を振り向き、ゾロが宣言する。

「今此処に、コイツを生涯の伴侶とすると神の前で誓った。文句のあるヤツはそこの神父に言っとけ!」

そう言って、コウシロウにペコッとお辞儀をして。
その場を脱兎のように逃げ出した。
我に返って追いかけて来る会社の人間を交わし、階段を駆け下り、入り口を抜けて。
慣れた帰り道を、サンジを抱えたままゾロは猛ダッシュだ。
急すぎる展開についていけず、ゾロの首にしがみつくしか出来なかったサンジだったが。
漸く何が起こったか把握して、慌ててゾロの背をボカッと殴った。

「いいのかよっ!あのレディは?」
「ああ?あいつはいいんだよ。笑って手ぇ振ってたろうが。」
「ええっ?!」

そうだったろうか?
ならいいけど、とちょっとホッとして。
でもって、自分の状況を省みて、ババッと顔が赤くなる。

「おい、下ろせ!こっ恥ずかしいっ!!2人で走った方が速いだろが!!!」
「馬鹿言え!もう離さねぇぞ。覚悟しやがれ。」
「大体どこ行く気なんだよ!お前のアパート、もう引き払ったんだろが!」
「大家とはツーカーの仲なんだよ。あのおばちゃん、いつでも戻っといでっつってたし。」
「こんなカッコで行くのかよ!」
「……なんなら、脱がしてやろうか?」

パコンと握っていた左手で殴って。
苦しいからネクタイ外してくれとゾロが言うので首元を開けてやって。
そういえばと思い、その首元を見れば。
キラッと光るシルバーのネックレス。

嬉しくなって、サンジは久し振りに大声で笑った。




***




いつものように勤め先のレストランを夜8時に出る。
電車に乗って、降りる駅近くで入り口付近に移動する。



結局あれから、すったもんだと色々合ったが。
ゾロとコウシロウの仕事が交換になっただけで、あと特別に何事も無く。
新婦側も実は他に好きな人がいたらしく、慰謝料も挙式料だけで済んだとの事。
サンジはホッと胸を撫で下ろしたのだった。




そして、サンジは駅に降りる。
1つ前の駅ではなく、自分の帰る家の最寄り駅に。
ただ違うのは……。


その最寄り駅が、今まで1つ前の駅だったという事。
知らない他人を待ったその駅で、今はサンジを待ってくれる人が居る。
改札を出たところで、いつも待ってくれている。

今日もまた、サンジの姿が見えると手を上げるのだ。

日雇い労働のラフな格好ではなく、すっきりとスーツに身を包んで。

「お帰り、サンジ。」
「お帰り、ゾロ。」

歩み寄り、肩を並べて駅を後にする。




誰の代わりでもない大事な人が傍に居てくれるから。

もう、寂しくはない。




END


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神前結婚式の最中にサンジ掻っ攫って逃げる花婿ゾロv




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