駅前通りにある小さな喫茶店『ブルーヘブン』。 若いマスターが経営するその喫茶店は、立地条件に恵まれ、また値段の割りに旨いとの評判だ。 客層は女の子から、中年のおじ様たちまで幅広い人気を誇り傍から見れば何の問題もない様に思われたが。 そう、たった1つだけ困った問題点があった。 男のバイトが居着かないというのだ。 「お〜い、ゾロ〜っ!!」 後から声を掛けられて、大学構内の廊下を歩いていた緑髪の青年が立ち止まった。 振り返りざま、その相手を確認しまた視線を元に戻す。 「おいっ、ゾロ。呼んでんだろが!」 「オレにゃ、用はねぇ。忙しんだ。」 素っ気無く返事を返されたゾロと同級生のウソップが、漸くゾロに追いついて肩に凭れ掛かる。 それを、ムッとしながらも見やってゾロは立ち止まった。 「どうせ、バイト探しだろ?」 「・・・・・・あぁ。」 「お前も豪いよな、ゾロ。親の仕送り無しでやってんだもんなぁ。」 「くれるっつーんだけどよ。悪ぃだろ、やっぱ。」 ぶっきら棒な口調の中に照れがあるのに、ウソップは気付いていても知らない振りをする。 そんな事をゾロに気付かれたら、半殺しの目にあうだろうからだ。 「で、見つかったのかよ?」 「んにゃ。折角、馴染んできた酒屋のバイトだったのによ。店長が親が心配だから故郷帰るっつって店なくなっちまってからロクなの 無ぇ。カテキョもオレにゃ向かねぇし、客商売なんぞやりたかねぇし。深夜の交通整理とか道路工事とか力仕事やってもいいんだけ どよ。次の日の講義、絶対ぇ遅刻する。つーか、欠席だ。」 「・・・・・・まぁな。」 自覚してるだけマシになったさとウソップは思う。 ゾロの寝付きの良さと寝起きの悪さは、大学入ってから2年の付き合いで学習済だ。 本人がそれを理解したのは、ウソップが何度も何度も言い聞かせたからに他ならない。 それでも、漸く自覚に至ったのは、つい最近なのだが・・・。 兎に角と、ウソップは話の本題に乗り出す。 「ゾロ、オレの彼女知ってるよな?」 「んあ?あぁ、知ってるぜ。確か、医学部のトップとかって女だろ。」 「名前教えただろ?カヤってんだよ。」 「んで、そのカヤっつーヤツがなんだ?」 「・・・・・・ったくよー。他人の彼女呼び捨てかよ!・・・・・・ま、いいや。カヤの親戚でバイト募集してるとこ、あんだ。」 ウソップのその言葉に、ゾロが興味を示す。 「どんなんだよ?」 「喫茶店のウェイターなんだけどよ。そこのマスターがカヤの従兄でさ。」 「喫茶店?客商売じゃねぇか?それに、時給安いだろ?」 ゾロの一気に興味を失くした態度に、ウソップがふんぞり返って応える。 「それが、聞いて驚くな。なんと時給1500円。しかも、夕飯付き。」 「!!!」 ゾロの目が驚きで見開かれる。 それは、そうだろう。 たかが、喫茶店のバイト・・・どんなに高くても1000円いけばいいとこだ。 それを5割増プラスメシ付きとは・・・・・・。 親元を離れ、自炊しているゾロには有難すぎる。 だが、しかし。 「・・・・・・ちょっと、高すぎやしねぇか、ウソップ?条件は確かに願ったり叶ったりだが、話が旨すぎるぞ。」 「だろ?オレも最初はそう思ったんだけどよ。」 その喫茶店は駅前通りにある『ブルーヘブン』で、ゾロも知っていた。 ゾロの下宿先アパートから最寄り駅の途中にあるのだ。 そこのマスターはかれこれそこで、もう5年も経営しているのだが、1年程前から男のバイトが居着かないというのだ。 長くて1ヶ月、早いヤツは1週間で辞めてしまうといい、この1年で軽く20人は入れ替わっていると。 その原因に、そこのマスターは全く見当が付かず途方に暮れているらしい。 というのも、マスターが力仕事をバイトに任せたいからだ。 コックも兼ねている店主、料理をするとき以外極力手を使いたくないという。 特に、重いものを持つと手の感覚が鈍ると。 喫茶店に届く食材、飲料、氷等重たいものは数知れず。 今現在はなんとか自分でこなしているものの、早く新しい子を雇いたい。 バイトが居着かないせいで値が上がっていくバイト料も、ここいらで押さえたい。 そこで、従妹のカヤに頼んできたと言うのだ。 「力持ちで、人のよさそうなヤツ知らない?」と。 ゾロは午後の講義を終えて、駅前通りを歩いていた。 現在2時半。 思ったより早く3限の講義が終わり、4限の講義は取っていない。 ウソップの話では、ランチが終わりティータイムまでのこの時間に面接に行くのがいいだろうとのこと。 ティータイムからディナーまでの間は、仕込みで忙しく対応が客以外には悪いと言うのだ。 目的の喫茶店を目の前にして、ゾロはホッとする。 (・・・なんとか、迷わず着いたぜ。) 筋金入りの方向音痴、駅から自分のアパートまでの途中にあるとはいえ、行き先が違うと思わぬところで迷うことがある。 かといって、目標をアパートにすると通り過ぎてしまう・・・自分のアホさ加減に溜め息を付くゾロであった。 何はともあれ、着いたことに感動しながらもそのドアを開く。 カランカランと扉に着いた鐘が鳴り、「いらっしゃいませ」と声がした。 ゾロが目線を上げて声の主を探せば、カウンターの向こうで食器を拭いている男が居た。 自分を見て、一瞬呆けたような顔をして、その後ニコッと笑ったその男。 (こいつがマスター、か?) そう思って、ゾロはカウンターへ向かうと「いや、客じゃねぇ。」と答えた。 「バイト募集してんだろ?オレを雇ってくれよ。」 「・・・・・・・・・表出ろ。」 「あぁ?」 言われた言葉の意味が分からず、ゾロが眉間に皺を寄せて問い返した。 ゾロのこの表情に大抵の奴らはビビって言った事を取り消したり、尻込みしたりするのだが。 「外出ろっつってんだよ。」 正面に居るその男は相変わらず笑みを浮かべたまま、扉を指差した。 そして、持っていた食器と布巾を置き、カウンターを回ってゾロの目の前まで来るとゾロの目を見つめてくる。 (へぇ、背オレと変わんねぇな。それに、なんかイイ匂いしやがる。メシじゃなくて、石鹸か?) などと考えていると、男は首を傾げた。 「オレの言ってる事、聞いてっか?」 「あ?あ、あぁ。でも・・・・・・どういう意味だ?」 ゾロが聞くと、男はフウッと大袈裟に溜め息を付いて肩を竦めた。 それに、ゾロがムッとして何か言おうとすると男が口を開いた。 「いいか?オレが雇い主、てめぇが雇用人だ。わかってっか?そしたら、やる事わかんだろ?」 「・・・・・・・・・。」 「もっぺん、入ってくるとこからやり直せ。」 「・・・・・・おう。」 男の言いたいことが分かって、ゾロは渋々頷いて一旦外へ出て、もう一度扉を開けて中に入る。 そして、深々と頭を下げて言った。 「こちらでバイトを募集していると聞いて参りました。宜しくお願いします。」 「・・・・・・やればできんじゃねぇか。合格だ。」 声に優しさがこもっている様に聞こえてゾロがゆっくりと顔を上げて、その男を見た。 満面の笑みで自分を見つめてくる、その男を。 「オレぁ、サンジだ。・・・てめぇは?」 「ゾロです。ロロノア・ゾロ。」 「頼むぜ、ゾロ。」 握手の為に差し出された手を、そっと握り返す。 細くて白い、自分のゴツイ手とは比べ物にならないぐらい綺麗なその手を。 そして、目線を上げて握手の相手を見れば、先程の微笑みのままで。 その笑顔に・・・・・・ゾロは一瞬で恋に堕ちた。 その後、サンジが様子を見て行けと言うので、ゾロはカウンターの端に腰掛けてサンジの立ち居振る舞いを見ていた。 華麗な包丁捌き、柔和な客対応、そつがない動き、そして・・・・・・笑顔。 女相手の時の過剰なサービスと、男相手の言葉遣いの荒さは気になったが、それも客側にはいつもの事らしく。 女はそんなサンジを適当にあしらうし、男はざっくばらんに言葉を返してくる。 時折、客の視線が自分に向いてサンジに誰か尋ねているようで、その度にサンジが嬉しそうに答えるのだ。 「新しいバイトだ。可愛がってやってくれよ。なぁ、ゾロ。」と。 ゾロはペコッとお辞儀をしながらも、サンジの笑顔に見惚れる。 そして、不思議に思うのだ。 (何で、バイトが居着かねぇ?こんなイイヤツなのによ。何か妙なクセとかあんのかな?) 今のところ、普通だ。 いや、ゾロの恋心を更に煽るだけで、イヤなところなど微塵も感じられない。 (仕事が大変なのか?いや、それも違うだろ。う〜ん。) 悩んでも、仕方ないと諦めてゾロはサンジを見る。 サンジがそのゾロの視線に気付いて、振り向き、そして笑う。 その笑顔に、ゾロはクラクラしながらも決意する。 兎に角ここで働こう。 傍にいてこの笑顔を見続けたい。 食わせてくれたメシも絶品だった。 理由があるならば、それも追々わかるはずだ。 さしあたって、明日ウソップの彼女に聞いてみようと思うゾロであった。 |
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