振りの客

<振りの客>




チン、トン、シャラランと三味線の音が廓内に響き渡る。
暮六つ、張見世の始まる時間を告げる清掻だ。
何人もの花魁たちが、それぞれの見世に座り始める。
仲の町の引手茶屋に馴染客を待つ昼三が、縁台に腰を下ろして煙管の煙を燻らせる。
そこかしこの見世で、通りかかる客達に妓夫が声を掛ける。
職人、商人、武士、江戸中のありとあらゆる職種の男達が、花魁との一夜の夢を買いに来る。
その賑やかな仲の町通りを、1人の男が通り抜けて行く。
その男は、まず1軒の引手茶屋に立ち寄った。
馴染の花魁でも居るかの様な振る舞いだが、その店先で一言二言話してからすぐにその場を後にする。
何人もの客が犇く中、彼の姿を見とめた妓夫達が「初めて見る男だな。」「ああ、廓事態初めてじゃねぇか。」と噂しあう。
にも拘らず、その男の足取りは1点を目指すように止まらず、揺ぎ無い。
彼が目立つのは、何もその態度からだけではない。
黒地に濃紺の格子柄の入った着流し、それが長身だが鍛えられたと思われる体型に良く似合っている。
そして、腰に下げられた3振りの刀。
その容貌にも特徴がある。
編笠を被っているため良く見えないが、時折スッと前を上げて見世の名を確認する時に覗く顔は、精悍の一言。
切れ長で、迷いの無い瞳。
スッと通った鼻筋。
信念の強さを物語る口元。
彼が通り過ぎるまではあちらこちらから声が掛けられ、通り過ぎた後は見世を張る花魁たちの落胆の溜息が洩れた。


その足がある1軒の小見世の前で止まる。
『椰子屋』
その暖簾を食い入るように見つめる彼に、椰子屋の若い衆が声を掛けた。
「旦那、どの花魁がお気に入りで?」
「あ、いや、お内所はいるか?」
「ああ、はい。お見えになりますが・・・・・・・・・。」
「あたしに何か用かい?…………って、ゾロの旦那じゃないか。格好がいつもと違うから気付かなかったわ。」
暖簾を上げて出てきた女がその男を見て言う。
『椰子屋』の若き内所ナミ。
蜜柑色の髪と、整った容姿で花魁と間違えられることもしばしばだが、持ち前の守銭奴魂と気の強さから廓中の若い衆に
恐れられている。
事実、こうしてゾロのドスの低い声で話し掛けられても、全く動じない。
「八丁堀の旦那がウチに何の用だい?黒の紋付着てないとこ見ると、今日は客かい?」
「あ、あぁ、いや。ナミ、ちっと聞きてぇことが――――」
ゾロがそこまで話した時、1人の妓夫が暖簾から顔を出した。
「あ、ナミさん、こんなとこ居たんだ。夕餉の支度出来て………って、あれ、お客さん?」
呼ばれたナミがその声の主を振り返る。
見世を張る花魁も、呼び込みの妓夫も。
そして、ゾロも。
そこには、ジンジン端折りに股引姿の妓夫が立っていた。
甘露のような髪と、女と見紛う白い肌、そしてその甘い容姿を隠すキツい視線。
その姿を見て、ゾロの表情が一瞬輝いたのにその場にいた誰1人気付かなかった。
「あら、サンジくん、そんな時間?ちょっと待ってて。」
ナミがそう言ってもう一度ゾロに視線を戻す。
元の仏頂面に戻したゾロに。
「で、何?」
「あぁ、いや、客だ。客でいい。」
その言葉に、ナミの見世の花魁達がキャッと歓声を上げる。
急に態度を変えたゾロを訝しそうに見つめたナミだったが、客とあらば無碍にも出来ないのであろう。
「で、どの娘がいいの?ウチはそんなに格式高くないから、昼夜で一分よ。」
「ヤツだ。」
ゾロが指で指し示した方を、ナミも妓夫も花魁も目で追う。
ナミの肩越しを指すそれは、見世を張る花魁たちではない。

そう、それが示すのは真っ直ぐ、暖簾の手前に立っている――――サンジ。

しばしの沈黙。
「・・・・・・・・・は?オ、オレ?何のこと?」
最初に口を開いたのはサンジだ。
目をまん丸に見開いて、口をぽかんと開けている。
「あのねぇ、旦那?」
ナミはサンジから視線を戻して、大袈裟に溜息を付いて見せた。
「あの子、サンジくんはねぇ、確かにウチで働いてるけど『妓夫』よ。それにウチは女郎屋なの。もし、男娼がいいなら、木挽 町でも
湯島にでも行って――――」
ナミの話を遮るように、ゾロが懐から巾着を取り出してナミの手を取りそれを載せた。
ナミはその巾着に目線を落とし、ゾロと目を合わせて相手が頷くのを確かめてから巾着の中を覗いた。
「・・・・・・・・・えっ?!!!」
ナミは目を見開いた。
何?とサンジも寄って来て、中味を覗き込む。
「いっ?!!!」
驚くのも無理は無い。
中には、初回馴染で1週間居続してもお釣りがくる金額が納められていた。
「それで、3晩。不足はあるか?」
いや、不足とかそういう問題じゃとごにょごにょ言うサンジを押しのけて、ナミはこれ以上に無いであろう満面の笑みを浮かべ た。
「不足なんて、とんでもありませんわ、旦那。ささ、どうぞ、中へお入りになってくださいまし。ウチの一番いい部屋、御案内さ せますわ。」
「ナ、ナナナ、ナミすわーん・・・・・・。」
今にも、ゾロを連れて中へと入ろうとするナミを、サンジは半泣きで呼び止めた。
ナミはサンジに一瞥くれると、ゾロになにやら耳打ちした。
ゾロが頷いて妓夫の1人と連れ立っていくのを見送り、ナミはクルッと向きを変えサンジに小悪魔的な微笑を見せた。
「サンジくん?」
「は、はい?」
「借金。」
ナミの一言にサンジがグッと身を竦める。
「これだけあったら、私が仲介料貰ってもまだ余るわ。ここで全済してお小遣いも出るのよ。それに、振り倒したって
いいんだから。いい話じゃないの。」
「で、でも、ナミさん、オレ、男だよ。それに何で借金してるか・・・・・・。」
「サンジくん?!」
ナミの少し怒りを含んだ声に、サンジははいっと直立する。
「私の言うこと、聞・け・な・い・のー?」
「い、いや、あの、・・・・・・その・・・・・・えーっと・・・・・・。」
「とっとと風呂入ってきなさい!!仕事は他のもんにやらせればいいから。これ以上グダグダ言うと、お歯黒溝にたたっ込む わよ!!!」
「は、は、は、はーーーい。」
バタバタと裏口の方へ走っていくサンジの後姿を見送ると、ナミは暖簾を潜って中で待つゾロの元へと急いだ。


(はぁ〜。しっかし、何でオレだよ。ってか、女郎屋で妓夫のオレが身体売るってどうよ?それよりも・・・・・・。)
風呂屋からの帰り道、サンジは肩に手拭を掛け、片手で頭を抑えながら歩いていた。
サンちゃ〜んと其処此処で呼び止められる。
「相変わらず、色っぽいねぇ。」
「今日は仕事しねぇで逢引かい?」
「風呂上りのサンちゃんはまた一段とそそるねぇ。」
確かに、こうやって声を掛けてくるのは野郎ばかり。
(オレってやっぱり男から見てそういう対象なのかねぇ。)
ふと、5年前のことを思い出す。


父母の用事を言付かって、1人で廓内の祖父の茶屋へ来ていた日。
家に帰ると、目の前には燃え盛る父母の店があった。
泣くことも出来ず、ただ、呆然とその炎を眺めていることしか出来なかった。
ようやく鎮火して、焼け跡から父母の亡骸が見つかった。
祖父が知らせを聞いてすぐに駆けつけてくれて、サンジはその顔を見て初めて涙が零れて止まらなくなったのを覚えている。
祖父とサンジが、近所の人たちの手助けを借りてその焼け跡を片付けていた時。
父母が生前したという借金の証書を持ったクリーク一味が現れた。
ざっと、50両。
とてもじゃないが、サンジ1人に払いきれるわけも無く、祖父もそんなに蓄えは無い。
借金の形に身を売れと脅され、誘拐紛いに連れて行かれそうになった。
散々抵抗して、鳩尾を殴られて気絶して・・・・・・。
気がついたら、祖父の茶屋の一室だった。
祖父の話によれば、偶々通りかかった侍が助けてくれて送り届けてくれただけでなく、借財を肩代わりしてくれたとのこと。
嘘みたいな本当の話で。
あの後、調べてくれた同心が、どうも裏があるらしいと言っていた。
誰かが、自分を狙って父母を誑かし借金を背負わせ、付け火して殺したのではないかと。
ただ、その時は確かな証拠も無く、結局付け火した犯人も、クリーク一味の裏で動く人物もわからず仕舞だったが。
あれから、サンジは昼見世の間祖父の茶屋で板前として働き、夜見世の間ナミの小見世で妓夫として働いた。
一日も早く、立て替えてくれた侍にお金を返すために。
折角守ってくれたこの身体で、真っ当に稼いだ金を。
(なのに、男娼紛いのこの状況・・・・・・。あれ、もしかすっと、アイツがオレを狙ってクリーク一味を使ってんのかも。
そうだ、そうに違いねぇ。うっしゃ、こうなったら、一発バシッと決めてオレがそういう対象にゃならねぇってことを教え込んでや る。)
サンジは勝手にそう解釈すると、頬を両手でパンと叩いてガシガシと帰路を急いだ。


見世に戻ると、階段の上で喜助のゲンさんがちょいちょいと手招きする。
サンジが上がって行くと、ポンと風呂敷包みを渡された。
「旦那からサンちゃんにってさ。花魁用の衣装はあっても男娼用のはないからねぇ。旦那も気が利くねぇ。」
「・・・・・・はぁ。」
「お内所がお相手勤めてみえるから、はやく着替えて行ったげてよ。西の角部屋だからね。」
他の客に呼ばれて、はーいと返事をして去っていくゲンさんの後姿を見ながら、サンジは情けない顔して階段を下りる。
まだ、客の付かぬ花魁達がサンジに話し掛けてきた。
「サンちゃん、いいわねぇ。うらやましいわ。」
「旦那、格好いいじゃない。頑張ってね。」
日頃、花魁達に可愛がってもらっている手前申し訳なさも先に立つが、相手が望むものは変えようが無いのもこの廓では仕 方の無いことで。
サンジはニッコリ笑顔で返して、着替えるために自分の部屋へと急いだ。


<同衾の褥>へ




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