振りの客

<別離の朝>




サンジが襖の外に人の気配を感じて目を覚ますと、もう遅い時刻なのか部屋の中に障子越しの日差しが入り込んでいた。
「ゾロの旦那に、お迎えがみえてやすが。」
室内で人が動いたことが判ったのか、ゲンさんが声を掛けてきた。
サンジはわかったと返事をして、節々痛む身体に鞭打って起き上がりゾロを見る。
ゾロもサンジが起きたのに気付いたのか、目を開けていた。
「・・・・・・迎えが来たか。」
「あぁ。」
「じゃあ、行く。」
ゾロはそう言って布団から出ると、何事も無かったかのように着替え始める。
サンジもそれに倣い、ゾロに貰った着物に袖を通す。
それを見て、ゾロが口の端を上げて言った。
「それ、貰ってくれるか?」
「ん?・・・・・・まあな。もう袖通すことぁないだろうが、とっとく。」
「・・・・・・・・・そう、だな。その方がありがてぇ。」
笑んで返されたサンジの言葉に、ゾロも笑った。
そして、2人で部屋を出る。
3日前にはただの単純な買った男と買われた男だったのに、今はもう違う。
その不可思議さに可笑しくなって、サンジはちょっとだけ部屋を振り返って悲しげに笑った。


小見世の前に、1人の男が待っていた。
「ゾロ、珍しく寝起きいいじゃねぇか。もしかして、寝てねぇのか?」
特徴ある長い鼻、愛嬌のあるクルクルした目がその男の人の良さを表している。
名をウソップという彼が「ゾロ。」と呼び捨てにするのは、ゾロ曰く乳兄弟だからだそうで、流石にゾロの父親の前では若様と
立ててはいるが、影では言いたい放題らしい。
その彼がサンジの顔を見て、あれっと首を傾げてゾロに顔を向けたが、
「余計な口叩いてねぇで、行くぞ。」
とゾロに言われ、ふうんと妙に納得した顔でゾロの後を追いかける。
ゾロとウソップが並んで先を行き、その後をサンジとナミが続く。
ゾロの後姿から目が離せないでいたサンジは、自分の女々しさ加減に笑えてきた。
(情けねぇなぁ、こんなんでよぉ。これから先、やってけんのかねオレ?)
自嘲気味に笑っていて、ふと目の端に自分を心配そうに見つめるナミの顔が入った。
サンジがナミに目を向けると、
「・・・・・・サンジくん、大丈夫?その、・・・・・・昨日、ゾロと・・・その・・・・・・。」
と遠慮気味に話し掛けてきた。
(あー、結構声聞こえるっていってたよなぁ。)
2日前のナミとの会話を思い出して、サンジは顔を真っ赤にしながら口を押さえた。
「ご、ごめんね、ナミさん。・・・・・・もしかして、営業妨害だった?」
「ううん、それはないわ。だって、お隣の座敷の娘言ってたもの。お相手がその気になっちゃって廻し取れなかったけど、祝儀
弾んでくれたからサンジくんにお礼言っといてって。」
「・・・・・・それって・・・・・・。」
更にサンジの顔が赤くなる。
つまり、あの時の声が隣まで響いてて、かつその気になる程凄絶だったってことで。
(ひゃ〜っ、やべぇんじゃねぇの?他の客取れなんていわれたら・・・・・・?!)
怖々とナミを見れば、ナミがぶんぶんと首を横に振る。
「大丈夫よ。そのお客さんにはもう昨日で年明けだからって言っておいたから。ちょっと、勿体無いけどね。」
「・・・・・・勿体無いって、それもどうかと・・・・・・・・・どうかした?」
ナミの物言いに今度は首まで赤くなったサンジだったが、ナミが急に真面目な顔になったので首を傾げた。
「うん・・・・・・だって、そういうことになったってことは、・・・・・・そうなんでしょ?サンジくん。大丈夫なの?」
「あぁ、それね。」
サンジはそう言って、前を行くゾロの背中を見る。
右前方から朝日を受けて、その眩しさに目を細める。
そう、あれはもう自分の、自分だけのものではないのだ。
「大丈夫だよ。って言っても、もうこれから先、こんな気持ちにはならねぇって予感はするけどね。」
ニッコリ笑うサンジに、ナミが辛そうな顔をする。
サンジはそんなナミに首を振って見せる。
「ナミさんが気にすることないよ。・・・・・・あぁ、それとお願いがあるんだけど、オレもう妓夫辞めさせてもらっていいかな?」
「・・・・・・うん、・・・うん、いいよ。今までありがとね、サンジくん。」
「ありがと、ナミさん。」
涙ぐむナミの肩に手を置いてサンジがナミの顔を覗き込むと、見ないでよとナミが毒づいたのでサンジは安心して笑った。


大門まで来て、ゾロが立ち止まって振り向く。
サンジもゾロの前で立ち止まって、俯いた。
まともに顔なんか見たら、泣いてしまいそうだったから。
ウソップは先行ってるぞと、衣紋坂を上がって行った。
ウソップが曲がり角を曲がって見えなくなると、ゾロがサンジに対して口を開いた。
「・・・・・・世話になった。」
「いや。」
「取調べでてめぇの話聞くことあるかもしれねぇ。手下の同心か岡っ引寄越すから、頼む。」
「おう。」
「・・・・・・・・・サンジ。」
「ん?」
サンジが名を呼ばれて顔を上げると、ゾロの笑った顔が目に入った。
「てめぇも笑ってくれ。」
「・・・・・・・・・ゾロ。」
そこで、サンジがなんとか表情を緩める。
すると、ホッとしたゾロがサンジに向かって手を差し伸べかけて、ギュッと拳を握ったかと思うと腕を下ろした。
もう、触れてはいけない。
そう決意したゾロの気持ちが伝わってきて、また崩れそうになる心をサンジは押し留めた。
「元気でな、ゾロ。」
「おう。てめぇも、達者で。」
もう2度と会えないだろう相手に、別れの言葉を吐けるほど諦め切れていない自分達がいる。
お互いがお互いにそれを口にしきれないまま、ゾロは背を向け、サンジはその背を見送った。
そして、ゾロは一度も振り返らなかった。
ゾロの後姿が見えなくなるまで笑顔を崩さなかったサンジだったが。
その頬には、止めることの出来ない涙が零れていた。


ナミの小身世に戻り、荷物を纏め若い衆と花魁達に挨拶して引手茶屋へ戻った。
茶屋の者達が心配そうに見つめる中、祖父が奥から出てきてサンジを見た。
「クソジジィ、オレ・・・・・・・・・。」
サンジが言葉に詰まって何も言えないでいると、祖父がくるっと背を向けて顎をしゃくり付いてくるよう促す。
サンジが祖父の後ろについて中へ入っていくと、ちょうど出来立ての粥がおいてあった。
「そこ座って、これを食え。」
祖父はそうぶっきらぼうに言うと、やりかけの仕込を再開する。
サンジは厨房内の片隅にある板の間に腰を下ろすと、その粥に手を伸ばして食べ始めた。
(そういや、あん時も握り飯かなんか持って来てくれたっけなぁ。)
5年前の火事の日のことを思い出す。
祖父の顔見て散々泣いた後の握り飯は、両親がもう死んだとわかった悲しみの中でもうまかった。
そして、今も・・・・・・・・・。
祖父の思いやりが身に沁みて、サンジは泣きながら粥を頬張った。


その後、今までは片手間の料理人だからと下拵えまでしか手伝わせて貰えなかったが、色々なことをさせてくれるようになった。
刺身に包丁を入れたり、椀物を任されたり、食材を吟味したり、献立の組み立てまでサンジにも手を入れさせてくれた。
お蔭で、朝から晩まで結構忙しく、余計なことを考えずに過ごす事ができた。
そして、そんな日々が続いた七日後のこと。
「今日は、暮六つに江戸へ行くぞ。てめぇも付いて来い。」
「あぁ?んな忙しい時刻にどこ行くってんだよ?」
「てめぇがした借金だが、今までは先方が仕事のついでだからと取りに来てくださってたんだ。もう、お見えにならねぇと今日
エースの旦那が言ってらした。それに、最後だからな。てめぇもきっちり御礼するのが礼儀だろ。」
「あぁ、オレも行きてぇ。・・・・・・・ってか、何でエースの旦那が出てくんだ?」
「貸してくださったのは、当時の勘定奉行様だ。」
「かんじょ・・・・・・、何で?」
吃驚して、思わずきつい口調になったサンジに、祖父は呆れたように返事をした。
「何だ?今まで、知らなかったのか?てめぇは。」
「言わなかったじゃねぇか!!!」
「・・・・・・そうか?勘定奉行様が八州から府内にお戻りになる途中、てめぇの騒動に出くわしたと聞いている。ここへ送って
くださったのもその手下の方だった。」
「・・・・・・・・・んで、今どこに?」
「北町奉行所だ。そのお方は、現町奉行様だ。」


暮六つ、賑やかな廓を出て、府内に入る。
町中は人影もまばらで、こんな時間に人が溢れている吉原に慣れ親しんでいるサンジには物悲しさを感じさせる。
まして、向かうのは武家屋敷内の北町奉行の役宅だ。
辺りには人っ子1人居らず、門番が胡散臭そうにサンジ達を一瞥した。
祖父は、その門番に2言3言話すと、そこで待つように言われ門番が通用口から中へ消えていくのを見送った。
しばらくして門番が戻り、中へ通され中庭に続く道まで案内されて門番が去っていき、替わりにその家の使用人と思しき侍が姿を現 した。
その顔を見て、サンジはハッとする。
向こうも気付いて、あぁ、あんたかと声を掛けてきた。
(たしか・・・・・・たしか、ゾロを迎えに来た・・・・・・。何でここに?)
そう、目の前に立っているのは、ゾロの乳兄弟ウソップ。
祖父が金子を持ってきたこととお礼を申し上げたいということを話すと、ウソップは少し躊躇した。
だが、意を決したように「あいわかった。」と頷き、祖父にここで待つように言うとサンジを伴って中庭に入っていく。
「なんでオレがここにいんのかって思ってんだろ?」
「え、えぇ。」
「ゾロは、あ、いやゾロ様は北町奉行ミホーク様の御嫡子にあらせられる。」
「?!!」
衝撃の事実に頭が付いていけない。
自分を救ってくれた男の息子だというのだ。
では、ゾロは・・・・・・ゾロは・・・・・・自分をいつから知っていたのだ?
「あんたが、サンジだったんだな。」
「え?」
「成る程ね。・・・・・・そりゃ、怒るのも無理ねぇ。」
「あの・・・・・・何のことでしょうか?」
ぶつぶつと独り言のように訳のわからないことを零すウソップに、サンジは恐る恐る声を掛ける。
そんなサンジに、ウソップは意味有り気にニヤッと笑うと
「今から行って聞きゃわかるさ。先刻から、そのことでほれ、聞こえんだろ?あの通りだ。」
と言った、まさにその時だった。
今サンジたちがいる中庭に面した部屋から、ものすごく大きな声で怒鳴りあう男達の声が聞こえたのは。


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