Apocalypse
020



の問いに、彼等は顔を見合わせ逡巡した。まるで何か隠し事をしている子供のように、話すべきか否かを相談するように。その末に出された結論は、夜もう一度この部屋で話そうという曖昧なものだった。

「コーヒー?」

「ああ。長くなるだろうからな、淹れておいた」

そうして小さなテーブルに置かれたカップから立ち上る湯気と香りは、僅かなりとも心を落ち着かせてくれればという彼なりの気遣いだったのだが……。数分と経たぬ内に期待が裏切られた事を、彼は覚った。

「お前達の母親は――、俺の従妹だ」

そう口火を切ったユリウスに遅れること数瞬、二人はただ疑問の一音だけを漏らした。何故それを今まで隠してしたのか。特殊な状況下で育てられた二人が、それを問い質す事は無かった。そもそもの抱いていた疑問とは、何ら関係の無い話だ。

「……それがホントの事だとしても、質問の答えになってないだろ」

それを無視する事は出来なかったは、言い募った。そんな話を聞きに来たんじゃない。誤魔化すつもりなのか?と。違う!と声を荒げたユリウス。予想外の事態に口を噤んだ。それまで黙していたフォルセが漸く口を開いたのは、その時だった。

「僕が話すよ。ユーリには辛すぎるだろうからね。君達について知っている事を全て。ただ…、僕も辛くないわけじゃない」

出来れば質問は後日にしてくれると嬉しいね。そう告げて弱々しい笑みを浮かべたフォルセティは、語り出す。彼等が隠して来た事を。目の前に居る二人に、今は亡き二人の事を。出来得るなら、生涯隠し通しておきたかった事を。



――――2050年。まだ世界には、オラクル細胞という名前すら知られていなかった。新種の細胞が発見され、その研究が始められたばかりだった。こんな未来を予測する事が出来ないくらい、世界は多くの人間で溢れていたんだ。

オラクル細胞が何人もの研究者を侵している。その事実が認められたのは、僕らが友人を見送ってから半月も経たない内の事だった。

一人の本社研究員が人ではない生物体に変化し、人を襲って姿を消した。そして当時のフェンリルは、オラクル細胞に侵されている可能性が高い研究員達を探し集めようと多くの社員を動員したんだ。不十分な研究成果だけでは説明出来ない危機を、世界に開示する事も無いまま。

そして……、ある研究者を探し出し本社へ連行するよう指示された僕らは、その名前を目にして愕然としたよ。



本社研究室での研究期間を終え、帰国。帰国後の出社記録は無く、現在は消息不明。たったそれだけの情報と彼の婚約者の立場が、僕らを極東へ呼んだ。いや……正確には、ユーリが必要とされていた。オラクル細胞に侵された研究者と親しく、その婚約者と近しい。フェンリル創業者の直系である、ユリウス・フォン・ブロンベルグという人間がね。



彼等は結婚を翌年に控えていたのだが、それは公にされてはいなかった。モタモタしてると花の盛りを逃すぞ?そう言ってからかうユーリに、梛は笑って言った。彼女は自分の為だけに咲く花だから、今は開花直前なんだ――と。

遠く離れていても幸せそうに彼女を自慢していた友人を思い浮かべ、フォルセティは自嘲する。二人が生を受けた時、既に覚悟したのではなかったのか?罵られようが蔑まれようが、それを甘んじて受けるよ。あの時、物言わぬ彼女に誓ったのは嘘だったのか?と。



空港からその足で梛に会いに行こうとしていた僕らは、一本の電話をかけた。彼が携帯電話を持ち歩いている可能性は低いと思っていたけれどね、それは思いのほか早く繋がったよ。だけど……応答したのは彼ではなく、彼の婚約者だったんだ。

『梛か?!お前今、』

『――ユーリ……助けて』

事態を呑み込めずにいた僕らが彼女に会えたのは、その二日後の事だ。彼女を監視していた母親も、それを指示した父親も娘は療養中で会わせられない≠フ一点張りでね。そう、彼女は軟禁されていたんだ。ユーリの説得が無ければ、恐らく会えなかっただろうね。

シーズンオフの閑散とした別荘地で一際大きな別荘に足を踏み入れた僕らは、目を疑った。やつれた姿にあまりにも不似合いな――明らかに妊婦のものである彼女の身体に。



『――信じてもらえないの』

『?』

『彼の…、梛の子だって言ってるのに』

もう一度信じてもらえないの≠ニ彼女が言った時、彼女の母親は部屋を出て行った。あまり興奮させないでやってね。という声が震えていたのは、涙を堪えていたからだろう。

『私だって妊娠しているなんて信じられなかった。でも――、本当なの』

立ち尽くしていたユリウスも、彼女を宥めるようにして座らせたフォルセティも、まだその言葉を信じられずにいた。その膨らんだ腹は目に見えて迫り出しており、妊娠後期のものと思われる。彼等の友人が新年の休暇を使って一時帰国したのは、もう十ヵ月近くも前の事だ。そして、彼が帰国したのはつい半月前の事。

彼女に宿った生命が梛との間に出来た子である可能性は、無きに等しい。同じ思いで彼女の話を聞き終えた二人は、半信半疑でそこに滞在する事を決めた。一つの仮説が現実にならぬよう祈って。



それから僕は、多くの検査をしたよ。彼女の両親は反対したけれど、彼女自身がそれを望んだからね。そして数日後、僕らはその妊娠が普通じゃないと気付いた。いや、彼女の言葉が真実だと認めざるをえなかった。そう言った方が正しいんだろう。

超音波検査で確かに人のものだと確認出来た胎児達は、有り得ない速さで成長して行った。そして――彼女に会ってから一週間になろうとしていたその日、僕らは彼女に真実を伝えたんだ。本社で起きた事件と、梛もその対象者だという事をね。

『――だから、彼は姿を消したの?』

『恐らく。……その可能性が高いだろうね』

『……じゃあ…っ、じゃあ、生まれて来るのは人じゃないって言うの?!』

『そうは言ってない!!…ただ、――』

オラクル細胞についてまだ何も解明されていなかった当時、その胎児達には何の問題点も見付からなかった。成長の速さ以外は、何も……。



真実と危険過ぎる可能性を知って取り乱した彼女の決断は、驚くほど早かった。翌朝、彼等は母親というものの強さを思い知る。

無事に生まれたなら、それにはきっと何か意味がある。梛もそう言うと思うの。だから、この子達の未来を取り上げないで。お願い、彼がずっと夢見ていた家族なの。私達の…子供なの!……だから、お願い。

切々と訴えた彼女は、その命と引き換えに僅かなものを残して逝った。二人の子供には、その名前を。従兄と友人には、感謝の言葉を。

男の子なら、女の子なら。新しい家族が出来た時は、そう名付けるんだって。ずっと前から――、決めてたの。梛と、私と、二人で……ずっと前から。

慈しむような眼差しで腹を撫でていた彼女の姿を、彼等は今でも覚えている。やつれ果て、本来の美しさを失ってしまった彼女の、神々しいまでのその姿を。



『どちらにしても死んでしまうかもしれないのなら、命と引き換えにしてでも産むわ。私一人でも…絶対に産むの』

そう言って、彼女は譲らなかった。無事に産まれたなら、それにはきっと意味がある。そう言った彼女の願いを、僕らは拒めなかった。急激な身体の変化に耐え切れなかった彼女は……半月後に出産して、そのまま眠るように死んでしまった。そして僕らは、君達を引き取って帰国。その後の事は、君達も知っての通りだ。



二人に予想を上回る衝撃を与えているであろう事実を語り終えたフォルセティは、短く安堵の息を吐いた。それとは裏腹なユリウスの悄然たる様が、ただ茫然と耳を傾けていた二人の目に入っているのかどうか……それは定かではない。

その部屋に別の声が響いたのは、随分と時が過ぎてからの事。四人の他に人は居らず、他者に聞かれる不安も無いからだろう。

「……んで、」

「うん?」

「何でその場で殺さなかったんだ!!」

初めは唇を震えさせていただけの言葉は、轟く雷鳴の如く室内に満ちた。沈痛な面持ちで項垂れたユリウスは何某かの言葉を探し、思考を巡らせ顔を上げる。だが結局、何を言う事も出来ずに再び項垂れた。対してフォルセティは――。

「言った筈だよ。彼女がそう望み、僕らはそれを拒めなかった」

「だったら何で今まで殺さなかったんだ!!新種の細胞を研究するのに必要だったからか?異常な胎児の成長を観察する為にか?!あのメールで俺等が生まれた意味が見付かったから今になってこんな話をしたとでも言うのかよ!!」

その怒声に、フォルセティは僅かに顔を曇らせる。もしかしたら、将来こんな事があるかもしれない。そう予感しながらも彼女の願いを受け入れた時の事を思い出し、その時考えていたより辛い現実に。

「ねぇ……お母さんの名前、何ていうの?」

息を荒げたの後ろからが呟くが、それに答える者は居ない。その問いに目を瞠ったユリウスも、僅かに視線を落としたフォルセティも、知らない筈が無いというのに。彼等は答えられないのではなく、答えたくないのだ。

「――私、知ってる。ううん、聞いた事があった」

覇気の欠片も感じられないその声に、が驚き振り返る。がそれを知っている筈が無い。――死んでしまったんだ。お父さんは君達が産まれる前に、お母さんは君達を産んで直ぐにね。幼かった二人の問いに、フォルセはそう答えた。少なくとも、は母の名前など聞いた覚えが無かったのだ。

「すまない、さくら。許してくれ――って。あれ、お父さんだったんだね」

の言葉に漸く思い当たったは自らの言葉を失くし、残る二人は顔を歪める。幼かった二人が初めて禁忌を侵した時の相手――あのアイテールが父親の成れの果てだったと告げるつもりなど、彼等には毛頭無かったのだから。

「ねぇ、どうして……私達、このまま――生きてて良いの?」

「当たり前だ!!」

尚も呟くに、ユリウスは返した。間を置く事無く、憤りを滲ませた声で。だがその目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。

「…、ふざけるな!俺は、」

「我が儘なお母さんでごめんね」

「何言って…」

「二人への言伝だよ。君達の母親――桜が最後に残した言葉だ」



その後、室内には重い沈黙が流れた。暫くして、静かに部屋を出て行くを止める者は居ない。膝の上にあるの頭を撫でながら、ユリウスはフォルセティに問うた。言わなくて良かったのか?と。フォルセティは、それに問い返す。涙の痕が残るの寝息を邪魔しないよう、小さな声で。

「育ててあげられなくてごめんね。恨むのなら、私だけを恨んでね。どれだけ恨んでも良いから、あなた達は生きてね。ユーリ――君だったら、二人に全てを伝えられたかい?」

問いに返される言葉は無く、微かに乱れた寝息に重なり吐き出された短い息だけが、互いの心境を物語っていた。

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翌日。自分のベッドで目を覚ました私は、簡単な身支度を済ませての部屋を訪ねた。ノックしても何の反応も無かったけれど、私だと言うとロックの解除音が聞こえて――。

「おはよう」

「ああ」

扉の向こうに居るはそれ以上何も話そうとしないし、私も何を話せば良いのか判らない。昨夜の話がショックだったのは私もも同じで、それでも私はのように腹立たしい思いをしていないから。

「昨日のメール、」

とにかくこれだけは話しておかないと、と口を開きながら頭の片隅でまた思う。私はきっと、冷たい人間なんだろう。あんな話を聞いても、ユーリやフォルセに対する怒りは湧かなかった。当たり前だと言われて――生きていて良いんだと思えて、嬉しかった。



極東支部の内偵を頼むのは、君達が最適だと思うからだよ。数年前――エイジス計画が起用された頃から多くのアラガミが出没するようになって、今では本部にも劣らないとまで言われる激戦区だ。そしてこの二年、戦力の強化を訴えてる。特に、新型の配属をね。

ロッソは部隊長だって事もあるが、ナランハやアズールも年を考えるとな。若い神機使いばかりの極東じゃ、あの三人は流石に目立つ。幸い…というか何というか――極東にも、一人だけお前達を任せられる人間が居る。梛や桜とも親交のあった奴でな、だから昨日……お前達に話さないわけには行かなかった。



あの後で私だけが聞いた話を伝えても、は最初の一言に肩を揺らしてからずっと無反応だった。両親の事を耳にして漸く振り向いて、こっちを見てくれたんだけれど……その目は私見ているようには思えない。それどころか、まるで何も見ていないような目だ。

「――だからあのメールを、」

「お前は平気なのか?」

何が?と、問う必要は無かった。怒っているのに泣きそうな顔で、は堰を切ったように喋り出した。私達が産まれていなければ、子供の頃に死んでいれば、と。悲しくて、悔しくて、どうしようもない感情を吐き出しながら。捲し立てるようにして、喋り続ける。

「お前は、親が死んでまで俺達を産んだ意味があると思うか?これから先も……危ない橋渡ってまで生きてる意味があると思うのか?」

私には、そのどちらも判らない。それでも、確かに言える事はある。それは、きっと身勝手な考えなんだろう。だけど、だからこそ――曖昧な憶測や不確かな推測よりも意味があると思うから。

「意味が無くちゃ駄目なの?私はが生まれて来なければ良かったなんて思わないし、自分が生まれて来なければ良かったとも思わない」

オラクル細胞に侵されていたお父さんも、それを知っても私達を産んだお母さんも、勿論ユーリやフォルセの事だって恨んでない。何の為に生まれて来たのかなんて死ぬ時になっても判らないかもしれないし、何の為に生きるのかなんて考える必要も無い。

「これからだってに生きてて欲しいし、私だって――。それじゃ駄目なの?生きたいって理由だけじゃ、生きる意味にならないの?」

「けど!俺達が暴走すれば…」

「じゃあ、は暴走した私を殺す為に生まれて来たと思えば良い。いつか…、バケモノになるかも知れない私を殺す為に生きれば良い!」

!!お前それ以上、…………泣くなよ」

「嫌、だ。否定…しないで。意味っ、要るなら……何でも良い、でしょ?ねぇっ、生きてよ。私まだ、バケモノになってないよ?」

怒声を上げたが慌てて宥めても、私は駄々を捏ねる子供のように泣き続けた。涙腺が崩壊したのかと思うくらい、泣き続けた。

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その日の夜。研究室に行った俺達を見て、フォルセは笑った。昔から飽きるぐらい見て来た笑顔だ、少なくとも今回は深読みする必要が無いって事は判る。けどユーリは、間抜けな顔で言った。

「かなり長引くと覚悟してたんだが……どういう心境の変化だ?」

「仕方ねえだろ、俺が自分を否定すりゃまで否定するのと同じ事になっちまうんだからな。で?これからどうするんだ、ユーリ伯父さん?」

声を詰まらせたユーリと吹き出したフォルセ、横でクスクス笑う。こんな時が続くなら、生きてても良いと思う。そんな事、誰にも絶対言わないけどな。ギリギリまで生きて、それでもどうしようもなくなったら――その時に死ねば良い。そう思う事に決めたんだ、俺は。

「ロシア?」

「何だよ、極東じゃなかったのか?」

視察の時だって別に怪しいトコは見付からなかったってのに、何で今更ロシアなんだ?極東に近い支部だからって理由で色々手ぇ貸してたらしいけど、今じゃ他の支部同様に機能してる筈だ。少なくとも、表向きは。

「元々あの辺りは大きなハイヴの無い地域だったからな」

いずれは支部をって話は前々からあったんだが、どこのハイヴだって資材も人材も余裕があるわけじゃない。それが随分と早く竣工したんだ。それだけなら神経質になる事も無いんだろうが、数年前からロシア支部の設立を強く推してたのが極東の支部長でな。それが極東で大規模な建設が始まる少し前、エイジス計画が立案された時期と重なってる。

表立って活動しているわけじゃないんだけれど、強硬派の人材を多く登用しているのも気になっていてね。現在のフェンリル設立メンバーの一人だった支部長は、今でも本部に強いパイプを持っているんだ。それも、ちょっと厄介な強硬派に。ここまで言えば――解るだろう?

幾ら近いっつっても、極東とロシアじゃかなりの距離だ。計画に直接関わってるヤツなんざ殆ど居ないだろうが、それに必要な何かを探してるヤツは居るかもしれない。人か物かは判らないけど、竣工前ならともかく、今は人を探してる可能性が高い。それも多分、神機使いだ。俺達は出来たばっかの支部に行って神機使い育成でも装って、それを探って来れば良いって事か。

「戻ったらたっぷり休暇貰うぜ?」

そう言ってヘリに乗ってから二ヵ月。本部よりいけ好かない神機使いが多かったロシア支部での内偵は、大した成果も無く終わった。それから暫くして、極東との話がついたらしい。

「良いかい?二人とも、決して無茶はするんじゃないよ」

「細心の注意を怠るな。必ず……二人で帰って来い」

無茶はするな。必ず帰って来い。俺達が遠征する時、二人は毎回そう言う。そして俺達も、いつもと同じように答えて手を振るんだ。

「行って来まーす!」

それも多分、約束の一種だ。無茶をして死ぬんじゃない。意地でも生きて戻れ。俺達は、それを破るつもりなんて無かった。これまでも、これからも――ギリギリまで足掻いてでも、守るつもりだったんだ。



     

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Apocalypse、これにてお終い。
次からは極東編、Ragnarokです。





橘朋美







FileNo.020 2013/8/31