連合軍の作戦司令基地に着いた時には、もう真っ暗になっていた。ムスハとゾディに別れを告げてヘリを降り、取って返すその機体を見上げる。
「フェンリル本部の方々ですね!」
大声を上げながら近付いて来た男はアレクセイと名乗り、今回の作戦で私達の案内を任された軍曹なのだと言った。既に各支部のゴッドイーター達は到着し、指定された地区へ向かっているらしい。
巨大な核融合炉にアラガミを誘導して爆破、殲滅するという作戦は既に聞いていた。自分達に与えられた捨て駒のような役目も知らされていた通りだし、正規兵達からの侮蔑的な態度も思っていた通りのもの。けれど――私達にとって予想外とも言える事もあった。
「ふん、それなりに理解しているらしいな。では軍曹」
「はっ!」
「その二人を連れ、急ぎE‐3地区へ向かえ」
同じ返事を繰り返して敬礼したアレクセイは、ここに来るまでとは別人のように話しかけて来る。居丈高に振る舞っていた大尉と比べれば随分友好的で、それは良い事なんだろうけど……流石にこうもなると、正直言って対応に困ってしまう。
「しかし驚いたな、まさか君等みたいに若い子が来るなんて。他の支部から来てたのもオレより若い感じだったし…もしかして、神機使いって若い子ばかりなのか?」
「さあ?新兵だと、俺達くらいのヤツも結構居ると思うけど」
「へえ、じゃあ君達はエリートって事なのか。その年でアラガミ相手に戦ってるだけでも立派なのに、今回の作戦にまで参加するなんて凄いよな。オレも本当は神機使いになりたかったんだけど、事前審査で落ちてさ。まあ昔の事なんだけど、」
彼が軍人になった経緯から家族の話、果ては今回の作戦に対する意気込みに至るまで。質問された時に短い答えを返すのが精一杯なマシンガントークが一旦止まったのは、一台の軍用ジープを前にした時だった。
「じゃあ、これに乗ってくれるかい?E‐3までは大体一時間弱って所かな。暇なら寝てても良いし、聞きたい事があるなら何でも聞いてくれよ」
ヘッドライトで確認出来る範囲はそれほど広くはないけれど、それでも暗闇の向こうに見える影は前時代の建造物だと判る。僅かな光が通り過ぎる時にだけ、崩れ落ちた壁や折れた鉄骨が浮かび上がっては消えて行く。それを見て、どこにでもある風景なんだと実感する。見飽きるほど見て来た、寒々しい風景。
そんな状況でも、彼は何かしら話しかけて来た。まるで友人相手に雑談でもしているかのような雰囲気で、作戦とは全く関係無い他愛無い話を。こんな人に会ったのは初めてだ。そう思うと、何だか落ち着かないと言うか……くすぐったいような気分になってしまう。
「……?ちょっと止めて!」
当たり障りの無い質問に答える以外には相槌すら打つ事も出来ずに、延々数十分。そろそろE‐3に着くのではないかと思われた頃、いきなりが声を上げた。
「え?もしかして車酔い?もう直ぐ――」
「違うよ。…………あの先、1時の方向って何かある?」
車を止めたアレクセイが後部座席を振り返ってE‐3の作戦拠点が≠ニ言った瞬間、の顔付きが変わる。何か見えたのかと尋ねれば、返って来たのは――。
「何か動いてる。数は確認出来ないけど、多分アラガミだ」
「アラガミだって?!でも、ここからじゃ――」
「エンジン切って!1分で良いから黙ってて!!」
そう言って、車を降りた。辺りには生き物の気配なんて無い。どれだけ目を凝らしても何も確認出来ないけれど、暗闇の向こうで音がしていた。耳を澄ます必要も無いくらい、無数の音が。
「様子は?」
「――戦ってる。大型は少なそうだけど、急がないと全滅かも」
「ちょ、ちょっと待ってよ!戦ってるって、本当にアラガミが?こんな暗闇の中で判るのかい?拠点までは距離もあるし、オレには何も…」
「アンタが何も感じなくても、俺には見えるしコイツには聞こえる」
「急いで!」
信じられないとでも言いたげな顔をしていたアレクセイが、我に返ったようにしてエンジンをかけた。再び走り出したジープは、砂埃を舞い上げながら猛スピードで進んで行く。それからそう経たない内に、私達の言葉が本当だと証明された。ノロノロとスピードを落としたジープが完全に止まって、彼は呆然と前を見詰めたままだ。
「嘘だろ?作戦開始は明日の朝だったのに――こんな、」
「あーあ、やっぱりウヨウヨ居るな。どうする?」
「これ以上近付かない方が良いと思う」
「りょーかい。で?作戦は?」
「追い立てるのは不可能。なら、追い立てられるしかない。――でしょ?」
聞こえて来るのは、もう音だけじゃない。半狂乱になって戦っているだろう兵達の叫び声、何種類ものアラガミの咆哮。これ以上近付けば、乱戦に拍車がかかる。彼等が勝てる見込みは無いけれど……今は、全滅の危険性を避けるしかない。
「手始めにザイゴを何体か引き付けて、核融合炉まで誘導する」
「それが一番手っ取り早いだろうな。けど、この人どうする?」
「ここで待機。私達が戻ったら車を出してもらう」
初めての場所で、何体ものアラガミと戦う。それ自体はやってやれない事は無いだろうけれど、この暗闇の中、数十q先にある融合炉へ向かう。それを同時にやるのは不可能だ。体力もスタミナも保つ筈がない。でも、車が使えるのなら話は別になる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。一体何を…」
「ん?アラガミ連れて来るからさ、アンタはエンジンかけたまま待っててよ」
「私達が乗ったら、後は融合炉まで走ってくれれば良い」
「そんなの無茶だ!それに、命令も……作戦開始は朝って」
「アラガミは待ってくれないし、このままじゃ全滅する」
「連絡手段くらいあるんだろ?お偉いサンに聞いてみれば?」
その間に全滅するかもしれないけどね。というの声に、雑音が重なった。その後に続いた声を聞いて、嘘だろ?とアレクセイが呟く。私達は、ただ黙って聞いていた。融合炉を中心に構えられていた四方十二箇所の拠点。その全てがアラガミの襲撃を受け、壊滅状態にあるらしい。幸いと言うべきなのか、各地区の神機使い達は首尾良くアラガミを誘導中だという。作戦は、既に始まってしまったのだ。
「そんな――じゃあ、」
「もう作戦は始まってる。これ以上時間を無駄に出来ない」
「けど……こんな状態じゃ、もう――」
「アンタの仕事は、俺達をE‐3に連れてく事じゃなかったのか?」
「!――そうだな。ああ、ちょっと待っててくれ」
彼はそう言って、手元でゴソゴソと弄った物を一つずつ私達に差し出して来た。手渡されたのは、無線機だ。
「周波数は合わせてあるから、何かあったら連絡してくれ」
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日付けが変わる頃に連合軍の基地を出発して、約一時間。簡単な作戦を立ててから数分後、目の前には修羅場が広がってた。投光器が浮かび上がらせてるアラガミの数は、中型が二体と大型が三体。後は――。
「駄目だ、入り乱れてて小型の数がハッキリしない」
「小型は大体で良いよ。別に倒す必要は無いんだから」
「――――ザイゴもオウガも四体以上。メイデンも生えてるな」
「メイデンはどうしようもないね。――行こう」
顔を見合わせて、頷いてから走り出す。最初に気付いたのは、少し離れた位置でこっちを向いてた二体のザイゴだ。ある程度距離を詰めた俺は、足を止めて神機を構えた。突っ込んでくが、向かって来たザイゴを躱したその後ろ。
「やぁっ!!」
初撃を喰らってから敵に気付いたグボロが振り向いて、周囲に居るオウガも向きを変える。それを見た俺達は、走り出した。追い付かれないように、見失われないように。攻撃を躱しながら斬撃を繰り出すを援護しながら、また数分。
「出して!」
「よし、行くぞ!!」
飛び乗った瞬間、ジープが走り出す。適当な距離を保てるように無線機で指示を出すと、距離を詰めて来るヤツを撃つ俺。短い返事をして、只管スピード調節するアレクセイ。それで上手く行ってたんだ、ここまでは。融合炉が見えたってアレクセイが大声を上げた時、何とか無事に辿り着けたって思ったんだけどな。
「撤退?撤退って――じゃあ作戦はどうなるんだ?第一どうすれば逃げられるっていうんだ?!こんな状況で!!」
「――撤退命令か。作戦終了って事だね」
「だな。じゃあ行くか。これは俺が持ってく」
補充品を詰め込んだバッグは邪魔にしかならないけど、捨てて行くワケにもいかない。戦線離脱に成功した兵達が挙って逃げてくのを横目に、融合炉へ向かおうと思って準備してたら……止められた。
「ちょっと待て!全軍撤退だって聞こえただろう?今から融合炉に行くなんて正気の沙汰じゃない!!」
「そんなの関係無いね。俺達は連合軍の兵じゃないんだ」
「作戦終了後の指示は受けない事になってる。ここで止めて」
「な?!何言ってるんだ!早くしないとアラガミに囲まれて身動き出来なくなるんだぞ!二人とも死ぬつもりか?!」
「死ぬつもりなんてないよ。私達の任務は今から始まるんだから」
「そうそう。だからさ、俺達降ろしたらアンタは逃げてよ」
こんなトコに普通の人間が居たら――アラガミ相手に戦おうもんなら、きっと直ぐに死ぬ。それはアレクセイも判ってる筈だ。上層部から撤退命令が出てるんだから、逃げたって文句を言われるワケでもない。なのに中々こっちの言ってる事を聞いてくれなくて、いっそこのまま無視して飛び降りてやろうか?って思ったら――。
「早く止めて!アンタなんて邪魔なだけなんだから逃げれば良いの!!」
「――――判った。身体を固定してろ」
バックミラー越しにアレクセイを睨み付けて叫んだの声は、悲鳴みたいだった。それとは逆に、一瞬だけ息を詰まらせたアレクセイの声は静かだ。さっきまでと正反対だな、なんて思った直後。一瞬でスピードが上がって、身体が傾いてた。
「何かあったら連絡してくれ」
態と後輪を滑らせて車を止めたんだって判ったのは、外へ出て前を見てからだった。さっきまで俺達を追っかけて来てた筈のアラガミが、直ぐそこまで迫ってる。思い切りドアを閉めて、少しでも車から離れようとした。反対側でもドアを閉める音がして、もそうするだろうって思ってた。
「サンキュ。じゃあな!」
「早く逃げて!!」
窓から見えた手の先は、敬礼してるみたいに真っ直ぐ伸ばされた指。同じ事を考えてたんだろうな、横を見たらもこっちを見てた。走ってく車に視線を戻すと、腕はもう見えない。車がカムランの横を突っ切ろうとした時を狙って、俺達は同時にスタングレネードを投げた。稼げる時間は数秒だけど、猛スピードで走り抜けるには充分だ。
「変わった人だったけど――死なせたくなかった」
「そうだな。五月蝿いけど、嫌なヤツじゃなかったし」
「うん。――じゃあ、そろそろ」
「任務開始と行きますか!」
そんな事を言いながら、まだ動けないままのアラガミに向かって走った。初めて他人を死なせない為に、先ずは誘導してきた団体を殲滅するつもりで。当然、融合炉周辺に群がってるヤツらも後で片付けるつもりだったんだけど。
「はっ、……はぁ、…ふぅ。妙に呆気なかったけど――怪我は?」
「っは、はは。この程度で怪我なんてするかよ。でも、妙だな……」
流石に乱戦の後じゃ息は切れてるけど、一体一体が妙に弱かったお蔭で、掠り傷を探すのも難しいぐらいだ。この辺りにはフェンリルの支部が無いから、それなりに強いアラガミが多いだろうって覚悟してたのに。普段と同じように戦ってただって見た感じ怪我なんて無いみたいだし、痛そうにしてるワケでもない。それが、やけに不安を煽った。
その辺に倒れてるアラガミを確認してるも、何かおかしいと思ってるんだろう。疾っくに消えちまったけど、オウガ五体にザイゴが四体。カムラン、ヴァジュラ、クアド、グボロ、シユウ。どいつもこいつも、二つ目の部位を破壊する頃には動かなくなった。これまで戦った事が無いくらい弱いヤツばかり集まってるなんて、どう考えたっておかしい。
「ねぇ、オウガもザイゴもノーマル種だったよね」
「んー?ああ、そうだったな。そういやコイツらも……」
「もしかして――強い個体は誘導されなかった、とか」
「…………どうだろうな。有り得なくはないけど、っ?!伏せろ!!」
「え?爆破っ?!」
取り敢えず、融合炉の方も確かめてみるか。そう言おうとして目を向けた時、一瞬だけ何かが光った。その後、篭った爆発音が聞こえて……地球そのものが何かに叩き付けられたんじゃないか?ってぐらい、デカい衝撃が襲いかかる。地面に伏せてた俺達に降って来たのが瓦礫や砂だって気付いたのは、そこから這い出てからだった。
∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵
気付いた時、ただ息苦しいと思った。何が起きたのか、どういう状況下にあるのか、どうすれば良いのか。頭の中は目まぐるしく動いているのに、身体を動かすのに苦労する。
「どこに居るの?――っ、ジン!!」
と呼びそうになったのを咄嗟に抑えて、コードネームですらない名前を叫んだ。疾っくに明るくなっていた周囲を見渡して、あの瞬間に起きた事を確信した。融合炉や作戦本部が在った筈の場所は、一晩で砂漠化してしまったのかと思うような有様だ。辺りに人影は無く、目立つような物も何も無い。
まだ半分埋まったままの神機を引き摺り出しながら、考える。あの時、は私より早く伏せていた。間違っても吹き飛ばされてはいない筈だ。必ずこの近くに埋まっている。そう結論付けて目を皿にしてみても、それらしき物は見当たらない。
「――――――え?ここ??」
無線機の電源を入れ、腕輪に接続した携帯端末のモニタを見る。赤いマークと殆ど同じ位置に青いマークがあって、壊れた機械音のような音が微かに届く。驚いて飛び退いて、足元の砂を掻き分けるようにして地面を掘った。最初に見えた右手から頭の位置を予測して、その辺りの砂を退ける。見慣れた顔が現れたのは、数秒後。
「ぷはーっ!窒息死するかと思った。砂って結構重いんだな」
「え――っと、ゴメン。上に乗ってた」
「は?乗ってたって、お前が?」
「うん。這い出て来たのが丁度そこだったの」
大きな溜息を吐いたが大袈裟に肩を落として、思わずこっちも肩を落としてた。もう一度謝ろうとしたのを止めたのは、相変わらずの言葉。
「ま、いっか。ちゃんと生きてるし」
「――うん」
「で?状況は……あーあ、やっぱ吹っ飛ばしたのか」
「だろうね。何か見える?」
砂の中から引っ張り出した神機を担いで立ったが、注意深く目を凝らす。私には見えなくとも、になら何か見えるかもしれない。そう思っていたんだけれど、見える範囲に役立ちそうな物は何も無いという。アラガミすら見えないというのが、唯一の救いだった。
「映ってるのは、避難命令が出された地域だったよな?」
「うん。中央が融合炉で、その上が基地」
モニタに映し出されている縦長の地図を確認しながら、どこへ向かうか決めようとしていた。知り合いすら居ない、知らない土地だ。一番近い街を目指すのがセオリーだろう。E‐3まで数十q。山岳地帯になっている西方面のW全拠点と、N-1、S-3は問題外。南北に長く設定された避難地区を考えれば、当然そちらも除外するしかない。全面的に平面図を頼るのは少し不安もあるけれど、他に頼れる物も無かった。
「一番近いのはE-2。次点にE-3とE-1、予備候補がS-1かな」
「まあ、E-2に向かうのが妥当だろ。ん…?オペセン?なワケ無いか」
「この音、無線――」
「……って事は、アイツか?」
雑音交じりで救いの声が聞こえたのは、E-2へ向かうと決めた直後。かなり聞き取り辛かったけれどE-1に向かえ≠ニいう言葉に従って、足を進めた。それほど進まない内に無線機の反応が無くなったのは、二台ともバッテリ切れを起こしたかららしい。道標になるような物は無く、平坦な砂漠をただ歩く。方向を見失わないよう時折りモニタを確かめながら、数十分。が声を上げたのは、私がエンジン音を耳にしたのと同時だった。
「とにかく良かった!二人とも無事で。無線機は?――ああ、バッテリ切れか!そっちのジャックで充電出来るから、繋いでおいてくれるかい?取り敢えず今は乗って。E-1の少し先にある街へ向かうから」
別れた時とは裏腹に饒舌なアレクセイは、こちらが口を挟む隙も与えてくれない。少しでも状況を把握したい私達にとっては有り難い事なんだけれど、やっぱり――と、苦笑いを浮かべたくなる。その反面、彼が無事だった事が嬉しい。少なくとも、あの時私達のした事は間違いじゃなかったという確信が持てた。それがあったからこそ、彼は生きている。
「酷いもんだろう?どこの拠点もこんな具合だそうだ。軍はもう、まとに機能しちゃいない。殆どの兵士は、基地から逃げた足でどこかへ行ってしまったよ。避難していた一般人を見捨てて…」
彼が苦々しげな言葉を最後に押し黙ったのは、E-1を通り抜けている最中だった。見えるのは、元の形が判らないくらいに潰れた幕舎。もう走る事など出来ないだろう何台もの軍用車には、辛うじて判別出来る遺体が幾つもある。圧し折れた機関銃、所々が熔け固まったランチャー、恐らくは火炎放射器だったろう物。それらを掴んでいるのも、そこここに転がっているのも、遺体とすら呼べない身体の一部ばかりだ。
「――軍の残存兵力は?」
「判らない。けど、さっきも言っただろう?残って戦ってる兵士なんて居ないよ。街に残った兵士は、怪我をして動けないようなヤツばかりだ」
作戦が失敗した以上、アラガミと戦う為に兵が残っているなんて期待はしていなかった。寧ろ残っていた方が厄介だ。少なくとも、私達にとっては。
ユーリ達からの依頼は、飽くまでも作戦失敗後の安全確保。周辺地域でアラガミの目撃情報を得て、それが一般人に被害を与えそうなら倒す。期間は携行品が無くなるまでという、途轍もなく無謀な任務。だから、私達に回された。本部では自由に動けないけれど、支部すら無い地域でなら別だから。
「使えるだけの武器を使って、戦える兵達を総動員して……それでも無駄だったんだ。残った武器なんてガラクタみたいなもんだし、命令する偉いサン方も居ない。そんな状態で戦おうなんてヤツは居ないよ。逃げるのが当たり前だ」
彼の言葉も尤もだと思う。この数年で頻繁に現れるようになった強い個体を相手に戦える神機使いの数は、昔とそれほど変わらない。今回の作戦で戦う事になるアラガミがどの程度の強さなのか、どの神属が何体くらい集まるのか。肝心な情報が少な過ぎて、作戦を立てるのも難しかったくらいだ。対アラガミに関して世界随一を誇るフェンリルの本部でさえ、そんな状況なのだから。
「へえ。じゃあ、アンタは?何で残ってんの?」
それは私も気になっていた。彼はこの車で逃げるという手段を持っているし、上官に命令されているわけでもない。彼自身が言っていた通り、逃げて当然。私達と別れた後は故郷に戻るなり、どこか人の住む街を目指すなりしているのだと思っていた。なのに何故、こんな危険を冒すのか。惨劇の跡を通り抜け、昨夜と似たような風景が広がり始めても、返事は中々返って来なかった。
「まあ別に、無理には聞かないけどさ」
「――――逃げる所なんて無いだろう?どこに逃げたって、アラガミの居ない所なんて無い。世界中のどこに行ったって、アラガミからは逃げられない。アラガミの脅威から逃れて暮らせる場所なんて存在しないんだ。どこに逃げたって同じなら、どこにも逃げなくたって同じだよ」
明るくフレンドリーな、十も年上とは思えない男性。ある意味能天気とも言えるだろう彼が、これほどまで達観的な言葉を吐く。それに対して、返す言葉なんて無かった。
無言の続く車内で眺める景色は、少しずつ人の住まう街へと変わって行く。壁の崩れた建物の横で数人の子供が遊び、剥き出しの鉄骨から錆びたパイプへ延びたロープに、女性が洗濯物を干す。マーシュでは見られない光景が、そこには広がっていた。
「――ここは?」
車が止まった場所を確認してから、口を開く。アレクセイが目指しているのなら、そこには何らかの物があるのだろう。そう思っていたのに――それらしき物は、何も見当たらない。ノルンで見た外部居住区の闇市にあるような建物だけが立ち並ぶその一角で、一体何をするつもりなのか――見当も付かないまま車を降りた。
「見捨てられた街だよ。オレの家も、ここにあるんだ」

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地区拠点の名前は東西南北×3。
East、West、North、Southの頭文字+1〜3という適当さです。
橘朋美
FileNo.005 2013/2/12 |