存在の許される場所が欲しかった。帰るべき場所が欲しかった。怯えずに居られる場所が欲しかった。それを手に入れる為なら頑張ろう、一人じゃないから頑張れる。そう思ってたし、実際にそうしていられたし、これから先もそうして行けると信じていた。それは今でも変わらない。
『目が覚めたようね。気分はどうかしら?』
『――――お腹、グルグルして――痛いし、気持ち悪い』
白い天井を背にして苦笑いを浮かべているのはテュスだ。ほんの少し視線を動かせば、彼女の研究室に居るんだって直ぐに判った。だけど、どうして自分がそこに寝かされているんだろう?今日は朝から任務があるのに何だか妙にスッキリしなくて、それをに気付かれて――と、瞬時に考える。身体を起こすまでに思い出したのは、堕天クアドのコアを取り出した直後までの事だった。
『は?!』
『慌てなくても大丈夫、今は部屋に居る筈よ。あなたの具合が良さそうなら呼ぶつもりでいたけれど』
温和な笑みを浮かべて視線だけがどうする?≠ニ問う。耳に入って来る音も、彼女の言動も、拙い事があったわけじゃないんだと思うには充分過ぎた。だから――。
『!もう大丈夫?!……良かった、治ったんだ?』
その後、慌てた様子のが飛び込んで来てから。テュスの質問に答え始めてからも、ユーリとフォルセが駆け付けてからも。強迫観念みたいなものが徐々に拡がって行くのが判った。
『なら、休暇申請は三日にしておいた方が良いだろうな』
『ああ、そうだね。そっちは君に任せるとしよう。テュス、悪いが君にも手伝ってもらうよ。私だけでは説明が難しいだろうから』
『ええ。じゃあ――その前に、男性陣には退出して頂きましょうか』
『えっ?でも、』
『駄目だよ、チャンドラ。私達が居ては邪魔になってしまう』
『そうだぞ?お前はお前で話しておく事もあるし、丁度良い。ああ、そうだ。代りと言うのも何だが、久し振りに四人で夕飯でも食うか?』
神機を解放してからずっとバースト状態が続いていた事。その身体能力の上昇が通常以上だった事。どちらもが見ていたんだから、間違っている筈が無い。だけど、どちらも普通に考えれば有り得ない事。楽しみにしていた二日間の休暇は一日延びて、けれどもその殆どの時間が精密検査に費やされるだろうと決まったその後。
『そうね――、先ずは女同士の話をしておきましょうか。チャンドラは判ってなかったようだけれど、あなたは判ってるわよね?スーリヤが倒れて血を流してる!って聞いた時は驚いたけれど、怪我じゃなくて良かったわ』
ベッドサイドに置かれた椅子に腰掛けて優しく頭を撫でてくれるテュスの声に、ただ頷いた。時が経てば、私との成長の仕方が違って来る。子供の頃は瓜二つで、動かずに黙っていれば見分けるのが難しいと言われていた何年も前。まだ会って間もない彼女が言っていた事を実感したのは、その日の事だった。自分に起きた二つの異変。今ではもう仕方の無い事だと解っているけれど、慣れるまでは辛かった。身体ではなく、心が。
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フォルセが名付けたトランス化って現象は、半月も経たない内に俺も経験してた。表沙汰に出来ない研究は腕輪に仕込まれた計測器と俺達二人の話だけで進めるしかなくて、多少の不安が付き纏うようになって二年近く過ぎた頃。
『結論から言うと、原因は不明。敢えて挙げるのなら、君達が成長したからなのかもしれないね。今の時点では決定的な解決策も無い。危機的状況に陥らないよう気を付けるという消極的な予防措置以外には、何もね』
二人して呼び出されたフォルセの研究室で、そんな事を言われた。それを聞いても大して焦らなかったのは、トランス化した時の不安が殆ど無かったからだ。まあ、俺の場合は人に見られたら誤魔化せない≠チて不安はあったけど。
バースト状態になった時の感覚を知らなかった俺は、ずっとユーリやが羨ましかった。戦闘中に捕喰すると、神機が喜んでるみたいに紫色のオーラを纏う。それを操る二人はいつもより強くて、それが凄く格好良く見えたんだ。はで悩んでるって気付いてたから一度も言った事は無かったけど、俺も捕喰出来たら…って腹ん中で羨ましがってた。
だから、初めてトランス化した時から思ってたんだ。これは便利だ、って。だってそうだろ?の動きを見てればバースト中より強くなってるのは確実だったし、実際に計測器から調べられた数値は知らないけど、フォルセが驚いてたくらいだ。
普段なら息切れするくらいまで動き回っても大して疲れないし、スタミナの回復も早い。普通にステップしても避けられないような攻撃が、楽に避けられる。簡単に言えば、身体能力が桁外れに上がってるってワケだ。しかもバースト状態と違って、戦闘終了後までそれが続く。フォルセに言わせりゃ興奮状態が治まると元に戻る≠チて事らしい。それを自分の意志でコントロール出来ないってのが惜しいトコだけど、理論上は討伐対象が強いほどトランス化の可能性が高くなる。二人で戦うしかない俺達にとって、それは歓迎したいぐらいだ。
『良いかい?それがどんな些細な事であれ、何かあったら必ず僕かユーリに知らせるんだ。……成長によってトランス化が起こったのなら、更に成長する事によって何らかの変化があるかもしれない』
より一回りデカくなった俺を見て、俺より細いのに丸っこい身体になったを見て、フォルセは言う。本来なら有り得ない現象だって事を忘れるな。反作用が無いとは言い切れないから、危険を犯すような真似はするな。生きる為に、それを忘れるな。
『今はもう、俺達がいつも傍に居てやれるわけじゃない。だから――、俺達が居ない時は、お互いを頼れ。二人で自分を守るんだ』
フォルセやユーリが引退してからは、ずっとそうしてた。なのに、何で今更そんな事を言うんだろう?その時は、そう思ったんだ。けど、それを今になって実感してた。マーシュから遠く離れた空の上で。
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時が過ぎ、私達は更に成長した。少なくとも、身体だけは充分に。はユーリと良く似た体形になって、最近はフォルセの身長を追い越せそうだと嬉しそうに笑っていた事もあったくらいだ。
『準備は?』
少し視線を上げた位置に見える顔は、もう瓜二つ≠ニ言われていた昔ほどには似ていない。近くで比べて見れば、性別の違いが直ぐに判る。
『万端。んじゃ、行きますか!』
声だって、もう聞き間違えられる事は滅多に無い。明るくて力強いその声に頷いて、ユーリの口癖を真似るのが任務開始の合図。
『頭と心臓だけは、意地でも喰われるな』
『それ以外なら絶対助けてやるからな!』
見合わせた顔を正面に戻すと同時に、任務開始ポイントの小さな崖を飛び降りた。暗い空を目指す途中で崩れた巨大な建造物を中心に渦巻く風が、辺りに獣の遠吠えのような音を響かせる。その周囲を取り囲む楕円形フィールドは殆ど遮蔽物が無く、複数のアラガミと同時に戦うには向かない場所だ。とはいえ、アラガミはそんな事などお構い無しに出没する。
『バラけて捕喰中みたいだな。東の外周と西の内周に一体ずつ』
『移動してる音は――無い。って事は、もう一体も?』
『三体同時に合流されると厄介だし……』
呟きながらポーチを探ったは、どうやら超視界錠を使ったらしい。数秒後。東を先に片付けようという言葉で、私達は駆け出した。それほどしない間に見えたのは濁った青色。残る二体が来ない内に弱らせれば、少しは有利に戦えるだろう。そんな事を思いながら、ヌラヌラとした巨大な青蛇の後ろで捕喰形態にした神機を構えた。
『食中りしそう』
『やっぱ最初は、確実に逆鱗から狙うかな』
ジワジワと黒い大口が開いて行く間に、は狙いを定めていたんだろう。風の音に紛れて聞こえて来た声の数瞬後。尻尾に喰らい付かれて漸く振り向いたその咽喉元にある一枚の鱗を、赤いレーザーが的確に貫いた。それから先は、いつも通り。
『いい加減――くたばってよ、ねっ!』
風哭きの平野でニーズヘッグ神属を相手に始まった任務は、思っていた通り時間がかかった。首を擡げればクアドですら敵わないだろう巨体を使って繰り出される攻撃は、どれも高い威力を持つ。おまけに粘膜による攻撃には、リーク――堕天種ともなればフェイタルリークが付加される。そんな奴等と乱戦になれば、苦戦しない筈が無い。
『あー、疲れた。……まだ戻んないな』
『結構、キツかった…から、ね』
肩で息をしながら最後の一体を捕喰して、摘出した素材を確認する。フォルセが必要だと言っていた血晶の数は、あと一つ。何体倒しても出ない時は出ない、いわゆるレア物だ。
『んー、逆鱗と?お、コアは――?って、やっぱ傷だらけか』
『それでも役には――あっ!血晶!!』
『あれ?オペセンからの通信なんて珍しいな。――こちらチャンドラ、』
生臭い体液に塗れたままの素材を手に取って喜んだのも束の間、携帯端末が鳴り響く。任務完了を伝えるの声を遮ったのは、至急本部に戻れというカインの大声。マーシュで待っていたのは連合軍北欧司令官を始めとする数人の軍関係者と、今回の出撃命令だった。
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『戻ったか。ああ、通してくれ』
本来ならば伯父が座っていた筈の席に腰掛けて、手元のスピーカーに答えるユリウス。己の決断を反芻しているのは、彼がそれを躊躇っていたからだ。親兄弟を失い、妻子を失い、これ以上失いたくないと思う者を危険に晒す事になるという決断を。
『失礼。では――、あなた方はこちらの戦力に不満だと?』
『我々が求めているのはアラガミの殲滅だ。その作戦に随行するのが二人だなど、それに不服を唱えぬ者が居るとでも?!』
語気を荒げる男が振り返ったのは、軽くノックされた扉が開かれた事に気付いたからだろう。視界に入ったのは、場にそぐわぬ汚れた身なりの二人。よく見れば、その汚れは泥や血によるものだと判る。と、瞬時に再びユリウスへと視線を戻したのだが。
『――まさか、』
『ああ、紹介しましょう。あなた方の作戦に参加するゴッドイーターです』
『ふざけた事を言うな!!』
ユリウスの横で手招きするフォルセティを見て、二人はそちらへと足を進めて行く。どこか落ち着かない様子なのは、恐らく現状を理解出来ていないからなのだろう。見かけた事のない、物々しい軍服を纏った厳つい男が数人。見慣れた顔二つを筆頭に、馴染みの顔が幾つか並んでいる。足を止めた先。小さな声で告げられたのは、彼等に与えられる任務。
『こちらは至って真面目だ。彼等は――少なくとも、あなた方一個連隊の戦力に匹敵する』
『一個連隊だと?馬鹿な…侮辱するにもほどがあるぞ!!』
両手で机を叩き付けるようにして立ち上がった男を見据えたユリウスが、口を開こうとする。だが、その時にはもう遅かった。
『そうそう。軍の一個連隊なんて馬鹿言わないでよ。せめて倍…でも足りないか。その何倍も≠チてぐらい言ってくれなきゃ、』
『馬鹿な事を言ってるのは自分も同じでしょ。あの人達は総軍でもアラガミを倒せない。ゼロは何倍したってゼロなんだから』
『――きっ、貴様等のような子供が!!』
怒りに我を失いかけているのだろう。その男のプライドは、胸に並ぶ勲章の数に比例して高くあるらしい。その場を収めたのは、にこやかに――だがしかし、その見た目とは裏腹の逆らい難い雰囲気を醸し出したフォルセティであった。
『二人とも、口を慎みなさい。ああ、それと――Mr.レイリーハウゼン。彼等は間違った事を言ったわけではないのですよ』
溜息を吐いたユリウスが漸く二人を紹介した後。怒りの収まらないレイリーハウゼンに代わって、その部下が作戦の詳細を告げる。軍服に身を包んだ数人は、成功を信じながら。腕輪を持たぬ数人は半信半疑で、残る四人は確信にも近い失敗後の混乱を思い浮かべて。
『先ほども言った通り、本部からはこの二人を参加させる。そちらが何と言おうと、強力なアラガミが数多く出現するようになった今、これ以上の戦力を割く事は出来ない。我々が第一とするのは人類の保護であり、アラガミの殲滅ではないのだと御理解頂こうか』
作戦には一分の隙も無いだろうと言わんばかりに彼を睨み付けていた連合軍北欧司令官は、これ以上の議論は無駄だろうと唇を結んでいた。
元々フェンリルの戦力を当てにしてはいたわけではなく、総司令官の指示で渋々マーシュへと赴いたのだ。貴重な時間を潰してまで助力を請う気など毛頭無い。たとえ僅かな人数であろうと、ゴッドイーターを使ってアラガミを誘き寄せろ≠ニいう命令さえ遂行出来れば構わないのだから。
逡巡したレイリーハウゼンは年若い本部長代理の言葉に頷いた後、未だ汚れたままで立つ二人を馬鹿にするような眼差しで一瞥した。
『各支部からは、二、三名のゴッドイーターを派遣。彼等には、あなた方の作戦に従うよう指示しておく。だが、作戦終了と見做された後は別だ。本部か所属支部の指令が無ければ、各リーダーの判断によって行動する。何か異論は?』
『それで結構。精々足を引っ張らぬよう気を付けてくれたまえ』
そっちがね?と言ったチャンドラの声はスーリヤの耳でしか聞き取れず、彼女は小さく笑っていた。それに気付いたユリウスが残った者達に解散を告げ、その日から約一月後。
『油断はするなよ?細心の注意を払え。強さを過信して退く事を忘れるな。必ずここに――、帰って来い』
『本当の任務は作戦終了後から始まるんだ、決して無茶はするんじゃないよ。良いね、新米少尉さん達?』
本来の目的を果たす為に与えられた階級と長年使用した神機を携えて、彼等は重装甲ヘリに乗り込む。顔馴染みの操縦士二人が全ての準備を整え、離陸を告げた時。
『行って来ます!』
良く似た笑顔と良く似た声で、その言葉を口にした。地上で手を振る幾人かの姿はあっと言う間に遠ざかり、口々にしている言葉はプロペラ音に邪魔される。それでも――彼女はその耳で、彼はその目で。自分達の帰りを待っていてくれる人達があるのだという事を確認し、顔を見合わせて微笑んだ。
2065年。連合軍によるアラガミ殲滅作戦が決行される地、ユーラシア大陸旧ロシア地区へ向けて飛び立った姉弟。大人びた二人が、先だって15の歳を迎えたばかりの頃であった。

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次からサクサク進められるかなー?とか思ってたり。ま、予定は未定という事で。
橘朋美
FileNo.004 2013/1/31 |