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六限目が終わり、やっと生徒指導室を出られた。扉の向こうには、まだE組の担任と氷室先生、そして彼女が残されている。歩き出す前に小さく溜息を吐いた吉野先生に謝ると、困ったように微笑まれた。

「謝るような事じゃないわ。私はあなたの担任なんだから」

「はい。……ありがとうございます」

最初の嫌がらせは、陸上部一年の女子全員が関わっていた。計画したのは、長谷川真琴という彼女。部活の度に私の話題が出て、彼女達は苛立っていたそうだ。真面目に練習を続けている自分達よりも、入学当初から良くない噂が流れている人間が持て囃される事に。

ミヨの情報では、彼女は駿斗の事が好きだから余計に嫉妬したんだという。体育祭の後、陸上部の上級生達は私を入部させたがって駿斗に勧誘するよう頼んだ。同じリレー選手で親しくしていたから、という理由で。それを断り続けていた事も、彼女の神経を逆撫でしたらしい。

見付け次第、厳しく処断する。

始業式の時、氷室先生はそう言ったそうだ。そして、朝早くの見回り。それで他の陸上部員達は二度目を諦めたけれど、彼女だけは違った。連休前の騒動もあって、余計に意固地になっていたのだろう。

連休最後の日。彼女は学校へ来て、二度目の嫌がらせをした。朝は見回りの先生が居るから。椅子なら誰かが座ろうとするまで気付かれないだろうから。彼女はそれを泣きながら話していたけれど……、この三週間余りの事を考えると、やっぱり同情する気にはなれなかった。

「でも、本当に良かったの?」

「はい。余計な心配をかけたくないんです」

彼女が全てを話し終えてから、氷室先生は言った。彼女には反省文を提出するように。そして、それぞ れの保護者に連絡して謝罪の機会を作ると。これまで父に知られないように気を付けて来たのに、そんな事 をされたら台無しだ。そんな必要は無いと言った私の意見は中々聞き入れてもらえず、それを助けてくれたのは吉野先生だった。

◇◆◇◆◇

、発見」

〜!!」

さん!」

帰り支度をして廊下を歩いていたら、cutie3の面々が口々に名前を呼びながら走って来る。彼女達とは、本当なら放課後の屋上で会う筈だった。ミヨの流した噂から、長谷川という彼女がどんな行動に出るか。 もしくは彼女が犯人だという確証が得られそうか。それぞれの人脈を駆使した情報を交換する為に。

「廊下を走ると氷室先生に怒られるわわよ?」

何日かかるか判らない。あの時ミヨはそう言ったけれど、思いがけず今日決着が着いた。もう彼女達を避ける必要も無ければ、人に見られないようコソコソ会う必要も無い。それが嬉しくて、自然と顔が綻ぶ。歩きながら散々お小言を貰う羽目になったけれど、それすらも嬉しくて――。

良い友達が出来たな。

そう言ってくれた父の笑顔を思い浮かべたのと同時に、あの二人の顔も浮かんで……つい俯いてしまう 。私にとって初めての友達。甦る二人の顔は、最後に見た時と同じ冷めた表情をしていた。そんなの当たり前だ。非道い事を言って怒らせた。嫌われてしまえば良いとさえ思った。だけど、こう なってみると本心が顔を覗かせる。


辛い、会いたい。

寂しい、話したい。

悲しい、判らない。

苦しい、どうしたら良い?


ミヨからの情報によれば、最初の嫌がらせに関わった全員が生徒指導室に呼び出されているらしい。自業自得だと怒るカレンを宥めていたが突然声を上げた時、思考の海から引き摺り上げられた。

「いっけない!忘れてた!!」

「忘れてたって……ヒデェよちゃん」

「オマエ……忘れるか?普通」

慌てて謝ると、それを庇って喧嘩腰になっているカレンを余所にミヨが言う。あの二人、しつこかった。に何があったか話せって。全部、バンビから聞いてる筈。

に何かしたら張っ倒すからね?!」

「何もしないってば」

「じゃあ二人とも、後は宜しくね!」

「へぇへぇ」

「また明日」

その声に手を振って、またねと返す。それぞれの方向へ遠ざかって行く背中に目頭が熱くなって、視界が歪んで行くのが判った。

◇◆◇◆◇

「ちっと付き合え」

そう言われて連れて行かれたのは、家から数分先の場所。シーズンオフの海だった。小さな波と弱い風、沈黙に支配された砂浜。誰にも邪魔されない静かな場所で、何を言えば良いのか迷ってた。cutie3と同じく二人は全てを知っていて、それでも彼女達と同じように私を待っていてくれたんだと思うと、本当に非道い真似をしたって後悔ばかりが押し寄せて来る。

「二人とも……迷惑、かけたよね。ごめん」

散々迷惑をかけたんだから、とにかく謝らないと。そう思って頭を下げた。視界の端に映る二人の足は動かないまま、返事も無いまま数秒後。返って来たのは厳しい言葉だった。

「俺、すげぇ怒ってる」

「お前は判ってねぇみたいだけどな、俺もだ」

普段より抑揚の無い低い声が、突き付けられた言葉が胸を刺す。自己嫌悪に陥っても今更だ。二人を怒らせたのは、間違い無く自分の言動なんだから。それこそ自業自得だって解ってる。許してもらえなくても、謝る事しか出来ない。だから――。下を向いたまま零れ落ちそうになる涙を堪えて、ごめん、と繰り返す。

「俺さ、悔しかった。お前、ホントの事言わないから」

何があったのか聞いても何も無いって言うし、何で怒ってんのって聞いてもこれが普通だって言うし。態度おかしいし、何か隠し事してるってバレバレなのに。それでもお前、助けてって言わないから。

「だって――そんな事言ったら、」

ルカまで巻き込む事になる。そう続けようとして顔を上げたら、泣きそうな顔で笑うルカに遮られた。

「ヒーローなのに見てるだけなんて、カッコ悪いだろ?」

けど、ちゃん達に言われたから。お前の事、信用してるなら。それなら今は、口出ししちゃ駄目だって。もし俺達が巻き込まれたら、お前がもっと傷付くから。打開策が無いなら、そっとしとけって。だから俺、我慢した。カッコ悪くて、悔しくて、すげぇ腹立ったけど。ずっと我慢して、それでも放っとけなくて。ずっと、見てたんだ。

「けど、もう良いだろ?もう終わったんだから、我慢するのも終わりだ」

「ルカ……、」

「いい加減、泣き止め」

頷く事しか出来なくて、指摘されてから気が付いた。ずっと堪えていたのに、止まらなくなってた涙に。

「お前は一々考え過ぎなんだよ」

迷惑だってんなら、何も判んねぇまま突き放される方がよっぽど迷惑だ。噂なんざ構うこたねぇ。お前の事なら、ガキの頃から知ってる。そんな奴がおかしな態度になりゃ、気にならないワケがねぇだろ。それを何とかしてやりてぇって思うのも、当たり前だろうが。少なくとも俺は――俺らはそう思ってる。

「……コウ、ごめ」

「謝んな。――次があった時ゃ、もう聞かねぇからな」

頭に乗せられた手が温かくて、二人の言葉が優しくて、涙が止まらなくなる。謝るなって言うから、ごめん、を呑み込んで。ありがとう≠ニ大好き≠込めたキスを。

「なっ、お前――」

「ええ、コウだけ?俺には?」

「勿論」

擽ったそうに笑うルカの頬にもキスをすれば、反対も≠ニ言うルカに調子に乗んな≠チてコウが言う。いつもみたいな遣り取りと、いつもよりも大きな嬉しさ。言い表すなら、沈みかけの太陽みたいな色だと思う。明るくて、優しくて、温かで、懐かしい。そんな満足感で一杯だった。

翌日、校内は噂で持ち切りになっていた。陸上部の一年女子が全員処罰を受けたとか、長谷川という彼女が停学処分になったとか。それに付随して、を怒らせると恐いっていう噂が流れていた。

HRが終わってから明璃達に謝ると、三人とも同じような反応をした。母の事を聞いてからどう接して良いのか判らなくて、それでも仲良くしたいと思っていてくれたらしい。だから余計に私の頑なな態度を崩したくて、しつこく話をしようとしていたと。

「ごめんなさい。あなた達を巻き込みたくなかったの」

もう一度頭を下げると、もう謝らないでと言った三人は笑ってくれた。あの時みたいに困った笑顔じゃなく、体育祭の時みたいに。

◇◆◇◆◇

十月も半ば過ぎになって、文化祭の出し物を決めようとHRから一限目は随分盛り上がっている。喫茶店とか屋台とか、お化け屋敷やディスコとか。私にとっては初めてのイベントで、何をするにしても興味と不安が半々だった。母の名前が飛び出したのに驚いたのは、その打ち合わせ中の事。

「Rose Queen?」

「そうそう!はば学際名物なの」

「毎年、三年生の女子が選ばれるんだ」

「お祭り騒ぎのミスコンみたいなモンだな」

学力が高く、芸術に秀で、運動能力に優れ、気配りが出来て、流行に敏感で、魅力ある上に男子にも女子にも人気のある三年生の女子生徒が選ばれる。そう語る明璃は、まるで夢を見ているみたいな表情で続けた。

「全校生徒の憧れの的、って感じなんだ。素敵だよね〜」

「そういえば、今年もそろそろ投票が始まるんじゃないかな?」

「うちの奴等は新体操部の副部長が有力候補だとか言ってたな」

「こら!そこの四人、お喋りは程々にして打ち合わせに集中しなさい」

はーいと口々に答え、本来の目的に戻る。幾つかのグループから出された案が黒板に書き連ねられて、そろそろ一限目も終わるという事で多数決が取られた。結果、F組の出し物は和風喫茶に。けど……副題みたいに懐古的という単語が付け加えられていた。

「へ〜え。普通に和風、ってだけよりもお洒落じゃない?」

「私のクラスとちょっと似てるかも。喫茶店、メイド風なんだよ」

「どっちも衣装が大変そう」

「そうね。演劇部に借りたり、手芸部の子が作る事になってるわ」

放課後、廊下で会ったcutie3の面々としっかり話し込む気で喫茶店へ。話題はやっぱり文化祭の事で、ミヨやカレンによれば毎年かなり賑わうらしい。明璃の言っていたローズクイーンについても話が出て、つい感傷的になってしまったのかもしれない。

「何々、。もしかして興味あるとか?」

さんだったら狙えるかもしれないよね」

「それは無理。対象は三年生だけだから」

「興味がある、って言えるのかな?」

母のフルネームは、元々呼ばれていたローズというファーストネームにスミスという最も一般的なファミリーネームを与えられ、平凡過ぎると考えた母自身がクイーンというミドルネームを加えたものだと聞いている。もう何年も聞く事の無かった名前を久し振りに聞いて、何となく気になっていたのは確かだった。

「Rose Queen Smith。母のフルネームなの」

「へえ、凄い偶然!二年後に期待しちゃう!」

「再来年か〜。ちょっと先だけど――うん、楽しみ」

「狙えなくはない」

三人には悪いけど、私には無理だろう。学力云々はともかく、男子にも女子にも反感を買っているんだから。それでも水を差すような事を言う気にはなれなくて、曖昧に微笑んだ。どちらにせよ、今の私には何ら関係の無い事。

あと一週間もすれば準備期間に入るというその日。暫くは寄り道する暇も無くなるだろうから、と。私達は遅くまで話し込んだ。

◇◆◇◆◇

文化祭まで後数日。衣装合わせや具体的なレシピの確認が重なって、教室を出た時には随分暗くなっていた。階段付近に見付けたシルエットに駆け寄って声をかけてみたんだけど、何だか不機嫌そう。

「コウ、今帰り?」

「あ?おぅ。――お前、こんな遅くまで何やってんだ?」

「文化祭の準備よ。コウは違うの?」

「カイチョーに捕まってたんだよ。……ったく」

先生じゃなく会長に?と聞けば、バイク通学を楯に文化祭で見回りをするように言われたとか、ルカはルカで案内係をする事になっているとか。毎年賑わうとは聞いていたけれど、どうやら学校関係者以外の出入りも多いらしい。

「大変そうね。クラス出展もあるのに」

「クラス出展だぁ?んなモンやるか。メンドクセー」

「そう。じゃあ、暇なのね」

「ああ?喧嘩売ってんのか?」

そうじゃないわと笑って、暇があったらうちのクラスにも顔を出してみてと言う。きっといつもの返事が返って来るんだろうと思っていたら、意外にも何をやるのかと聞かれた。cutie3の面子に話した時と同じように説明したんだけれど、微妙な表情になってるのは何故だろう?そう考えて、思い当たったのは一つ。

「ああ、コウは甘い物苦手だものね。お茶だけじゃ寂しいか」

「……まあ、そうだけどよ。お前――、」

「ん?ふふっ、大丈夫よ。無理に来てなんて言わないから」

「いや、そうじゃねぇ。そうじゃなくて……、お前も接客すんのか?」

飲食関係の出店には規定が設けられていて、接客時間は8:30〜16:30。他のクラスはどうなのか知らないけれど、当日は男女五人ずつの十人四グループに分かれて二時間毎の交代制で営業すると決まっていた。私は明璃達と一緒に一班に組み込まれていて、8:30〜10:30の接客に当たる事になっている。

準備や後片付けは全員でするから、他を見て回るなら十時半以降の六時間弱になるだろう。朝の内は客足も伸びないだろうし、時間的にも余裕があってラッキーかもしれない。

「するわよ。朝一から二時間だけね」

「……着物で、か?」

「見栄えが悪いから袴になったけど、着物と言えば着物ね」

「はあ?見栄えって――」

着物なんてこれまで着た事が無かったから知らなかったけれど、実際に見栄えが悪かったのだからしょうがない。それが今日、帰りが遅くなった一番の理由でもある。

お端折りが足りない!と慌てる手芸部の子に袴を薦められて、何とか丈の合うものを見付けて。大判のバスタオルの上からギュウギュウに締め付けられる帯の苦しさを考えると、結果的には袴の帯紐の方がよっぽど楽だと思う。

時間見て行く。と言ったコウに、ルカにも伝えておいてと頼んだ。当日までに会えない確率が高いからと思ってそうしたんだけど……。その所為で何が起こるかなんて、全く考えてもみなかった。

◇◆◇◆◇

「はい、終わり。これで良いわ」

「ありがとう」

着付けをしてくれた子にお礼を言って、家庭科室を出る。廊下には先に着付けを済ませてもらった明璃が待っていて、かなり大袈裟に似合うと褒めてくれた。彼女は母親から借りて来たという小袖姿だ。髪形は普段通り高く結い上げたポニーテールだけれど、大きな赤いリボンが小柄な彼女に良く似合っていて可愛らしい。

「もう準備終わってるかなー?あ、篠崎君!」

「やあ。二人とも良く似合ってるね」

家庭科準備室の前を通り過ぎようとした時、そこから出て来たのは駿斗だった。私と同じく演劇部の衣装を借りた彼は、書生風とでも言えば良いんだろうか?薄手のヘンリーネックに白い着物と深緑の袴を合わせていた。トーマは自分の物を着ると言っていたけれど、既に教室に戻ったらしい。

そろそろスタンバイしておかないと、という駿斗の言葉で、カラコロと響く下駄の音と共に教室までの道を急ぐ。あちこちから視線を浴びたり何かコソコソ言われたりするのは慣れていたけれど……。その中を慣れない袴姿に足袋の上から草履を履いて歩くのは、何とも言えない妙な気分だった。

「トーマ……それ、」

「おう!どうだ、似合うだろう」

今日は調理場兼準備室になっているF組の教室。その扉を開けると、浴衣姿に大きな祭団扇で迎えてくれたのがトーマだ。調理係の四人も補助係の二人も、その一言で大笑いしている。駿斗は苦笑、明璃は爆笑という感じだろうか。

黒地に銀の龍文様、肌蹴気味の胸元。コウとそれほど身長の変わらないトーマが着ているからこそ、またそれが映えるんだろう。確かに似合っている。似合っているとは思うけれど、何て言うか……うん。鋳物コンロやガスボンベをバックに腕組みしているトーマは、まるで的屋の人みたいだ。

「さあ、開店五分前よ。そろそろ持ち場に着いて!」

管理責任者として調理場に詰める吉野先生の掛け声で、それぞれの持ち場へ。グラウンドで手品ショーをやるE組の教室が、懐古的和風喫茶の舞台だ。扉を開ければ赤いカバーリングを施された机や椅子が並び、番傘や紙風船などの小道具が飾られた不思議な空間が広がる。

「よーし。第一陣、張り切って行くか!」

「先ずは呼び込みから、かな?」

「お客さん、たくさん来ると良いね!」

「そうね。閑古鳥の巣になったら困るもの」

黒板前に並べられた会議机の上には、和紙を切り貼りして作られた品書きと丸い木製の盆が置かれている。それぞれを一つずつ手にして、文化祭の開始アナウンスを待っていた。



     

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余談ですが、うちの桜井兄弟は主人公を「オマエ」ではなく「お前」と呼びます。
単に自分の好みってのと、片仮名表記が多いのが嫌いなのが理由だったり。
最初の頃、推敲中にウンザリするくらい片仮名があったんですよ。
で、やってられっかー!!とね。





橘朋美







FileNo.109 2012/9/1