そろそろGWだという頃。あの一件が単なる誤解だったという事が判って、それほど居心地の悪さを感じなくなっていた。それでもやっぱり、噂っていうのは恐いものだと思う。桜井兄弟を手玉にとって遊んでるだとか、怒らせると何をされるか判らないとか。馬鹿馬鹿しい噂は私が思っていたよりも広まって、――いや。後ろでニヤニヤ笑っているあのクラスメイト三人を見ると、故意に広められたのかもしれない。私の前で、凄みを効かせてるつもりの先輩達を動かす為に。
「――ハァ、」
言ってる事はあいつ等と変わらなくて、思わず溜息が零れる。目立ち過ぎだの痛い目に遭いたくなかったら大人しくしてろだの、いい加減にして欲しい。目立つと言うなら昼休みの中庭でこんな真似をする方が目立つし、大人しくしてろと言うなら自分達に言い聞かせれば良いのに。口に出しても結果は判り切っているから何も言わないでいたんだけど、どうやらそれも気に入らないみたいだ。
「テメエ、調子に乗るのもいい加減にしろよ?!」
「先輩に対する礼儀ってモンを教えてやろうか、ああ?」
周囲に居た生徒達は遠巻きに話してるだけで、味方なんて一人も居ない。そんなのいつもの事だと思っていたら悲鳴が聞こえて、――はばたき市の今日の天気は快晴でしょう――今朝の天気予報を思い出して、ちょっと笑った。
「トウッ!」
はばたき市の今日の天気は快晴ですが、所により人が降る恐れもあるでしょう。ってトコかな?相変わらず、ルカの破天荒な行動は健在らしい。煉瓦敷きの部分に着地した彼は足が痺れているみたいで、体勢を立て直しても直ぐには動けずにいるのを見て、声をかけた。
「大丈夫?ルカ。駄目よ、土の上に降りなきゃ危ないわ」
「そっか。うん、今度からそうする。ところで……何やってんの?」
「ん?あぁ。強いて言うなら、時間の無駄遣い?」
それまで呆然としていた彼等が声を荒げて、ルカの表情が変わるのを見た。何度か相手をしてくれた時はあんな風にならなかったのに、やっぱり手加減されてたんだなぁ。なんて暢気に思う。ルカやコウは強いって、あの頃から知っていたから。孤立無援だと思っていた私にも、味方してくれる人が居るんだと思ったから。
「おいルカ!テメェまた――あ?なんだコイツら」
「コイツら悪いヤツだ。の事、虐めてた」
「虐められてたんじゃないわ。絡まれてたのよ」
「なんだそりゃ?どっちも似たようなモンじゃねぇか」
「そうだ。女の子に絡むなんて、悪いヤツらだ」
普通に校舎から出てきたらしいコウが加わって、彼等が更に興奮して、周囲まで騒がしくなった時だった。馬鹿にするんじゃねえ!とか何とか?口々に言って殴りかかろうとした彼等は、全員が全員、コウの声でピタリと止まった。だけど――。
「あァ?!やんのかコラ!!」
「琉夏君!琥一君!」
聞き覚えのある声がして、その声に気を取られた隙に、彼等は蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行く。息を切らせて駆け寄って来たのはバンビ――古浪という名前の、あの子だった。一瞬バツの悪そうな表情になったルカも、面倒くさそうに顔を背けたコウも、ブツクサ言いながらも彼女のお小言を聞いている。喧嘩をしちゃ駄目だなんて、どうしてこの子は言うんだろう?一部始終を見ていたわけでもないのに、二人が一方的に悪い事をしていたみたいに言うのは何故なんだろう?
「違うわ。喧嘩になりそうだったのを止めてくれたのよ」
「さん……でも、」
「二人とも、私に巻き込まれただけ」
「だからって――あんな事したら、」
「私なら手を出してたわ。脅すだけで収まったのに、何がいけないの?」
きっと私は、羨ましかったんだと思う。こんな風に傷付かず、傷付けずに生きて来ただろう彼女が。そんな彼女に心配されている二人が。だからつい、言ってしまったんだ。
「ルカ、コウ、ありがと。だけどもう、これからは助けなくて良いわ」
彼女に心配させるだけみたいだし、私なら大丈夫。口にした時は、本気でそう思ってた。あんな奴等にやられたりしないし、危ないと思ったら逃げれば良い。子供の頃からずっと、そう思って過ごして来た。それが、これからも続くだけ。ただそれだけの事だって思ってた。
「これで良いでしょう?もう二人を責めないで」
「責めるなんて、わたし、そんなつもりじゃ……」
「――bye」
困惑した表情の彼女を見ていたくなかった。そんな顔をさせたのは自分だと判っていたから。ルカやコウの声からも、罪悪感からも逃げるようにして走った。空とは真逆の、どんよりと曇った心を抱えて。
◇◆◇◆◇
「はぁ。……いい加減、帰らなきゃ」
でも、帰るなら一度学校に戻って鞄を持って来ないと。そう思っても、中々気が向かなかった。戻れば誰かに会うかもしれない。そうしたら、私はどうすれば良い?何も無かったようにして、これまでみたいに接すれば良いんだろうか。それとも、これ以上関わらないように無視して通り過ぎれば良い?幾ら考えても判らない。生まれて初めてのサボタージュは、ただ気分を重くするばかりだった。
陽が傾いて、家路を急ぐ人が何人も通り過ぎて行く。暫くすれば辺りは街灯が灯り、薄っすらと明るかった空もナイトブルーに染まってしまう。そうなってから、漸く私は学校へ向かおうと腰を上げた。幸い、父はGWに開催されるレースが終わるまで家には戻らない。遅い時間に帰ったとしても心配する人も咎める人も居ないのだから、それだけは安心出来る。少しでも気分を軽くしようと、そんな事を考えながら角を曲がった時だった。
「はぁ……ツイてない」
もう何度目になるだろう?重い溜息を零しながら何歩か道を戻って、壁に背中を預ける。校門の辺りに見えた頭は、きっとコウのものだ。あのシルエットであの高さなんだから、間違い無い。会いたいと思っている時には会えなくて、そうじゃない時に限って会ってしまう。こういうの、何の法則って言うんだっけ?運が良いのか悪いのか、West
Beachへ向かうならこっちへは来ない。コウが行ってしまうまで、暫くここで待っていよう。そう決めて、星の瞬く空を見上げてた。
北極星みたいに、不動で居られたら良いのに。それが人には無理だというのなら、せめて北極星みたいな指針になるものがあれば良いのに。それに従って進めば、間違えずに先へ進める。それを目指す為にはどうすれば良いのか考えて、決められる。もしそれで間違えたとしても、それを導にやり直す事が出来る。そんなものがあれば――。
「ッ!!」
物思いに耽っていたのが拙かった。不意に掴まれた左手をそのままにして振り上げた右手が、反対側からガシリと止められる。中途半端に浮いたままの両手に力を込めてもビクともしなくて、しかも相手は至近距離に二人。待ち伏せされたんだ。これじゃ逃げるなんて無理。何とか隙を衝いて反撃するしかない。咄嗟にそう考えた。
「捕まーえた。鬼ごっこはオシマイだぜ?」
「手間かけさせんじゃねぇよ、……ったく」
「――、え?」
だけど、二つの声がそれを遮る。逃げるのは有りだけど、隠れるのは無し。鬼は身体に触れるだけじゃなく、相手が逃げられないように捕まえなきゃいけない。小さな頃に母やその仲間達が教えてくれた遊びのルールが一般的じゃないと知ったのは、何年か前。それも面白そうだと言った二人と、それから何度も鬼ごっこをした。会う度に、父さん達が呼びに来るまで、何度も。
「ほら。お前の鞄、持って来てやった」
「さっさと帰るぞ。こっちは腹減ってんだ」
「……どうして、」
「どうして、じゃねぇ。……あんま心配させんな」
「そうそう。ちゃんも心配してた」
あの頃は二人を捕まえるのが難しくて、捕まえられると凄く悔しかった。なのに、今はどうして嬉しいんだろう。あの子も心配していたと聞いて安心してるのは、何故なんだろう。どちらの答えも判らなかったけど、二人と並んで歩ける事が嬉しくて、少しだけ――星が滲んで見えた。
◇◆◇◆◇
GW明けに会った彼女は、突然私に謝った。どうして謝るのかを尋ねると、私を傷付けてしまったからだと言って、また謝った。それから私は、彼女達――cutie3と過ごす事が増えた。
花椿カレン。世界的に有名なファッションデザイナー花椿吾郎の姪で、彼女の一族の多くが業界で活躍しているらしい。モデルをしている事もあり、中等部の頃から大勢のファンが居る。初めて会った時の事を思い出し、あれがそうだったのかと思った。親しい人とそうでない人に対する態度が違うのは、彼女が故意にそうしているようだ。
宇賀神みよ。身長が低い事を気にしているようで、子ども扱いするような言動を極端に嫌う。幼い頃から占いに凝っていて、その的中率は恐るべき数値を誇っているらしい。けれど、最も恐るべきは彼女の情報収集能力だと思う。多くの個人データから噂話までを把握――いや、いっそ網羅しているとでも言えそうな彼女は、やっぱりミステリアスだと思う。
古浪。誰にでも優しい世話好きな子で、柔道部のマネージャー。他の二人のように目立ちはしないけれど、彼女を敵視するような人間は滅多に居ないだろうと思う。バンビというニックネームはカレンが付けたそうだ。キョロンとしているから、という理由で。その感覚はよく解らないけれど、彼女の人間性を考えると、バンビというネーミングもしっくり来る。
「ええっ?!じゃあ、さんも?」
「幼馴染みって呼べるかは微妙だけど、昔馴染みではあるわね」
「へえ。それで妙な噂が流れてたってわけだ?」
「妙な噂?」
「はばたき学園一年F組、。入学前から彼女に弄ばれている男は数知れず、桜井兄弟もそれに含まれる。故に、彼女の機嫌を損ねた時の報復は恐ろしい。裏付けの取れない、作られた噂」
淡々と締め括ったミヨの目は、馬鹿馬鹿しいとでも言ってるみたいだ。他の二人は、目じゃなく口で言っている。こんな風に過ごすのは初めてだけど、悪くないと思う。普通の女の子として過ごしてるんだ、って実感出来る。
彼女達と一緒にランチタイムを過ごしたり、下校途中に寄り道したり。偶に呼び出されてルカやコウと遊んだり、一人でシャドウを走らせたり。そんな話を聞いた父が、良い友達が出来たな――って言ってくれたのが、とても嬉しかった。クラスでは相変わらず妙な目で見られる事も多かったけれど、そんな事気にならないくらいに楽しい日々を過ごしている内に、夏が近付いてた。

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バンビがかくれんぼなら、主人公は鬼ごっこで!というのは安直過ぎるかとも思ったんですが、何かそういうエピソードが無いと寂しいなーと。
ま、それをネタに番外編とか書けるかも?ってのもある。
橘朋美
FileNo.103 2012/8/13 |