まさか、あの闇姫が千秋にビンタしたご令嬢やったなんて。ほんまにビックリしたわ。千秋は渋々っちゅう感じやったけど……あんだけの子や。手ぇ貸して欲しいと思うんは、当然やろ。
「一人て……。豪い人材不足なんやなあ、この業界も」
「それと、誰がエージェントなのかは……あなたの目で確かめて頂戴」
そう言って笑うマダムは、中々の曲者やと思う。まあ、あの闇サロンを牛耳っとるようなお人や。大袈裟に驚くほどの事でもないんやろな。
今回の依頼――受けるんやったら、良家のお嬢さんが一人欲しいっちゅう話をした何日か後。俺は、花園夫人の夜会に呼ばれとった。千秋ならともかく、何で俺が?とは思ったけど。その招待状を寄越したのはマダムや。断る事なんて出来へん。
「参考までに聞いときたいんやけど。それって闇姫さん?」
「ええ、勿論よ。あの子には、既に依頼を持ちかけてあるわ」
俺等がこの世界に入って、そうせん内から――特に、この何年か。手際良く依頼をこなす闇姫っちゅう女諜報員の噂は、何べんも聞いとった。それこそ、耳にタコが出来るくらいや。基本、二人一組のエージェントは大抵が男やし、横の繋がりが薄いこの世界や。女っちゅうだけで充分噂になる。せやから話半分に考えといた方がええと思ったし、興味も湧かんかったんやけど。
「申し訳ありません、叔母様。私、少し……」
何十人と居る中の一人を探すのは、案外簡単やった。極端に若い子も、妙に目立つ子もちゃう。良家のお嬢さんちゅうても、綺麗な物しか持った事ないような細い指も、軽く捻れば折れそうな腕も、この世界で生きとる女やったら弱点にしかならんもんや。ターゲットに接触せえへんのも、ベッタリなのも問題外。と、くれば――。
「失礼。顔色が優れないようですが……外へお連れしましょうか?」
そうやって見当付けて声かけたのが、こういうトコへは滅多に顔を見せへん変り種。家の一人娘、嬢やった。それが渡りに船っちゅう感じで乗るもんやから、警戒心の薄い子やなぁ……なんて。ちょっとばかり呆れとったりもしたんやけど。
「興味だなんて。そのような事を仰られても……私、困ります」
そうでもないって判ったのは、いつもの喋りで鎌かけた後やった。顔色一つ変えんまま、ええトコのお嬢さんって反応して――まあ、諜報員がそれくらいの事で慌てとったら仕事にならんのやけど。その場から逃げようともせんし、変に否定も肯定もせんまま。ただ一時……恋の駆け引きを楽しんだっちゅう状況を作っただけで、童話の中のお姫様みたいに帰ってくなんて。
「――あれやったら、おもろいかもしれんな」
意外な人の声が聞こえたんは、その時や。サロンから届く明かりの中に立ったマダムの表情はよう見えへんかったけど、その声は……普段より真剣みが増しとった。
「あの子が気に入ったようね。他の子は確かめないのかしら?」
「他の子ゆうても……あの子以外、それらしいのは居らんし」
それなりの家柄に、上々の見た目。カモに出来そうな印象のわりには、ポーカーフェイスもお手の物っちゅう感じやった。肝の据わりもええみたいやし、引き際も心得とって――今回の標的相手には申し分無い。あれが闇姫とちゃうんやったら、今日の夜会に闇姫は居らんやろ。
「……相変わらず目鼻の利く子ね。明日、別邸にいらっしゃい」
「闇姫さんと顔合わせ、っちゅうわけやね。ほな、また明日」
一瞬。ほんまに一瞬だけマダムが不安そうな顔したのは気になったけど、用件以外は何も言わんかったっちゅう事は、大して障りも無いっちゅう事やろ。まさか、噂だけで役に立たんような人間を寄越すわけも無いやろし。――まあ、要は依頼をこなせればええんや。あんま突っ込んで考えんでも、なるようになる。いつもどおり結論付けてオフィスに戻れば、イマイチやる気になってへんかった相棒が出迎えてくれた。
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今回だけとはいえ、一緒に組む事が決まってから。表向きの顔で取り繕う必要が無くなったのは俺だけやなかった。
「蓬生さん、一つ聞きたい事があるんですけど」
「嫌やなぁ。一つなんて遠慮せんと、なんぼでも聞いたって」
そんな風に話しかけられたのは、マダムの仲介もあったお陰で何とか折り合いも付いたし、後は実行だけやっちゅう段階まで話も進んだ頃やった。こっちが考えとった以上にシビアで真面目な彼女は、いっつも厳しい顔で、依頼に関係無い事は滅多に口にせえへん。今回もそんなトコやと思っとったら、どうにも答え難い質問をされて……。
「初めて会った時、どうして私が闇姫だと思ったんですか?」
「そういえば……マダムからも情報は与えられていなかったそうですね」
正直なトコ、俺かて絶対っちゅう確信があったわけやない。この子が闇姫やとは思ったけど、強いて言うんやったら……。
「……まあ、勘みたいなもんやね。けど、なんでそんな事聞くん?」
依頼に関係する事やないし、知ったところで何か役に立つわけでもない。今更そんな事聞いて来るなんて、何や拙い事でもあったんやろか。
「おい、情報が入ったぞ」
飛び込んで来た千秋に遮られた会話は、作戦決行を決めた後、再開された。手筈を整えて来るっちゅうて飛び出してった千秋と、帰り支度に出てった芹沢を余所にして。
「蓬生さん、さっきの話ですけど」
「ん?何やった?」
「何って……私が質問した理由を聞いたのは、あなたでしょう?」
相手の力量を推し量る為に仕組んだのなら、それなりの確証が無ければ声をかける筈がない。然して問題にならないとしても、自分の手の内を見せるような真似をした上に闇姫という名を出す事も。
「そらそうや。やっぱり――あんた、頭がええんやね」
「はぐらかさないで下さい。どうしてあなたはいつもいつも、」
「別に、はぐらかすつもりなんてないで?」
千秋が聞いとったら「普段の行いが悪い」とでも言うんやろな。せやけど……それも、上手く世間を渡る手や。そう簡単に種明かしは出来んから、誤魔化すみたいな事しか言えへん。
「じゃあ、やっぱり「ただの勘」ではないんですね?」
冷静な観察と、違いを見極める目。それらを使って結果を特定する為に必要なんは、経験に基づいた推測や。「ただの勘」にしか頼れんような人間やったら、この世界では生きてかれへん。
「せやから、俺の「勘」は馬鹿にしたらあかんよ」
そう言っていつもみたいに顔を覗き込めば――さっきまでのキリキリした表情が消えて、何や拍子抜けした顔で笑っとった。年相応に見えへんっちゅうか、華族の令嬢らしないっちゅうか。ほんま、不思議な子や。
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「良いか、矢野崎と二人きりになったら録音を始めるからな」
最終確認は万全、後は餌に喰い付かせるだけや。日の暮れかかった別荘地で展開される作戦は、至って単純なもんやった。事業の傾いた華族の一人娘で、見た目も年頃も申し分無い。その上、醜聞とは無縁で世間知らずっちゅう絶好の撒き餌や。矢野崎は直ぐに引っ掛かったし、その何日か後には別荘に招かれとった。
「証拠が必要とはいえ、くれぐれも無茶はしないで――」
目を見合わせたこの二人。初めて会うた時から、ただのお嬢様と使用人っちゅう関係やないとは思っとったけど……。単なる諜報員コンビっちゅうわけでもないらしい。それが事ある毎に気になって……何や面白ないのは、きっとトントン拍子に事が運び過ぎとる所為や。
「ええ、判ってる。じゃあ――三人とも、お願いね」
マダムに紹介されたばっかりの頃は一々喧嘩腰やった千秋の態度がおかしいのも、昔の事がある所為で……。この子一人の言動が、大の男三人を惑わしとるなんて事…………多分、無いと思いたいだけなんやろな。
「あんじょう任しとき」
盗聴器以外のもんを持たせられんのはちょっとばかり不安やけど、ギリギリの位置で目ぇ光らしとるから。
俺の声を聞いて、軽く笑って。あん時みたいに背中を向けたのを最後に、周りに溶け込んでった。――要らん事ばっかり考えとったら、肝心なトコで失敗してもおかしない――今は集中せな。
「ほな、行こか」
「ああ。後でな」
「では、後ほど」
事は一つ通りに進むとは限らんから、色んな想定をしとった。これまでの矢野崎の手口を基にして、それこそ有り得んのやないか?っちゅうくらいの案まで。せやけど……。何通りもの「こうなるかもしれん」っちゅう考えは、所詮想定内でしかなかった。ほんまの想定外っちゅうのは、誰も思い付かへんような番狂わせの事やったんや。
「……矢野崎さん、一体何を?」
どうすれば良いのか、どうするんか。予定通りの位置で、予想外の状況で。俺は、タイミングを計っとった。多分、他の二人も。夜より暗い闇の中で、身動きも出来んまま…………。

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さて、これで三人分終わり。
次はもう一度主人公編ですが、かなり短い小節になると思います。
橘朋美
FileNo.006_04 2011/12/23 |