Princess of Darkness
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「なあ千秋、ちゃんと聞いといてや?」

「ああ、判ってる。で?標的の様子は?」

やっぱり聞いてなかったんじゃないか。とでも言いたそうな顔付きで、それでも手元の書類に目を移す。今回の依頼は少々面倒な相手だとマダムから忠告されたが、それは標的の性質の悪さか立場の良さか。

「――っちゅうわけや。その娘さんも、全然気付いてへんみたいやったわ」

「はっ、当然だろう。世間知らずのご令嬢は、疑う事を知らないからな」

それなりに名の知れた華族からの依頼は、娘を誑かそうとしている男への制裁だ。聞いた時には過保護にも程があると呆れたが、どうやら裏付けがあっての事らしい。マダムからの情報によれば、その男――矢野崎は、政界でも屈指の有名人であるあの矢野崎の長男だという。親の方でも良い噂は聞かないが、息子の方は更に悪いときた。

「せやから今回の依頼は、頭数増やすのも作戦の内っちゅう事で……」

「受けるのか?大した暇潰しにもならなそうだが」

僅かに顔を俯けた蓬生が、静かに、しかし確実に凄みを利かせた笑みを零す。こいつがそんな顔をする時は、決まって何かを面白がっている時だ。視線で先を促せば――満足げな表情で手にした書類をデスクに放り投げ、喋り出す。これまでも同じような依頼が数件あったが、報酬を払い切れないと踏んで諦めた女達の家が共同で出資するという破格の金額。矢野崎の失脚を望む有力者への売名と、それが生み出す利点。

確かに条件は悪くない。だが、囮に使う女はどうするつもりだ?金さえ払えば何でもするような商売女じゃ話にならない。かと言って、御曹司好みの良家の令嬢を用意するのも難しい。そういう女ってのは、知識や教養があっても、危ない橋を渡るだけの気概を持ち合わせちゃいない。その上、裏社会にそんな女が何人存在すると思ってるんだ。そう訊ねれば、マダムの秘蔵っ子を貸りる話が付いていると笑う。

「マダムの……?闇姫か?!」

「ご名答。高名な、あの闇姫さんや」

その名前を口に出し、耳にして――。俺は、あの女の存在を思い出していた。もう十年近く前になる。まだ青臭いガキの頃に出会った、という敵に回したくない存在である女の事を。

■□■□■

社交界デビューなんてのは面倒なだけだと思っていたが、それを避けて通る事は出来ないという事も理解していた。各界の名士や名うての実業家が挙って出向く場だ。名を売り、顔を広めるには丁度良い。

「末のご子息もご立派で。お父上もご安心ですわね」

「ええ、本当に。お兄様方も活躍していらっしゃるようですし」

――全く。こういう場では当然の事とはいえ、大した持ち上げようだ。商才に長けた成り上がり。少なくとも、上流階級と呼ばれる奴等から下されている本来の評価は間違っちゃいない。だが俺は、地位や権力を重んじる人間達に媚を売ってまでその仲間になりたいとは思わない。

事ある毎に開かれる夜会は、有り余る金を持ち、地位を得て、権力を握った人間達の暇潰しでしかない。女達はシルクのドレスを纏い、煌びやかな宝石を身に着け、鈴を転がすような声で退屈な噂話に花を咲かせる。男達はそれを褒め称え、如何に雄としての欲望を満たすかを企みながら、己の生き様を誉れとばかりに披露する。それがどれだけ馬鹿馬鹿しい事なのか、考えもしないまま。

「あら?あの方は、確か……」

「まあ、珍しい。さんですわね」

群がっていた女達の視線の先には、一人の女が居た。見た目からすれば、どこぞの令嬢といったところだろうが――ここに居るのが不思議だと思える出で立ちだ。質は良いが派手さの無いドレスと、嫌味にならない程度の宝石をあしらったアクセサリ。化粧栄えしそうな面立ちだというのに、それほど華やかな印象を与えないメイク。夜会巻きにするには足りないのか、緩くうねる黒髪は一部を持ち上げるようにして留められていた。普通の女なら、こういった場には他の女より目立つ事を考えて必要以上に装って来るものだが。

「ええ。そのお話、私も聞きましたわ」

「じゃあ、やっぱり……そういうつもりでいらしたのでしょうね」

聞くともなしに聞いていた噂話の種は、いつの間にかという女に変わっていた。――ま、こんな話は珍しくも無いが。早くに母を亡くし男手一つで育てられた令嬢が、事業が傾き始めた家を立て直す為に財力のある男を婿に迎えようとしているとは。華族とはいえ、血筋だけでは暮らして行けないのは当然の事だ。

温室育ちのひ弱な薔薇は、世間の寒風に晒されれば簡単に枯れてしまうだろう。もしそうじゃなかったとしても、恐らくあの女も――男共に囲まれて作り笑いを振り撒いている所を見ると――所詮は男の庇護を得ようとしているだけの、つまらないお嬢様らしい。籠の中で育てられた世間知らずの南国の鳥が、自由を求めて飛び立ったと同時に飢餓と外敵の恐怖を味わうのと同じようにして、弱って行くんだろう。その前に、馬鹿な男を捕まえられれば話は別だろうが。

「あら、こんな所にいらしたのね」

「え?ああ、花園夫人でしたか」

この屋敷の女主人は顔が広く、彼女の開く夜会に招かれるのは一種のステイタスとも言える。その栄誉を受けるのは特権階級の人間が殆どだ。かく言う俺も、家の事業が絡まなけりゃ用無しの部類だろう。

「あなたに紹介したい子が居るの。さん、こっちよ」

「初めまして。お名前をお聞きしても?」

社会で通用したいのなら、この女性だけは敵に回すんじゃない。俺は、親父の言葉を信用してなかった。だから、この女が花園夫人の血縁者だとしても、態度を変える気にもならなかった。確かに政界で一二を争う実力者である花園氏という夫をもつ彼女を敵に回せば、面倒な事になるかもしれないが……。仮に敵に回した所で、簡単に潰されてやるほど俺は柔じゃない。――その認識を覆されたのは半年先の事だったが――その時の俺は、そんな考えも忘れて目の前の女に思考を奪われていた。

「ああ、東金千秋だ」

「……………………あなた、失礼な人ね」

「何だと?」

「相手の目を見もしないまま名乗るなんて、失礼な人だわ」

こいつは、思ったほど惰弱な女じゃないんだろう。さっきまでの女達のように取り繕うわけでもなく、平然と俺を見据えるとはな。だが――正直、腹立たしい。俺は興味の無い人間相手に真剣になれるほど出来ちゃいないし、それが金目当てに男を探してる女なら尚更だ。

「それは失礼。生憎、華族のご令嬢に気に入られるようなものは金しか持って無いんだ。ああ、心配しなくとも、あなたの夫候補にはなら……」

最後まで口にする前に、芝居がかった仕草で皮肉った俺を乾いた音と痺れるような衝撃が襲った。少し離れて様子を窺っていた花園夫人は目を丸くし、それでも機嫌良さそうに微笑を浮かべるだけで。当の女は、顔で微笑みながら……目だけは笑っていなかった。

「人を侮辱するのでしたら、この程度の仕打ちは覚悟の上ですわよね?」

この時俺は、僅かなりともその目に恐怖を覚えたんだ。この女には、安易に関わらない方が良い。少なくとも、敵としては――――絶対に。

■□■□■

そして翌日の午後、俺達は裏社会を牛耳る胴元とも言えるマダムの屋敷へ向かった。法律で裁くには難しく、泣き寝入りする事が腹立たしい。そんな相談を受けた彼女が信頼できる者だけから依頼を受ける秘密の社交場、闇サロンへ。

マダムの秘蔵っ子。闇姫と徒名される女が、あのと呼ばれていた女とは限らない。それに、もう随分と昔の事だ。家が潰れたという話を耳にした事も、目にした事も無い。という事は――あの女も、今頃は適当な男を捕まえて安穏と暮らしてるんだろう。

「ほんなら待望の、ご対面と行こか?」

「お前の眼鏡違いじゃなきゃ良いがな」

人目に触れる事の無い住宅地から離れた林の中に、その屋敷は建っている。およそ人の住んでいるようには見えないその外観とは裏腹に、邸内は上質な家具や調度品で整えられて。ある程度まで近付けば、ギィ……と音を立てて扉が開かれて行く。初めの内はこれに驚いたものだが、今ではもう当然の事だと納得している。そのままホールへと足を踏み入れれば「既に皆様お待ちでいらっしゃいます」と、初老の執事が頭を下げた。



     

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さてさて、何となく地味ーに役者が揃って参りました。





橘朋美







FileNo.006_02 2011/10/28