paraphrase
2
-1



「おはようございます、先輩」

聞き覚えの無い声に振り向くと、見覚えのあるような無いような……?タイの色で二年生だって事は判るけど、はっきりとは思い出せない。誰?とも聞けなくて、つい挨拶を返した後に口篭ってしまった。その子は、そんな私の反応を予測していたように自己紹介をして――。

「あ。私、二年でピアノ専攻の森真奈美って言います」

土曜の演奏会に来ていたと聞いて、漸く思い出した。最後まで聞いていた音楽科の生徒の中に居たような気がする。こんな風に面識の無い生徒から声をかけられたのは初めてで驚いたけれど、彼女の話の続きを聞いていたら、更に驚く羽目になってしまった。

「――って、そんな事言われても……」

王崎さん以外の人に気付かれていたなんて思ってもいなかったし、伴奏者候補として日野さんに紹介して欲しいなんて言われても……ね。それに、ただの知り合い程度の私が頼めるような事じゃないとも思う。日野さんに直接頼んだ方が良いと思うよ?と言った途端、彼女の表情が――。

「何て言うか……ちょっと、普通科には行き難くて」

困ったような笑顔になってそう言われると、無碍にも出来なくなってしまう。日野さんは直ぐにでも伴奏者が欲しいと思っているだろうし、ピアノを専攻している以上、伴奏者としての勉強もしたいっていう森さんの申し出は願ってもない事だ。

「音楽科と普通科って、そんなに気になるものなの?」

科が違う。ただそれだけの事なのに――。セレクションの後。日野さんは庄司さんを許しただけじゃなく、彼女に謝罪までした。その時の事を思い出した所為で、私の表情は随分険しくなっていたらしい。坂を上ってきた当の本人に声をかけられるまで、まったく気付かなかったけれど。

先輩、おはようございま――ええと……何かあったんですか?」

少なくともその場は森さんの事を紹介して誤魔化せたし、手間が省けて良かったのかもしれない。

■□■□■

昼休みが始まって直ぐ。いつものように教室を出ようと扉を開いたところで、誰かにぶつかりそうになった。運良く正面衝突を避けられたのは、その誰かが私を止めてくれたお陰。

「おっと……元気なのは構わんが、周りにゃ気を付けろよ〜?」

肩を押さえている手が離れる前に間延びした声が降ってきて、目の前に居るのが誰だか判る。どうしてこう、格好悪いトコばかり見られてしまうのかな〜。なんて暢気な事を考えながら謝れば、そんな事は全く気にしてないような会話が続く。

「なんだ、じゃないか。丁度良かった。ほれ、次のセレクション用のプリントだ」

第2セレクションは来週の金曜日、か。十日近くあるとはいえ、選曲後に編曲が必要となると余裕は無さそう。テーマは――秘めたるもの?咄嗟に浮かんだのは、情熱や恋心。苦痛や悪戯心といった、纏まりの無い感情。前回といい、今回といい、何て言うか……。

「コンクールのテーマって、随分と抽象的なんですね」

口にしたのは本当に純粋な感想だったんだけど、意外と真面目な反応が返ってきたものだから驚いてしまった。今回は異なる楽器で競うコンクールだからテーマがあるけれど、一般的には審査を楽にする為に課題曲を設ける場合はあっても、テーマなんてしっかりとした指針のあるコンクールは珍しいんだって。

「ま、お前さんも色々と経験してみるこった」

からかうように小さく笑って隣の教室へ向かう背中を見ながら、私は考える。私も――色々と経験?その一言がどこかに引っかかった気がしたけれど、私に影響するのはまだ少し先の事。今はとにかく、次のセレクションの準備をしないといけない。演奏順を確認してテーマに合う曲を考えている内に、予鈴が鳴り終わっていたらしい。

。お前さん、まだそんな所に居たのか?」

高が昼休みの間に二度も格好悪いトコを見られた上に昼食を食べそこなったその日の午後の授業は、お腹の虫との我慢比べになってしまった。

■□■□■

「お腹減ったぁ……」

結局あれから放課後まで何も食べられなくて、小さな声で呟いた途端、情けないくらいの音でお腹が鳴る。このままじゃ家に帰る前に餓死――は、流石に大袈裟か。けど、気持ち悪くなりそうなのは確かだ。この時間じゃ購買に行っても無駄だろうし、カフェテリアに行こう。そう思って森の広場へ向かおうとしたんだけど……。

ヴァイオリンの音がした方を振り向いたら、何だか険悪な雰囲気を漂わせている二人を見付けてしまった。険悪っていうか……蓮君が怒ってる?日野さんにヴァイオリンを手渡して――って、え?じゃあ、あれは日野さんの??蓮君はそのまま行ってしまったし、日野さんはうな垂れて立ち尽くしたまま。

「どうかしたの?」

見てしまった以上は無視する事も出来なくて声をかけたけど、日野さんは随分落ち込んでいるみたいだ。人の楽器を弾かせてもらう事自体は、驚くほど珍しい事じゃない。でも、それで怒るなんて――何があったんだろう?気にはなるけどこれ以上聞くのはやめておこう。そう思ったのは、日野さんの顔が判り易かったから。『これ以上、聞かないで下さい』って感じで拒絶されてる。だったら無理に聞き出すような間柄でもない。

「抱え込むのも放り出すのも自分次第だよ」

それは、庄司さんの事といい蓮君の事といい、日野さんの行動に対して中途半端に関わってしまっている自分にも言い聞かせたような言葉。なのに――彼女は素直に受け止めた。

「……はい。あの――、ありがとうございました」

■□■□■

翌日、金曜日。校門を抜けて妖精像の辺りへ来ると、何だか妙な感じがした。ここ最近、これでもか!ってくらいに光を振り撒いていた妖精像がくすんで見えるんだから、それもその筈。――って、納得してしまう方が妙な気もするんだけど――何かあったのかな?これだけ早い時間なら人も殆ど居ないし。そう思ってリリを呼んでみたら直ぐに反応があって、つい拍子抜けしてしまう。

「おお!ではないか。おはようなのだ!」

珍しいだの漸くお前も我輩と仲良くする気になったのだな!だの。蓮君の声が聞こえたのは、リリを呼んだ事を少し後悔し始めた時だった。

「おはよう、さん。すまないが、リリに聞きたい事がある。良いだろうか?」

特に用があったわけじゃないから、私は教室へ向かおうとした。けど、リリの大声が聞こえて――つい引き返したんだ。日野さんのヴァイオリンが、リリの作った魔法のヴァイオリン??蓮君はそんな冗談を絶対に言わないタイプだし、私も耳の良さには自信がある。でも魔法なんて……そんな非現実的な物があるわけ――。うん?……あるのかもしれない。目の前に浮いてるリリを見たら、そう納得するしかなかった。

そうか、昨日怒っていたのはこの事だったんだ。潔癖なくらいに真面目な蓮君が怒るのは、解るような気がする。

「彼女の技術の低さを魔法のヴァイオリンで補っているのなら――」

どれだけ日野さんが練習しても、自力で演奏してないのなら。それは確かに、他の参加者に対する侮辱とも取れる。

「我輩、そんなつもりではないのだ。それに魔法のヴァイオリンは――」

だけど、リリの言うように全てが魔法の力じゃないのなら……。たとえ実力が低くても、日野さんの努力は認められるべきだ。

音楽を志す人間にとって日々の練習は欠かせない。その積み重ねが演奏技術を磨き、自分の音楽を作るんだから。でも、音を奏でるのに必要なのはそれだけじゃない。もちろん楽器の違いも音に出るものだけれど、物質的なものじゃなくて……その人の心とでも言うのかな?それは、少なからず日野さんも持っていると思えるから――。

■□■□■

日野さんが魔法のヴァイオリンを使ってコンクールに出場しているのなら、それは参加者全員――いや、参加者だけじゃない。聴衆に対しても失礼な事だと腹を立てていた。

「あのさ、蓮君。たとえ彼女を認められないのだとしても、辞退しろっていうのは間違ってると思うよ」

俺が足を止めたのは、彼女に意見したかったからじゃない。なぜ彼女が俺を間違っていると思うのかを、知りたかったからだ。俺と同じように音楽を志している彼女が、魔法のヴァイオリンを否定しないのは何故なのか。

「君がどう思おうと俺には関係ない。だが、何故君は彼女を庇う」

リリや日野さんのしている事を知っても尚、コンクールに参加する資格があるとでも言うのか?その問いに正解と呼べる答えが無いのだとしても、俺は彼女の答えを聞きたかった。

「認められないのなら、ステージで示せば良い。――でしょう?」

彼女への評価は、聴衆が決めてくれる。日野さんが魔法のヴァイオリンの力だけで曲を奏でているのなら、それは心を伴わず、いずれ失われる音だと君は言う。認められないのなら自分の音で示せば良い、と。

「……そういう考え方もあるんだな。だが――」

それでも俺は、日野さんを認める事は出来ない。そう言った俺に自分もそうだと微笑む君を、不思議な人だと思った。俺には理解出来ないその思考は、とても柔軟なようで……。それでいて、揺るぎ無い信念が感じられたからなのかもしれない。

「努力は自分を裏切らないし、答えは結果が教えてくれるよ」

登校する生徒達が増えてきたのを期に、話はそこで切られた。練習室へ行くのなら一緒に行こうと誘う君は、きっと知らないだろう。俺の感じていた苛立ちを静めてくれたのが、君だという事を。

■□■□■

放課後、練習室へ行こうと席を立った途端。教室の扉が開いたと同時に元気な声と一緒に飛び込んで来た和樹君の提案は、正直に言えば無謀だと思った。

「色んな話をすればもっと仲良くなれるだろうし、楽しいコンクールに出来ると思うんだ!」

和樹君が言っているのは、正しい考え方なんだと思う。うん、思うんだけどね……コンクール参加者の個性を考えるとなぁ。梓馬君はもうオーケーしてるっていう事だから問題無いとして。志水君は……うん、十中八九参加する。日野さんと冬海さんは、きっと断ろうとも思わないだろうな〜。けど――。蓮君は断りそうだし、土浦君は……蓮君次第って感じ。

「うーん……じゃあさ、月森君達にはおれが知らせるから」

私は断る理由も無いから構わないって答えたんだけど、いつの間にか連絡係になっていた。参加者同士の親睦を深める為のお茶会をして、その後は――。お互い、共同練習出来るようにしようという和樹君の作戦を実行する為に。

■□■□■

見慣れた風景の中に、見覚えのある女の子達が三人。おれが一番彼女達に会うのは、この正門前広場かもしれない。彼女達に声をかけながら、そんな事を思ってた。

「あ、王崎さん。こんにちは」

日野さんや冬海さんも挨拶してくれたんだけど、何だか緊張しているみたいに見えて。どうかしたのかって尋ねたら――。

「そうか、それは楽しそうだね」

でも、どうしてそれで緊張しているのか……。おれにはよく解らなくて、少しでも参考になればと思ったんだ。おれの出場した、三年前のコンクール。その時の仲間達と一緒に練習した事や、コンクール開催中の事。勿論、コンクールが終わった後の事も。とても楽しくて色々な事を経験出来たし、その経験は、今のおれの音楽を支えてくれている。だから、今回コンクールに参加しているきみ達も、そこから得られるものが、きっとたくさんあると思う。

「緊張する必要なんて無いんだ。ただ、音楽を楽しむ気持ちを忘れずにいれば」

一人の時でも、仲間と一緒の時でも、それは大切な事だ。音を楽しむ。それが音楽なんだから。

「そうか――和樹君って……王崎さんと似てるんだ」

和らいだ表情で頷く二人とは反対に神妙な顔付きで呟くちゃんの事は気になったけれど、待ち合わせに遅れそうだと走って行く後姿を見送る事しか出来なかった。



     

************************************************************

大人組の短編が書きたい今日この頃。





橘朋美







FileNo.010 2010/4/22 ※2010/10/15修正加筆