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「あっ、お……おはようございます、先輩」

演奏会以来、少し慣れてくれた筈の冬海さんも、流石に今日は駄目みたい。学内コンクール初日、第1セレクション直前ともなれば当然なんだろうけど……。

「おはよう。深呼吸でもして、もっとリラックスした方が良いよ」

素直な返事とほぼ同時に深呼吸を始めた冬海さんを背に、髪を纏める。私だって全く緊張していない訳じゃないけど、自分以上に緊張している後輩の前でそんな素振りを見せたくない。それに、これは試合前の緊張感と似ている。無理に平静を保とうとしなくても心地良い緊張感を感じられるから、今はただ、この緊張感を楽しめば良い。日野さんが控え室に入ってきたのは、私が着替えようとしていた時だった。

「おっはようございまーす!」

けれど、聞こえてきたのは緊張感の欠片も無い耳慣れた明るい声で……その横で小さくなっている日野さんの声は、少し遅れて耳に入った。

「おはようございます。直前インタビューをしたいって言われちゃって……」

■□■□■

本番直前にインタビューがなんてあるとは思っていなかったから、流石に私も驚いた。着替えながら簡単な質問に答えるだけでも!と懇願され仕方なく頷けば、天羽さんは大袈裟なくらいに喜んで礼を言う。これだから、彼女の事は何となく憎めないんだろうな。

「それじゃ、先輩。ズバリ、今の心境は?」

「楽しみだし、少し緊張してる。試合前と似てるね」

少しひんやりとした滑らかな感触が伝わってくるホルターネックのパンツドレスに身を包めば、自分が冷静になっていくのが判る。今日演奏される楽曲は?っていう質問にはプログラムが配られるまでのお楽しみと答えて、通学用の革靴をローヒールのパンプスに履き替えた時。良いタイミングで、コンクール開催のアナウンスが流れてきた。

「最後にもう一つ!自信の程は?」

「さあ?それは全員の演奏を聴いてからでなきゃ判らないな」

「ありがとうございました!演奏頑張って下さい!」

そんなに大きな声を出さなくても聞こえるのに。苦笑いを浮かべながら控え室を出れば、金澤先生がこちらへ向かってきた所だった。隣の男子用控え室の前には、王崎さん。先生は一番手の私を。王崎さんは、二番手の志水君を呼びに来たんだ。”おはようございます”と挨拶をすれば、いつものように”おはようさん”と返される。

「準備は出来てるみたいだな。ま、気楽に頑張れや」

「はい。じゃあ、行ってきます」

未体験の場に足を運ぶのは、それなりの緊張感を私に与えていたらしい。舞台袖に行けば良いのは判っていたけど……左右どちらに向かえば良いのかを、私は知らなかった。慌てて先生に尋ねると、その為に俺が呼びに来たんだがなと笑われる。幸先が良いのか悪いのか――ともかく、幕は切って落とされた。

■□■□■

「ああ、ちゃんの演奏が始まったね」

「あ、おれこの曲知ってる。ガーシュウィンの……あれ?何ていう曲だっけ??」

「サムバディ・ラヴズ・ミーですよ、火原先輩」

控え室のスピーカーから聞こえていたセレクションの説明が終わって、の演奏が流れ始めた途端に二人が反応する。この曲は、華やかながらも落ち着きがあって耳馴染みが良い。今回のテーマにもよく合っているしな。まあ、音楽科に三年も在籍しているんだ。これぐらいは当然だろうが……。第1セレクション、しかも一曲目に演奏される楽曲としては――悪くない選曲だ。

「じゃあ、俺もこれで」

「そうだね。ああ、伴奏の子は舞台袖で待っている筈だから。

「月森君も頑張って!」

月森に対してかける声なんざ無い俺は、完全にやられたと思いながら先輩の演奏を聴いてた。あの時、練習室で俺はエンターテナーを。あいつはアイ・ガット・リズムを弾いた。セレクションでは違う曲を弾くと決めた俺にお互い手の内を明かした事で相子だと言い、変更する必要は無いと言っておいて――まあ俺はそれを受け入れなかったんだが――しっかり自分も変更してくるとはな。しかも短期間でこれだけ弾けるって事は、これまでによほど弾き込んだ曲なのか最初から二曲練習していたか。何にせよ、恐れ入ったぜ。

「月森君の次に演奏するのは――確か、冬海さんでしたね」

「うん、そうだね。ほら、火原君もそろそろ用意しておかないと」

「えっ?もうおれの番??何か早いなあ」

ちゃんの次は志水君のサパデアートか〜。……うん、やっぱりこういう曲って良いな。元気になれるって言うか、ワクワクする。やっぱりこういう楽しい時間って、過ぎるのが早く感じるのかな?あ、そっか。コンクールに出るのは初めてだけど、仲の良い友達や後輩達と一緒なんだから楽しくて当たり前なんだ!おれ、本当にラッキーだったな。今年コンクールが開かれて、それに出られて。

「良し、準備オッケー!火原和樹、行ってきます!!」

「頑張って、火原」

「期待してますよ」

■□■□■

直ぐに控え室へ戻る気にもなれなくて、舞台袖で志水君の演奏を聴いていた。直に蓮君が来て、舞台が拍手に包まれる。階段前でお疲れ様と志水君を迎えれば、徐々にその場が静寂に包まれて。

「次は蓮君だね。良い演奏を」

「ああ。……じゃあ」

志水君と入れ替わりにここへ来た冬海さんは、まだ随分緊張していた。クラリネットを両手で胸の前に抱えて、少し青褪めているのが判るくらい。コンクール出場経験はあるって言っていたけど、いつも緊張してしまうとも言ってたっけ。

「緊張してるみたいね。舞台に上がる時は、誰でもそうなんだろうけど」

「あ、その……すみません。――あ、あの!先輩の演奏、とても素敵でした」

冬海さんのこんなに嬉しそうな声は、初めて聞いた気がする。それに、あんなに明るい笑顔も。勇壮な闘牛士の歌を耳にしながら、ありがとうと返した何分か後。冬海さんを舞台に送り、控え室に向かった私を待っていたのは――とんでもないハプニング。

■□■□■

志水君が戻ってきたのは、冬海さんの演奏を背に舞台袖を出ようとした時だった。

「あれ?どうしたの、志水君。さっき控え室に戻ったんじゃなかったっけ?」

「何か忘れ物でも?」

「いえ。金澤先生に頼まれて……」

何かあったのかと話を急かす火原先輩を余所に、志水君はいつもどおりの調子で話を進める。状況とはそぐわない様子を保ったまま……。日野の伴奏者の姿が見えず、さんが探しに出た――と。

驚いた火原先輩は自分の出番が迫っているというのに探さなければと慌て、それを止めた流れで、俺もその伴奏者を探す事になってしまった。

「じゃあ、僕も……この辺りを探してみます」

「ああ。俺は一度、金澤先生に詳しく話を聞いてこようと思う」

控え室に向かう途中で土浦と擦れ違う。一瞬目が合ったが、特に言うべき事は無かった。それは当然、向こうも同じだったんだろう。

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確か、音楽科の一年生で。あれ?同じクラスの人――だったかな?名前は……長司?……妙寺?…………違うかもしれない。

控え室に戻ったら、丁度、金澤先生が居て。日野先輩の伴奏者が居ないって。もうじき演奏の順番なのに、待機場所にも、講堂にも。日野先輩、困ってるだろうな.。

「どこへ行けば、見付けられるのかな……?」

本当は、全員の演奏を最後まで聴いていたかったのに。それは後で録画した物を見せてくれるって言われて。他の人達はまだ演奏しなくちゃいけないし、僕と先輩は、もう演奏を終えているから……伴奏者を探しに行ってくれって。その人がどんな人なのかよく判らないまま、金澤先生に言われたように月森先輩にも伝えて。冬海さんの奏でる愛の喜びを聴きながら、講堂を出てた。



     

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各キャラが演奏する曲は、ゲーム本編で使われている中から自分好みを物をチョイス。
主人公の演奏曲は、完全に趣味に走っています。

※サムバディ・ラヴズ・ミー
1924年、ジョージ・ガーシュウィン作。同年、ミュージカル「スキャンダル」で初演された。1919年から1939年まで約20年続いたジョージ・ホワイトが主宰したバラエティ・ショウに提供された作品でもある。
※アイ・ガット・リズム
ジョージ・ガーシュウィン作。1930年、ミュージカル「ガール・クレイジー」から生まれた作品。
2fアンコールで使用されている1924年作「ラプソディ・イン・ブルー」は、ジャズとクラシックの融合と称される。





橘朋美







FileNo.008 2009/12/12 ※2010/10/14修正加筆