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空は快晴、風は微風。絶好の外出日和になった土曜日。上目遣いで恨めしそうに見詰めるヤマトの頭を撫でて、庭を抜ける。私だって遊びに行きたいんだけどね。なんて、心の中で呟きながら。

「行ってきまーす」

ホームパーティーに招かれているんだから、早めに戻って来るんだぞ。そう言って手を振る父に、門で別れを告げる。加地家でのホームパーティーは大概が春か秋に開かれるから、葵君に会うのは約半年振りになる。今週はゴタゴタしていて忘れかけていたけど、良い息抜きになりそう。

「おはよう、さん。君も学校へ行くのか?」

決まった時には全く気の乗らなかった演奏会も今ではそれなりに楽しみで、交差点で会った蓮君にも軽く話せるから不思議。そうだなぁ……強いて言えば、人に聞かせる練習だね。一瞬不思議そうな表情になったのを見て経緯を簡単に説明すると、思った通り、冷静な返事が返ってくる。

「そういう人達を相手にする必要は無いと思うが」

まあ、確かにそれはそうなんだけどね。あの場で黙っている事は出来なかったし、実際練習にもなるから。あ、そうだ。時間があったら蓮君も聞きに来る?殆ど冗談で誘ったんだけど、その返事は意外にも承諾の意を示していた。

■□■□■

「おはようございます。講堂の鍵を借りに来たんですが……」

扉を開けて首を突っ込むようにして中を覗いてみると、そこに居た先生は一人だけ。名前も顔もよく知らない。多分、普通科の先生。

「ああ、金澤先生なら直ぐに戻ると思うよ。っと……ほら、後ろ」

振り向けば、そこにはいつも通り無精髭にポニーテールで白衣の先生が……って?!もしかして、これが面倒臭いって言ってた理由?ほんの数瞬で一気に考えたわりに、口をついて出たのは一言だけだった。

「何でって……そりゃ、使用許可を出したのは俺だからな」

そういう時、教師には漏れなく”監督責任”ってのが付いてくるんだよ。俺の貴重な休日を潰してくれたんだ。それに見合うような良い演奏を聞かせてくれよ?

私の申し出は先生にとって休日出勤を強要されたようなものだと知って思わず本気で謝ったのに、してやったりって感じの笑顔でプレッシャーをかけるなんて。けど……やっぱり教師なんだと感じるアドバイスをくれるのは、正直有り難かった。

「お前さん、人前では殆ど演奏した事が無いらしいな。軽いプレッシャーと緊張感ってのは、良い演奏に繋がるもんだぞ」

確かにそうなんだけど……本当は、人前での演奏経験が無い訳じゃない。ただそれは、極内輪のパーティーだったり、手伝いで老人ホームや病院なんかの慰問に行っただけの事。

「先生。……質問しても良いですか?」

当然いつもの返事が返ってきたんだけど、それに構わず言葉を続ける。自分の演奏が人を喜ばせていると感じた事があっても、それはコンクールで得られる評価には全く値しないものですか?と。私はピアノを弾く事を楽しいと思っているし、好きだとも思っている。けど、人に評価して欲しいと思った事は殆ど無かった。勿論、極一部の人達を除いて。ピアノを弾いて、それを喜んでもらえた時の感情は温かい。コンクールでの評価が自分に何を感じさせてくれるのか、まだ判らない。だけど……進路を決定する時期になって、今回のコンクールに出る事になって。少しだけ、他人の評価というものを知りたくなった。

「それは、難しい質問だな。だが……そうだな。要は、お前さんの気持ち次第って事だ」

人を喜ばせたいだけなら、評価は要らないだろう。自分の音楽を認めてもらいたいのなら、評価無しでは居られない。お前さんは、何を望んでいるんだ?

「私の……望み?」

何だろう?よく判らない。ピアノを弾くのは楽しいし、好きだけど……弾く事を望んでいるんだろうか?それとも、弾く事によって何かを得たいと望んでいるんだろうか?

「ま、考えるのは後にするんだな。ほれ、お前さんの事を待ち構えてる奴が居るみたいだぞ」

■□■□■

講堂の使用許可は、九時から十二時まで。今の時間は九時を数分過ぎたトコ。そこに待っている人なんて、見なくても判ると思ってた。私は鍵盤の状態に合わせて指慣らしをする為。日野さんはチューニングの為。早目に来ているのは当然なんだけど……。

「おっはよ〜ちゃん。って、何で金やんが居るの??」

いや、それ……私が君に聞きたい事なんだけど。何となく想像のつく答えを聞かないまま挨拶をして日野さんに声をかけてみれば、やっぱり緊張しているみたいだった。舞台に上がって客席を見ている様子は何だか前に会った時よりも縮こまって見えるし、講堂へ入る時の足取りも重そうに見える。

「うっわ〜。講堂って、人が居ないとこんなに広く感じるんだね!」

和樹君が普段よりも陽気に振舞っているように見えるのは、きっと日野さんの緊張を解そうと気遣っているんだろう。だけど、それは殆ど無駄でしかないと思う。引き攣った笑顔を貼り付けたままヴァイオリンケースを抱えて突っ立っているんじゃね。私が何か言ったとしても無駄かもしれないけど、黙って見ている訳にも行かないし。だけど……ホント、こういうのは苦手なんだよなぁ……。まともに弾けない状態なら、ここに居たって仕方が無い。無理に弾いたところで、彼女達に馬鹿にされるのがオチなんだから。だったら今の内に帰れば良い。後はどうとでも誤魔化しておけるし。

「怖気付いたのなら帰った方が良いよ。自信が無いのなら、尚更ね」

何かに弾かれたみたいに私を呼んだ和樹君は、直ぐに日野さんを慰めている。金澤先生はピアノの横から冷たい表情でこちらを見ていて、当の日野さんは、さっきの姿勢のまま俯いてしまった。

「……すみません。大丈夫です」

あまり大丈夫そうには見えないけど、顔を上げてくれただけマシなのかも。それに、これ以上は日野さんの決める事だ。じゃあ、早くチューニングして指を慣らしておいた方が良いよ。自分もピアノに向かいながらそう告げれば、意外と直ぐに反応していた。正直言って、日野さんがヒステリックに泣き喚いたりしないでくれたのは助かった。こっちだって、コンサート・グランドを弾くなんて初めてなんだから。

「お前さんも指慣らしか。ま、頑張れや」

何だか見透かされているような居心地の悪さはあったけど、この先生が悪戯っぽくニヤリと笑うと、それも気にならなくなる。ええ、と答えながら大屋根を固定して蓋を上げれば、整然と並ぶモノトーン。自分のピアノに慣れた指が、講堂のピアノでどれだけの音を出せるだろう?指一本で鍵盤を押してみれば、反応が――音が似ている。

「良かった……。これなら充分に弾ける」

それから約束の時間までは早かった。日野さんはずっと同じ曲――ガヴォットを引き続けていたけれど、私は次から次へと違う曲を弾いていった。よく似た響き方をするこのピアノが、鍵盤を叩く指が、どんどん違和感を感じなくなる。それがただ楽しくて、嬉しくて、気持ち良かった。同じ速さで増えていった聴衆にも気付かないくらいに。

■□■□■

「まったく、ツイてないよなあ」

「事故じゃ仕方ないだろ。さっさと帰れるだけマシと思えば良い」

キャンセルされた練習試合の事よりも、セレクションで弾く曲の事が気になる。なんて――口が裂けても言えやしない。着替えて校門を出る頃には、頭の中は編曲の事で一杯になってた。編曲の必要なコンクールなら、然るべき期間ぐらい設けておけっていうんだ。しかも他の参加者達よりスタートラインに立つのが遅れた上に、ピアノとヴァイオリンは同じ楽器の参加者まで居るときた。あの羽付きに無理矢理引っ張り込まれたとはいえ、負けるのは癪だからな。少しでもベストな状態に持っていかないと……。

「あ、やだな〜ぁ。そんな露骨な顔しなくても良いじゃない」

「悪かったな。根が正直なんだよ、俺は」

思考を止めたのは、コンクール参加が決まって以来しつこく付き纏ってくる天羽だった。普通科からの参加者は二人。そのどちらもが音楽科からの参加者と同じ楽器で出場。そしてそれぞれが異性同士の対決。これだけの話題性に富んでいるんだから、インタビューしない訳にはいかないってのが天羽の言い分だが、そんなのは俺の知った事じゃない。これまでだって、誰にもピアノの事は話した事が無かったんだ。ただでさえコンクールに出る事で外野が煩いってのに、これ以上騒がれて堪るか。

「あれ?講堂に行くんじゃなかったんだ。ふ〜ん……ライバルに興味無し、って感じ?」

「何を言ってやがる」

含みのある顔で覗き込んで何を言うかと思えば……コンクール参加者の女子が講堂で演奏?時間は十時からって――もう二分も無いじゃないか。言うだけ言ってさっさと走っていったって事は、天羽もそれが目当てなんだろう。時間が惜しいのは山々だが…………敵情視察ってのは、しておいた方が良い。そんなこじ付けの理由を自分に言い聞かせながら講堂の扉を開けた時には、疾っくに演奏が始まっていた。そこに居る面子や聴衆の数にも驚いたんだが、これは……。

「何だってアンサンブルなんか」

「なんだ、やっぱり気になってたんじゃない」

楽器はピアノにトランペット……で、ヴァイオリンがメインか。気が散るから演奏中に撮影しないでくれと言われたって事はどうでも良かったんだが、聞きもしないのに状況を語ってくれる奴ってのも、偶には便利なもんだ。

弾き始めた途端に野次が飛んでまともに演奏出来なくなった日野を、先輩と火原先輩が助太刀してるらしい。まあ今はそれなりに聞けなくも無いが、確かにソロじゃキツそうな感じだな。それにしても、これがアドリブの出来だっていうのか?だとすれば、しっかり練習した日にはかなりの出来になりそうだ。

「こんなの……アンサンブルだなんて卑怯だわ!」

「ソロで、という指定はされていなかった筈だけど?」

パラパラと散る拍手に交ざって聞こえたのは、かなり不愉快な一言だった。だが、その後の遣り取りには……どこか胸が空く思いがしたな。女達の遣り取りってのは、大概聞いてて嫌気が差してくるもんなんだが。あいつ――先輩の返す言葉には、小気味良さまで感じるくらいだ。途中で柚木先輩の一言もあったからか、結局勝てないと思ったんだろう。文句をつけていた三年の女子は、捨て台詞みたいな一言を投げてから黙った。けどそれは、何の意味も無かったんだよな。動揺する様子も無くピアノに向かう所を見れば、そんなのは一目瞭然だ。

「それじゃ――って、うわ」

「お手並み、拝見させてもらうぜ?」

■□■□■

私が弾き終えた時には、もう殆どの人が居なくなっていた。最後まで残っていたのは、コンクール参加者と数人の音楽科……で、ピアノ専攻の生徒っぽい。それに天羽さんと金澤先生。まあ十分以上かかる曲なんだし、当然と言えば当然なんだろうな。

「フォーレのバラード、19番か。よく指が足りたな?」

「そりゃ私だってリストと同じように指が十本あるからね〜」

最初に声をかけてくれたのは、演奏直前にいきなり声をかけて驚かせてくれた土浦君だった。セレクションの候補曲を外しておいて正解だったな〜。なんてホッとしていたら、冬海さんや志水君が嬉しそうにこっちへ来てくれる。蓮君は黙って出ていってしまったけど拍手してくれていたのは見えたし、和樹君は随分はしゃいでいて、梓馬君は相変わらず卒が無い。何だかそれが、凄く嬉しかったんだ。

「火原先輩、先輩。ありがとうございました」

「どう致しまして。けど、本番ではソロなんだからね?」

暗にもっと練習した方が良いと告げたんだけど、多分、通じたんだと思う。演奏する前とは違って、目にも声にも覇気がある。例の彼女達は、私が弾き始めて直ぐに帰ってしまったらしい。取り敢えず、納得したという事なんだろう。

■□■□■

十二時になる少し前。みんなそれぞれ下校して、私はどことなく浮かれたまま歩いていた。それは、これまでに無い満足感で満たされていたからだと思う。

「お手数かけました、金澤先生」

「まったくだ。だが……中々良かったよ、お前さんのピアノ」

職員室で書類を書いてお礼を言えば、意外な言葉が返ってきて驚いた。けど、それを素直に喜べた自分には、もっと驚いた。私は、きっと……。

「どうだ、。今朝の答えは見付かったか?」

「ええ。何となく……ですけど」

最初はそんなもんで良いんだと言って書類で頭を叩かれても、一人前になるにはまだ何年もかかるだろうと言われても、消えない。この満足感が、私の答えなんだと思う。



     

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※コンサート・グランド<< 講堂のピアノがコンサート・グランドなのは勝手な設定です >>
フルサイズのグランドピアノ。全長2.2m〜3m。一般的には専用ホールなどでの演奏会で用いられる。因みに、主人公と土浦が普段使っているピアノはパーラー・グランドという全長1.7m〜2.2mの物という割とどうでも良い設定もあります。

※フォーレのバラード19番
フォーレ作、バラード 嬰ヘ長作品19。ピアノ独奏用の難曲で、リストに「指が足りない」と言わしめた。あまりに難し過ぎると言われた為にピアノと管弦楽の為の協奏的作品版も作られたのだとか。

加地家でのホームパーティーは、いずれ番外編で書こうと思っています。
さ、次は第一セレクションにいきましょうか。





橘朋美







FileNo.005 2009/8/29 ※2010/10/14修正加筆