熊野の中立を取り付けた私達は、急ぎ紀ノ湊への道を辿っていた。船の数を揃えられそうだという経正に会って、今後の体制を整える為に。けれど、その前に一つ約束があった。この機会を逃せば、もう会えないかもしれない。そう思うと……。将臣と私は紀ノ川付近で望美達を待ち、吉野まで同行する事にした。
生きてりゃ何とかなる。将臣は、よくそう口にする。都を追われ、逃げる平家の者達に。そして、望美や譲にも。私には、とても言えない言葉。この世界に流されてからというのもの、何度も危険な目に遭った。それは時に命にも関わる事で、生きているだけでは何の役にも立たなかった。生き抜くだけの力と強い意志が無ければ、生きている事さえも難しかったのだから。そして袖振山を抜け、吉野の里へ。そこで私達を待っていたのは、避けようのない別れ。
◆◇◆◇◆
野盗と間違えたほどの私達を、里の人達は手厚くもてなしてくれた。里の周囲に本物の野盗が居るかもしれないという、望美の意見を聞いても。そして――警戒していた私達の目を掻い潜って、家や田畑に火が放たれた。将臣は里の者を逃がそうとする望美達を助け、私は野盗を追った。ささやかな幸せを踏み潰した奴等を許せなくて。そいつ等を皆殺しにしても里が元通りになる事は無いと解っていても、せめて後の憂いを絶つ為に。私が里に戻った時には、既に火は消されていた。夜明け前、別れまでの僅かな時間。それは最も暗く、このまま陽が昇る事は無いのではないかと思うほどの深い夜。
「ちゃん!良かった。さっきまでずっと姿が見えなかったけど、どこに…」
「奴等を殲滅してきた。少なくとも暫くの間、この里は平気だと思う」
そう告げる私を、望美は否定した。相手を殺すだけでは何も解決出来ない?根本から変えなければまた同じ事が起こる、それは確かだ。だからこそ、私は奴等を殲滅してきた。そうじゃなく、野盗を作り出している戦を止めなきゃならない?望美の言っている事は、私には理解出来なかった。これまで――私は七年以上もの間、事ある毎に手を打ってきた。そして、思い知るしかなかった。三十年も続いている戦を止める事など不可能なんだと。清盛は平家が実権を握る事を諦めず、朝廷や頼朝はそれを許さない。それでも――。平家が源氏の手を逃れ、落ち延びる事が出来れば。少なくとも今の戦、源平の争いは終わる。だから……私達は望美達に別れを告げた。一刻も早く、手筈を整える為に。
◆◇◆◇◆
紀ノ湊に着いてから。私達は軍船の数を限界まで減らし、御座船の護衛に回した。怪我の軽い兵達はその警護に付け、少しでも多くの漕ぎ手を集める。逸早く現状を脱する為に。そして、一ノ谷で将臣が撤退を指示したお陰でその数は保たれた。その後、一ノ谷の防衛に参戦しなかった兄上の動向が判るまでの間。事は順調に運んでいるように思えた。大輪田泊から沖へ逃れたその夜。私達の前に現れた兄上は、不穏な言葉を残して船を後にした。兄上が自分なりに事を成そうとしていると言うのなら、それは――落ち延びる手段を講じている私達とは相容れないもの。将臣と経正が話している横で、私は決意を固めようとしていた。たとえその相手が兄上であろうと、迷わずに戦う決意を。
そんな決意など、無駄になれば良い。父上の息子であるあの人と戦うなど、杞憂で終われば良い。どれだけ願おうと叶えられないだろう望みは、七年目の秋に打ち砕かれた。兄上が諦めてくれれば。そう判っていても、止められない。かといって、私が止まる事も出来ない。悲しいほどに父上を慕い、強さを求めていた人。せめてその苦しみから解き放たれてくれれば、それで良い。将臣の声が聞こえるまで。私は、ただそこに立ち尽くしていた。それが、兄上の最後だった。
「私が知っているのはそれだけです。その後の事は、六代殿もご存知でしょう」
冬。平家は屋島を捨て、彦島へ。戦の趨勢は、最早明らかだった。このままでは、ここで平家は負ける。ただの一人も……落ち延びる事など出来ないまま。それを判っていても――。父上や兄上の事を思えば、諦められる筈がなかった。
「どうして……」
泣きそうな顔で見上げるこの子は、何を問いたいのだろう。促すように首を傾げてその目を見れば、消え入るような声で尋ねる。
「あなたは……殿は父上を、恨んではいないのですか?」
「ええ。恨む理由など、私にはありませんから」
私の返事に目を見開いていた六代殿を怯えさせたのは、野犬の呻り声。火が弱まった所為で、また集まってきたのかもしれない。
「殿?!」
生前の兄上によく似ている。この子が山羊を置いては行けないと言った時、そう思った。腰に佩いた太刀を抜いて目を凝らせば、闇に紛れる野犬が十……十一。この程度なら充分に追い払える。けれど、六代殿には近付けられない。大型野生動物の危険性という不安要素もある。だとしても――何もせずに襲われれば、命まで危うくなるだろう。
「山羊は六代殿に任せます。頼みましたよ」
その時返された声は、これまでに聞いた六代殿の声の中で最も力強いものだった。
◆◇◆◇◆
音も無く暗闇に躍り出た殿の姿は見えず、太刀が風を切る音に何度も息を呑む。蹲る山羊の首を抱いたまま、どれほど過ぎた頃でしょう。甲高い鳴き声が遠ざかり、辺りが静けさに包まれた時でした。
「無事ですね、六代殿」
「はい!山羊も……山羊も無事です!」
戻られた殿にそう伝えれば、月明かりの中で微笑み腰を落とした後こう仰ったのです。私が――山羊を守ったのだと。腰を落とし、力強く……ですが、静かな声で。
「………………」
「ですから……。私が――いけなかったのです」
片手で髪を掻き乱し、大きな溜息を一つ。私は、この方にご迷惑ばかりかけている。今この時も、こちらへ来た事すらも。足手纏いにしかなっていない。
「もういい」
「っ……ごめんなさ…」
私が何を恐れているのか。何故、還内府殿や殿と接する事が出来ずにいたか。その話を打ち切るように告げられた一言はとても大きく、絶望というものを思い起こさせました。私に苛立っておられるのは当然の事だとしても、悲しくて……我が身が情けなかったのです。

************************************************************
(壁紙:WhiteWind/星田さま)
何とか次でラストです。
これが終わったら本編を書かねば!
橘朋美
FileNo.114_04 2009/12/12 ※2010/10/10修正加筆 |