残月



戦場から兄上を探しに出た私は、熊野に辿り着いた。そして兄上を説得出来ないまま――。その後、邸へ戻った私は清盛によって幽閉されてしまったのだけど。翌日にはそれを抜け、闇守の里へ身を隠し、兄上の遺体を捜すよう命じた。けれど、時既に遅く……。那智の滝に身を投げた兄上の遺体は、葬られる事無く清盛の元へと送られていた。それが意味するのは、唯一つ。この世への未練が強ければ、兄上は怨霊として甦る。私は、そんな事をさせたくなかった。死んでしまった後まで苦しい思いをさせるなんて事を、誰が望むのか。けれどその願いは通じる事無く、兄上は怨霊として蘇ってしまった。

再び平家に戻った私を迎えたのは、怨霊と化した兄上と清盛。そしてその側近の者達だった。本来ならば怨霊と化した者は正気を保つのも難しく、敦盛と清盛以外の者達は、怨霊使いの力を持ってしても完全には制御出来ない。それを可能にしたのは、清盛が甦った時に割れてしまった八尺瓊勾玉だった。怨霊としての身体に必要なだけの陰気を蓄えた勾玉の欠片は、兄上だけでなく、義仲追討の際に散った何人もの将に与えられた。一人、また一人と。それからも、清盛によって死返の儀が何度も繰り返されたのだ。経盛、教盛、そして経正までもが――死して後、甦った。それでも、父上だけは甦らないまま。清盛を止められる者は最早この世には居らず、福原遷都の後、平家一門は解官された。かつては追討を命じられていた義仲によって追討される側に落ちたその頃。小松内府殿が甦ったようだ。還内府殿だと、将臣が慕われるようになっていた。それはきっと……苦境の中で周りを励まし、苦楽を共にし続けた結果だったのだろう。

兄上の様子に違和感を感じたのは、倶利伽羅峠の戦いでだ。元より、軍を率いる大将としての才は高くなかった。それでも……あれほど無茶な指揮を執るような人ではなかったのに。本陣の兵を全て差し向けた結果、義仲の計略に嵌り……多くの兵達が谷底へ消えた。その最中に経正は討たれ、帰還した私達に兄上は言った。

『私はもう、昔の私のような弱者ではないのです』

その顔に昔のような優しさは欠片も無く、その目には憎しみだけが宿っていた。それは、父上の庇護を受けてきた私と清盛の庇護を受けている将臣に向けられ、何よりも、弱い者――昔の兄上自身に向けられていたのだろう。日に日に強くなっていった違和感が最大に達したのは、将臣が還内府と呼ばれるようになった頃。あの優しかった兄上がヒステリックに喚く様子を見て、私はただ、悲しかった。

◆◇◆◇◆

私がこの世界に流されてから、丸六年。備中水島での戦いは、平家の勝利に終わった。その一月後。義仲から和議の提案が持ちかけられたのは、恐らく後白河から見切りを付けられると踏んだからだろう。だが、それを善しとする者は平家に居なかった。その半月ほど後には義仲が挙兵し……そして、年が明けた睦月。忘れもしない―――二十日の事。宇治川の戦いで、九郎義経率いる源氏の軍勢により木曽は滅びた。

静観を決めていた平家は、それに関わる事無く過ぎる筈だった。けれど兄上は……怨霊兵を引き連れて宇治川へと赴き、京への足掛かりを掴もうとしていたのだ。それを止めようと急いだ私は、そこで二人の気を見付けてしまった。後に源氏の神子として名を馳せる白龍の神子、望美。神子を守る八葉。天の白虎としてこの世界へ呼ばれた弟、譲。私達を隔てる川は然して大きな物ではなかったけれど、立場を隔てる壁は厚く……その距離は、星よりも遠かった。

お祖父様の命だと言って兄上を宇治川から遠ざけ、福原に戻った時。頼朝に、平家追討の宣旨が下った。その後平家は福原に本拠を置き、源氏方との戦いが始まる。

春。後白河院への和議の打診は困難を極め、私と将臣は知り得る歴史の全てを利用すると決めた。少しでも良い。平家の滅亡を遅らせ、落ち延びる先を見付ける為に。その頃から、兄上と私達の確執は更に酷くなって行った。そして、清盛が将臣を息子――重盛だと信じ、重盛が黄泉から連れ帰った息子が私なのだと思い込んだのも、同じ頃。それは望ましい事ではなかったけれど、利用価値のある状況でもあった。戦の度に意見が食い違い、対立する事があっても。還内府の意見は尊重されたのだから。

◆◇◆◇◆

三草山での戦いでは空の陣を見破られはしたが、最終的には源氏方を退け、痛み分けに終わった。それは負けではなく、そしても勝ちでもない。兄上によって怨霊の本性を利用された敦盛は望美に遇い、その時から源氏方に付いた。それを知ったのは、夏――熊野での事。

四国の豪族達を味方に付けようと忠度殿が福原を離れた後、将臣と知盛は熊野へ。私と重衡は紀ノ湊へ足を運ぶ事になった。南へ落ち延びる手筈を整える為に手を回し、船を調達していた経正からの書状が届いたのは、将臣達と別れる直前の事。当初から帝や尼御前を乗せる為の御座船は問題無かったが、女や子供、船の漕ぎ手や兵達を乗せるには充分だと言えるほどの船は無い。況してそれだけの人数分の食料や備蓄物の数を考えれば……。戦の為の船を限界まで減らしても、その数は圧倒的に不足していた。

福原を出て船の調達をしたいと言う経正の為には、兄上を抑えるべく誰かが福原に留まる必要があった。平家の押さえている紀ノ湊ならば危険は無いだろうという結論に達し、重衡が。熊野は中立だと言っても、平家一門の者だと知れれば無事では済まない可能性もある。だが、棟梁の説得には還内府とその子が妥当だろうと。そして知盛は福原へ。熊野へ向かった私達を待っていたのは、源氏の御曹司一行。景時とヒノエが同行している以上、私の正体は明らかな筈。出来れば私は、その場から逃げ出したかった。かつての同胞である景時、面識のあったヒノエ、以前、私の肩に傷を負わせたリズヴァーン。弟の譲、そして敦盛。源氏の御曹司と軍師、龍神とその神子達。それに還内府と羅刹童子が加わった異様な一行の旅は、存外短いもので終わった。

◆◇◆◇◆

小さな火に照らされた殿の顔はとても真剣で、口を挟んではいけないような気がしていた。それでも私は、時折り尋ねる事を止められなかったのです。

殿……あの。その後、弟君とは…」

「そのまま分かれ、後に戦いました」

「そんな!それでは…」

「私が守るべき人は平家にあり、譲の守るべき人は源氏にあった。仕方が無かったんですよ」

還内府……将臣殿と殿はよく似ていると皆が言う。私も、初めてお会いした時からずっとそう思っていた。猛々しく堂々とした立ち振る舞いといい、誰に対しても毅然とした態度で接する事といい、私などでは想像も及ばぬほど――強い方達なのだと。けれど、こうして静かに語る殿は寂しげで……。そして、とても優しい。

「六代殿が悲しむ必要は無いんです。私はそうなると知っていて、その道を選んだんですから」

「でも、そんな……。それではあまりにも…」

「その結果が今を作っているのだから、私は後悔などしていません」

「……!では、殿は今、幸せなのですね」

ええ。と、ただ一言。とても穏やかな笑顔で答えてくれた殿の話は、その先も続きました。辛く悲しい思いもあったのでしょうけど……最後まで話して下さったのです。



     

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(壁紙:WhiteWind/星田さま)

多分、これで半分くらい書けたんじゃないかと。
あと二節で終わらせます。
相変わらず長い話で申し訳無い。





橘朋美







FileNo.114_03 2009/12/3 ※2010/10/10修正加筆