「敦盛が……せめてあなたにお礼を言いたかったと」
「……どういう事です」
「意識が無いのです。……目を開ける事もなく、魘されるばかりで」
「会わせて下さい」
「羅刹殿、そのお身体で無理はなさらない方が良い」
会ったところで、何が出来るという訳でもない。許しを請う事も出来ない。それでも、せめて傍に居る事は出来る。だけど、歩き出そうとした身体が傾ぐと同時に――意識が遠退いて行くのが判った。
「騒がしい事だ」
「知、盛――?」
「大人しく寝ていろ」
言われるまでもなく、私の身体は私の思い通りには動かなくなっていた。解らない事が多くて、自分自身すら解らない。何かを探している夢の中には、自分以外の全てが存在しなかった。
カ ク セ イ サ セ タ イ ノ カ
ワ レ ラ ハ ヒ ト デ ハ ナ イ
時折流れ込んできた掠れた声は……一体誰のものだったのか。
◆◇◆◇◆
目覚めるまで、暗い……漆黒の淵に佇んでいた。凍りつくような静寂の中で、私は何を求めていたのだろう。ただ穏やかに……安らかに……眠りについた筈だったのに。
「敦盛!……どうか目を開けておくれ」
最後に耳にしたのは、優しい兄上の悲痛な願いだった。抗う事など出来る筈もない死の床に就き、永久の闇に沈む。このまま逝くのかと思えば、強い力に揺さ振られるように……呼び覚まされていたのだ。
◆◇◆◇◆
薫る風を心地良く感じるようになった頃、六波羅を訪れるの姿が頻繁に見られるようになったのは何故か。常日頃こちらには寄り付かず、私達と共にある時ですら人目を憚るように押し黙ってしまうというのに。それに、あの剣幕は一体?
「何刻掛かろうと構わない。ここで待たせて頂くと伝えろ」
「清盛様の命に御座います。早急にお引取りを…」
「あなたが伝えられぬと言うのなら自ら伝えよう。そこを退いてもらおうか」
「……御自分の立場を解っておられぬようですな?卑しい身の程も弁えず…」
「そちらも口を慎んだ方が宜しいのでは?」
続く言葉を遮る為に割って入った。重盛兄上に取り入り、その座を手中に収めようとしているなどという莫迦莫迦しい流言。兄上が倒れて以来、殊更に増してきた誹謗中傷。それがの耳に届いていないとは思い難い。兄上亡き後も尚、それは止む事を知らずにいるのだから。
◆◇◆◇◆
そそくさと立ち去る男を一瞥もせず、何事も無かったかのように微笑みながら近付いてくる重衡。会うのは正月の宴以来か。それ以前も中々会う機会がなく、顔を見るのも随分久し振りのような気がする。少し見ない内に背が伸びて大人びた印象を受けているのは、きっとあちらも同じなんだろう。
「久し振りですね、。変わりないようで何よりです」
「重衡もね」
「……近頃こちらに通っておられるとか。何か気がかりな事でも?」
「重衡……最近、敦盛に会った事は?」
「敦盛殿ですか。床に臥し、見舞いも断られておいでだとか」
重衡も会っていない……、か。あれ以来、誰も敦盛を見ていない。大陸からの薬師が敦盛を救ったと聞いているけれど、半月以上音沙汰無し。経正が看護に掛かり切りで、清盛の取り計らいは格別なものだと聞いた。それでも命に別状が無いのなら見舞う事は許される筈だろうに、一向に許されないまま。
「どうしたのです?。何か、気にかかる事でも?」
あの時感じなかった禍々しさを感じるようになったのは、目覚めた直後。強い願いと抗う思いが、捻じ曲げようと試みる邪な力と綯い交ぜになっていた。その禍々しい空気は、闇守では禁断の呪法として封印されている反魂術に支配された空間に満ちるものと同じもののように感じる。けれど、反魂術を必要とするのは――死者だけの筈。
「敦盛は…、生きている?」
「何故その様な事を?生きておられるからこそ、父上が……。?」
そうじゃない
「どうしたのです?先ほどから様子が…」
敦盛の気は
「あまり顔色も良くないようですし、体調が優れないのではありませんか?」
感じられない
「、こちらへ。少し休んだ方が良いでしょう」
「…………判った――」
薄暗い空に感じるのは嵐の前の静けさ。それは、その日の内に訪れた。
◆◇◆◇◆
轟音と共に女房達は腰を抜かし、木が裂かれた途端に気弱な男達が慌てふためく。日暮れにはまだ早い筈の空は分厚い雲に遮られ、緞帳を下ろしたような暗さの中に雹を撒き散らす。地を這うように揺れ動く竜巻は辺りの物を呑み、塵と化していた。屋根から見渡すその光景は、子供の頃聞かされた呪文のような謡そのもの。
「これは、――申の謡?」
黒雲空を覆い 鳴神地を砕かん
風龍が如く荒れ狂い 雹打ち付けしは 申の刻
時は夕刻、暮れ七つ前後。……正しく申の刻。
「これは……」
どうして私がこれを知っている?
――が教えたから。
が私に教えた理由は?
――それが私に必要だから。
何故はこれを知っていた?ここで起こる事を。私が、ここに居る事を。
「その様な場所に居てはなりません!早くこちらへ!!」
「じゃあ、他の謡も――?」
叫ぶように声をかける重衡、泣き叫ぶ女子供と念仏を唱える男達。言い表せない程の焦燥感と、敦盛とよく似た気配を感じた。自分の寿命と引き換えに死者を甦らせるのが、闇守の反魂術。それと同じ効力を持つのは…?陰陽の調和を保つ八咫鏡、陽の力を形とした草薙剣、陰の力を形とした八尺瓊勾玉、死者の魂を穢れさせる事なく守る金縷の玉衣。それらを用いて行われる禁呪――死返の術。それが行われて、失敗したのだとしたら?その結果がこの気配の正体だとすれば、敦盛は……既に死んでいる筈。
◆◇◆◇◆
兄上が泣いていた。私を覗き込みながら、私に尋ねながら。霞がかった頭は何かを思い出し……私が辿ったのは、夢路だったのだと安堵していた。――異変が起こる、その時まで。
「敦盛、お前は……。何という、……何故このような事に」
「う、ぁあ――兄う、エ……グガ、ァァア!!」
ざわざわと身体中が総毛立つような感覚に蝕まれ、薄れゆく意識。己の中の何かが膨れ上がり、それに支配されてゆくのが恐ろしかった。それは怨嗟だったのか、……それとも欲望だったのかもしれない。恐れ戦く幾人かの悲鳴は瞬きの間に消え失せ、私はただ、血を求めるようにして……人を物言わぬ骸としていった。理性など塵程も無く、生ある者達を屠る為だけに存在する、怨霊と成り果てて。
◆◇◆◇◆
消えてしまった敦盛の気配、邸に満ちる禍々しい空気と突然現れた気配。に教えられた反魂術、それとは異なる同じ効力を持つ死返の術。勘違いだと思いたかったけれど、もう疑う余地は無かった。
「どこへ行くのです?!」
「多分、敦盛の居る所へ」
「敦盛殿がどうか……っ、お待ちを!」
重衡の問に答えると同時に、邸の奥へと駆け出していた。咽返る程の血の臭いに包まれた場所へ辿り着いた時。目に入ったものは……恐慌状態に陥った家人達を次々手に懸ける、強大な怨霊。そこから感じる気は、変質しているとはいえ間違い無く敦盛のもの。それは何を意味する?考えるまでも無い。ならば私は、どうすれば良い?
「重衡、経正を連れて周囲の人払いを」
「?……判りました」
「おやめ下さい羅刹殿!っ、――あれは、」
「これ以上犠牲者を増やしたいと仰るのか?!」
「経正殿、参りましょう。我々がここに居ては足手纏いになってしまうでしょう」
他の人間は邪魔でしかなかった。生きている人間なら尚更。消滅せずに済めば良い。――考えていたのはそれだけだった。たとえ相手が敦盛でも…………私は、まだ死ぬ訳にはいかないのだから。
「敦盛……、ごめん」
ふと零した言葉は、今の彼には届いていないだろう。変わり果てた姿の敦盛に、私は何を謝りたかったのか。騙すようにして連れ出した事、怨霊の振り撒く瘴気に気付かなかった事、そして今、太刀を向けている事。状況次第では、このまま敦盛を――――消滅させてしまうだろう事。謝罪は全て自己満足にしか過ぎない。致命傷を与えずに動きを封じるまで戦い、重衡と経正が戻るまでに半刻以上。生前と何等変わりない姿で横たわる敦盛と、大太刀に縋り膝を着く私。騒ぎを聞き駆け付けた清盛に、事の次第を伏せる事は出来なかった。
「敦盛は我が甥、平家一門の者。滅するなぞ許さぬ」
どれほど経正達が庇おうとも、圧倒的に不利だった。清盛の言葉が無ければ消滅させるしかなかっただろう。ざわめく板の間に響いたのは、正に鶴の一声。それに続く言葉が無ければ、情に厚い君主そのものだった。
「この場におらず、委細知り得る者共は皆殺せ」
静まり返った場から退出していく者達は、それを最良の措置だと信じている。勿論私も――そうするしかないと解っていた。何かを守る為に、何かを犠牲にする。どちらも選べずに欲を張れば、自分自身が犠牲になる。だから、より大切なものを選び取るのは当然。そうでなければ、生き延びる事は出来ないのだから。
「後は――」
宵闇に紛れ、何人もの口を封じ、月の隠れた空に視線を向け、斑な闇と血の臭いの中に漂うような感覚に包まれる。もう戻る事の出来ない場所に焦がれて。せめてあの三人は、こんな目に遭っていなければ良いと思いながら。
◆◇◆◇◆
消えて……しまいたかった。夢と思えた奇跡のような出来事は、後に続く永久の悪夢でしかなく。既に死者ですらない己に抱くのは……おぞましさしかない。
「お前の所為ではないのだよ、敦盛」
「ですが……、私のした事なのです。私が、この手で――」
格子の向こうには兄上が、こちらには私だけが居た。患い人を閉じ込める為の牢獄は、今の私には勿体無いほどの場所だろう。私はもう、存在する事すら有り得ぬ筈の者なのだから。
「は……無事なのでしょうか?」
「ああ。明日、こちらに来て下さるそうだよ。もう休みなさい」
「はい――。兄上……、申し訳ありません」
痛みと共に目覚め、自由にならない身体に気付いた時。私の身に何が起きたのか…………判らなかった。深刻な面持ちの兄上から聞かされたのは、私が犯した罪。死して後、甦り、怨霊と化し、人を殺めた。……と重衡殿が来なければ、兄上までをも手に懸けていたのかもしれない。そして、助けに来てくれたまで――この手で殺めてしまうところだった。
「私は……人ではない」
明日、が私を……。怨霊を消滅させられるならば――。その時まで、数刻の間だけ永らえよう。
◆◇◆◇◆
「出掛けるって……駄目だよ、まだ傷も治っていないのに!」
「六波羅だから供は要らな……」
「駄目だって安静にしてなくちゃ!用向きならオレが、」
「おや、賑やかですね」
邸を抜け出す時、厄介な相手に見付かって足止めされた。景時は、父上が亡くなってからというもの随分と過保護になったと思う。いつもの事だと高を括っていたら、更に厄介な相手にまで見付かってしまうなんて。
「重衡殿、の怪我を御存知でしょう?一人で出掛けるなど無茶だと……」
「では、私が共に参りましょう」
「は?」
予想外の言葉を聞いて呆気に取られたのは景時も同じだったけれど、一人で出掛けるのでなければ良いのでしょう?と言って微笑む重衡に勝てる言葉は、どうしても見付けられなかった。
「ここは……。、何故このような所に?」
「敦盛に会いに来たんだよ。多分、敦盛は……」
「消滅させて欲しい。と、仰るでしょうね」
敦盛を知っている人間になら、誰であろうと見当が付くだろう願い。どうすれば良いのか、どうしたいのか、どうするべきなのか。
「私は敦盛を――」
敦盛の事を思うのなら、消滅させてやる方が良いんだろう。
自分の考えだけで行動するのなら、他の手を考えるだろう。
平家の人間としてなら、清盛に従うべきだろう。
「大丈夫ですよ、。 あなたの思うまま、」
「今になって殺すのなら、昨夜の内に殺していた。……だろう?」
「兄上」
「そう、だね……。私は敦盛を殺せない。たとえ本人が殺してくれと言っても」
「ならば、本人にそう言ってやるんだな……行け」
知盛と擦れ違い、入れ替わるようにして訪ねた先で耳にしたのは想像通りの言葉だった。そして、それを拒んだのは私の我が儘でしかないんだろう。
「お願いだ……、このままではまた――!」
「止めるから」
ずっと傍に居られる訳じゃない。それが解っていても。この状況で経正が奔走しているのは、何らかの方法を見付けたからだと言っていた。それが敦盛の暴走を止められるのなら、いつか自然に消える時までは。

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(壁紙:NEO HIMEISM/雪姫さま)
間が空いてしまうと、自分がどんな書き方をしようとしていたのか判らなくなってしまう事が判明。
3話では終らなくなってしまったので、4話目までお付き合い下さい。
橘朋美
FileNo.103_03 2007/2/4 ※2010/10/8修正加筆 |