その一言が、どれほど確証の得られないものだとしても。……嬉しかった。それでも、その言葉に甘える事は出来ないのだと思っていた。私を止められなかった時。……それは、私がを殺めるのと同じ時になるのだから。これから先、いつまた怨霊と化してしまうか判らない。その時また、私は人の心を失い、人を屠るのだろう。それが判っていながら現世に留まるなど……許される筈もない。

「だが、このままでは皆に迷惑を……それに、」

「経正が何か手を探しているから」

「兄上が……?」

「そう。諦めるのは、打つ手がなくなってからでも遅くはないでしょう?」

その真摯な眼差しは揺らぐ事なく、力強い意思を表すかのようだった。血の繋がりなどない、僅かな間の義理の父子だったというのに。の姿に、亡き重盛殿の面影を見た。

◆◇◆◇◆

何の手段も見付からないままだったのなら、どうなっていた事か。経正からの書簡には、宋の職人に急ぎ作らせているという装
飾品の事が書かれていた。死に切れずに彷徨う死者を宥める為に作られたというその装飾品は、飾り気がなければ太い鎖で作られた手枷足枷でしかなく、埋め込まれた貴石には呪いが施されているとあった。それが届くのは明日。敦盛を説得した日から悠に十日以上が過ぎていたけれど、その間は然したる問題も無く、穏やかな時が流れていた。敦盛が一歩も外へ出ようとしない事を除けば。それに、ここ数日は碌に食事も摂らず、眠っているところも見ていない。

「少しは気分転換も必要だよ」

「いや、私の事は構わないでくれ。……すまない」

いつもの遣り取りは今日も繰り返されて、敦盛はまた独り目を閉じる。薄暗い牢獄に繋がれて、まるで瞑想でもしているかのように。私はといえば、ただそれを見てそこを去り、何も出来ずに六波羅に留まっているだけ。敦盛から目を離すなという清盛の命に従っている、何人もの警護の武士達と同じように。

「しかし、そのような姿になってまで…」

「……のだろう。余計な詮索はせず…」


こそこそと交わされる言葉は、蔑みと哀れみに塗れたものばかり。清盛に対する表立った反論は無くとも、敦盛への周囲の対応は酷くなる一方だった。元より女房も付けられず、食事も以前とは雲泥の差。見舞いに来る人間は極僅かで、本心からのものは更に少なかった。貴族としての体面を守る為、平家を統べる清盛への同調を示す為の、上辺だけのもの。

「難しい顔をなさっておいでですね」

「当然でしょう。何か火急の用件でも?」

「ええ。先程、早馬が参りました」

「――また戦?」

「いいえ、経正殿ですよ。酉の刻……暮れ六つには戻られるそうです」

その言葉に漸く重衡の顔を見遣れば、状況が明るいものではないという事が手に取るように判った。それでも――最悪の事態を免れる事が先決だ。書簡に目を通した後、そう思ったのは重衡も同様だったらしい。

◆◇◆◇◆


あの時……。何も変わっていないように思えたのは、何故だったのだろう。私は人としての生を終えていたというのに。脈動を止めた筈の身体は、以前と同じように存在し続けている。呼吸を繰り返し、四肢を動かし、様々なものを見聞き出来る。たとえ……それが理に適わぬのだとしても。

「判った。外出する気になったら使いを」

「ああ。だが……すまない」

「敦盛、何かした方が良いよ。何でも良いから」

兄上にも、にも、哀しい顔をさせたくはない。私がここに留まる事で、その憂いは消えるのだろうか?人としての生を失っているとしても、必要とされているのなら……。このまま存在し続けていても、良いのだろうか?万象の理に背き、人を殺めたというのに。

「……、私は……」

死にたくなかった

「……どうして」

生きていたかった

「怨霊に――」

ただ恐ろしかった

◆◇◆◇◆

辺りが闇に包まれ、予定より遅れること半刻。人払いのされた一角に集まったのは、私達だけだった。

「お待たせ致しました。羅刹殿、手を貸して頂けますか?」

「勿論。何をすれば?」

「呪いの施された鎖を身に着けるだけとはいえ、何かあれば敦盛を……」

私にしか出来ない事を断れる筈が無い。自分の身が危険になれば、そうするしかなくなる。それは解っている。

「知盛殿、重衡殿。……万が一の時は、どうか御助力を」

「解りました。ですが、きっと大丈夫ですよ」

「誰を……助けろ、と?」

「無論、羅刹殿を。私と敦盛は斬り捨てられようとも……」

「経正。私は、」

「良いのです。敦盛もそう言うでしょう。羅刹殿が躊躇われれば、私では敦盛を鎮める事は出来ないのですから。その時は私ごと……お願いします」

穏やかな微笑みを浮かべて、それでも確かな覚悟を決めて。迷いなど微塵も感じさせない姿が、将臣を思い出させる。

「では羅刹殿、参りましょう」

私はまだ死ぬわけにはいかない。それでも、敦盛を消したくない。どちらもを望むのは――欲張りなんだろうか?

◆◇◆◇◆

巻き付けられた鎖には重みを感じず、動く度に擦れ合う音が無ければ何も身に付けていないのと変わらなかった。

「さあ、これで良い。不自由をさせてすまないね、敦盛」

「兄上……そのような事、」

「敦盛。また以前のように、笛を聴かせておくれ」

もう幾日も……触れる事すら無かった青葉。差し出す兄上の顔は悲しいほどに優しく、傍らで見守るは安堵の息を漏らしていた。私は、いずれ消え去るその日まで……。お二人と戒めの鎖に守られ、存在し続けよう。その時まで、私の中の獣が暴れ出さぬよう祈りながら。

◆◇◆◇◆

少しずつ夏の気配が漂い始めた頃、敦盛の生活は落ち着いてきた。以前のように笛を奏で、書を読み、時折散策に出る日々。清盛の命じた警護の者達も引き上げ、私が六波羅に留まる理由も無くなった。福原遷都と次の戦の気配が濃厚になったのは、そんな時だった。

、どうか無事で。武運を祈っている」

「ありがとう。じゃあ、また」

馬を駆りながら、あの鎖の効力が少しでも長ければと思う。敦盛自身の心が、身に潜む怨霊の力に抗えなくなる時が来ないように。経正の揃えた香が、それを鎮めてくれればと。

「お帰り。早速で悪いんだけど、目を通して貰いたい書簡があるんだ」

「兄上に挨拶を済ませたら直ぐに行く」

「次の戦では二手に分かれて行動するから、知盛殿も一緒に……」

渡廊からこちらに向かって来た人影。邸に戻った私を待っていたのは、次の戦で離反するだろう景時だった。何とかしなければ。そう思って行動しても、動かせない流れは存在する。それを知っていながら足掻き続けるのは、守りたいものの為でしかない。

「兄上、只今戻りました」

「お帰りなさい、羅刹殿。入れ違いですが、私はお爺様の元へ参りますね」

「はい。お気を付けて」

「ええ。あなたも次の戦に出られるのでしょう?武運を祈っていますよ」

儚げな微笑みと優美な物腰、小さな虫の命すら無闇に奪おうとしない優しい人。こんな人までもが戦いに出る時代。花を愛で、歌を詠み、楽を奏で、舞に興じ、穏やかな日々を過ごす事が出来れば。

「どうかなさったのですか?何か気に病む事でも……」

「いえ、何でもありません。兄上も御武運を」

兄上を見送り、景時と共に向かった先には知盛が居た。私がこの世界に居なければ、別の武将が指揮を執った筈の戦。それが、歴史とは違う結果を齎すんだろうか?

「次の宴は、お前と……か」

「派手な宴は苦手なんだけどね」

軽口を叩きながら軍議を始める私は、惟盛の弟として経正の弟を守り、この世界に居るかもしれない弟達を探し出す事が出来るんだろうか。
埒も無い思考を隅に追い遣ったのは、石橋山の戦いまで約二月の頃だった。





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(壁紙:NEO HIMEISM/雪姫さま)

本編で端折ってある部分を番外編として書くのが好きなんだけど、読む方としてはどうなんでしょうね?……判り辛いですかね?

ともあれ、御付き合い頂きありがとうございました。





橘朋美







FileNo.103_04 2007/3/22 ※2010/10/8修正加筆