漫画なら、譲の顔にはきっと青筋マークが何個か浮いていただろう。トントンと階段を下りていく足音を聞きながら、将臣がベッドで盛大な欠伸をした。……顎が外れそうに見える。
「ふあ〜あぁあ。何かあったか、今日?ってか、今何時だよ」
「ん?九時……前」
「な、っ?!」
「な?」
「なんで俺の部屋にお前がい、ってえ?!」
「耳元で暴れないでよ。煩い」
「煩いじゃねーだろ?自分の部屋で寝ろよ」
「暑くて眠れない」
「はあ?」
「朝、暑くて目が覚めた」
「だから何だよ?起きりゃ良いだろうが」
「最近寝不足」
「だからって勝手に俺のベッドで寝るなよ…っつーか、抱き付くな」
別に抱きついている訳じゃない。腕の置き場に困って頭の上に乗せていただけの事。なのに、その言いようは無いんじゃない?漸く眠れたっていうのに、とてつもなく不快な目覚まし代わりになってくれた将臣を睨もうとした時。違和感を感じて無言で俯いた。
「何だよ……おい、?」
「……」
「あー、悪…」
「兄さん何やってるんだよ?!」
「はあ?何って…」
さっきより更に間の抜けた声と顔の将臣。つい笑いそうになってしまったけど、何とか堪えた。譲はそれどころじゃ無さそうだけど。
「何で姉さんを怒鳴りつけて、殴ろうとしているのか聞いてるんだ!」
「ちょっと待て…何で俺がを殴るんだよ?殴られたのは俺だっての」
やっぱり、譲が来ると思ったのは正解だった。下の音が止んでたからね。それにしても、しっかり勘違いしてるなあ。ま、無理もないけど。私はベッドにへたり込んで俯いているし、将臣の左手は私の肩に乗っていて、右手は私の顔に隠れている。譲からは殴る時の格好に見えるんだろう。
「下まで響くような声を出して、今だって掴み掛ってるじゃないか!」
「誰が掴み掛ってんだよ。おい、お前も何とか言え」
「二人して怒鳴り合ってたら無理」
「姉さん、平気なのか?」
「意地でも俺を悪者にしたいらしいな、譲は」
「平気」
「、お前もか」
「大体、兄さんが姉さんを寝かし付けたくせに。どうして怒ってるんだよ」
「そうだよね」
「はあ?俺がいつ…」
「今朝に決まってるじゃないか。姉さんが、暑くて寝不足が続いてるから兄さんの部屋で寝かせてくれって言いに来た時だよ。床に寝転んだ姉さんを持ち上げてベッドで寝かし付けた事、覚えていないのか?」
「……全く覚えてねえな」
「エアコン効きすぎて寒いって言ったら、くっついてりゃいーだろって言って人を抱き枕にしたのも無意識だったみたいだしね」
「「抱き枕 ぁ?!」」
「そ」
「「そ…じゃねえ!」ないだろ?」
「将臣の部屋にはタオルケットすら無いって言うし。足はザリザリするし重いし、摩り下ろされるかと思った」
将臣に抱き着いたんじゃなくて、腕の置き場に困って頭の上に乗せていただけの事。
「はぁ…。まったく…何やってるんだよ、兄さんは」
「また俺かよ。だったら、お前の部屋で寝かせてやれば良いじゃねえか」
「兄さんがエアコンをつけて寝ているから、姉さんが来たんだぞ?俺の部屋を使えば良いって言ったのに兄さんは寝惚けてるし、姉さんは無駄だって言うし……二人揃って寝てしまえば、俺が起こせる訳ないだろう?」
「寝入り端で起こすと機嫌悪いからね、将臣は」
「当たり前だ。を起こせば良いじゃねーか。ったく」
「寝不足だって知っているのに起こせる訳ないだろ?そうでなくても、このところ調子悪そうにしているのに。大体、兄さんだって…」
「譲、説教してると望美が来ちゃうんじゃない?」
「あ?何で望美が…」
「うわ、そうだった――って、兄さん達が早く起きないから…!あぁ、もう良いから早く支度して降りて来てくれよ」
「了解」
「ああ」
◆◇◆◇◆
今度はバタバタと階段を駆け下りて行く。朝から忙しいな、譲は。今日は望美を含めた四人で海水浴へ行くって約束してるし、仕方ないんだろうけど。弁当を持って、花火を買って、夜まで遊ぶ。こんな休息日は初めてだ。両家の親も説得済み。大半は譲が、父さんだけは私が説得した。望美と将臣は応援にすらならなくて、日頃の行いの差だっ言ったら、お前が言うか?!って返されたっけ。
「そういや泳ぎに行くんだったな。今日だったか」
うー!と腕を伸ばしながら、ベッドの脇でいつもの癖。次に来る言葉が判るのは、生まれる前から付き合いがあるからこそなのかもしれない。
「言ってた」
首をコキコキ傾げながら立つ将臣を見ると、身長差がよく分かる。昔はそんなに違わなかったのに、20cm位は違うんじゃないだろうか?
「お前、大丈夫なのか?」
やっぱり。気にしていないようで、しっかり気にしてる。聞いていないようで、見ていないようで、そうでもなくて。
「何が?」
「さっき、体調悪そうだって言ってたろ、譲が」
「調子悪そう、だよ」
「同じだろうが。調子が悪いなら大人しく寝てろよ」
「譲も将臣も心配しすぎ」
「そうか?お前が我慢しすぎるからだろ。放っときゃ倒れるまで大丈夫って言ってそうだもんな」
失礼な。子供の頃からに鍛えられてる私が倒れるような状態になるのは、余程の事じゃなきゃ有り得ない。それに、自分の限界くらい嫌と言うほど知ってる。でも、そんな事は言えない。だから私は適当な単語を見繕うのに忙しくなってしまう。
「そんな事無い」
「いいや、ある」
「限界直前には寝るようにしてる」
「それじゃ意味無いだろ。泳ぎに行くなら今日じゃなくても良いんだし、暑くて眠れないならここ使って良いから。大人しく寝てろって」
「だから大丈夫だって。体調は悪くない」
「聞き分けの無い奴だな」
「どっちが」
「お前に決まってんだろ?!」
「そう?」
「そうだよ!」
「また譲が来るよ?」
こうなると決着が着くまでが長くなる。来るなら今直ぐ来て欲しい、って思うくらいだ。こんな不毛な言い争いをしている時間なんて無駄なだけなのに。
「んな事、関係無いだろ?」
「有ると思…」
「二人ともいつまでやってるんだよ!」
「おはよう!将臣君、ちゃん」
「おはよう、望美」
「ああ。はよ」
救世主は譲だけじゃなかった。相変わらず元気な計画発案者で、私達の中で一番の中心になる人間。若しくは一番の行動派人間。良くも悪くも……ね。不思議とそれが嫌じゃないのが、望美の強みだと思う。本人は無自覚だけど。
「二人とも、全然支度出来ていないじゃないか」
「そうだね。望美、ちょっと待ってて。譲、コーヒー冷えてる?」
「ああ、朝食も準備出来てるよ。直ぐに降りて来るなら出しておくけど…」
「宜しく。着替えたら行くから」
「待てよ、寝てろって言ってんだろ?」
「え…?ちゃん、具合悪いの?」
引き下がらない将臣と、望美と譲の心配そうな顔。平気なのに。今日を逃せば誕生日まで遊べる日なんて無い。その後は……もっと先まで。
「悪くないよ」
「何言ってるんだよ兄さん。姉さん、具合悪かったのか?」
「お前が調子悪そうっつたんだろ?」
「だから違うって。体調は悪くない」
「ほんと?無理しちゃ駄目だよ、ちゃん」
「してないよ」
「じゃあ、何で兄さんは寝てろって言うんだ?」
「調子悪そうだって聞きゃ休ませるだろ普通。大体、先にそう言ったのは譲だぜ?」
「調子悪そうだって言いはしたけど、具合が悪い訳じゃないだろ?」
「えーっと……調子は悪いのに、具合は良いの??」
望美……。天然なのは承知してたけど、私も一応女だよ?譲が言えないのも無理は無い。でも、律儀に受け答えるものだから火に油を注いでしまう。それこそ取っ組み合いの兄弟喧嘩になりそうな雰囲気だ。何にしても、せっかくの休息日を無駄になんてしたくない。
「どっちも同じじゃねーか!」
「違う!大体、姉さんの具合が悪いなら放っておく筈がないじゃないか!」
「だから、俺が寝てろって言ってんだろうが?!」
「姉さんは体調は悪くないって言ってる!」
「の大丈夫は長過ぎんだよ!」
「それは、兄さんが決める事じゃないだろう?!」
「お前が決める事でもでもないだろうが?!」
「俺は決め付けてなんていない。姉さんが決めた事だ!」
「将臣君、譲君。その辺にしておいた方が良いと思うよ?」
「「は?何だよ?!」ですか?」
相変わらず自分に関する恋愛感情以外には鋭いな、望美は。煩いのが嫌いな私の顔は、弟達を交互に睨み付けていた。
「いい加減、怒るよ?」
「「「……ほら、ね?……」」」
「私が遊びに行く事が、そこまで気に喰わないとでも?」
「んな事誰も言ってねえって」
「ね……姉、さん。落ち着いて…」
「至極落ち着いてる」
「うん。落ち着いてるのはちゃんだけだよね」
「わ、分かったから機嫌直せって。ほら、着替えて来るんだろ?」
「そ、そうだよ。早く着替えて降りて来なよ。コーヒー出しておくから。ああ、カフェオレにしておこうか?」
「シロップだけで良い」
「二人とも、少し落ち着かないと。怪しい人になってるよ?」
『『この状況で落ち着けるか!』ません!』
「ほら、早く支度しておいでよ。ちゃん」
「分かった。直ぐ行く」
「ふぅ。…久し振りにヤバかったな。嫌な汗掻いたぜ」
「相変わらず、怒ったちゃんには逆らえないんだね」
「当たり前ですよ。最近は調子が悪いみたいでイラついてますから、余計に怒らせたくないんです……っと、俺はコーヒーを用意しないと」
「あ、私も行くよ。お弁当、詰めるくらいは手伝わせて?」
「あ、はい……お願いします。兄さんも早くしてくれよ?」
「ああ、判った。直ぐ行くよ」
◆◇◆◇◆
カチャカチャと食器の音が響くキッチンは、先ほどと違って和やかな雰囲気が漂っていた。まぁ、そこに居るのがこのコンビなら当然なんだろうけど。
「本当に仲が良いよね、三人とも」
「そうですか?普通だと思いますけど…」
「う〜ん。私は一人っ子だからよく判らないけど、中学でも仲の良い兄弟だって言われてたよ。今でも言われてるし」
「そう、ですか…兄さん達は、よく似ている所がありますからね」
「うん。でもみんな有名だよ。先生達は、一年の双子有川は仲が良くてよく似ている所が困るって言ってるし、生徒の中には二人のファンみたいな人まで居るんだよ?私が幼馴染だって知ったら紹介してとか言われて……あ、勿論断られちゃったけど」
よく似ている所が困るって――兄さん達、高校で一体何をしてるんだ?
「来年譲君が入学したら、きっともっと有名になるんだろうな」
「え?いや、俺は別に……有名じゃないですから」
「そんな事ないよ。譲君、知らないの?中学の時も、譲君が入学してからは有川三兄弟が揃ったって、凄い騒ぎだったんだよ?」
ほのぼのした会話に水を差すと、一瞬だけ譲が残念そうな表情になった。本当に……こんなに分かり易いのに、何故気付かないのか不思議だ。
「望美、それ大袈裟」
「だな。確かに、何か騒いでる奴等はいたみたいだけどな」
「あ、やっと来た〜」
「姉さん……ほら、コーヒー」
「ありがと」
「まだコーヒーあるんだろ?俺にもくれ」
自分でやれば良いのに――とか言いながらも、譲は甲斐甲斐しく朝食の準備まで整えてくれる。よく冷えたコーヒーを口に含むと広がる甘苦さは、まるで譲みたいだと思う。口煩く色々と言う割には面倒見が良くて、出来の良い弟。
「そんな苦い物よく飲めるよね、2人とも」
「望美は紅茶派?」
「どっちかってーとジュース派だろ」
「うーん……確かにコーヒーや紅茶はあまり飲まないかも。譲君は?」
「俺は特に拘りませんけど、どちらかと言えば紅茶の方が好きですね。ほら兄さん、コーヒー。姉さんは?もう一杯おかわりするんだろ?」
「「サンキュ」」
「あはは、ハモってる。久し振りに聞くね」
「「そう?」か?」
「そうだよ。みんなで居る時間ってそんなに無いし、帰りも結構バラバラになっちゃうし。やっぱり、高校入学してからは少なくなったよ」
「「まあね」な」
「それは……まあ、仕方が無いですよ」
一人だけ年下なのがつまらない。譲からはそんな表情がありありと見て取れる。その意味を解っていないのは、よりにもよって肝心な人間だけなんてね。ご愁傷様、譲。
「うん。判ってはいるんだけど、やっぱり少し……寂しいかな」
「そんな調子じゃ、誰かに恋人でも出来たら大騒ぎしそうだな」
「「え?二人とも、恋人がいるの?!」か?!」
「ご馳走様。私にはいない」
「もしも、だよ。ご馳走さん」
「「はあ〜…びっくりさせないでよ」くれ」
「そっちのハモりの方が久し振りに聞く」
「確かに。ま、来年になりゃ嫌でも聞くことになるだろうけどな」
「うん、そうだよね」
「俺が受かればの話ですけどね」
「譲が落ちるわけない」
私達の通っている高校は、望美がギリギリ合格した後、試験の度に追試を受けている。つまり、そこそこレベルの高い学校だ。けど、譲は典型的な優等生タイプ。成績も素行も文句の付け所が無いんだから、予想外のハプニングでも無い限り落ちるわけが無い。
「言えてる。望美でも受かったんだしな」
「ああ!将臣君ひどーい」
「言いすぎだよ、兄さん」
「事実だろ?それより、行くなら早くしねえと。もう十時回ってるぜ?」
「わ!本当だ〜。ねえ、早く行こうよ。今日は夜中まで遊ぶんだから!」
「ええ。でも、十二時までには戻る約束ですからね?」
「シンデレラかよ」
「将臣君や譲君も?」
「それは不気味」
「「誰がだ!」よ!」
◆◇◆◇◆
てくてくと歩きながらの会話は他愛ない物ばかりで、海に着いたのは十一時頃。シートを広げて荷物を置いたら、ほぼ同時に喋り出した。
「で、何をする?」
「交代で荷物番だな」
「お弁当は夕方で良いよね?」
「取り敢えず、先輩達は着替えて来て下さい。荷物は俺達が見てますから」
いったい誰が年上なのやら……。もう少し気楽に構えたほうが良いよ?譲。なんて――そんな思考を声に出せば、姉さん達が気楽に構えすぎなんだよ。という返事が返って来るんだろうな。
「私はここで良い」
「え、どうして……泳がないの?」
「泳ぐよ」
「じゃあ、さっさと着替えて来いよ」
「ここで脱げる」
「何言ってるんだよ姉さん。もしかして、」
「下、水着」
「え、そうなの?私も着てくるんだった〜」
「ガキみたいな事してんじゃねえよ」
便利だよ?と返せば、望美は直ぐに着替えて来ると言って更衣室へ走っていった。私を一人にしておけないとか言っていた将臣と譲が渋々更衣室へ向かった直後、私は左の手首にある腕輪に向かって語りかける。正確には、腕輪に付いている石に住まう使い魔に。
『ホント、譲は心配性なんだよね。海水浴客でごった返してる真昼の海岸で、そこまで心配するような事がある訳ないのに』
『あったとしても、お前が後れを取る事など有り得んだろうがな』
普段はサディストかと思うくらい手加減無しで修練の相手をするも、それ以外の時なら普通に接してくれる。人じゃないって事は解ってるけど、は私が生まれた時からずっと傍に居る一番古い家族だ。
『だが、あまり羽目を外すなよ。修練に身が入らなくなっては困るからな』
『解ってる。明日からは修練に戻るよ』
『せめて夜はしっかりと身体を休めておけ」
了解。と短い返事をして話を止めれば、後はもう青黒い石が光を反射するだけ。まだこの時は、面倒な事が起こるなんて思っていなかった。出来ればずっと……なんて言わない。せめて今日くらいは平和な時間を過ごしたかったのに。

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(壁紙:PLUS+/coloさま)
一回では終われませんでした…中篇・後編で終らせるつもり。
まだ何も気付いていない頃の話です。
成長期なので、身長は158cmと177cmってことで。
まぁ、私の勝手なイメージなんですが。
橘朋美
FileNo.101_01 2006/8/12 ※2010/10/6修正加筆 |