相生
一章七



清盛の厳命を受けた者達は、私が思っていたより将臣に好意的だった。それだけ清盛の影響力が大きいという事もあるのだろう。けれど、特に命を受けていない武士以外の者達は、それ以上に好意的だった。

「よし、と。で?これはどこに運べば良いんだ?」

半ば強引にとも言えなくはないが、普通の武士ならしないような事を平気でする。始めの内は恐る恐るといった様子で見ていた雑色や厨女達も日毎その風景に慣れていったようで、今では臆する事も無く将臣と接していた。

「なんだ、お前か。……何か、あったのか?」

朗らかな笑顔から一転、怖いくらい真剣な表情になる。それもその筈。私は先日貰い受けたばかりの戦装束を纏って、里から届けられたばかりの武具を身に着けていたのだから。それにしても、相変わらず将臣の勘の良さは変わらないらしい。

「誰か討たれたんだな?」

特に伝える必要も無いだろうと思っていた事とはいえ、尋ねられれば答えないわけにも行かない。義仲追討に向かった経盛が討たれ、援軍として派遣される事になったと手短に伝えた。それ以上は伝えずに済めば良いと思いながら。

「そうか……。けど、お前一人ってわけじゃないんだろ?」

大仰な数ではなくとも、軍を率いていくのは当然だ。私はいつものように一個小隊程度の人数を。そして、それら全てを束ねるのは――兄上だった。

◆◇◆◇◆

「頼む、清盛。俺も行かせてくれ」

の腕だ、相手が敵なら幾らでも対処出来るだろうが。相手が味方、それも惟盛となれば話は別だ。これまでの話からしても、あいつは惟盛に太刀を向けはしないだろう。たとえどれだけピンチになったとしても、重盛の息子っていう立場にある人間を守るだろう。だが惟盛は……いや。惟盛の側近達は、を目の敵にしてるような奴ばかりだ。だから援軍に加えろと直談判に来たんだが、こうして頭を下げてみても聞きゃしねぇ。

「ならぬ。傷が癒えたばかりの身で戦場へ行くなど」

俺の目が届かない場所で何かあれば、あいつは一人だ。俺が居たところで役に立つかは判らないが、居ないよりはマシだろう。あいつが俺の為にした事を思えば、こんなトコで暢気にしてられるわけがない。傷はもう完全に塞がってるし、太刀も振れる。兵は少しでも多い方が良いだろ?あんたが俺に力を貸してくれるってんなら、俺をの部隊に加えてくれ。何度も頼んだ挙句に清盛から聞かされたのは、どうしようもないくらい腹の立つ事実だった。

「冗談だろ?が俺を残せって言ったのか」

◆◇◆◇◆

出立の朝。兵の中に将臣の姿が見えない事を確認して、私は迅雷に跨った。これで良い。少なくとも、私はこれで安心して戦える。

「羅刹殿。惟盛殿より先導をとの言伝にございます」

足元に膝を着いた男は本隊からの伝令。お言葉しかと承った。ただそれだけを告げ、六波羅を後にした。

◆◇◆◇◆

秋の走りに京を立ったものの北へ行くにつれて無事に伝令が届く事は減り、運良くここまで辿り着いた者の伝える戦況は芳しくないものばかりだった。大将を失った軍が敗走していないという事が不思議なくらいに。

「承知した。では折り返し兄上に……」

戦場に近付くと、兄上から一足先に本陣へ向かえとの伝令が来た。それは当然の命令で、拒む理由も無い。何人かの兵に辺りを探るように命じて単身本陣へ滑り込めば、そこには満身創痍の兵達が転がっていた。これでよく今まで持ち堪えたものだと思うほどに。幾らか傷の浅い兵を見付け将を呼ぶと、援軍が到着したという報に、忽ち場が湧いた。

「羅刹殿、といったか……どうか、経盛殿の無念を…――」

まるで、それだけが心残りだと言うようにして屑折れた将。こんな風に主の為を思って戦い続けられたなら、どれだけ誇らしいのだろう。場にそぐわない思いを封じ、踵を返し本隊へと急ぐ。事切れた者達を避け、血溜まりを踏み、死の臭いが充満する場を。そこで果てる事なく帰る為。生き延びさせたい人の為に、私はまた太刀を振るう。

「――っく。退け、罠だ!」

それからの戦いは、散々たるものだった。場に慣れる間も無く戦闘に駆り出された平家の援軍と、地の利を知り、それを余す所無く利用する木曽の軍。そして……それを目の当たりにした兄上の采配。

そうだ。この人は、元々争いを好まない。こうして戦場に居るのも、大将として采配を振るうのも、全ては平家の血筋、清盛の嫡孫という出自の為。亡き父上のように、その才能がある人だったなら良かったものを。

年を越え、こちらの劣勢が明らかになると木曽の攻撃は更に激しさを増した。幾ら敵を探ろうとも、それを生かせないまま采配が成される。兄上ではなく、その側近達によって。己に自信のもてないまま進言を受け、それを命として下す。その命に従い戦えば、この戦況を抜けられる。前線で戦う者達は、そう信じて命を賭けているというのに。そんな状況に兵達の士気は落ちるばかりで、悪循環だった。

「兄上、此度は私に命を。この羅刹、兄上直々の命にのみ従いましょう」

分を弁えろだの、過ぎた事を申すなだの。騒ぎ立てる奴等など知った事ではない。膝を着き、ただ兄上だけを見据えて続ける。この戦、最早退く事は出来ませぬ。経盛殿の無念を果たす為にも、平家の為にも、兄上御自身の為にも。ですが、このままでは本隊もろとも果てる事となりましょう。そうせぬ為に、私は――兄上の命に従い戦います。

「どうか――。兄上、ご決断を」

ならば……と命じられたのは、敵の本陣までの道を開く事。本陣の守りに必要な分を残し、兵も物資も存分に使えと告げる兄上に頭を下げ、足早に陣を出た。その結果が兄上を死に追いやるとも知らずに、兄上と共に生きて京へ戻るのだと信じて。

◆◇◆◇◆

教盛率いる援軍が六波羅を発ったという報せが届いた頃。季節はもう、春を迎えていた。あれ以来状況は好転していたが全面的に戦況を覆す事は難しく、幾度と無く繰り返される小競り合いに兵達も疲弊を隠せずにいた。そして、三月も半ばに差し掛かかろうとしていた頃。

「兄上が――軍を脱しただと?!」

教盛の到着を受け、入れ替わりに負傷した兵達を帰した翌日。新たな兵達を使いどこをどう攻めれば勝てるのかを考えていた私には、正に寝耳に水の事態だった。この世界の歴史は、私の知る史実とは違う。私はそれを、充分に理解していたつもりだ。なのに今――。兄上が脱走したという事実を聞いても、それを理解出来ずにいた。

「まさか……この状況で?」

圧倒的に不利だった戦況は、五分にまで持ち直していた。そして今は、援軍のお陰で平家が有利になったばかりだ。それだけじゃない。この状況で軍を抜ければ――幾ら直系の人間とはいえ厳罰は免れないという事くらい、兄上が判らないわけがない。それなのに……脱走するなど有り得ない。

「お待ち下さい教盛殿!兄上を追う役目、どうか私にお命じを」

追っ手を差し向けるとの決定が下された時、そう言わずにはいられなかった。捕らえられればどうなるか、兄上は知っている筈。ならば、せめて少しでも助けになれるようにと。何も言わずにその意を汲んでくれた教盛に頭を下げ、その先に待つであろう事態を予感しながらも、兄上を追った。

◆◇◆◇◆

史実では、那智に身を投げたという説が有力だとしか残っていなかった平惟盛。兄上がどこへ向かっているのか判らない以上、飛身は使えない。ただ地道に山道を行く私に声をかけたのは、忌々しい神だった。

その力を借りる為の代償に、その身の解放を望んだ鳳凰という神。に里を任せ、闇守達には留守中も情報収集を怠らないように命じている。けれど、この神は……あれを飲み干して以来、私に憑いて来ていた。

「そなたはいつも不機嫌なのだな」

腹が立つほどムカつく言い様に関係無いと吐き捨て、先を急ぐ。少しでも早く、兄上を連れ戻したいが為に。だがそれは、神には与り知らぬ事だと言わんばかりに付き纏う。

「いい加減、用が無いのなら消えて欲しいんだけど?」

鬱陶しいという思いを全面に出して一瞥しても、そ知らぬ顔で周囲を飛ぶ。ただでさえ苛ついている神経を逆撫でされて、こちらは堪ったものじゃない。解放した者に憑く神だとは聞いたが、私の邪魔をするな。そう言って睨み付けても、聞いているのかいないのか。

「そなたは我を誤解しておる。我はそなたを助く者ぞ」

そもそも助力を請わぬのはそなただ。そう言って眉間に指を当てられた時、風の逆巻くような音を聞いた。その直後、何が起きたのか。

「我ほどではないが、こやつ等もそなたの力となる」

目の前には、どこかで見た事があるような大きな影が並んで三つ。私を見下ろすようにして立っていた。よく見れば、それは左右に仁王を従えた不動明王らしい。ただ命じれば良いという鳳凰の言葉に従って兄上を探してくれと口にすれば、三体揃って瞬時に姿を掻き消す。一体どういう事かと聞けば、あれは我の眷族だと自慢げに笑う神が居た。

◆◇◆◇◆

暫く歩き続けてから。先に戻った阿形は、兄上が京を抜ける道をとっていると知らせた。次に戻った吽形は、向かう先は熊野だろうと告げた。最後に戻った不動は、あれを止めるのならば那智へ急げと。信じるか否か、迷わなかったわけじゃない。けれど……そのどれもが史実と一致している以上、迷っている暇は無かった。

このまま追っても、先に陣を出た兄上に追いつけるか怪しい。だけど、那智へなら飛身を使えば先回りが出来る。その少し後。出来れば人に見られたくはないと言って身を隠し、那智の滝で兄上を待った。ここでなら兄上を止める事が出来ると信じて、三月の終わり。

「……羅刹殿。何故、ここに?」

どこから来ても見逃す事の無いようにと、結界を張っておいたのは正解だった。兄上が現れたのは早朝、しかも人の通る道ではない場所。六波羅で、そして戦場で見た顔は一つも無く、供は数人だけ。恐らくそれは兄上を信頼し、兄上に信頼される者達ばかりなのだろう。私達の間に立ち、こちらへ刃を向けるのは兄上の邪魔をさせない為か。

死なせたくない。父上がずっと、死ぬまで案じていた人を。優しいが故に振り回され、苦しんでいるこの人を。刺激しないよう声をかけたのに、返されたのは絶望的な言葉で……。最後の最後まで悲しそうな顔のままその身を翻し、滝壺へと飲まれた。それを見届けた供の者達も、躊躇う事なく次々と。私の目の前で――。

◆◇◆◇◆

それは、その言葉に気をとられた一瞬後の事だった。

「っ……兄上!!」

駆け出したところで間に合う筈も無く、ただ黒々とした闇を見詰めていた。ふつふつと湧き上がる怒りは自分自身に向けられて、助けられなかったという後悔の念に苛まされる。

私は兄上を助けてくれと言った筈だ!何故兄上を見殺しにした?!聞けぬ願いなら端から聞くな!!

感情が沸き立つのを抑えるのが精一杯で、背後に立つ奴等に憤りをぶつけると……冷ややかな言葉だけが、その場を満たしていった。

そなたの願いは、あれを助ける事であった筈。

あれは現世を厭い、その身を死に委ねる事を望んでおった。

我等はそれを助けたまで。

そなたも耳にしたであろう?あの者の言葉を。


羅刹殿。私は、父上のように武を誇れるあなたが妬ましい。私のような弱者が父上の子であるのは、恥ずべき事なのです。ですからもう――これ以上、私を苦しめないで下さい。


私は、あの人を苦しめていただけだったと?今の今まで……死に追いやるほどに?父上の遺志を継ぎ、平穏を望む者達を助けようと思っていたのに?

「すみま、せん……兄上。すみません。……父上、どうか――」

近付く気配を感じた私に出来るのは、その場に立つ事だけだった。

◆◇◆◇◆

が六波羅に戻ってきたのは、四月の初めだった。ここ半年の間に何があったのか、全ては伝令が伝えた後。北陸での苦戦も、惟盛が死んだって事もだ。

「そなたは兄を助けられなかったと申すか!」

だだっ広い板の間に手をついて頭を下げるお前がどれだけ悔しい思いをしたのか、俺には判らない。だが、疲れ果てた声と表情がそれを物語ってた。

「申し訳ございません」

清盛を宥めようとする重衡と俺。やはり所詮は養い子だと言う重臣達。その間に入って来たのは――信じられねえ事に、知盛だった。



     

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細かくプロットを立てていない部分に限ってサクサク書けてしまうのは、一体全体何故なんでしょうねぇ。
いやはや、不思議不思議。





橘朋美







FileNo.018 2010/4/15 ※2010/10/3修正加筆