ここを通るのも、これが最後になるかもしれない。そんな事を考えながら、お帰りなさいませと言う声に淡々と命じる。
「兄上にお伝えしてくれ、羅刹が参ったと。……ああ。それだけで良い」
それ以上、伝える必要は無い。居場所は直ぐに知れるのだから。見据える先には炎が揺らぎ、御簾越しに人影が――四つ、五つ。これから私がする事を知っているかのように、辺りはただ暗いだけ。けれど、たとえ今が真昼であっても構わなかっただろう。冷え切った心の中で呟けば、それに合わせて小さな炎が揺らいだような気がした。先触れも無いまま御簾を上げれば、そこには報告どおりの顔、顔、顔、顔。執拗なまでに私を狙い続け、失敗ばかりを繰り返し、それでも諦めずに暗殺者を差し向けてきた兄上の腹心を上座に、標的が並んでいる。
深山よりお届けした獲物、お気に召して頂けたか?
案内も請わずに不躾だと声を荒げる間抜けに問うと同時に、帯びた刀に手をやる。抜き様に一人。返し様に一人。怒りを超えた今となっては、何の迷いも無かった。楽に死ねるだけ有り難いと思って欲しいくらいだ。刀を手に立ち上がる者、声を張り上げ兵を呼ぶ者。喧しく捲くし立てるその顔は、青褪めていた。
「諦めろ。お前達は私の逆鱗に触れたのだから」
返り血を浴び、人だった物を一瞥した後。そこに現れたのは、兄上だけではなかった。
◆◇◆◇◆
「羅刹殿?――っ、これは!!」
然して気にする事も無いのだろう知盛は、眉一つ動かさずに転がる男達を検分し始める。諦めたような表情でこちらへ近付いてくる重衡は、ただ一言。怪我は無いようですね、と。既に言葉も無く、ただ立ち尽くすだけの兄上。私は――この人や、この人の家族を守りたかった。
「兄上。私は、あなたを軽んじた事など一度もありません」
それでも。
「ですがあなたの周囲の者達は、私に対してそうではなかった」
将臣を斬ったあの男が瀕死の状態で邸に届けられたのは、四日も前の事。なのに、それを命じた男は生きていた。私が戻るまで……誰からも、何の咎めも受けないまま。疾うに知れ渡っている筈の事態に何らかの対処が成されていれば、これほどあなたを怯えさせる事も無かっただろうに。戦う事……人に傷を負わせる事が嫌いな、優しい人。それは、今の時代の将にとっては命取り。だからこそ――その臣下達は、必要以上に汚い手を使うのかもしれない。
「私を亡き者にしようとしただけでなく、将臣を手にかけ…」
譲れない。
「兄上の立場までをも危うくした。これは、当然の報いです」
何故このような惨い事を。これではあまりにも……。横たわる男達に向けた視線を戻せば、微かに震える声が零れる。まるで、大きな声を出せば自分も同じ目に合うのではないかと怯えてでもいるように。この人は、何も知らなかった。それを責めるつもりは無い。けれど……。この事態を咎められる謂れも無い。ただ、これ以上こんな事が無いように私は願った。兄上に。清盛を交えて、事の次第を報告したいと。
「ですが、それではあなたに咎が……。ならば、せめて私が父上にお話ししましょう」
◆◇◆◇◆
重衡の申し出を断り、私は清盛に事の次第を全て話した。闇守の事だけを伏せたまま。
「是非お爺様のお力添えを…」
今目の前に居るこの人を、お祖父様と呼ぶ時がくるとは思っていなかった。見た目は子供。人の姿形をした怨霊。そして、平家の棟梁。もし機嫌を損ねれば、平気で私を殺すだろう。
「それは……真か」
その小さな声は、私だけに向けられたのではなさそうだ。きっと同席願った兄上だけでなく、その場に居合わせた者としてここに呼ばれた、知盛や重衡にも及んでいるのだろう。
「羅刹の申した事は真かと聞いておる!!」
「天地神明に誓って――真にございます」
平伏したまま告げれば、兄上達も短く肯定した。握り締めた拳を高々と上げる横媚怒目のその様。清盛は、将臣を助ける力になるだろう。少なくとも、平家一門の者達では手出し出来ないほどの助けに。
「羅刹よ、将臣を助けたとあらば褒美を取らさねばな」
これで良い。全てを話し終え、清盛がそれを真実だと認めた。事は思惑以上に上手く運んだというのに。その結末に、私は思いもよらなかった物を得た。父上の形見を。
「父上の名に恥じぬよう、心致します」
譲り受けた紺糸縅を手に深々と頭を下げ、私を知らしめる為の武具を待つ事になった夜。兄上と私の仲は、完璧なまでに壊れてしまったのかもしれない。
◆◇◆◇◆
木刀を振り下ろす暇も無く、弾き返される。そんな事を何度繰り返しただろう。目の前で、あのとかいうヤツが涼しい顔してやがる。
「ったく、こんなに鈍ってるとは思ってなかったぜ」
六波羅に戻れるようになった頃には、夏が終わろうとしていた。は一度戻っていたらしいが、ともかく俺は怪我が治るまで動くなと言われ続けて――。
「結局、随分世話になっちまったな」
「気にする必要は無い。お前達は闇守の血を引いているのだからな」
闇守――金で仕事を請け負う一族、か。正直、今でも半信半疑だ。この里に住む人間は全員が忍者みたいな奴等で、俺達の先祖だなんてな。見た目だけじゃ、普通の集落にしか見えなかった。朝は陽が昇ると野良仕事に精を出し、昼になれば男達は狩りへ行き、女達は獲物を加工する。年寄りや子供は殆ど居なかったが、篭や草履を作ってた。陽が沈む頃になれば美味そうな匂いが漂ってきて、夜には静かで穏やかな時が流れる。今の御時勢、戦だけじゃない。流行病や飢饉で殆どの集落が壊滅的なダメージを受けてるってのに、他とは比べ物にならないくらい、ここは平和な里だ。
「なあ、本当に――」
「くどい。全ては長たる者の心一つ。我等はその心にのみ、従う」
は、この里の奴等を戦に巻き込みたくないと言った。だが、平家が本当にヤバい状況になった時。ここの奴等を頼れば――少なくとも、だけは助けられる。
「将臣、そろそろ出ようか」
少し済ませる用があると姿を消していたが顔を出し、馬術の腕は鈍っていなければ良いね、なんて笑う。指差す方に目を向ければ、疾風と迅雷が繋がれているのが見えた。
◆◇◆◇◆
将臣と六波羅に戻ったのは、里を出てから数日後の事。私の所業は清盛によって黙され、咎めは無いまま。この先――清盛が目を光らせている限り、将臣に刃を向ける者は無いだろうと重衡は告げる。
「ですが……。、本当に宜しいのですか?」
一瞬だけ悲しそうな表情をした後、真剣な目で見詰める。こんな時の重衡を誤魔化せはしないと知っているから、正直に答えた。私が近くにあればこその不安もある、と。たとえ将臣に清盛の口添えがあろうとも、私を狙う人間にとっては意味が無い。また私が狙われた時、もし傍に将臣が居れば――。私はもう、あんな思いをしたくなかった。
「これが一番良い方法なんだよ、きっと。今は特にね」
それから、清盛に呼ばれていた将臣が戻るまで。その後の兄上の事、飢饉と流行病の広がり、戦の状況を聞いていた。けれど、それは闇守の放った間者が得た情報と然程食い違いは無く、そのどれもが喜ばしくないものばかりだ。特に義仲相手に苦戦しているという報は、私が里で報告を受けた時よりも更に逼迫した状況になっていた。
「恐らく、近い内にこちらでも手段を講じることになるでしょう」
こちらでも……というのは、援軍を送るという事だ。今は六波羅以外に兵を割くのは避けたいところだろうけど、義仲追討に向かっている経正や経盛を見捨てる事は出来ないのだから。ならば私がその任に就くと告げた後。私を配下の者として扱えい、今後は不用意に近付くな。清盛にそう言われたのだろう。声を荒げてやってきた将臣を宥めるのに、それなりの時間を要した。
「この世界で生き抜く為には、私情を捨てなきゃいけない時もある」
今がその時なのだと言っても、近付く事すら出来ないわけじゃないと言っても。自分だけが清盛の庇護を受け、私が危険な目に遭うのは納得出来ない。そう言って私を困らせた弟は、存外簡単な言葉で納得させる事が出来た。目の前で死にそうになっている兄弟を見る辛さ、将臣に解る?という一言で。
◆◇◆◇◆
六波羅に戻ってから、何日か経った。俺には納得出来なかった提案も、のあの一言で納得せざるを得なかった。確かに。清盛の命令があれば、俺は平家の奴等から一目置かれるだろう。これまでより、ずっとだ。だが、あいつは――はどうなる?平家の偉い奴等からしてみりゃ、俺やは邪魔者だ。そんな事は解ってる。だが、俺達は地位や名誉が欲しくて手を貸してるわけじゃない。受けた恩を返す為に太刀を取り、戦ってる。特には、もう何年も。そんな奴等に命を狙われながら、今の平家を支える為に動いてるのもそうだ。誰にも理解されないまま、死んだヤツの願いを叶える為に。それがどうして、こんな風になっちまうんだ?
「随分と……辛気臭い顔をする」
こんな時に一番顔を合わせたくないヤツ。だが知盛は、俺の知らなかった事を口にした。俺が戻る前、ここでが何をしたのかを。知らなかったのか?と目を瞠り、暢気なものだと咽喉で笑って。その挙句、は清盛に頭を下げたんだと。今じゃもう、太刀も馬も操れる。実戦でも役立たずなわけじゃない。それでも俺は、にそこまでしてもらわなきゃいけないほど頼りねえのか?清盛の言葉一つでは助かり、俺は優遇された。この状況を悪化させたくなけりゃ、大人しくしてるしかないっていうのかよ。そして次の戦に出た時、俺はの言葉を理解した。

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ゲーム本編の時間軸まで後少し。
橘朋美
FileNo.017 2010/4/8 ※2010/10/3修正加筆 |