相生
一章五
時は容赦無く過ぎていく。血止めと晒で押さえられた傷は手を離せばその口を開き、昼には炎症による熱が体力を奪い始めた。暮れ時には、もう私達に出来る事は何も残っていなかった。信じたくない。認めたくない。なのに……。血が失われ、顔の色が抜けているのが判る。手首を取れば、脈が落ちているのが判る。少しずつ、死に近付いているのだと……判ってしまう。

代われるものなら代わりたい

俄かに外が騒がしくなったのは、そんな陳腐な事を考えていた時だった。将臣から目を離したくないと思っていても、異様な騒がしさを放っておく訳にはいかないのが長たる者。苛立ちを隠し何事だと声を上げれば、答えを聞く前にそれを目にした。滲んだ赤い尾を引く青白い彗星。見えるのは丑寅の方角。それが何を表しているのか、気付くのにそうはかからなかった。時は宵の口――鳳の謡だ。

鎮星 艮方に燃ゆ
青に赤き芒角携え宵に降りし時
姿表し給うは不死の凰

◆◇◆◇◆

!鳳の謡が表すのは何?!」

の来訪、将臣の負傷、闇守の里。条件は全て揃っていたが……やはりその時が来たか。三つの謡は星の姫が遺したもの。お前に降りかかるであろう事象を知らせる、先見の力。それが何を意味するかは知らされぬまま……だが、その中で唯一つ。闇守の崇める神――不死の鳳を詠った謡は、間違い無く今を表したものだったのだ。答えは是だろう。聞かずとも判る。だが、聞かねばなるまい。

「身を焼かれ、疲弊し、その血を失うとしても……将臣を助けたいか?」

◆◇◆◇◆

訳が解らなかった。でも、他に手段は無い。

「それでどちらも死なずに済むのなら」

の問いに答えたその後、連れて行かれたのは里の外れにある小さな祠。普段、こんな所に足を運ぶ者は居ない。丑寅――鬼門に当たるその位置に、一体何が奉られているのか。それが将臣を助ける手段になるのなら、何だろうと構わない。人の出来る事は、もう無いのだから。

ナウマクサンマンダ バサラダンセンダン
マカロシャナ ソワタヤウン タラタ カンマン

闇夜に消え入るような低い声で真言を唱えるの表情は、真剣そのもの。だけどその真言が消えた後も、そこには何の異変も感じられないままだった。陰気臭い祠は、さっきまでと何ら変わり無いままそこに在る。は無表情になり、祠を見据えたまま。私の足は、もう将臣の元へと向かおうとしていた。

「新たな長は、随分と気が短いようだな」

目の前に現れたのは、明らかに人ではない。金の鬣、白い馬。それに跨る男の背には、赤い翼があるのだから。

◆◇◆◇◆

我は鳳凰。忘れ去られし遠き過去、神界にて五聖獣を束ねし者。堕ちた同胞を追う身となり、人界にて麒麟を統べし者。神を狩る者の長よ。我はそなたの望みを叶え、そなたを助力する者なり。

「それは闇守の崇める神だ」

良いか、。余計な事は願うな。願いの影響が及ぼす力を軽んじるな。その代償は増すのだから。最大を望むのではなく、最小を願え。そうでなければ、いずれ悔やむ事になるだろう。

「年長者の言は重きもの。努々忘れるでない」

何を?戯言は要らない。私は将臣を死なせたくないだけだ。代償が必要なら言えば良い。あんたにそれが叶えられるのなら、私がそれを断るなんて事は絶対に有り得ない!

「覚悟は変わらぬか。ならば……これを飲め」

作られて以来一度でも開けられた事があるのだろうかと思う祠の扉は、小さな軋みすら無いままに開かれた。中に安置されている陶器製の瓶は異様に白く、それが更に不気味さを増している。

「これは……血?」

それこそが我が力。死して後、再生する鳳の根源。新しき長よ。我を呑み尽くし、転生の煉火を身に宿せ。その後に、そなたの血を傷に与えるが良い。さすれば将臣とやらの傷は癒えよう。だが、心しておけ。

「水底に眠る事ほど容易くはない、とな」

これを飲んで傷に血を与えれば、将臣を助けられる。それ以上、望む事など無い。全てを聞き終える前に飲み干したそれは、濃度の高い酒が周囲を焼くのと同じようにして落ちていった。静かに、そしてゆっくりと。

◆◇◆◇◆

将臣が目を覚ました時、私は疲弊していた。あの瓶の中身を飲み干した後。感じたのは、所構わずのた打ち回りたくなるような熱さと痛み。意識がある事を呪いたくなったのは初めてだった。この血が将臣の傷を癒すのだから。そう思えば、取り乱している暇など無いまま枕辺へと急いだ。冷えた頬、浅い息。うつ伏せにされた身体には動く気配も見えない。着物を取れば、晒には真新しい血の跡が滲んでいた。

「血を……傷に落とせば良いの?」

短く答えたを一瞬見遣り、将臣の上で左腕に匕首を衝き立てた。腱を傷付けない位置、筋を断ち切らない位置を目掛けて。じわじわと刃の周りに広がっていく血は、中々落ちようとしない。それは、まるで私が将臣を助ける事を嫌がっているようににも思えて……苛立ち紛れに匕首を引き抜き、投げ捨てていた。瞬間、その速度は急速に上がる。堰き止められていた水が流れるようにして、下へ下へと流れていく。血の繋がらない弟を助ける為に――私の指先から将臣の背中へと。私の意識がある間、それが収まる事は無かった。身体の中を焦がすかのような熱さと痛みを感じながら、気の遠退くような長い時間。ただ只管、その時が来るのを待っていた。

「……っ、ここは――?」

目に映っていたのは、いつまでも寝たままの将臣。その脈を調べようにも膝を折る気力すら無くて、漸く聞こえた声はやけに遠い。もう大丈夫だと伝えようとすれば、ごめんなと辛そうに笑うその顔。再び目を閉じた将臣の息を確かめようとして、ほぼ同時に床へ崩れ落ちた。神経と感覚だけが研ぎ澄まされていて、安堵と共に怒りが湧き上がる。二度とこんな事が無いように、面と手足の甲を作れと命じた。一度見れば見間違わないよう、闇夜でも目立つよう、鈍く光る銀を使えと。そして、後始末の算段を脳裏に浮かべながら……意識は闇に呑まれていった。



     

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相生の神様は結構天然系。





橘朋美







FileNo.016 2009/8/25 ※2010/10/3修正加筆