私を尾行出来る筈が無かった。平家の者達にバレないようにと、穏形を使っていたのだから。それが破られた訳でもないというのに、将臣が里近くに姿を現した。闇守の術どころか陰陽術も知らない筈の将臣が、どうしてか。生来の勘の鋭さからか、それとも血の成せる業なのか。どちらにしても、信じ難い事だった。
「どこまで行くつもりだ?」
「もう少し先」
私が闇守の里に長く滞在する事が多くなってから、動向を探ろうとする人間は何人か居た。それは当然予期してた事で、以前のように狙われる事があっても不思議じゃない。けれど、その全員が里近くに張られた血の結界に阻まれた。
闇守の血を継がぬ者は結界を越えられん
そうに教えられ、あの謡を将臣に伝えておけと言われて……。運悪く、伝える機会を逃してしまったけれど。
「で?こんな山奥に連れて来てどうするつもりだ」
横に将臣、目の前には闇守の隠れ里。やはり、私に見えているものが将臣には見えていないらしい。闇守の謡を将臣に告げていたのなら、こんな事にはならなかったのだろうか。碌に顔も合わせないまま、溝を深めるような事も……。馬鹿馬鹿しい。過ぎてしまった事を考えたところで、何も変わりはしない。今は、将臣にどう説明すれば良いのかを考えるのが先決だ。この状況と、私の立場を……。
「なんだよ、この崖に何かあるのか?」
考えあぐねていると、肩に置かれた手と覗き込む顔。その目には、まやかしの風景が見えているんだろう。将臣に闇守の事を知られても良いのか……判らない。けれど、作り話で誤魔化せるとも思わない。闇守一族の者でなければ、ここはただの崖に見える筈。闇守の血を引いていなければ、この結界を越えられない筈。言葉だけを信じて越えようとすれば……拒まれ、果てる筈。全ては伝え聞いただけの事。たとえ血が薄れようと、将臣も闇守の血を引いている筈だ。それなら、里へ入れるかもしれない。だけど……もし入れなかったら?それが怖くて、私は安全な方法を選んだ。
◆◇◆◇◆
「冗談にしちゃ出来過ぎだな」
この崖の先に先祖の里があるとか、がそこで頭領になってるとか。そんな話、誰が信じる?この世界で平家の武将になってたって事でさえ、自分の目で確かめてなけりゃ信じられなかった。その里には一族の血を引かない人間は入れない?もし入れなければ、死ぬかもしれない?俺は、それを真に受けて引き返すような物分りの良い人間じゃない。だったら里のヤツを連れてきて話をさせりゃ良いだろ?そう言えば、お前が本当の事を話すだろうと思ったんだ。
「……判った」
たった一言。お前は、その一瞬で無表情になった。これで本当の事を言うだろうと思ったのは、俺の間違いだったんだな。そのまま俺に背を向けて、躊躇いもせずに崖へ歩き出す。お前はもう、俺の声を聞こうともしなかった。追いかけて、手を伸ばしても届かなくて。
「待てって言ってんだろ?!おい、――っ!!」
そこは一歩踏み出せば崖下に落ちる位置で、俺はそれ以上足を動かせなくて。は……消えた。下を覗いても、見えるのは木の天辺だけ。落ちた瞬間に見えなくなるなんて事、有り得ねえだろ。弱い風に吹かれてサワサワと揺れる木の葉は、その隙間に人一人呑み込んだようには見えない。まさか本当に、この先は崖じゃないっていうのか?だったら俺も、そこへ入れるんじゃないのか?そう思いはしたが……踏み出す事は出来なかった。
「お待たせ」
◆◇◆◇◆
一人で里に入った私は、その場で命じた。先ほどの狩りに同行した者達を集めろと。もしも将臣が後を追ってくるようなら直ぐさま止める為に、そこを動く訳にはいかなかったからだ。幸い里の一歩手前で大人しくしていてくれだけど、今思えば迂闊だった。将臣は、私の弟なんだ。本当に血の繋がった兄弟ならば里へ入れて当然なのだから、そう考えた将臣が大人しくあの場で待っているとは限らなかったのに。
と星の一族の先祖姫から生まれた子供は、闇守の血を継承した。そして将臣と譲は、お祖母様からその血を引いている。……その筈だ。それは、この世界に来た時に二人の先祖姫が話していた事から推測出来る。長い年月を経て、どれだけ血が薄まろうとも、その血が消えて無くなる事はない。けれど、全てが推測でしかないこの状況では、将臣も里へ入れる――そう断言する事も出来ない。
私の弟が結界の外に来ているが、余計な事は口にするな。そう命じて連れてきた闇守達は、先ほどの非礼を詫びると言って頭を下げていた。これで将臣が納得してくれれば……私はそう願っていたのだけれど。
◆◇◆◇◆
が姿を現したのは、消えた時よりも突然だった。何も無かったみたいに平然とした顔で、後ろにはさっきの奴等を従えて。
「じゃあ、お前が頭領だっていうのも本当なんだな」
自分が平家の奴等にどう思われているのか、こいつだって知らない訳じゃないだろう。それが、そいつ等の為に食い物を調達してたっていう。
「そう。これで納得した?」
無表情なまま問いかけるに、まだだと答えたのは無意識だった。何故お前がそこまでやる必要があるんだ。死んじまった奴に義理立てして、どうなるっていうんだよ。
「お前が入れるなら俺も入れるんだろ?先祖の里ってトコに」
一度決めた事を簡単に翻すようお前じゃない。言っても無駄な事を全て呑み込んで、少しでもお前に近付く為。本当のお前を知る為に聞く。
「……そうだね。多分…」
今話している事は、少なくとも嘘じゃないんだろう。それでも……。一瞬動揺したお前を見れば、隠しておきたい事があるって事ぐらいは判る。
「だったら今日はここに泊めてもらうぜ。色々と…」
知っておきたい事もあるからな。そう続ける筈だったのを遮ったのは、いつか見た男だった。こいつ――何ていったか。
◆◇◆◇◆
「それは認められんな」
暮れを過ぎても戻らぬ気を案じて出れば、それは結界の直ぐそこにあった。恐らく最も望まぬであろう来訪者と共に。
「あんたどっかで……?」
両者の遣り取りを聞いておれば存外こちらが不利だと見え、言いよどむに代わり口を開いたのだが。どうやら要らぬ世話だったらしい。
「?!何で……っ」
これの弱味は昔も今も変わらぬまま、か。日頃から他者に覚られるような言動を慎めと教えてはきたが、こと将臣と譲に関しては――それも効かぬ。
「?……お前、あの時の!どういう事か説明してもらうぜ?」
これもまた、闇守の血を受く者。たとえそれが霞の如く薄くとも……消えぬ、血の継承者。明らかに不機嫌なが将臣を里へ入れると決めたのは、その少し後だった。
「明朝には出立する。いつものように荷を整えておけ」
周囲の者に言い渡して去るその背中には、重過ぎるほどの荷を背負っているように思う。それを軽くしてやる手立てがあれば良いのだが。
「あれを解き放てば、更なる重荷を背負わせる事になりかねんな」
◆◇◆◇◆
言い逃れるのが無理ならば、拒む事も無理だった。の名前を口走った事で将臣は更なる疑問を抱いたし、私はあの時の事も含めて説明を余儀無くされた。事細かに話す内に私が本当の姉ではないと判れば、将臣はどうするだろう。あの時私が言った言葉に納得し、事実を受け入れるんだろうか?それとも、これまで隠し通してきた事を責めるだろうか?話している間中、そればかりが気になっていた。
「じゃあ、ってヤツは人間じゃないって事か」
「そう。あれは頭領に仕えて里を守る使い魔」
本当の事は話さないように、気を付けて嘘を吐く。記憶に無いほど昔からずっと私の傍に居たとはこの世界に来た時に逸れ、漸く半年ほど前に再会した。この里に来たのはと再会してからで、ここに居る一族は忍者のような者達だと。ここで何をしているのかは、在りのままを。重衡が、唯一人それを知っている訳も。真実と嘘とを混ぜ合わせながら、巧妙に話を――続けていた。
◆◇◆◇◆
なるほどな……筋は通ってる。重衡の事も、ってヤツの事も。だが、どうしても解らない事がある。
「お前、俺を里へ入れたがらなかったよな?」
最初に話してた時は、随分気乗りしない表情だった。あいつが出てきた後なんて、異様なぐらいムキになってた。俺を里に入れたくなかった理由は、お前が……。
「将臣。この里を麓の里と比べてみて……どう思う?」
どうって言われてもな。ここへ来るまでに通った町や里に比べりゃ、ここは充分な暮らしが出来てるだろう。道端に行き倒れてる人間も居なけりゃ、枯れた作物も無かった。
「何だよいきなり。まあ、そうだな。平和な里なんじゃねぇか?」
日照りが続いてあちこちの田畑が枯れちまってるっていうのに、あれだけの作物が育ってるくらいだ。平家の奴等に話を通せばお前が嫌な思いをしなくても…。
「私はそれが嫌なんだよ」
かなり真剣な顔だった。俺が話し続けるのを躊躇うぐらいに。何も言わずにその目を見ていれば、仕方ないって顔になって話し出したが。考え方の違いは、この世界へ来た時期の違いか、拾った人間の違いか、そのどっちもなのか。
◆◇◆◇◆
この里の事が知られれば平家は……いや。清盛やその意思に従う者達は、里全体を利用しようとするだろう。それは田畑や物資だけじゃなく、人も。もし闇守の力を知れば、必ず平家に従属させようとする。戦いで優位に立つ為に、その力のある人間を欲しがるのは当然の事。そうなれば、この里に住む人間は性別に関係無く兵に望まれる。数少ない年寄りと子供だけで、里を守れる筈がない。そんな風に利用されない為に、結界を張って静かに暮らしているというのに。それを、この里の人間は望まない。誰一人として。無理に従わせようとするなら相手が誰であっても、戦ってでもそれを拒むだろう。私は個人としてそれを望まないし、頭領としてそれを防がなければならない。そんな事態になれば、私は……。
「闇守は、表に出しちゃいけない一族なんだよ」
父上には助けられた恩がある。だからその遺志を継ぐと決めた。正式に頭領にと決まった時。この里の力を、平家を滅ぼさない為に利用すると伝えた。それを認められたからこそ、ここに住む人間の意志を尊重すると決めた。私が話し終わるまで一言も口を挟まずにいた将臣の出した結論は、一応の理解だった。但し、ここへ来る時には将臣を同行させるという条件付きで。私は最初、それを拒んだ。立場の悪い者が揃って留守にすれば、風当たりが益々強くなってしまう。
「そんなもん、口裏を合わせときゃ良い。だろ?」
そう言ってニッと笑った将臣を見たのは随分久し振りの事で、相変わらずだねと返す私も、きっと同じような顔をしているんだろう。これで漸く蟠りが解けたんだ。胸に痞えていた大きな塊が、すっと解けて消えていった。そんな感じがした。
「んじゃ、明日は邸へ帰ろうぜ。重衡がやきもきして待ってるだろうからな」
大きく伸びをして寝転がる将臣の言葉に、苦笑しながら私も寝転がる。戻ったら、重衡にはちゃんと礼を言っておかないと。にも話して、早い内に口裏を合わせておかないと拙いだろうな。そんな事を思いながら眠りに就いた私を翌朝待っていたのは、耐え難い……悲劇としか言いようのない出来事だった。

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次節では、またもや主人公が……いやいや。
ここで言ってしまったら実際に読む時がつまらなくなってしまいますから、今は内緒で。
一章の山場は四節五節にするつもりなので、もう暫くややこしい展開にお付き合い下さいませ。
橘朋美
FileNo.014 2009/5/13 ※2010/10/3修正加筆 |