将臣が平家に拾われた翌年、私は星の一族の邸へ出向いた。闇守の里からの客は歓迎されなくて当然だ。星の一族最後の当主、菫姫――お祖母様と共に消えてしまったのは、闇守の頭領――お祖父様の率いる部隊だったのだから。の住処である腕輪とお婆様から受け取った檜扇が無ければ、門を潜る事すら出来なかっただろう。
「では、あなたが菫姫の血を引くというのは……真だったのか」
お祖母様と共に姿を消した闇守の内の一人が女だったという。の話からすれば、それが父様の母親だったのだろう。菫姫は邸を出る前に神子様を探しに行くのだと告げ、消息を絶ったらしい。それ以来、幾日経とうとも音沙汰は無く、闇守総出での捜索も無駄だったと。消えた者達が見付からないのは当然だ。どうやったのかは判らないけれど、時空を越えてしまったのだから。
「私共には判りませぬが、菫は……娘は生きているのですね」
正確には死んでいる。けれど、時空を越えた直後の今ならば生きている。少なくとも、あと数十年の間は。そう伝えた時、はらはらと涙を零す老夫婦、私の曾祖父母。お祖母様は両親に愛されて育ったんだろう。娘のその後を知りたがる二人に請われて何日か滞在する内に、星の一族の力を持つ私に当主を務めてくれと告げられた。もし神子様がいらしても、今の星の一族には神子様のお役に立てる者が居ないのですと加えられて。
「――私は既に闇守の頭領です」
私はこれ以上、何かを背負えない。今更引き返せないのだから。これ以上ここに留まるのはどちらの為にもならないと思い、いつでも訪ねてくれと言う曾祖父母の邸を後にして闇守の里へ向かった。
「各勢力の動きを事細かに知らせろ」
里へ戻った私は、すぐさま各方面に間者を放った。私の知る歴史とは違うこの世界に、また一つ違う要素が加わったのだ。ここは私の知る歴史上の過去じゃない。いつ、どこで、何をすれば良いのか。それを知る為に必要なのは、正しい情報。幸い闇守はその手の事に長けた人間が多く、飛身を使う事で情報の伝達は早かった。そして、それから二ヶ月ほど過ぎた頃。歴史どおりの時期に清盛が亡くなった。
「留守は任せる。何かあれば直ぐに知らせを」
「ああ、行って来い。だが、くれぐれも油断はするな」
恐らく、大した変化も無いままに歴史は進んでいくだろう。私や将臣が平家に加わったところで、源平合戦の結末を変えられる筈がない。勝って権力の座に返り咲きたい訳じゃない。ただ生き延びたい……滅ぼしたくないだけ。あちらの世界で闇守が、こちらの世界で星の一族が滅びようとしているように。滅亡への道を辿らせたくないから――。平家を……家族を守りたいから。
「頭領、どうか御気を付けて」
居並ぶ闇守達も、私の家族同様なんだと思う。利用はするけれど、平家には連れて行けない。星の一族もそう。解っている。それだけを告げ、邸へ飛んだ。次は東国、墨俣の合戦。兄上と忠度殿、そして重衡と私が赴く戦。不安要素は欠片も無い。それでもまだ、不安だった。慣れない戦……初陣で死ぬ兵は多いから。
◆◇◆◇◆
戦が始まる。
判ってるさ
東国へ向かうと聞いたのは、何日も前の事だ。
解ってる
今の俺じゃ、足手纏いになるって事ぐらい。
けどな
――俺だけ残るなんて事、出来る訳ねえだろ。
◆◇◆◇◆
邸へ戻った途端、兄上を追うように言われた。戦へ赴く前にささやかな宴を、か。清盛が亡くなったばかりとはいえ、長年の習慣は止められないらしい。
「よお」
「兄上はどちらに?」
勝手知ったる人の家。警護の者達に止められもせず門を抜ければ、ここに居てはいけない筈の主が居た。しかも、手には酒瓶をぶら提げて。主催は基盛か宗盛だという事か。
「さあ、な」
「見掛けたら言伝を。羅刹が参ったと」
元々、大勢での宴は好きじゃない。兄上に挨拶を済ませれば、直ぐにでも帰るつもりだった。そうしなかったのは、ここで知盛に会ってしまったからだろう。
「有川の、初陣……か」
「……それが何か?」
こちらの世界へ来て間もない頃、私の初陣前にもこんな事があった。父上に励まされ、重衡に宥められ、知盛に煽られ、神経の昂ったまま、眠れない夜を過ごしていた。
「さぁな……判らない訳ではないだろう?」
「おい!知盛…っ、?お前、戻ってたのか」
「ただいま」
何かと風当たりの強い立場なのは、以前の私と変わらない。いや、それ以上かもしれない状況で戦に出て、まともに戦えるんだろうか。馬も刀も、充分に扱える訳じゃないのに。
「精々足掻くんだな」
「?ああ、そうだ。基盛が探してたぜ」
「言われずとも……。将臣、兄上を見なかった?」
それでも将臣の出陣に反対しなかったのは、重衡によって私の部隊に将臣を加えるという配慮がされたから。重衡の率いる軍勢でも中央に位置する、比較的安全な部隊に。
「兄上、か。面倒……だな」
「さっさと行けよ。惟盛なら、重衡を探して来るって言ってたぜ」
「そう。じゃあ、邸を回ってみる」
知盛の言う兄上は、きっと基盛の事じゃない。父上と将臣、兄上と私、父上と兄上、私と将臣。全ての柵が面倒な事態を招いてる。それに関わる全ての人間に。
「待てよ、惟盛を探すなら手伝うって」
「じゃあ、将臣は反対側を。一回りしたらここへ戻るから」
私達は、望んでここへ来た訳じゃない。だけど、来てしまった以上は足掻くしかない。それがどんな結果を招くのだとしても、生きる為には。
◆◇◆◇◆
態度がおかしいのは、実際に会った時からだ。男の姿で俺を知らない振りをして、泣きながら自分をだと認めた。
「ここでも何か……隠してるのかよ」
冷えた面構えと態度、大人びた男の姿と口調で接する。まるで、私に近寄るなとでも言うみたいに。年が明けて直ぐ、俺を避けるようにして姿を晦ましたってのも……。
「そちらにおられるのは……?有川殿でしたか。重衡殿を御存知ありませんか?」
こいつの父親に拾われて命拾いしたとは聞いたが、それがあいつを変えたっていうのか?男の格好で刀を持って、馬に乗って戦場に出て。
「いや、重衡は知らねえが、あっちでが探してるぜ?」
俺が来るまでの三年半、どんな日々を過ごしたのか。惟盛と経正は細かい事を知らなくて、知盛や重衡は口を割らねぇ。根も葉もない噂と憶測だけじゃ、何も判らないってのに。
「羅刹殿が?無事に戻られたのですね。では、私はそちらへ参りますので」
それとなく俺が居ない間の事を聞こうとすると大抵はぐらかされて、それ以上追求しようとすれば、やけに沈んだ目になる。それを見ると、見えない壁で遮られたみたいに踏み込めなくなっちまう。
「ああ。話が終ったら……いや、やっぱいい。今日はここに泊まるんだったな」
柔和な物腰と、気弱に思えるくらいの口調。確かに今のあいつと比べられたら、堪らないだろう。だからって、あいつが噂どおりの奴じゃないって事は俺が一番よく知ってる。
「ええ、明日は出立ですから。有川殿もいよいよ初陣なのですね。御武運を」
初陣か。あいつも、こんな風に緊張したんだろうな。平家に拾われた時。刀を持った時。戦いに出ると決まった時。何もかもが初めての経験で、あいつは独りで。
◆◇◆◇◆
避けられない。
判ってるよ
平家にいる以上、いずれ戦場へ赴く事になる。
解ってる
戦で命を落とすのは、運と力量の足りない人間だと。
だけど
――まだ死ぬ訳にも、死なせる訳にもいかない。
◆◇◆◇◆
初めて見た時には、どことなく面差しが似ていると。言葉を交わした時、これがの探し続けている内の一人なのだと。二人を引き合わせた時、喜んでくれるものだと。
「それは……間違いだったのですね」
弟君達を探す為。己の身の安全の為に素性を隠し、身の危険に晒されながら幾月も捜し求めていたというのに。年を重ねる毎にその手を緩め、口にする事も少なくなっていた。
「戦の無い世で育ったなど、一度も……」
将臣殿から聞くまで、思いもしなかった。初めて会った時から、は刀を扱い慣れていたのですから。衣を着られずとも、馬に乗れずとも、物事を知らずとも。太刀を持ち、戦う事に疑問を懐かず戦に出ているものだとばかり。将臣殿の言葉に偽りはない。衣も馬も、それどころか……太刀すら使えなかった。だとすればは、将臣殿に太刀を持たせたくなかったのでは?なんらかの理由で太刀を持ち、それを弟御にまで隠して生きていたのなら……。今の生き様を見せ、そこに招くなど――したくなくとも当然の筈。だからこそ、直ぐに素性を明かす事も出来なかったのでは?ならば――私は何も語らず、お二人をこれ以上苦しめずにいたい。
「このような事で償えるとは思えませんが」
せめてこれ以上離れず、傍に居られるように。戦に於いて、幾許なりとも死を遠ざけられる位置に。
「月は浮雲に姿を隠し……」
十六夜の月を憂いを帯びた雲が隠すように。立待の月の如きあなたを隠すのは、私でありたいと。そう願う。
◆◇◆◇◆
あの時と同じような違和感を感じた時、兄上を見掛けた。周囲には他に人は無く、違和感も直ぐに掻き消されたけれど。何かを求め、探し当てた達成感と喜び以外に感じたのは、哀しいような、寂しいような念だった。その付近で重衡を見付ければ、御簾の外で杯を眺めて月と話していたと言う。兄上もそれ以上は追及せず、その場に腰を下ろして庭を眺めていた。戦に赴く前夜。誰もが何かに思いを巡らせているのかもしれない。どれ程考えても、どうにもならない思いを持ったままで。
「いよいよ出立ですね。重衡殿、羅刹殿、御武運を」
旅支度を整え、鎧に身を包み、馬に跨る。これから先、戦いへ赴く為に幾度同じ事を繰り返すのだろう。安全な場所に落ち延びる日まで、幾度繰り返す事が出来るだろう。平家の滅亡は、史実でもまだ四年以上先の事。それまでは、何としても生き延びなければ。たとえ卑怯な手段を使うのだとしても、それで回避出来るのなら。
「こっちもそろそろ出発か?」
話した方が良いのかもしれない。私が何をしようとしているのか、何をしてきたのか。将臣だけには……いずれ。それを知った時、どんな反応をするだろう。反対するのか、賛成するのか、それとも他の策を出すのか。もし将臣と敵対する事になったとしても、私はきっと……引き返せない。
「そうだね。行こう」
春とはいえ風はまだ冷たいままで。暖かくなったところで、それがいつまでも続く訳じゃない。激しい照りと侘しい風に見舞われて、厳しい寒さに凍える前に。拭いきれない不安を抱えたまま、東国へ。京へ戻るまで高が三ヶ月弱の間に、有り得ない筈の事が再び起きていた。
◆◇◆◇◆
主だった者が東国へ発ち、一月も過ぎた頃。不意に異母兄からの文が届けられた。常日頃は顔色を窺うようにして宴に招く程度の者が、この時世に内密……しかも急を要する文とは。
「くだらんな」
使いの者が迎えを兼ねていたのでなければ、行き先が父上の屋敷でなければ……出向く事は無かったろう。急ぎ駆け付けた邸で見たものは、俺の見知らぬ……幼き日の姿で甦った父上だった。
「これは……一体どういう事だ?失敗したというのか?!」
割れた三種の神器……。八咫鏡を手に喚く父上に基盛が駆け寄り、声も無く泣き崩れる母上を宥める叔父達を余所に、宗盛が事の次第を告げる。敦盛を甦らせた死返の術。あの時、三種の神器は膨大な力を失ってしまったのだろう……と。何れにせよ、父上までもが死返の術により甦るとは。
「父上は……平家にそれほどまで未練がおありだったか」
東国へ出向いている者が戻れば、どのような顔をするだろうな。最後まで平家を案じていた兄上を……甦らせると息巻く父上を見たら。誰も止められはしない。絶え間なく続く戦も、父上も。止められるのは、終焉のみ。

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実際、知盛はお腹を壊して戦に行けなかったという話をどこかで読んだ事があるのですが……エピソードとして交えるにはかなりギャグに走ってしまうので取り止めました。
橘朋美
FileNo.012 2007/11/14 ※2010/10/3修正加筆 |