相生
序章九



あれは……なんだったのか。確かに私は、頼朝へと太刀を振り下ろした。その直後に感じた異様な気は、普通の人間じゃない――に近い気。

「まあ、珍しいお嬢さんですこと。何故このような所に居るのかしら」

身体中が何かに縛られているかのように、動けなかった。周囲に広がる静寂と血の臭いは、死を意味しているのだろうと思っていた。

「あら、まだ覚醒していないのかしら?ならばこのまま――消えておしまいなさい」

身体は重くて動かせないのに意識だけは研ぎ澄まされていて、甘ったるい女の声だけが聞こえていた。――お嬢さん、珍しい、覚醒、消える。…………消える?私が?私を知っているらしい女の声が、その場を支配しているかのように響く。

「あらあら。そんな所に隠れていないで…出ていらっしゃいな」

矛先を変えた声に近付いてきた気は景時のもので、避け切れなかった事態を確信した。敵として対峙する事。このままここで景時に殺されるだろう事すらも、覚悟した。

「そんなに恐がらずとも良いのに……名前を教えて下さるでしょう?」

いつまでも楽しそうに笑っている女が癇に障って、避け切れなかった自分が情けなくて……悔しかった。いっそ、相打ち覚悟で仕留めようとまで考えたけれど――。

「梶原……景時」

その声が聞こえた後、景時の気が流れるのを感じた。悲しくて、辛くて…それでいて優しい。あの微笑のような気に包まれて思い止まり、生き延びる事を選んだ。

「まあ…心優しい人。きっと死者達も喜んでくれますわ」

「行くぞ…景時」

「――はい」

遠ざかっていく気配を感じながら、生きていて欲しい――それだけを念じた。私が生き延びられたように、景時にも生き延びて欲しいと。

◆◇◆◇◆

「ちっ、何なんだよここは?!」

あの濁流に飲み込まれた時は真冬だったてのに、気が付けば紅葉を見上げてる自分が居た。小川さえ見当たらない、薄暗い山の中で。

「誰も居ないのか?」

も、望美も、譲も。目に入るのは沈みかけの太陽と草木だけで、返事は一つも返ってこなかった。

「ふぅ。取り敢えず、麓に下りるしかねぇか」

その山道の途中で気付いたのは、灯りが全く無いって事だけだ。学校の近くにこんな山があったのかって……おかしいとは思ったが。

「おいおい、冗談じゃねぇぞ?!」

野良犬の唸り声かと思ってたんだが、狐か?尻尾が何本あるんだよ?!夢じゃなけりゃ、妖怪と遭遇ってか?

「っつ―――どうやら、現実みたいだな」

見覚えの無い景色と、在り得ない状況に混乱しそうだった。あいつ等もこの辺りに居るのなら、早く見付けないと拙い。

「離れるな――か」

自分でも驚くほど冷静になれたのは、最後に聞いたの言葉を思い出したからだろう。あいつは探すと言った。だったらどこかに居る筈だ。

「俺は、急いでるんだよ…っ!」

蹴飛ばしたヤツを飛び越えて、夢中で暗闇の中を走った。道が平らになった時、目に入ったのは――信じられない光景だった。

「…………マジか?」

◆◇◆◇◆

思うように身体が動かせるようになるまでに、三月も掛かった。かなりの失血で死に掛けていたと聞かされた時には、青々としていた山々が斑な紅色に彩られていた。

「どうしても……行くと仰るのですか?」

富士川の戦は、やはり敗けていた。兄上が叱責を受け、重衡の執り成しで事無きを得たと聞いた。その後私は知盛に連れ帰られ、景時が離反したとも。全ては私が知るままの結果になってしまっていた。

「はい。申し訳ありません」

年が明ければ、直に清盛が亡くなる筈。それまでには大きな戦は無かった。けれど、春にはまた戦がある。その前に、少しでも情報が欲しかった。あの言葉の意味が解れば、何かが判るかも知れない。

「――仕方ありませんね。くれぐれも、気を付けて行くのですよ」

死ぬ前に少しでも兄弟達を探しておきたいと言った私に、周囲はそれを軟弱だと罵った。極一部の人間を除いて。情勢の落ち着いている今ならと言って送り出してくれたのは、惟盛……。兄上だけだ。この時代では、無理も無いだろう。

「はい。行って参ります、兄上」

「羅刹殿、無事の戻りを祈っていますよ」

兄上以外には何も告げず、朝靄に紛れて邸を後にした。まだ何も解らずに……ただ、それが解る時と場を探しに。ひんやりとした空気と、少しばかりの迷いに包まれて。

◆◇◆◇◆

「それで……そのまま一人で行かせたと仰るのですか」

「ええ。それが羅刹殿の望まれた事でしたから」

一人出歩けるようになってからこちら、姿の見えぬ事など幾等でもあった。兄弟を探しに出ると言った後、暫く大人しくなっていたと思えばこれか。徒労に終るが関の山――。言ったところで、聞きはせぬだろうがな。

「近隣に人を…」

「無駄だな、やめておけ」

あれを捕らえるどころか、見付ける事すら出来まい。追ったところで……逃げ失せるだろう。好きにさせておくが良いさ。気が済むか、終わりを感じるまで。

「お二人には言伝を預かっております。次の戦までには必ず戻る――と」

「は?……くくっ」

おかしな女だ。戻らねば存分に出歩けるものを。さりとて、それを望まぬ己があるのは否めぬ――か。次の戦、悪鬼羅刹が揃う刻を待つのも……悪くない。

「兄上、笑い事ではありません!平家の者が一人出歩いているなど、」

「今更どうにも出来ぬ。……だろう?」

戻ると約したのならば、それを無碍にする者ではない。暫くは、この退屈な刻に身を委ねるとしよう。お前が戻る、宴の刻限までは……な。

◆◇◆◇◆

邸を出て、何日が過ぎた頃だったろう?紅葉を散らせていた風は日に日に冷たく鋭くなって、野宿が辛い季節が近付いているのを感じた。邸を……京を出てここまで足を伸ばしたのは、気になる噂を確かめる為。漸く辿り着いたそれらしき場所には、人の住んでいる気配がある。なのに――景色が揺らいだその一帯から先へは、進めなくなっていた。その先は明らかに透明な壁に阻まれていて、否が応でも期待が高まる。この先に何かが在り、誰かが居る筈だと。

「ちっ……パントマイムでもあるまいし」

どれだけ周囲を探ってみても、その壁が途切れる場所は無い。思わず口を吐いた言葉に返事が返ってくるとは、微塵も思っていなかった。その気配が現れる直前までは。

「お前は……、何故ここに居る」

今まで動物以外の気配を全く感じなかった場所で、間近に湧いて出た男。しかも、相手は私を知っているらしい。敵か味方か……少なくとも、私にとっては見覚えがない人間。となると、敵である確立が高いだろう。

「私を御存知のようですね。覚えが無く、残念ですが」

柄に手を掛けるでもなく、殺気を放つでもなく、その男は只そこに居た。真正面に対峙しようと、間を詰めようと、身動ぎもせず。布で覆い尽くされたその身体は、必要最低限のものしか見て取れなかった。

「ここにお前の求めるものは無い。戻りなさい」

覆面越しのくぐもった声音は、脅しや誤魔化しとは思えない穏やかなもの。かといって、それを鵜呑みにする事など出来る筈も無い。暗闇の中、浮かぶように波打つ金糸を見据えていた。

「確信が持てぬ限り、退くつもりは無い」

「…………来なさい」

「は?」

「ここで話す事は出来ない。私に付いて来なさい」

僅かに見て取れるその目からは、威圧感すら感じるのに。発せられる端的な言葉は、横柄だとすら感じるのに。諦めにも似た穏やかさを感じさせる気配に、不快感を感じない自分が居た。

「それで?何を話して下さると?」

四半時ほど歩き続けても、その男は一言も話さなかった。夜の山道に足を取られる事もなく、黙々と先を急ぐだけ。一定の距離を保つその背中は、一体何を知っているのか。

◆◇◆◇◆

またここへ……来てしまったのか。あれが何を求めているのか判らぬと、神子は言った。どうすれば止められるのかも判らぬ、とも。

「私はお前を知っている。聞きたい事があれば聞きなさい。答えられる事には答えよう」

いつも同じ事を繰り返して来た。お前は何よりも、己を信じる。何事も己の納得いくまで認めようとはせず、己の信じた路を進み……それを貫き通した。

「ならば先ず、あなたの名を御教え願おう」

平家の将としてその素性を偽り、一族の末裔としてその力を振るい、人として……その時を過ごしていた。

「リズヴァーン」

こうして名を告げるのも、幾度となく繰り返してきた。その無事を確かめる為に――同じ運命を辿り続けて。神子は在るべき世界へと帰ったというのに、お前だけが消えた。辿り着いた、全ての運命の結末で。

「ではリズヴァーン殿、あなたは何故私を知っている」

そしてまた、お前は問うのだろう。私には答えられぬ事を。それと知らぬまま里を訪れ、私に会うのだろう。私を再び、この場所へと導く為に。

「答えられない」

結界の事。鬼の里の事。お前と私の事。全ては先の……未来でしか知り得ぬ事。私の答えられる問いなど、元より無いのだ。お前が求めるものを、今の私は知らず……私が求めるものを、今のお前は知らないのだから。

「答えられないという事は、知っているという事か」

お前は既に決めているのだろう。己の進む路を。そして、それは揺るぐ事が無いのだろう。たとえ友と、弟と……剣を交える事になったとしても。

◆◇◆◇◆

あの場所の事も、何故私を知っているのかも、何を尋ねても答えは同じ。答えられないイコール知っている。この男、一体何の為に私と接触したのか……考えるだけ無駄か。名前以外を教えるつもりは無いようで、ただ私をあの場から遠ざけたかっただけ。人を遠ざけたくなるような何かが在るのなら、尚更それを調べない手はない。こんな場合は一旦引いて出直す方が無難だと知ってはいたけれど、生憎そんな猶予は無かった。

「答えるつもりが無いのなら、そこを通して頂きたい」

「どこへ行くつもりだ」

「それを告げる必要があるとでも?」

「あの場所に近付いてはならない」

「理由も解らぬまま禁じられて、それを受け入れろと言うのは無理でしょう」

押し問答にかかずらっている暇なんて無い。今は僅かな時間でも惜しい。少しでも早く邸に戻らなければ。その先には、戦続きの日々が待っているのだから。その前に三人を探す為には、先に一族を見付けなければならない。私の守りたいものが消えてしまう前に。この力とあの女、何の関係があるのか。星の一族と闇守一族の関係を知る為にも。

「お前の求めるものは、あの場所には無い」

「それを判断出来るのは、それが何なのかを知っている者だけ」

「聞けぬ、と?」

「無論。これ以上邪魔をすると言うのなら……斬る」

殺す必要なんて無い。そんなつもりも無い。動けない程度に傷を負わせれば、それで良いと思っていた。この男が、妙な現れ方をした時のように掻き消えるまでは。

「――?!」

僅かな音と共に一瞬にして消えたと思えば、直後に現れる気配。これは、速い遅いなんて問題じゃない。瞬間移動としか思えない速さだ。気の動きを追うのが精一杯で、攻撃する隙すら掴めない。傷を負わせるだけで良いなどという考えは疾うに消え、暗い森の中で黒い刃を避けながら、起死回生の時を待っていた。

「何――っ?!」

「斬って……斬られる事を望みますか?」

肩先に止まる黒い刃と、首元で止めた銀の刃。そしてもう一つ、胸元に狙いを定めた銀の刃。滴り落ちる血は私の物だけれど、命脈を掴んだのも私。狙い通りの展開だった。――この後の、リズヴァーンの行動以外は。



     

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こちらも随分人が増えてきましたねぇ……少々混乱しそうです。(それがお前の望んだ事ではなかったのか?)
取り敢えず、今回はここまで。次回は一気に邸へ!…帰れると良いなぁ。短く纏めるのが苦手だと、先の見通しは全く付きませんね。(何事も一足飛びにはできない。模索するのも、また修行の内だ)

相方は言葉少ななリズヴァーンでした!……あ、今回の変換も少ない。(私はいつも、お前の傍に居る)





橘朋美







FileNo.009 2007/4/26 ※2010/10/2修正加筆