こちらに来て二度目の年越しは、随分と忙しないものになっていた。会わずに済むのならその方が良いと思っていた、清盛との対面で。
出来るだけ目立つ行動は避けたい。そう言った私に合わせてくれたのは、父上と兄上だ。けれど清盛は、我が子の見出した将を一門の者に紹介したくて仕方がないらしい。危うく、客人を集めた六波羅での宴がセッティングされるところだった。
父上の取り計らいで六波羅からの客人達を迎えたのは、師走の半ば頃。牛車に乗っていた清盛、経正、敦盛の三人を迎えての宴は、その日の夜。父上、兄上、知盛、重衡。そして私、羅刹童子が加わっていた。
「ほう。お主が羅刹童子か。中々良い面構えをしておるではないか」
「清盛殿のお褒めに与るとは有り難き幸せ。長きの間、御挨拶にも伺わず失礼を致しておりました事、御詫び申し上げます。何卒御容赦…」
「頭を上げよ。重盛の子とあらば、我の孫とも言えよう。この邸では堅苦しい行儀作法は無用ぞ。重盛を父と慕うならば、我の事は祖父と思うが良い」
「はい。有難う御座います」
平伏して挨拶をすれば、それを遮る父上とよく似た笑い声が響いた。やはり親子、血は水よりも濃い……か。様々な逸話を遺した平清盛、歴史では平重盛の二年後に熱病で亡くなる。何故か私は、六十才を越えている筈のその人をお爺様と呼ぶ事が出来ずにいた。
◆◇◆◇◆
夜毎繰り返される饗宴に、羅刹殿が同席する事は無かった。父上に拾われた学無き者とはいえ……戦場では知盛殿と肩を並べ、一騎当千の働きを見せるという私の義弟。殿上人として名を知られようとも、武門平家の者。武士としての功績は無きに等しいこの私よりも、余程父上の子として相応しい。そういった意見がある事は承知している――それを否定する事も出来ずに。
『私は戦う事でしか役に立ちません。兄上は違います』
己の出来る事、出来ない事、それを解っているのならば出来る事を。そう言った義弟を誇らしく思い、嫉ましくも思う。私は……そう言い切る事が出来ずにいるのだから。飛び交う言葉に苛まされる日々を――只々厭うのみ。
◆◇◆◇◆
「惟盛殿…。どうかなさったのですか?」
「いいえ。……冴えた月の鋭さとて、闇を切り裂きはしないのだと思いまして」
宴の席を離れ、独り佇む姿は幽玄の如き様相。思わず声を掛ければ、常ならぬ自嘲の微笑を漏らして零す言の葉。流言に胸を痛めているのだろう。心根の優しい人だから。桜梅の少将と名高き殿上人。平家一門を率いる伯父上、それを支える重盛殿と器と比べられる日々。況してや義弟とまで…。羅刹殿がいらした頃には疑うばかりだった一門の者達も、近頃では鳴りを潜めていると聞くが。
「そうですね。闇を裂くのは陽の光。いずれは暁に消え行くものなのですから」
「経正殿……。申し訳ありません、要らぬ御心配をお掛けしてしまいましたね」
力を持つ者だからこそ、陥れようとする者と祭り上げようとする者が存在する。当人の意思とは関係の無い所で策謀を練る輩が。欲望の渦巻く世界がここに在る。
◆◇◆◇◆
それにしても……よく続くものだ。大勢の要人が一堂に会し、楽の音が響く邸。正直なところ、居心地が良くない。素性を知られたくない人間ならば誰だってそうだろう。いい加減、自室に篭っているのにも飽きていた。
「……どうかしたの?もしかして、宴に出るのかい?」
「そう何度も付き合っていられないよ」
一回で充分。やや肩を竦めてみせると、力無く苦笑いを浮かべる景時。この所、暇さえあればこの部屋の前に居るという事は承知の上。息抜きに出掛けると言えば、必ず一緒に来るという事も勿論の事。出来れば一人で出掛けたいけれど。
「気分転換。夜の散策は気持ち良いから」
「ええっ、今から?今は止した方が……。明るい時の方が良いと思うよ?」
単語を並べ立てながら止めようとする景時を綺麗に無視するのも、当然ながらいつもの事。静かな場所を求めて邸を後にすれば、それで気配を絶ったつもりなのかと問い質したくなる馬鹿な人間の群れが後を付けて来る。数は――十七、八人というところ。
「運動不足が続くと腕が鈍るから。丁度良い鍛錬になりそうでしょう?」
「やっぱり――。気付いていない筈がないとは思っていたけどね〜」
大袈裟に肩を落としてみせる景時を笑いながらも、思考は冷たく鋭さを増していく。未だ懲りずに刺客を送る奴等が存在するという現実。今の宴続きは邸に紛れ込むのに良い機会だけど、私が邸に居る内は手を下せない。ならば、邸を離れれば?襲い掛かって来るのは至極当然の事。私はそれを待っている。これは八つ当たりや腹いせ、憂さ晴らしとは違う。父上からは何かあれば言うようにと何度も念を押されていたけれど、それでも私は、こういう刺客を調べるという手段を取りたくなかった。
「少し寒いけど……直ぐに感じなくなる」
「……無茶はしちゃ駄目だよ?」
段々と小さくなっていく景時の声が途切れたのは、小さな橋の近く。徐々に距離を詰める刺客達も頃合を見計らっていたのだろう。川原に下りようとすれば、其処此処から人影が現れた。
◆◇◆◇◆
長く続く宴にも飽いて酒に火照る身体を夜気に晒そうと階に腰掛ければ、朱に染まった月と人の影……。己が姿に酷似すると言われる者が、そこに居た。用向きがある訳でもなし、声を掛ける気など毛頭無かったが。そいつの一言で事態は変わった。
「……兄上。と景時が、外へ出たそうです」
振り向きもせず、常と変わらぬ声音で告げられた事実。群がる獣に餌が投げ込まれた…否。撒かれた毒餌を踏み潰す獣が飛び込んだ、か。今宵……邸に居るどれだけの者が、その咽喉笛を狙っている事か。それを知らぬほど、は愚かではない。
「ほう?それは心配だな」
「景時が――ですか?」
「クッ……まさか」
梶原なぞ……邪魔にならぬ程度に動くのが関の山。ならば、案ずるべくも無い。飼い慣らされた駄犬が、どれほど群がろうとも。獅子の歯噛みに恐れ戦くのが精々だろう?平家の名に縋ろうなどとは塵ほども思わず、己の保身を考えるでもなく。ただ戦いに身を投じるのみの悪鬼羅刹に……縄を打とうなど、愚の骨頂。
「浴堂の仕度でも、させておくんだな」
◆◇◆◇◆
周囲の甘言に惑わされるでもなく、己が野心を掲げるでもなく。只管に追い求めるのは親しき者達。拾われた恩だと戦場にて太刀を振るうその姿に価値を見出した者達は多く、その者達の欲望は果てし無い。
「気にするだけ無駄、というものだ」
そう残し、去り行く背を送る。確かに。無事を案ずる必要があるほど、は弱くはないでしょう。ですが、私が案じているのはの心。弱味を見せぬよう、惑いを持たぬよう、己を忘れぬよう、崩れ落ちてしまわぬよう。常日頃から張り詰めたままのその心が、一体いつまで持ち堪えられるのか。堪える事が出来なくなったその時、はどうなってしまうのか。
泣いてしまうのならば、慰める事も出来る。怒り狂うのならば、宥める事もしよう。だが、もしも――。もしも、壊れてしまったのなら?己を忘れ、それを止め、傀儡の如く操られてしまうような事があれば。策謀に関わる者達の手に落ちるなど、有り得ない。そう、思いたい。
「どうか……無事で」
◆◇◆◇◆
「景時、そいつは残して」
片腕を落とした一人を残し、顔を上げさせる。どう足掻いても敵わないと知れば大人しくなるだろう。そんな考えは、途轍もなく甘いものだと知った。自害する――そう思った時には、もう遅かった。
「……行こう」
血に染められた川原。返り血に塗れた自分。何体もの転がる屍。私は――人を斬る事に慣れていた。それは昔から教え込まれて来た事で、この世界では日常茶飯事だったから。でも……目の前で命を絶った男は、私が殺したんじゃない。
「早く戻った方が良い。……、行こう?」
血に染まり切った光景の中で、綺麗に浮かび上がる姿。静かにそこに佇む景時だけが色彩を放っているように見えて、それ以外の物全てが血と闇の色に見えて――近付く事が出来なかった。
「…、…たしが…………」
「えっ?」
「私が……死なせた」
「?!」
「私が!……あの男を死なせた」
「違う!――違うよ。あの男は、自分で死を選んだ。生きる術はあったんだ。君が死なせた訳じゃない。仕方の無い事だったんだよ。ねえ……もう、帰ろう?」
「帰る?……私が―――どこに?」
あの男は、兄上の腹心に当たる者の部下。生かされて、兄上に累が及ばぬよう自害した。そうとしか――考えられない。命じたのは兄上かもしれないし、その腹心なのかもしれない。ただ確かな事は、羅刹童子を邪魔だと感じている人間が未だにあの邸に存在しているという事。それに兄上が……関わっているかもしれないという事。
「あの、男――私は…」
「大丈夫。大丈夫だよ…」
「私は、知っている。……兄上の…」
「、大丈夫だから!」
「誰もが利用する。名のある者、利用価値のある者…」
「?」
辛そうに、悲しそうに、困ったように、僅かな微笑を浮かべる。何故君がそんな表情をするのか。ただの――監視役の筈が。信ずるに値しない者だからこそ、そう命じられているのだろうに。
「重盛様が心配してた。きっと、知盛殿と重衡殿も。はいつも無茶をするって。家族みたいにさ。……実際に家族でしょ?オレだって、何も繋がりが無くても――の事が心配なんだ」
差し伸べられた手は、大きく、優しく、綺麗だった。自分の手を伸ばそうとした時、酷く穢れた自分の手が見えて――。今はもう、何も考えたくない。誰も居ない、独りきりになれる場所で頭を冷やしたい。
「あの男が兄上の差し金で私を狙ったのなら…」
なのに思考は止まる事を知らず、唇は言葉を止めない。それ以上、考えてはいけない。これ以上、言ってはいけない。これまでずっと、そうしてきた筈なのに。
「そんな事…」
止められない。口にした言葉は静寂に響き、私以外の人間に拾われる。それが不利にしか働かないだろう人間に。
「いつか私が、兄上を殺す?それとも……私が殺されるしかない?」
腹を括り、目を逸らさず、決して怯まない。それが生き延びる道を作る筈。なのに、対峙する者が守りたい人達の誰かだったなら…どうすれば良い?生き延びる為に殺す?守る為に殺される?こんなにも不安定な位置に立って、私は何処へ向かっているんだろう。纏まらない思考に頭の中を支配されて、その後私は……意識を手放した。
◆◇◆◇◆
彼女が動揺するのも無理は無い。大丈夫だって言い聞かせてみても、気休めにもならなくて……。それでも、他に言える言葉なんてオレには無くて。自害した男の事を知っていると言う彼女に掛けられる言葉なんて、一つも思い浮かばなかった。
「……帰ろう」
もう一度促すと、首を静かに横へ振るだけ。手を取ろうと近付けば後退る。その目はどこか、虚空を見詰めているみたいだった。小さな声で何か呟いていて――それが聞き取れなくて。どうして脅えているのか、何故オレから離れるのか。その答えは聞けなかった。
「っ?!」
揺らいだ姿に思わず駆け寄ると、膝を折るようにしてゆっくりと倒れていく。その時覗き込んだ彼女の目は、まるで何も映していないように見えた。そして、意識を失う直前。微かに動いた唇は、言の葉を紡がないまま閉ざされてしまった。
◆◇◆◇◆
「それで…未だ眠り続けていると?」
「はい。傷を負ってはおりませんでした」
「薬師も不要かと」
陽が昇って明るくなっても目を覚まさないまま。眠り続けるを抱いて戻れば、重衡殿が部屋の前に居た。当然、知盛殿と重盛様に報告が飛び、の部屋へ全員が揃ったのは巳の刻を過ぎる頃だった。
「何が……あった」
「散策中の橋近くで、賊に襲われました。数は二十に満たず、最後の一人を残し殲滅。ただ……その男が自害した後に動揺し、意識を失っております」
「その男が……と何か関わりを持っていたのですか?」
「いいえ。そうではなく…恐らく、その男が惟盛殿の腹心の手の者であった事が災いしたのではないかと。自分がその男を死なせた、と……口にしておりました」
言うべきかどうか……迷わなかった訳じゃない。それでも、オレは言わなければならなかった。
「いずれは己が惟盛殿を手に掛けるのか、それとも惟盛殿の手に掛かるしかないのか。とも……」
の身体に異常は見当たらないのに、意識を失ったまま。最初は身体と精神の疲労から倒れたのだと思っていたのに、いつまで経っても眠ったまま。苦しそうな表情ではないけれど、普段よりも呼吸が少ないような気がする。
「が目覚め次第、使いを寄越せ」
「御意」
邸を出たのは暮れ六ツ半頃だったから、倒れたのは――五ツ半頃。こんなに長い間眠り続けているだなんて、幾等なんでもおかしい。薬師を嫌っているのは知ってるけど、このままじゃ……。
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ただ冷静になりたかった。依頼を果たす時のように。迷う事無く、冷静に。暗い淵に沈められるような感覚は、水に包まれて呼吸をしていた頃のよう。ここでいつまでも揺蕩うていたい気持ちになるのに、そうしていられない事を知っている。自分が何者なのか忘れないように、記憶の中から引きずり出した答え。
忘れるな。闇守の頭領として生きる者、それがお前だ。
その真実を知る事が、私の位置を確立するのかもしれない。夢の中で、私はそう結論付けていた。

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巳の刻=11時・暮れ六つツ半=19時・暮れ五ツ半=21時
夜の呼び方って、多過ぎて迷う。
これで平家登場人物全員OK。あ、将臣はもうちょい後だけど。(私は…今回、名前のみだったのか…いや、何でもない)
経正&惟盛の口調が難しいのなんの!やっぱり、普段の言葉遣いが知れますねぇ。何回打ち直したことか…ホント。(兄上も惟盛殿も、物腰の柔らかな…優しい物言いをする方達だが?)
ま、順調に進んでるし…次行こう、次。相方は名前しか出せなかった敦盛でした!
(え?!……いや、あの…その、もし良ければ…また会いに来てくれるだろうか)
橘朋美
FileNo.007 2006/10/7 ※2010/10/2修正加筆 |