遍く昼


「その格好でやるつもり?」

「だとしたら、何だ?」

いつものように着崩した狩衣姿で現れた知盛に、思わず溜息を一つ。普段なら取り立てて騒ぐほどの事じゃ無いけど、本気を出して斬り合えって言うなら話は違う。知盛の交換条件は、本気を出しての手合わせ。その約束を守らせる為に私の部屋に来たのは、次の日の朝だった。

「どうもこうも無いでしょーよ。私は君を殺すつもりは無いよ?」

「俺を殺す……だと?クッ、笑わせてくれる」

いや、笑わせるような事を言った覚えは無いんだけど。第一、鎧も着ないで真剣勝負なんて。大怪我でもさせたら、こっちはかなり困る事になるんだよね。

「本気を出せって言ったのは知盛でしょう?」

「そうだが?」

だったら、と言いかけた所で手首を掴まれた。そのまま知盛に引き寄せられれば、目の前に唇が来るのは当然。なんだけど……なんでこんな事する必要があるっての?

「手合わせ前に検分でも?」

「口の減らん女だ」

元々一つしかない口が増えたり減ったりして堪るか。なんて言う暇は無くて、腰を引き寄せる腕の感触と同時に口を塞がれたのに気付いた。



「ん?っ――?!」

「ふ…――っ?!」

自分が今、どういう状態なのか。頭で考えるよりも先に身体が動こうとした時、それはもう要らなくなってた。忌々しそうに身体を離した知盛の米神には血が伝って、その舌が舐める手の甲には大きな掻き傷が二つ。何て言うかまあ……頼りになる護衛だこと。

「おやおや、直前に怪我をすなんてツイていないねぇ?」

「チッ、邪魔を……するな」

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「もう良いから」

性格と躾の悪い、猫みたいな男だとは思っていたけれどね。俺達の前でお嬢に手を出すなんて千年早いよ。人である君達は、お嬢の庇護を受けながらもそれを知らぬまま。それが何を齎すのかも知らず、数十年の後には土へ還る。

「ほら、おいで」

朝っぱらから鬱陶しい奴が来たと思えば、随分調子に乗ってくれたもんだぜ。こっちは只でさえ苛ついてんだよ。お前等のお蔭でな。脆くて弱い人。お前等を護るのは俺等じゃない。俺等が護るのは、お前等を護りたいと願っている嬢だけだ。

「どんな意図があるのか知らないけど、怪我が治るまではお預けだね」

「お前を、欲しがる男は一人じゃない。その意味を……判っているのか?」

取るに足らぬ者への言葉と視線。その冷やかさがお前の本質なら、それを剥き出しにしてみせろ。本気になったお前を、その強さを、その美しさを見せてみろ。それが、俺の願いなのだろう。

「ふぅん……それは初耳だね。ご忠告どうも」

「俺は、お前を手離したつもりは無いぜ?」

「手に入れてもいないものを手離すのは不可能だろうね」

ゆらゆらと。頭上を舞う鷹が、煩わしい。ひたひたと。足元を行く虎が、疎ましい。叩き落そうとする刃に身を翻し、捻じ伏せようとする腕に牙を剥く。その様が、壊したいほど。狂おしいほど……愛しい。

「いずれ、手にしてやるさ」

動かぬ表情は揺らいだ心情を表し、ただそれを隠さんが為に浮かべられたのは小さな冷笑。緩慢に放たれた声は耳に障り、過ぎ去る背中は眼に障るばかり。ふわり。抱き上げられた眼前の笑みと、消えた冷たさに安堵の息を漏らす。

「やり過ぎだよ、二人とも」

反論しないのは人型を執れねぇからで、まだ温いくらいだとの意を込めて肩先で髪を引く。間近で見るその顔に憂いは見えないが、心の奥底は当の本人ですら解らないのが人という生き物。だからこそ――危ういんだ。その箍が弾ける前に修復しなけりゃ、拙い事になっちまう。

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部屋に戻って思うのは、無防としか言いようの無い知盛の行動。本気を出せって言うなら、それなりの覚悟はしてもらわないと拙い。鎧も着てないんじゃ、こっちとしては碌に攻撃も出来ないってのに。

「はぁ……」

それに――なんであんな事。知盛は、将臣の事を知っているんだろうか?あの時の事は誰も知らない筈なのに。

「大体さぁ、なんで私なのよ?」

まだ若かった頃なら。まだ人だった頃なら。まだ何も知らなかったのなら。
嬉しかったのかもしれない。喜べたのかもしれない。答えられたのかもしれない。
でももう倍以上も生きてる。私は人ですらないモノ。君達の行く末を知ってる。

「どれだけ年を取っても、伊達でしかないのかな」

嫌いじゃない。嬉しくない訳じゃない。けど、何て答えたら良いのか――判らない。私がなんなのかを知ったら、きっと諦めも付くだろうけど。今はまだ……全部を話すには早過ぎる。まだ私は、覆された終焉を見届けていないんだから。

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「そこに居るのは……なのですか?」

「重衡……今、話せる?」

時折鼻を掠める香りは、この季節に咲く花特有のもの。間近で嗅げば眩暈を起こしそうなほどの強い香は、遠く捉えれば近寄りたくなるほどの芳香となり、蝶を誘い、人を誘う。宵闇にその姿を隠そうと、その存在までもは隠す事が出来ずに。

「ええ、構いません。ですが、このような刻限に……何か火急の用件でも?」

「悪いね。ちょっと知盛の事を聞きたくて」

闇の中、翻る髪をこの手に絡め取りたい。尽きもせず胸の内にある想いをあなたに伝えられたなら。この思いに、あなたが応えてくれたのなら。愚かしき悋気とて、瞬きの間に消え失せようものを。

「兄上が何か失礼な事でも?」

「まぁね。重衡、知盛は死にたがってるの?」

濁された返答を問い直す間も無く、投げ掛けられた疑問は不可解なもの。知盛兄上が死を望んでいる、とは。死をも厭わぬ働きをするのかと問われれば、それは是。死を欲しているのかと問われれば、それは否としか。

「いいえ。そのように見受けた事は御座いませんが」

「そう。じゃあ、余計に……」

小さく呟かれた言の葉が何を意味するものか理解する事は出来ず、近寄り難いほどの貌を見ては不用意に言を送る訳にも行かず。笑みを浮かべれば早く寝ないと冷えるねと、頬をなぞる。たとえ雪の如く冷えた指先といえど、春を呼ぶ女仙の如き微笑と共に。

「ええ。あなたも凍えてしまわぬ内に」

「そうだね。お休み、重衡。また」

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が滞在するとなった時。周囲の雰囲気がおかしいと感じていた。口さがない者達はあからさまにを敵視し、揶揄する者も多かった。惟盛殿に至っては、一触即発の事態にまで陥ったとか。以前は心安く通っていた将臣殿、知盛殿や重衡殿までもが遠巻きに接し、それと入れ替わるようにして帝が足繁くの元を訪れるようになった頃、お二人で私の元を訪れる事が何度かあった。

「敦盛、どうかした?」

「えっ。あ、いや…すまない。少し、考え事をしていた」

体調が優れないのでなければ良いと微笑むは、笛を聞かせて欲しいと言って一人で訪れたきり、階に座っていた。何をするでもなく、目を閉じて陽射しを浴びながら。その表情に疲れが見えるのは、気の所為では無いだろう。何かあったのか?などとは聞けず、私でも力になれないだろうかと思い悩んだとて、妙案が浮かぶ訳でもないまま。

「昔ね……死に掛けたんだ」

「?――、それは……」

唐突な話だった。これまでは過去に関わる事を話そうとはせず、自ら何かを語る事も無かった。それが何故、今なのか。淡々と語られるのは……死に瀕したが見たというもの。様々な人が難局に陥り、それを見ている事しか出来ない己を疎ましく思い、己の遣るべき事を与えられ、今ここに居るのもその一環だと言う。それを成し遂げる為に、ここに生きているのだと。

「遣るべき事は判っていても、どうしたら良いのか判らないなんてね」

「そうか……。だが、

私達は……遣るべき事があるからこそ、こうして留まっている。それを私に教えてくれたのは、あなただ。どうしたら良いのかと思い悩むのは、あなたが……優しいからだと思う。何をすべきか判っているのなら、どうするかはあなたの思うままにすれば良いのではないだろうか。それは最良の案でなくとも、精一杯の案なのだろうから。

「そう、だね。要は私が決められないだけで……。敦盛、随分強くなったんだね」

「す、すまない……。余計な事を言ってしまっただろうか」

悲しげに微笑むを見て、思わず謝罪の言葉が漏れる。不快にさせてしまったのだろうか?それとも、悲しませてしまったのか。どちらにせよ、それは私の望んだ結果では無いのだから。愚痴なのだから気にするなと苦笑いを浮かべる様は、これまで見た事の無いの弱さなのだろうか。ならば私も、僅かなりともあなたの力になれたのなら。

「ありがとう、敦盛。私はもっと強くなろうと思う。成すべき事を成す為に」

「ああ。あなたなら、きっと成せると思う」

は以前、誰かを探し続けていると言っていた。その誰かを見付けた先に、の成すべき事が待っているのだろう。その為に強くあろうとする姿は羨ましくもあり、好ましくもある。幾分か穏やかになった表情と、僅かながらに春の薫りを運ぶ風。もう一度と請われ、奏でる笛の音。弱くとも降り掛かる陽の光の中で感じるのは、確かな安堵だけだった。

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「また豪く突然だな?」

「まぁね。けど、いつもの事でしょう?」

もっと強くなる為には、ここでは何も出来ないから。春になる前になんとかしたいから。今はもう、ここで遣るべき事は無いから。

「交換条件はどうするつもりだ?」

「反故にするつもりは無いよ。また会えた時にね」

人の居ない空間にモノの無い場所を作れば、参眼を操る練習が出来る。開いた参眼を制御出来るようになれば、不安は減る筈。その力を自分の思い通りに出来れば――?

「重盛、おらぬのか!何故我の招きに応じぬ」

「だから、客が来てるって言っただろう?」

その一瞬で部屋の空気が澱んだ。感じたのは、知らないのに判る神の力。子供の姿をした……怨霊から。

「私はこれで失礼するから構わない。また」

「あ、おい。ちょっと待てよ!」

肩に舞い降りた炎尾が急かす。毛を逆立てた風牙が警戒心を煽る。一刻も早くここから、あの赤毛の……子供の姿をしたモノから離れろと。

「また会えるんだろ?」

「生きていればね」

「ああ、そうだな。……死ぬなよ?」

「君もね」

いつまでも動かない将臣の気配を背中に感じながら、御所を出た。あれは……。あの感じは――白龍と同じ。兄さんが言ってた。――黒龍だ。それを平家の怨霊が……あれはただの怨霊じゃない。神を呪縛出来るほどの……どうして。

「とっとと離れるぞ」

「さっきの子って、」

「今はここを離れるのが先決だよ」

早く……早く人の居ない所へ。じゃないと頭が混乱しそうだ。晴れた昼の太陽は見渡す限りの全てを照らしているのに、物の陰にあるモノまでは照らしてくれない。

「間違いない。あれは龍神の片割れだ」

「あの子供が黒龍を従えてるっての?」

「従えているんじゃない。縛しているんだよ」

雷矢と霧鎖に合流する為に北へ向かう途中。いつものように姿を消して風牙に乗った途端、一斉に喋りだす。子供の怨霊が清盛、清盛が黒龍を捕らえてる。

「片割れだけが逃げ延びたのは、その性質の違いってワケか」

「どうして……。清盛は黒龍に何を…」

「判るだろう?お嬢。怨霊は、現世に留まった陰の気から生まれるんだ」

源氏に対抗する為に生み出される怨霊。それが黒龍の力を利用してるなんてあんまりだ。作り出す力は片割れ――消し去る力の片割れ。

「少なくとも、今は手出し出来ねえな」

「平家には……将臣達が居るから」

「そうだね。彼等全員を敵に回す事になってしまう」

今は手出し出来ない。なら、いつかは出来るようになる?黒龍を取り戻す為に平家を敵に回す事になっても構わない。いつか、そうなったとしたら……その時、私は誰の敵になるんだろう。幾ら考えても先へ進めない頭の中とは裏腹に、身体は前へ進んで行く。遥か彼方に薄らいでしまった山とは逆に、懐かしい山が少しづつ近付いてきていた。雷矢と霧鎖の気も。



     

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(壁紙:十五夜/ちゃちゃ様)

章間番外平家編、これにて終了。
次はこっそり平泉へ。





橘朋美







FileNo.108_03 2008/2/26 ※2010/10/5修正加筆