目の前に拡がる光景はとても不可思議なもので、私はそれを見詰めずにはいられなかった。ごろごろとした雪の塊が立ち並び、その脇には南天の実と葉を目と耳にした雪の兎らしき物が置かれている。陽射しがあるとはいえ、寒風に晒されるその先。渡廊に腰掛けるお二人の姿は親子の如く微笑ましい。けれど、周囲の目には……恐らく気付いておられるのでしょうね。
「おはよう、重衡」
「失礼致します。お二人で雪遊びですか?」
「重衡殿であったか。うむ、氷炎殿と共に雪だるまなる物を作っておったのだ」
両手を抱え込むようにしたお二人が、同じような表情で此方を向く。寒さにほんのり頬を染め、吐く息を一層白く際立たせ。面のような表情をした者達など、存在していないかのように微笑んで。恐らく帝からを離す機会を窺っていたのでしょう。私が現れた途端、ここぞとばかりに捲くし立てる。一体どちらが不遜なのかと問いたくなるほどに。……その口々の愚かな事。
「申し訳ありません、帝。私も氷炎殿とお話したい事があるのですよ」
「そうか……ならば仕方あるまい」
「まだ雪は消えないから大丈夫。また時間のある時にでもね」
腰を落とし軽く帝の頭に触れるの表情は先程とは打って変わったもので、名残惜しさを隠そうともしていない様子。それは、がこれまで一度として見せた事のない顔でした。帝に近付き、何事か企んでいるのであれば――。そのような考えを持った事を、それを確かめようとした事を恥じ入らねばならないのではないかと思う程で。
「何か?雪だるまの作り方を教えて欲しい訳じゃないでしょう?」
「中々に魅力的なお誘いですが、あまり冷えては良くありませんよ」
「用件は?」
此方を警戒するような素振りも無いままに、ただ感情の感じられない視線と短な言葉で訊ねられる。あの日、あなたが訪ねて来た夜から。少しずつ何かが変わっている。何も聞かず、何も言わず、失ってしまったのだろうか。私はあなたに対する、あなたは私に対する、信頼という感情を。それはもう、取り戻す事が叶わないないのでしょうか。
++++++++++++++++++++
帝が遊びに来るのは珍しい事じゃなくなってた。私は暇と感情を持て余していたし、小さな子供と過ごす時間は、眠れない焦りと苛立ちを静めてくれるのが嬉しかった。私がこれまで接してきた子供達とは、まるで違う子供。自我が目覚めるよりも前からその役割を担ってる。本人はそれを苦とも思わず、当たり前の日常として育つ。
「人に見られているのは落ち着かないでしょう?どうぞ此方へ」
「別に見られても困りはしないよ?」
周囲の人間に期待されて、大きな荷を背負ってきた子供。周囲の人間に蔑まれて、自分の決めた路を進んできた子供。どんな子供にも幸と不幸があると思う。だけど、この子達には笑っていて欲しい。せめて別れる時くらいは。出来る事なら、あの子にも。重衡の部屋に招かれて、何も言わずにそんな事を考えていた。
「何か気に掛かる事でもおありですか?」
「それなりにね」
「気鬱を晴らすのでしたら、舞など如何ですか?」
「如何って……重衡が舞ってくれるの?」
「ええ、勿論。私も共に舞わせて頂きます」
「誰と?」
「ここに以外の人間はおりませんよ?」
そりゃまあ、二人しか居ない部屋なんだから確かにそうだけど。何で私が……。大体、盆踊りですら碌に踊れなかった私に舞なんて踊れる訳が無いと思うんだけど。さっきまでの真面目な考えは、どこに行ってしまったんだろう?そんな風に思わなかった訳じゃないけど、これだけ見事にこっちの意見を無視して話を進められれば、当たり前の反応だと思う。
「それほど難しくはありませんし、私がお教えしますから」
「だから……碌に見た事すら無いのに、難しいも何も無いって」
「ならば尚更、試してみる価値があるというものではありませんか?」
「試さなくても損は無いでしょう?」
「いいえ。試さなければ何も判りませんが、試せば何かが判ります」
「舞えるか舞えないかって事くらいしか判らないよ
「そうとも限りませんよ?ああ、そうでした。舞扇は此方を使って下さい」
何だかよく判らないような押し問答の末、差し出されたのは舞扇。広げられた銀の扇には、黒くて小さな牡丹唐草が描かれてた。のは良いんだけど……もう一本、小振りの扇はどう見ても女物。くすりと小さく口元だけで笑う重衡を見ると、昔みたいに幼く見える。きっとこれは……随分前から私に舞を教えようとしてたって事だ。私の……兄さんの髪と同じ色の扇に、目と同じ色の繊細な牡丹唐草。
「これが用件って事?」
「ええ。以前、渡しそびれて口惜しい思いをしていましたから」
いや、そんなにっこり笑ってくれてもね?そのまま忘れてくれてた方がこっちとしては有り難かったんだけど、そんな風に言われると意地になってまで断れないっていうか。膝の上でぐるぐる喉を鳴らしながら見上げてくる所を見ると、風牙は余程機嫌が良いらしい。人事だと思って……後で覚えてなよ?口に出さずに睨み付けたら、式神も喜んでいるじゃありませんかだって。ホント、物事の捉え方っていうのは人それぞれなんだなぁ。
++++++++++++++++++++
それほど難しくはないとは言ったものの、ここまでとは。気が向いたらね。と言っていたが教えを請いに来たのは、あれから五日も過ぎた今日の宵。戌二つ刻の事だった。あまりにも顔色が悪い事を訊ねた結果は、いつもの事だからという短な一言で済まされてしまった。ならば気の変わらぬ内にと、支度を済ませて外へと声を掛けたのですが。
「態々外に?」
「ええ、明るくなければ見えませんから。篝火の傍なら寒さも凌げましょうし」
真冬の夜の寒さを凌げるほど暖かではありませんが。そう続けると、あからさまに顔を歪める。珍しい事もあるものだと思いながら手を伸ばし、その身を促した。
「ここで良いでしょう?灯りは用意するから」
「灯りを?」
用意すると言われても、幾つもの燭台がある訳ではない。たとえ数多くの燭台があったとしても、それは場を狭めるだけ。手元足元の覚束ぬ薄闇の中で舞うなど、困難極まりないというのに。
「そう、灯り。結界を張らせて貰うけど……良い?」
「結界ですか。……ええ、構いませんよ」
あまり利口な策ではないと思いはした。けれどもし……が平家に仇なす者ならば、このような機会を逃しはしないでしょう。
「…――四方四隅に幻惑の帳を…」
「、それは?」
紡がれる言の葉は、然して長いものではなかった。私が不思議に思ったのは、その後に掲げられた小さな石。手の平を半分程度隠している石は、静かに淡く光を放つばかり。
「ん?ああ、煌珠」
「きらだま とは一体……」
呪いを唱えていたが童女のような笑みを浮かべ、頭上高くへ掲げたその石。何をするのかと思いきや……ふわりと浮かび上がらせ、陽光の凝縮をとの言の後。頭上には、眩い光りを放つ石が――。
++++++++++++++++++++
舞を習ってみようと思ったのは、慣れない事をして疲れれば眠れるかもしれない。なんてありがちな事を思い付いたから。外、篝火の傍で練習しようと言う重衡を前にして、やっぱり私は警戒されているんだと思った。――しない方がおかしいんだろうけど。灯りを用意するからと言った時、口籠ったみたいな返事をしたのは多分その所為なんだろう。
「これは?!……一体」
「百聞は一見に如かず、ってね」
私が造り出した煌珠に炎尾の操る陽光を込めれば、心底驚いたと言わんばかりの表情と声。結界の外からは燭台の灯りにしか見えないし、これなら外で練習しなくても良い筈。部屋の端へ置いた円座に風牙を寝そべらせて用の無くなった燭代の上に炎尾を止まらせる。
「では、始めましょうか」
「程々に宜しく」
暫く物珍しそうに煌珠を眺めていた重衡がそう言って、扇の持ち方から教わる事になったんだっけ。それからあまり経たない今。最初は私も驚いたけど、重衡はもっと驚いてる。何日か前、碌に見た事も無いって言ったからなぁ。それは嘘じゃなかったんだけど、舞えないと思い込んでいただけだなんて言えないんだよね〜。
「とても初めて舞うとは思えないのですが」
「そうだね、自分でもそう思うよ」
くるくるひらひら、吃驚するくらい身体が馴染んでる。次から次へと手足が動く。兄さんが得意だっていうのを疑っていた訳じゃないけど、初めて教わる舞まですんなり判るなんて凄過ぎる。機嫌の良さそうな炎尾の羽音を聞いて、二人が言っていた意味が解った気がした。
『お嬢、舞えば良いじゃない。天帝みたいに舞えるよ』
『雷矢と霧鎖が知ったら、きっと悔しがるぜ?』
身内贔屓か大袈裟か。どっちにしても話半分で聞いていたんだけどね。同じ動きを真似るように言われて後ろから見ていると、重衡の舞が凄く上手いってのもよく判る。どれくらい経った頃か、今の舞を合わせてみましょう……そう言われて合わせ始めた時には、薄っすらと額が汗ばんでいた。
++++++++++++++++++++
初めは簡単な動きからと思い、手を取ったというのに。次々に真似るの所作は、驚くほど滑らかだった。舞を知らないと言ったのは偽りだったのかと思うほどに。けれどもそれは、本当の事だったのでしょう。正面から真似れば鏡の如く、後ろから真似れば影の如く。地に雨が染み込むように次々と覚えてしまう。
「これほど心地良く舞う事が出来たのは久し振りでした」
「そうなの?」
薄っすらと赤味の差した肌を冷やすように扇ぐそれは、福原へ戻られた時に贈ろうとしていた物。それが叶わず季節を越え、年を越え……漸くあなたの手に。二種の扇はあなたの為に誂えたというのに、一度たりとも開かれぬまま朽ちてしまうのかと。私がそう言えば、あなたは何と仰るのでしょうね。
「気鬱は晴れましたか?」
「そうだね…多分、少しは」
以前のように御酒を酌み交わす事も無く、外へ出る訳でもない。あなたの存在は、以前とは違う意味を持ってしまっていたから。気付けば丑三つ刻を回り、三刻もの時が過ぎていようとは。足を投げ出して寛ぐ様は褒められたものではありませんが、私が横に座ろうとも動じないのは……それだけの価値を見付けられたという事なのでしょう。
「またいつでもいらして下さい。喜んでお相手致しますよ」
「そうだね……気が…――向いたら」
夢現の中で返される彼女の柔らかな声が疲労したものではない事を嬉しく思い、互いに再び得られたであろう感情を喜ばしく感じる。静寂の中を縫って時折聞こえる寝息を守歌にして、式神達に見張られるように眠りに就いたのは僅かの後。
目覚めを迎えてくれたのは、煌めくばかりに美しい微笑みでした。

************************************************************
(壁紙:薫風館/杜若さま)
章間平家編、中盤二番手は重衡。
この人は少々悪戯好きというイメージがあるなぁ。
橘朋美
FileNo.107_02 2008/1/24 ※2010/10/5修正加筆 |