夜明け前に雷矢と霧鎖を見送って、部屋へ帰った時だった。私はただ真冬の早朝に相応しい挨拶をしただけなのに、何故か知盛と手合わせをする羽目になってしまったんだよね。しかも、知盛の出てきた部屋は私が使わせて貰ってる部屋だった。こんな朝早くから一体何の用があったのかなんて、考えるまでも無いんだろうなぁ。
「一段と強くなったみたいだね〜」
同じ二刀流の使い手とはいえ、知盛と私の戦法は全く違う。武器の違いも大きいけど、守りは二の次で先ずは攻撃ありきってのが知盛。まあ、それで防御がそれなりに間に合うっていうのが凄い。でも私は、一人で戦う時には何よりも守りを優先する。守りが疎かになった時、最初は鞍馬で次は石橋山だった。あんな目に遭うのは、もう二度と御免だから。
「ふっ。口よりも……手を動かせよ」
薄く笑ったまま、動きも止めないで言い放つ。けど、こっちとしては本気で戦うつもりなんて無い。ただの手合わせ、言わば練習。本気で斬れって方がどうかしてる。大体こっちはただでさえ睡眠不足で本調子じゃないんだから、そんなにさくさく攻撃してこないで欲しいんだけどなぁ。私だって斬られたら……かなり痛いんだから。
「君は、手と同じくらい口を早く動かしたらどうよっ!」
いつも手合わせには野太刀しか使わないのに、ついそう言って大太刀を抜いたのが拙かった。知盛の攻撃は、どんどん陰険な感じになってきてる。元々私の戦い方は乱戦向けなんだよね。一対一よりも多対一の方が楽で……まあ端的に言えば一撃必殺の勝負向け。知盛みたいに時間をかけて一太刀一太刀の応酬を繰り返すのは好きじゃない。それに大太刀を片手で使うと斬り返しが鈍くなるし……なんて、弱気な事を考える訳ないでしょーよ。この人界に来てから、守人達にどれだけ鍛えられたか。兄さんの才能を継いだとはいえ、実戦経験の無かった私がここまで腕を上げるには両手の指じゃ足りない年数をかけたんだから。
ガ…ッ―――キィーン……
肩に当てた大太刀が弾き返した片方の太刀は綺麗な音を響かせて空に飛んで、残る一本は野太刀で返す。そのまま刃先を突き付ければ、リーチの差がある以上私の勝ちは決まった訳で。
「…………」
いつもの通り、小さく笑ってその目をちらっと見るだけ。それが手合わせ終了の合図。それ以上やっても私がその気にならないって知ってるから、つまらなそうに刀を納めるんだよね。
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出来るだけから目を離すな、か。フン……莫迦莫迦しい。この女が、そう簡単に尻尾を見せるとでも思っているのか。
「お前が敵なら……存分に斬り合えるものを」
「なら、永遠に無理だね」
これまで、この女は平家の奥深くに入り込んできた。有川が現れる以前にも。だが、いつも同じ事を繰り返すだけだ。
「永遠?ッククク……それは判らないぜ?」
「そう?私には判ってるから良いんだよ」
間者だと疑われ、知らぬ間に姿を消す。その存在だけを刻み、何も残さぬまま。少なくとも…………姿を見せている間は、動きはしないだろう。
「じゃあな」
「じゃあね」
それほど愚かな女だったのなら、これほど煩わされる事も……無かった。良くも悪くも、誰もがに関心を懐くとは。厄介、だな。
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お客として扱われている以上あんまり。というか、殆どやる事が無いんだよね。疑われている以上、下手にうろうろする訳にもいかないし。
「やっぱり落ち着かないなぁ」
前はこれほどじゃなかった。覚悟はしてたけど、やっぱり相当疑われてるんだろうな。状況からすれば無理も無いんだろうけどさ。
「ねえお嬢、最近まともに眠っていないようだし、身体が辛いんじゃないのかい?」
眠れなくなると思ってはいたけど、まともに眠れなくなってから何日過ぎたんだろう。一週間は疾っくに過ぎた筈。でも、辛いのは身体じゃないんだ。
「今日も良い天気になりそう…眩しいね」
風牙の問には答えないまま、目を細めて庭を見渡す。雪は太陽の光に照らされて、眩しいくらいの白さだけが目の前に広がって。眠れなくて辛いのは、今とは逆の静寂に支配された暗い空間。
「何かあれば、直ぐにここを出るからね?」
解ってる。ずっと眠れないままじゃ私だって気が狂う。けど、まだ大丈夫。何も判らないままじゃ帰れない。ずっと木の天辺から見下ろしてる炎尾も、きっと同じ事を言いたいんだろうな。
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辺りを引き裂くような女共の声が……やけに騒々しい。まさかが動いたのではと表へ出てみれば。
「誰かっ!誰かお助けをっ!!」
悲鳴以外に聞こえるのは、助けを請う声。その場には何人もの女房が居たが、不審な者は見当たらず……辺りを見回せば。その先に見えたのは、だけではなかった。
「……と、知盛殿〜」
何故……あのような所に。黒松の枝、頭上辺りで俺を呼んでいたのは……あろうことか、帝だった。
「えっ、知盛?」
その直ぐ横に立っていたは、振り向きざま……猫を抱いたまま帝に片手を伸ばし、そのまま…………落ちた。
「きゃぁあ――っ!!」
女房共の悲鳴で咄嗟に駆けつけたのは……帝を案じた為だ。走ったところで、間に合う距離ではなかったが。
「わっ、ととと」
着地した姿は、間違っても讃えられるものではない。そのうえ直後の行動は……周囲の者どもを凍て付かせた。
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猫の声がした時、珍しい事があるなぁと思った。けど、それよりもっと珍しい目に遇うとはね。単に、猫が居るなら少し遊びたいと思っただけ。猫なら、私が何者かなんて気にしないから。
「帝……。何故あのような真似をなさったのです?」
「雪白が下りて来られなかったのでな。助けようと思ったのだ」
真っ白な猫と一緒に木の上に居た男の子。如何にも、登ったは良いけど下りられなくなって固まってますって感じだった。下を見たら恐くなったんだろうな。大人から見れば大した事の無い高さ……二メートルくらいの枝にしがみ付いてた。ちょっと上を見れば良いその位置に居た男の子とは違って、その倍くらいの高さに居る子猫は……人の気も知らないで気持ち良さそうに寝てた。
「あんな所で固まってるのを見付けた時には驚いたよ」
「うむ、私もだ。肝が冷えたぞ」
ま、それはそうだろうね。最初から大人を呼ぶか、踏み台か何か持って来て助ければ良かったと思うんだけど。先に猫を助けてくれと言ったのも、じっとしていろっていう私の忠告を聞かなかったのもこの子だっていうのに……納得出来ない。
「氷炎……これ以上、面倒を起こすな」
「面倒も何も、ただ当たり前の事を言っただけなんだけど」
私より少し後に来て煩く喚いていたのは女房達で、そのまた少し後に来た知盛を呼んだこの子に釣られてつい普通に振り返った途端にバランスを崩してしまった。知盛を振り返って足を滑らせたこの子はもう落ちそうな状態で私の腕を掴んでたし、そのまま抱えて下りても問題無い高さだったし……そりゃまあ、かなり不恰好な着地だったけどさ。そのまま何も言わずに行こうとするやんちゃ坊主に説教して何が悪い?
「知盛殿、氷炎殿と言葉を交わすのは好ましい事と思うぞ」
「帝……何を申されます」
人に助けて貰ったら礼を言いなさい。自分の手に負えない事をするんじゃない。
この子が帝だ、普通の子とは違う存在なんだっていうなら尚の事。礼儀や分別を弁えない行動を取るようじゃいけない。
「はははっ。ありがとう、私も君と話すのは楽しいよ」
「うむ。そなたもそう思うのなら、僥倖だ」
普段と随分言葉遣いの違う知盛と、何故か私を気に入った帝。三人で歩く内に、私の周りにあった暗い静寂が少しずつ消えていくような気がした。純真無垢な心を持つ子供の居る場所では、こんな風に煌めく光が指すんだろう。きっと……いつの時代でも、どこの世界でも。

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(壁紙:薫風館/杜若さま)
章間平家編、中盤一番手は知盛で。
あまりシリアスにならないように崩しましょう。
あ、「雪白」は「ゆきしろ」と読んでやって下さい。
橘朋美
FileNo.107_01 2008/1/16 ※2010/10/5修正加筆 |