あれからもう、何年も経つ。あまり良い状態じゃないだろうとは思ってたけど、そろそろ限界の時期なのかもしれない。
「やはり、芳しくないのだろうか」
やっぱり、敦盛も気付いてるんだろうな。気付かないわけ無いか。自分の身体の事なんだから。けど、まだ封印そのものが消えた訳じゃない。
「もう随分経つからね。弱まってきてるんだよ」
大丈夫なんて言えない。効力が薄れている事は確かなんだから。いつまでもつのかなんて、私にも判らない。何年か、もしかしたら数ヶ月かもしれない。敦盛自身が自制心の強い子だから、ここまでもっているだけなのかも。
「そうか……すまない」
謝らなくても良いって何回言っても、敦盛は謝る事を止めない。こんなに優しい子が、こんなに辛い思いをしてる。出来る事なら何とかしたいのに、それが出来ないんだ。
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いつからだったろう……。飢えにも似た激しい渇きを感ずるようになったのは。私が望んだのでなくとも、それは確かに私の中にある意思なのだ。それを堪える度に、その強さに呑み込まれてしまうのではないかと恐れる。
「不安だろうね、敦盛。助けられなくて――ごめん」
何故が謝るのか、私には解らなかった。謝らなければならないのは私で、これまで然して騒ぎを起こさずに過ごせたのは、他ならぬの力によるものだというのに。
「、謝らないで欲しい。あなたの助けがあったからこそ、私は今、こうしていられるのだから」
私が怨霊だと知って尚、親しくする人など居ない。帝はまだお小さいから、よく解っていらっしゃらないのだろう。生きていた頃の私を知らない人なら、と将臣殿以外には誰も――。
「それが君を苦しめる事にもなってるんだよ」
悲しげに眉を顰めるあなたに、どう伝えたら良いのだろう。苦しい思いをする事もある。蘇った時には、おぞましさしから己を呪いもした。だが、それでも……今ではあなたに感謝している。
「あなたが居なければ、私は苦しみすら感じる事も出来なかったと思う。だから……。ありがとう、」
手を取り、感謝していると告げる事が出来る。夜に苛まされる事もあれば、朝に救われる事も。いつか私が消える時が来ても、きっとそれを忘れはしないだろう。
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うーん……出来る事なら、この人には会いたくなかったな〜。そりゃまあ、向こうも会いたくなかっただろうけど。
「あ、あなたは?!何故ここに居るのですか!」
夕方になって漸く敦盛に会えて、一先ず不安は消えたと思った途端にこんな面倒な事になるなんて……勘弁して欲しい。
「誰かっ!誰かあれ!!あの者を討ち取りなさい!」
いきなりあちこちから刀やら弓やらを構えた武士が出てきて、あっと言う間に怨霊まで呼び出すなんてね。本当に揉め事は御免なんだけどな。
「このような所まで入り込むとは、愚かにも程があるというもの」
戦うのは簡単だけど、そうもいかないんだよね。人と怨霊に囲まれて……戦えないなら逃げるしかない。
「ご安心なさい。あなたも死すれば怨霊にして差し上げます」
逃げるなら今の内、そう思って手っ取り早く姿を消そうと思った時。それを止めたのは意外な人だった。
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それほど親しい間柄方ではないとはいえ、止めずにはいられなかった。敦盛の事もある。還内府殿の客として迎えられているとなれば尚の事。惟盛殿が苛立ちのあまり……などという事になっては、申し訳が立たない。
「止めなさい!そのお方は丁重に持て成すようにと言われております」
兵達が動きを止めても、怨霊は使役する者の命でなければ襲う事を止めはしない。騒ぎの只中でこちらを睨むあの方が、私の言葉を聞き入れてくれれば良いが。
「惟盛殿、どうか怨霊を治めて下さい」
「何を言うのです!この者は宇治川で私の邪魔をしただけではなく、この雪見御所にまで入り込んで狼藉を働こうとしているのですよ?!」
「ですが、この御方は還内府殿の…」
「あのような下賎な者のいう事など!!」
「還内府殿だけではありません。氷炎殿は、知盛殿と重衡殿までもが共にお迎えになっておられる方なのです。諍いなど、あってはなりません」
惟盛殿が還内府殿を快く思っておられぬのは、誰もが承知の事。その還内府殿と懇意にある私の言葉を聞き入れて下さらなくとも、知盛殿や重衡殿の気を損ねるような真似をする方ではない。
「ありがとう、経正。……助かったよ」
惟盛殿が去り際に残した言葉に一瞬遅れ、戸惑うように声を掛ける。殿は恐らく気付いておられるのだろう。敦盛だけではなく、私も既に……人ではなくなってしまった事を。
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知らない人間じゃなかった。けど、親しい訳でもなかった。敦盛の兄、経正は……人だった筈なのに。惟盛もそうだった。怨霊として甦ると、昔の事を忘れてしまうのかもしれない。
「お変わりないようで何よりです、殿」
氷炎殿。私をそう呼んだ時にはもう忘れているんだと思ったのに、経正は惟盛みたいに昔の事を忘れてなかった。その事に少し安心して……それでもやっぱり、寂しさはあった。
「経正まで……。平家はそうまでして、何をしたいんだろうね」
そんな事を言っても仕方無いって解ってる。自分で望まなくても、心残りがあれば無理矢理甦らされるんだから。表立っては還内府。裏では清盛が平家を動かしてる、今の平家では。
「それは……お教え出来ません。あなたは平家の者ではないのですから」
判ってる。私は平家じゃないどころか、どこの人間でもない。何かを知ろうと思うのなら、自分自身で探らなきゃいけない。どこにも頼らないで、自分の目と耳で確かめて。
「そうだね。でも、私はそれを知らなきゃならない」
知らなければ、どうして良いのか判らないままだから。判らなければ、私は先へ進めなくなるだろうから。進めなければ、あの子達を護れなくなってしまうから。
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そこに居合わせたのはただの偶然で、あいつが惟盛と戦おうとするなら良いチャンスだと思った。
「盗み聞きとは。感心出来ませんね」
事が治まって拍子抜けした俺に声を掛けたのは重衡で、その横には知盛が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「偶然居合わせただけだ」
こいつ等がに興味を持ってるのは、初めて会った時からずっとだ。あの時はマジで殺されるかと焦ったが、今じゃ立場が逆転してるなんてな。
「……偶然、ね」
あいつが敵だと判ったら、こいつ等は容赦無く斬るんだろうか?あれだけ能天気にしていられる奴等が。
「将臣殿、を処断するおつもりですか?」
平然とした顔で何でも無い事みたいに聞かれて、その時の俺は相当妙な顔をしてただろう。
「処断…つってもな」
まだはっきりとした証拠がある訳じゃない。あいつが敵なのか味方なのか。判れば俺は……斬れるのか?
「敵にしたければ、そうするまでの事」
どこまで行っても灰色のままで、それが危険だと思うなら……そうするしか無いのか。いつか、そうしなきゃならない時が来るのかもしれない。
「どうかなさいましたか?」
さっきまで経正と喋ってたあいつが、こっちを見た時の顔。昔みたいに無表情で、あの目だけが妙に癇に障る。
「いや?やっぱ寒いな」
風よりも、雪よりも、真冬の夜よりも、あの目が。暗く冷たい海の底みたいな色で俺を見るが。
「身も心も、冷え切った。か?」
まだ冷え切っちゃいないさ。まだ種火が消えない程度には熱いままだ。少なくとも今はな。

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(壁紙:十五夜/ちゃちゃ様)
桜散る章間平家編、序盤はこれにて終了。
中盤・終盤と続きます。
橘朋美
FileNo.106_02 2008/1/12 ※2010/10/5修正加筆 |