桜散る
三章七


ゆっくりと距離を縮めて行く私へ向けられる視線に、友好的なものは一つも無かった。疑わしげだったり、不思議そうだったり……仇敵でも見付けたかのようにして、突き刺さる。覚悟はしていたけど、それでも少し気が滅入ってしまう。

「お前は……?」

「近付いてはなりません、頼朝様」

頼朝の前に立ち塞がったのは、当然ながら景時だ。あの冷たい眼でこちらを見据えて、それでも視界の端で九郎達を警戒してる。近付けば近付くほど強くなる違和感が、頼朝の周囲に張られた結界だと気付いた時。私に向かって、声が投げ付けられた。それは初めて会った時と同じ言葉だったけれど、あの時とは違って、欠片の怯えさえ感じられなかった。

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「それ以上、近付くんじゃない」

「近付けば――それを撃つ?」

ギリギリの間合いに入ったを睨みながら、銃口を向ける。動けば危険だと知らせる為、その初撃が届くより先に――術を放つ為に。視界の隅では九郎が項垂れていて、その横で弁慶が油断ならない目をしてる。悲しそうな声でオレを呼ぶ朔や望美ちゃんの声は、今も聞こえてるけど…………もう、後戻りは出来ないんだ。

「……景時。先にあの者達を片付けよ」

「頼朝様?……ですが!」

まるでこの状況を楽しんでいるみたいな顔で、もう一度名を呼ばれた時。オレはもう、逆らう事なんて出来ないんだって解った。頼朝様を覆う結界は、簡単には壊れない。たとえ相手がだったとしても、オレが死なない限りは――大丈夫な筈。

そして…………オレは視線を移す。昨日まで共に戦って来た戦友に。血の繋がった妹に。ついさっきまで絆のあった同胞に。

「兄上……何を?!」

「もう止めて!景時さん!!」

どうか、どうか――許してくれなんて、願う資格すら無いオレだから――ただ、上手く逃げてくれ……って。心の底で叫びながら、狙いを定めて…………引き金を引き絞って行った。

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やっぱりコイツ――頼朝だけは、許せねぇ。これまで散々九郎を利用した挙句に使い捨てようなんざ、胸糞悪いにも程がある。だが、どうすれば頼朝を討つ事が出来る?何か、ほんの小さな切っ掛けでも良い。斬りかかる隙さえ作れれば――!

この期に及んでも頼朝の裏切りを信じようとしない九郎が乱入して来た後。俺は、それだけを考えていた。景時の後ろに居る頼朝だけを睨み付けて。その斜め後ろで何かが光ったのは、九郎の罪状が読み上げられた直後だった。

「おいおい、冗談だろ?」

「っ、――あれは!」

「……来てしまったのか」

――」

珍しく慌てたヒノエの声と、何を驚いてるのかと思う譲の声。何かを諦めたみたいなリズ先生が溜息交じりに呟いて、白龍がその名前を呼んだ時。俺は、そのタイミングの悪さを呪った。

黒装束のと派手な服装をした何人かの男達は、時間稼ぎでもしてるんじゃないかってくらい、ゆっくりと近付いて来る。もしあいつ等が、ここで俺の邪魔をするなら――俺にはもう、頼朝を討つ手立ては無い。

景時がを警戒してる間にって考えもあったが、戦奉行ってだけの事はあるらしい。一歩踏み出した途端、札を掴んだ手が差し出された。こっちの警戒も、完全には解かれちゃいなかったってわけだ。だが――。

「終わりだぁああっ!!」

景時が九郎に狙いを定めた時。ほんの僅かだったが、隙が出来た。振り翳した太刀を叩き付ければ終わる。これで平家は落ち延びられる。そう思ってたんだ。

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景時に九郎を撃たせちゃいけない。特にこんな状況、望美ちゃんが見てる所でなんて絶対に。もし本気で九郎を殺すつもりなら――あの至近距離で失敗するなんて事、有り得ないんだから。そんな事を考えていた一瞬で、どう動くかは決まっていた。だけど、突然叫び声を上げて頼朝に斬りかかった将臣を止める暇は無かった。

「援護して!」

「――何っ?!」

振り下ろされた大太刀が結界に弾かれたのと私が駆け出したのでは、どっちが早かったんだろう。四方に散開した守人達と動揺してる将臣に気を取られながらも、景時は頼朝の無事を確かめていた。だけど――頼朝は、動じる事も無く「早く殺せ」と命令する。

結界に邪魔されたんだって気付いた怒り心頭の将臣と、頼朝の仕打ちに茫然自失なまま膝を折っている九郎。その側面と正面に向けて続け様に放たれた弾丸は、どんな人間にも止められない。それだけの威力と速さを持っていた。だからこそ、私が止める。止めなきゃいけないんだ。

「――――!!」

何人かが私の名前を叫んだ直後。私は疾っくに銃口の前に居た。でも――盾になるのは成功したけど、その衝撃はかなり強かった。二発の弾が身体に減り込んで行く痛みを堪えながら、後ろに吹っ飛ばされてるんだって気付いても今更だ。次に来る衝撃を覚悟した私は、目を閉じて歯を食い縛ったんだけど――。

「っ?!……ぅ、あ……れ?あんまり――痛く、ない??」

「そうか。ならば…………良かった」

何かにぶつかった衝撃はあったのに、壁や甲板に叩き付けられたとは思えなかった。耳元で聞こえた声と身体を包み込む柔らかさに驚いて顔を上向けてみると、そこには優しい微笑みを浮かべた顔があって。

「敦盛!いっ?!つぅ――」

「あっ、だ、大丈夫か?、あまり興奮しない方が良い」

思わず声を上げた途端、胸の広い範囲に激痛が走る。ずくずくと抉るような痛みに顔を顰めていると、敦盛が手を貸してくれた。正直かなり格好悪かったけど、そんな事はどうでも良かった。少なくとも、この場から逃げ切るまでは。

「景時――、何をしている」

唖然として動けないままの男達を押し退けて、目の前に望美ちゃんと朔が駆け寄って来た時。その場にまた低い声が響いて、それを合図に全員が我に返ったみたいだ。譲と白龍は二人の龍神の神子を守ろうとその前に立ち、将臣と弁慶は膝を付いたままの九郎を立ち上がらせようとしてる。リズヴァーンとヒノエは全員を背にして武器を構え、守人達は――かなり苛立ってるみたいだけど――知盛も交えて、この船に近付く兵達を海に叩き落としてた。

「しっかりしろ九郎!ここは退くぞ」

「僕も、将臣君の意見に賛成です」

精神的な支えを失った時の人の弱さは、嫌というほど知ってる。身体の痛みを堪える事は難しくないけれど、心の痛みを堪えるのは難しいという事も。だけど今は、それを許してくれるような状況じゃない。あのままじゃ九郎は――ううん、九郎を気にしている全員が危ない目に遭う。そう思ったら、もう黙っていられなかった。身体を支えていてくれた敦盛に先に行ってとだけ伝えて、九郎の所へ急いだ。

将臣と弁慶は引き摺ってでも九郎を連れて行こうとしていたけど、自分で動こうとしない大の男なんて立たせる事すら難しい。だからといって見捨てる事も出来ないで四苦八苦していた二人は、九郎の目の前に立った私に警戒心剥き出しの視線を向ける。私はそれを構わないまま、九郎の胸倉を掴んで立ち上がらせて――空いていたもう一方の手で、その横っ面を思いっ切り引っ叩いた。

「――なっ?!」

「九郎!あんた自分の為に仲間全員死なせる気?!」

痛かった。腕にかかる九郎の重みも、手の平から伝わる衝撃も、張り上げた声が生む振動も、凄く――痛かった。それは感傷的なものじゃなくて、直接肉体に与えられるもの。原因は、さっきの弾丸だろう。酷い激痛に声を漏らしそうなのを堪えて、更に言い募る。

「そうじゃないならさっさと立ちなさい!!」

「お前達は逃げれば良い。だが……俺の事は放っておいてくれ!!」

振り払われた手がまた胸に激痛を呼んで、額に嫌な汗が浮かんだのが判った。このままじゃ埒が明かないし、もう手段を選んでいられる状況でもない。それなら――と、船縁に凭れたままの九郎を突き落とした。勿論、そこに浮かぶ船に動く人影が無いのを確認した後で。

呆れ顔でずらかるならさっさとしろよと言って船縁から飛び降りたヒノエが九郎の落ちた船を確保して、敦盛がそれを追う。朔を気にして動けないでいる望美ちゃんを白龍や譲が促してる間に、将臣と弁慶が。

「先に行きなさい、神子。ここは私が引き受ける」

直ぐに後を追うっていうリズヴァーンの言葉に従った望美ちゃんが渋々といった感じで小船に乗り移ると、白龍と譲がそれに続いた。そして漸く、残す所あと二人だけっていう状態になった時。

「お前はここに残るんだ、朔!」

「朔ーっ!一緒に行こう!!」

厳しくとも兄思いで、望美ちゃんを妹みたいに可愛がって来た朔の事だ。別々の方向から自分を呼ぶ声に、きっと身を引き裂かれるような思いをしてるだろう。どちらかを選びなさいというリズヴァーンの言葉で涙混じりになった声が、それを物語っていた。

「兄上……、望美。私――どうしたら」

「大丈夫だよ、朔」

――?」

「どちらを選んでも、みんなは朔の意思を尊重してくれるだろうから」

その瞳に決意めいたものを見た気がしたのは、気のせいじゃなかったんだと思う。景時に向き合って別れを告げた朔が小船に向かって飛び降りるのを見届けて、溜息を一つ。

「ぐ!うぁ、あ……、っは」

「っ……?!」

咄嗟に支えてくれたリズヴァーンが居なかったら――そのまま床に倒れ込んで、のた打ち回ってたかもしれない。ほんの一瞬、普段より少し深く息を吸い込んだだけなのに。私の身体は、その時感じた痛みに堪えられなくなってた。

「胸を傷めたか。無理は良くない。このまま……じっとしていてくれ」

景時達に対する警戒を解かないまま片手で私を抱き抱えたリズヴァーンは、しっかり掴まっていろと言った後、あの力を使って姿を消した。その時の私が、しっかり掴まるなんて痛過ぎて無理!と心の中で抗議していられたのは……。さっきまでの窮状から解放された事と、今の所は何とか全員が生き延びているという安心感からだったんだと思う。



     

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どんな経験も、案外どこかで役に立つ事があるもんです。
だからと言って、二ヶ月前に肋骨を傷めたのは故意じゃありませんけどね。





橘朋美







FileNo.032 2011/10/29