桜散る
三章六


そこを通り過ぎる時に見たのは、弁慶の背中。聞こえたのは、九郎の声。感じたのは、望美ちゃんの絶望。一瞬だけ、知盛の事を伝えたいと思ったけど……そのまま先を目指す。源氏の兵達が取り囲む中でそんな事をしても混乱させるだけだろうし……何より、そんな余裕は無かった。それは、何かしらある度に思うような時間的余裕じゃなくて――。

「ねえ、どうしてだろう。こんな不安なのって……初めてかも」

「そんな事気にするな。俺等がついてんだろ?」

いつも影で小細工染みた事をしてきたし、その邪魔になる人間を何人も殺して来た。でも――これまで私は、こんな風に直接戦に関わった事が無い。源平の合戦のど真ん中に首を突っ込んで、茶吉尼天や頼朝と対峙して、それをあの子達に見られたら……。そしたら私は、どうなるんだろう。

「我等はあなたに従う。それがどのような命であってもだ」

「そうだよ、たとえそれが難しい事だったとしても……」

一人ずつ姿を現した守人達の言葉は、少しずつ、私に勇気をくれる。この先に待ち受けているものが何だったとしても、その時私は一人じゃないんだって信じさせてくれる。

「みんな――、」

もう、少し先に源氏の船団が見えてる。あの奥にある大きな船には茶吉尼天が居て、きっとそこには頼朝も居る筈。それに……この腕。さっきから、牡丹唐草の一部が妙な感覚を伝えて来る。それは絶対的な予感とでも言えばいいんだろうか。この先で何かが起こるのは確かで、その結果が不安なのは仕方がないのかもしれない。でも、それを怖がってちゃ駄目だ。これ以上、時空の狭間を不安定に出来ない。その為に、あの子達全員が生きている未来が必要なんだから。でも、それだけじゃない。

子供の頃からずっと何かを怖がっていた私は、ただ死んでいないからというだけで生きて来た。心の底から欲する事は不可能で、本心から笑う事も出来なくなって。真剣に考える事は無意味で、本気で怒る事すら無駄で。心のままに泣く事も出来なくなった頃には――いつ、どこで、どんな風に死んでも構わない。そう思うようになっていた。

そんな私がこの世界に連れて来られて、初めて目が覚めた時。――どんな理由があったにしろ――そこに居たおかしな神様達は、私にしか出来ない事があるって教えてくれた。どうして私が?とも思ったし、その為の力を得る代わりに捨てたものは大きかったけど……それでも。今の私はみんなを護りたいと思ってるし、その為に生きてるんだ。だから――。

「行こう。この時空で運命を締結させるんだ」

「お前を守り、命を果たす。それが我等…守人の意義」

声に驚いて振り返った瞬間――私は、シリアスな場面に転がり込んだコメディアンを連想して固まってた。さっきまでの意気込みで源氏の船団を渡ろうと思ってたのに。いつの間にか戻った霧鎖は、まるで悪戯っ子を抱えるみたいにして……腕に知盛をぶら下げてたんだから。

「うーん、随分と大きな荷物だねぇ」

「意識は無いのか?」

「あったら大人しくしてねーだろ、コイツ」

「水は吐かせたが…意識は戻らぬままだ」

そんな事態にも平然と対処してる三人と、これまた平然とした態度で接する一人。何だか気を削がれてしまって怒ったら良いのか呆れたら良いのか判らないでいた私は、誰ともなしに口にした言葉で我に返った。

そうだ。今この状況で、知盛がここに居るのは拙い。知盛にとっても、私達にとっても。じゃあ、どうすれば?どこか人目に付かない所に縛り付けて来る暇なんて無いし、誰かが付きっ切りで見張ってるのも無理。だからって、このまま連れて行って途中で知盛が起きようものなら……なんて、想像したくもなかったのに!

「……っ、ここは――どこだ?」

「知盛……」

最悪の状況だ。そう思った瞬間、私は身構えてた。知盛ならこの状況に至った原因を推測するのに大して時間はかからないだろうし、その後どんな行動に出るかなんて判り切ってる。それは守人達も同じだったみたいで、風牙や炎尾は疾っくに臨戦体勢で私の前に立っていたし、雷矢は知盛の前に立ちはだかって刀を構え、霧鎖は術で知盛を捕らえようとしてたんだけど……。

「…………知盛?誰だそれは。そんな事よりここは、?俺は――?」

「……………………え?」

自分達の行動が無意味なものだったと知ったその後。先ず最初にした事は、足を止めている間に周囲を囲んでいた兵達の殲滅だった。

++++++++++++++++++++

あの時――海に身を投げる直前に聞こえたのは、の声だった。聞こえる筈の無いその声に向けて目をやれば、そこにはの姿があった。今際の際には不可思議な事が起こるものだ……と、知らぬ間に笑みが浮かんだのを覚えている。だが……。

「えーと、判った?――知盛」

「ああ。お前達の傍を離れなければ、良いのだろう?」

身体が水面に呑まれる瞬間、全身が……それを拒絶したように感じた。無論、それが叶う事は無かったが。凍て付くほどの水に感覚を奪われ……肺の腑にまで、それが達した時。

――ああ。俺は……今、最期の時を生きている――

この充足にも似た苦しみを無くす時、俺は死ぬのだろう。そう、思った。そして、次第に薄れて行く意識を手放そうとした瞬間。何者かに身体を拘束され…………気が付けば、ここに居た。

「うん。さっきみたいに戦うのは構わないけど、色々と危ないから……」

「――何を?」

男達の衣を与えられ、顔を隠すように巻き付けられる。鬱陶しい、と言った所で聞きはしないだろう。それに…………舞台を降りた者が出る幕ではない事など、疾うに承知している。

「何も判らなくて不安だろうけど、詳しい事は後で説明する。だから今は、」

「判っている。それまでは……お前に、従ってやろう」

短い間に何度も念押しされた事を、また承知してやれば……未だ顔を曇らせたままとはいえ、漸く動く気になったようだ。従えた男達を見遣り、先を急ぐと告げた後――俺を気遣うようにして横に付き、その船を離れる。

そうだ。、お前は……進めば良い。どのような手を使ったのかまでは知らないが……。俺を死なせなかったのは、お前……なのだろう?この戦で――俺の果てる道を閉ざしたお前が、誰を殺し、誰を生かそうとするのか。それを、この目で確かめてやろう。そして、その後…………。それまでは……大人しくお前の傍で、その言葉に従ってやるさ。過去を忘れた、亡霊として――な。

++++++++++++++++++++

「まさかとは思ったが……あんたが源氏の戦奉行だったなんてな」

やっとの事で辿り着いた源氏の船団。その中心にある船で、見たくなかった顔が並んでた。後ろに居るあの派手なのは絶対に茶吉尼天で、中央に居るのは頼朝。その前に立ちはだかって銃を構えているのは景時だし、大太刀を振り翳してるのは――この船の上で唯一の平家である将臣だ。

「将臣!どうしてお前がここに――何故兄上に刀を向けているんだ?!」

しかも、間の悪い事に九郎達まで。知盛の一件で時間を取られ過ぎた。そんな事を思っても、もう今更……遅いんだ。今は、やるしかない。茶吉尼天を抑えれば、後は人間同士の戦いになる。――数的に、どっちが有利かなんて目に見えてるけど――人じゃないモノとの決着は、人じゃないモノが着ければ良い!

「動くな。消されたくなければ、大人しく従え」

背後を取る為に態々船を回り込んで、気配を消したまま近付いた。小柄な身体はピクリと反応したけど、直ぐに可笑しそうな笑い声を出して――。

「まあ恐い。けれど……無駄ですわ」

首に刃を当てられてるっていうのに、この女は全然動じない。なのに――。少しでも動けば殺す。そう決めてかかった筈の私は……彼女がこちらを向いた後になっても、その首を斬れないまま突っ立っているだけだった。

「どういう意味だ」

「私、このような所で死にたくありませんの」

嫌味なくらい綺麗に微笑んで、細い指が咽喉をなぞる。振り向いた時、刃に触れたんだろう。一文字の赤い線の上にあった小さな血の玉が潰れて、白い肌に滲んで行く。この女――何だか妙だ。そう思った時だった。閃光弾でも投げたんじゃないかと思うような光と、『ごきげんよう』なんて一昔前の少女漫画くらいでしか使われないんじゃないかと思うような台詞を残して、彼女はその場から消えていた。

「無事か?!」

「チッ――逃げやがった!」

分が悪いと思ったのか、何かの策略なのか。それは判らないけど、少なくとも、今はこの場を何とかしなきゃならない。他の面子も特に害を受けてなかったみたいだし、状況は悪くない。……そう思ったんだけどなぁ。

「あーあ、こっちに気付かれたみたいだよ」

「あの女の狙いは…これだったのか」

大きな船とはいえ、それほどの距離があったわけじゃない。当然、向こうで睨み合っていた全員の視線は――こっちに集中してた。九郎だけは、未だに頼朝から目を離さないままだったけど。

「さて……この状況、どうするつもりだ?」

「と、あんたは大人しくしてて!」

相変わらず前と変わらないままに見える知盛にそう言って、一歩一歩近付いて行く。誰が敵で、誰が味方なのか。それが判らなくなっても不思議じゃないこの状況で、私を敵だと見做して攻撃して来るのは誰なのか。味方だと認めて受け入れてくれるのは、誰か……一人でも、居るんだろうか?そんな不安を押し込めるようにして船板を踏み締めながら――みんなの所へ。



     

************************************************************

三章終了まで後ちょっとー……と、思ったんだけどなぁ。中々区切りが付けられないのが困り物。





橘朋美







FileNo.031 2011/10/28