結局、平家は福原を捨てる事で兵力を温存した。どちらも決定的な一手を取れなかったと考えれば、少なくとも今の所は痛み分けという状態になっているんだと思う。雪見御所を出た私はその結果に満足していたし、偶然とはいえ敦盛の無事を確認出来て、封印を強められたのも運が良かったと思う。当然これからも危ない橋を渡る事になるんだろうけど……次の行動を起こす前に暫く動向を探る必要があるっていうんで、宇治の庵に向かっていた。
「やっぱり、源氏側は諦めないんだろうなぁ」
「まあ当然だろうね。ああ、平泉は静かなものだったよ」
人型に戻るより先に、風牙が口を開く。泰衡は、あの時言ったとおり平泉で大人しくしているらしい。表立っては――というのは気になるけど、多分、何かあった時の為に備えているんだろう。九郎達は疾っくに戦支度を整えて待機してるし、市では兵糧や薬の買いだめが始まってる。一番気になっていた景時の動きは――。
「戻ったぜ、嬢!あいつ――」
窓から飛び込んで来た炎尾がまくし立てた。書状を受け取った景時の表情は、かなり深刻だったらしい。他のみんなが集まって来た所為で詳しくは調べられなかったけど、少なくとも、あれは密命だろうっていう。
「そう……じゃあ、やっぱり――」
きっと前みたいに、景時は裏切る。望美ちゃんと譲が自分達の世界に帰って、三種の神器を取り返せなかった上に平家の船団を取り逃がしてしまった事を、九郎が鎌倉に報告した後で……。そうなる前に、どこかで流れを変えられないんだろうか?そう思ったからこそ、雷矢と霧鎖には屋島方面を探ってって頼んだんだけど。
「天姫、平家は西国へ向かったようだぞ」
その辺りを探せば見付かると思っていた平家は、四国を素通りしていったらしい。港に寄った痕跡すら無く、海を使って霧鎖が後を追っているって……え?
「西国って……じゃあ、屋島に集まってた平家寄りの人間達は?」
まただ――前とは違う。前は屋島に向かった筈の平家が、今は違う所へ向かってる。だとしたら、次は下関――壇ノ浦なんだろうか?もしかしたら、平家は逃げる事を優先しているのかもしれない。無駄な戦いを極力避けて、出来る限りの人と物を運んで……将臣が指揮を執ってるなら、それも有り得る。
「恐らく船団を追ったのだろう。屋島に平家方の者は見当たらなかった」
平家の足取りを掴めない以上、今動くわけには行かない。それが三人の意見だったんだけど……私は、直ぐにでも平家の船団を追いかけたかった。このまま無事に逃げられるんだったら、それが一番良い。そうすれば、将臣も、知盛も、重衡も死なずに済むと思った。でも――。
「源氏方も一枚岩じゃないからね。放っておくのは危険だと思うよ」
「なら俺が西へ飛ぶ。空から探れば直ぐに見付けられるだろうしな」
景時がいつどう動くか判らない以上、九郎達の周囲にも気を配らなくちゃいけない。まだ移し身を宿していないみんなの事を思うと、京を出る事は出来なかった。そして――。分散せざるを得なくなった守人達は、毎度のように「くれぐれも無茶をするな」と言って行く。これまでの事を思えば、そう言われても仕方ないんだろうけど……。判った、気を付けるよ。なんて毎回返していたし、実際に周囲に気を配るようにもしていた。けど――それが今回ばかりは何の役にも立たなかったんだって判ったのは、それから何日か後の事だった。
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この身と引き換えに三種の神器を要求すると言われても、動じる事など無かった。父上は、決してそのような事を許されはしない。そして――私自身も、それを承知しているのだから。身の安全と引き換えにそのような文書を書けとの再三の要求を受け、既に幾日かが過ぎていた。
「忘れてしまいたいのでしょう?」
その女性がこのような場所に赴いたのは……これまでのような要求の為ではなく、何某かの――別の思惑があったからだと気付いた時。
「楽になりたいのでしょう?」
その言の葉に従ってはいけない。覚えている事が、どれほど苦しくとも……忘れてしまってはならない。私は、それを背負って生きると決めたのだから。
「全てを忘れてしまいなさい」
けれど――己の意思で逆らえたのは、僅かな間でしかなかった。これで終わりなのだ。もう苦しまなくとも良いのだ。頭の中でそう囁く声に従い、私の心が消えようとしていた刹那。遠く見えたのは、強い眼差しを向けるあの方の姿。微かに聞こえたのは、諦めないでと欲しい言うあの方の声。
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「何が起きた?!おい、天姫!」
人の真横で喚き散らすのは止めて欲しい。何が起きたかなんて、こっちが聞きたいくらいなんだから。いい加減戻って来ても良さそうな二人を待ちながら、九郎達の動きを探って庵に戻った。出兵の気配は色濃くなって来てて、命令さえあれば直ぐに平家を追うだろう。九郎達は、今回も先陣を切る事になるだろう。景時は目立った動きを見せないままだけど、それは、戦に合わせて行動する必要があるからかもしれない。そんな嫌な感じの情報しか得られなかった事にウンザリして、さっさと寝てしまおうと横になった時、それは起きた。
「もう大丈夫そうだね。……お嬢、腕を見せて?」
痛かったわけじゃない。ただ急に眩暈がして、苦しかった。上手く息が出来なくて、声も出せなくて。折り曲げた身体の中を、無理矢理何かが満たして行く。そんな感じがした。漸くまともに息が出来るようになって袖を捲り上げると、薄く色付いたままの牡丹が八つ。――――八つ?
「これ、誰か……足りない」
色のある牡丹を一つ一つを指差して確認する風牙に、私は一人一人名前を挙げて行く。その途中で、足りないのは重衡の牡丹だと知った。
「――どうなってる」
「俺にも詳しくは判らないよ。けど――」
重衡に何かあった事は間違いない。その言葉を聞いて、私は直ぐに庵を出た。二人が止めるのも聞かずに。色あせて行く牡丹は、まだ消えてない。重衡はまだ死んでないんだから、助けなきゃいけない。だけど――。
「放してよ!!」
振り返ればまだ庵が見えるような距離で両側から羽交い絞めにされて、叫ぶしかなくなってた。落ち着けなんて言われても、落ち着けるわけがない。自分がどこに行こうとしているのか、それがどれだけ危険な事なのか。気付けば、いつもより冷たい声で諭す二人を睨み付けてた。
「良いかい、お嬢。その身に受けたのは、恐らく茶吉尼天の力だ」
多分、それは間違い無いんだと思う。私の身体は覚えてる。あの時感じた、あの神の力を。
「あの男を助けようとするなら――今は堪えろ。鎌倉へは入れん」
茶吉尼天の目を掻い潜るのなら、余程の注意と神力が要る。そんな事、私だって判ってる。だけど、あれだけの力を生身の人間が――重衡が受けたんだとしたら……。
「放して。いま重衡を助けに行かなきゃ、?――っ!!」
ずくん、と。最初に痛んだ場所は、どこだったんだろう。違和感を感じたのは、ほんの一瞬。その直後。何かが皮膚の下を這いずり回ってるんじゃないかと思うような痛みが、身体中に広まって行く。続ける筈だった言葉はどこかへ消えてしまって、私の口から出るのは、絶叫としか呼べないものになっていた。
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「――そうか。ならば出発は明後日、早朝とする」
平家は西へ向かったとの報せを受け、俺達は出陣の時を決めた。同じ四神の加護を受ける将臣が去った事、敵になると言って去ったが、雪見御所に現れた事。気にかかる事は少なからずあったが……それを頭の隅に追いやった。今度こそ平家を追い詰める事が出来るのだと兵達の士気は上がり、西国へは兄上も御同行下さるとの知らせがあったのだ。今は次の戦の事だけを考えなければならない。
「明後日、ですか……。少しやる事があるので、僕はこれで失礼しますね」
「ああ。出発までに身体を休めておけよ」
相変わらずいつ休んでいるのか判らない弁慶に声をかければ、それは自分に言い聞かせて下さいと返しながら背中を向けられる。それを見送り一人残された室で思うのは、直に終わりを迎える筈の戦。だが――静けさに支配された空間で、の言葉が蘇る。まだ兄上を信じているのかと問う、の冷めた表情が脳裏を過ぎる。
「俺は何を――」
戦う事を迷っているわけではない。平家を倒す事は父上の無念を晴らす事でもあり、兄上の治める国を造る為にも必要な事だ。そしてそれは、俺の悲願でもある。あの日――鞍馬でお前に別れを告げると決めた時から、変わらないままの。
「それを阻もうとする者は、誰であろうと敵でしかない」
そうだ。景時が政子様に告げたように、の行動は味方であるとは思えない。何より自身が、俺達の敵になると言ったんじゃないか。俺が考える必要など、もうどこにもない。そう結論付けて空を見上げれば、どこか感傷的にも見える欠けた月が、仄かに滲んで浮いていた。
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私は焦ってた。目が覚めた時――覗き込む炎尾に掴みかかって、霧鎖を呼んで平家の足取りを確かめた後、直ぐに庵を出た。身体に纏わり付くのは茶吉尼天の呪詛で、本来なら重衡だけに影響を与えた筈のもの。それが私の身にも降りかかったのは移し身の効果だ。そして重衡がここに居ない以上、それを解きようが無いって事を全員が判っていたから――。
「残りのみんな……せめて、今会えるだけの全員に術をかける」
平家の船団が戦に備えて陣を執っている今、源氏は動く。他に有効な手は無いんだから、迷ってる暇も、言い争ってる暇も無い。きっと彼等も、そう考えていたんだと思う。不満そうだったけど、守人達は反対しなかった。
「……?おい、朱雀の眷属は居ないみたいだぜ」
邸が見えるか見えないかの位置で炎尾のくれた情報は、私にとって好都合だった。二人にはもう術をかけてあるし、あの勘の良さには用心しないといけない。だからといって油断出来るわけじゃないけど、少しは行動し易くなる。
「玄武は…どちらも外だ。リズヴァーンは裏、桜の根元。敦盛は屋根に」
少し進むと、今度は霧鎖が呟いた。敦盛は大丈夫だけど、リズヴァーンが外に居るなら、先に済ませた方が良いかな?それとも、逆に最後にした方が――なんて考えている内に、今度は風牙が喋り出す。
「う〜ん、白虎は――どうやら景時が留守みたいだね。譲の方は……」
邸の隅で動いているようだから、いつもみたいに厨で朝餉の支度でもしてるんじゃないかな?そう言った後で、足止めは任せておいて――って、楽しそうに笑う。後は九郎と朔、白龍に望美ちゃん。邸を目前にして足を止めると、雷矢が口を開いた。
「九郎は庭に居るようだな。どうする、天姫」
神経を集中させれば、残りの三人は一緒の部屋に居るらしい。動きが感じられないっていう事は、話でもしているんだろう。術をかけなきゃいけないのは裏のリズヴァーン、庭の九郎、邸の一室に居る朔と望美ちゃんの四人。何かあった時、最初に気付いて動くのは……きっとリズヴァーンだ。だったら――。
「炎尾は敦盛、風牙は譲を引き付けて」
「了ー解」
「御意〜」
気楽に返事をして飛ぶ鷹と走る虎を見送って振り返ると、さっさと命令してくれとでも言いたげな二人が待ち構えてる。
「霧鎖はリズヴァーン、雷矢は九郎の動きを見張ってて」
「判った」
「承知」
人型のまま暗闇に消えた二人の向かう方向に一瞬だけ目を向けて、邸の中へ。あの三人だけが相手なら――話したい事があって来たんだと言えば、きっと手荒な事をしなくても済む。ただ……私のしようとしている事のどこまでを、どう伝えれば良いのか。それとも何も伝えずに、ただ術をかけて逃げた方が良いのか。手段を選ぶ事が出来ないまま、私は彼女達の居る部屋へ滑り込んだ。

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うーん…出来れば後、一年くらいで書き終えられると良いなぁ。
橘朋美
FileNo.028 2011/4/29 |