遠ざかって行く景時の気を感じていた時。また一つ、紋様が熱をもっていた。それがどの紋様なのか確かめたかったんだけど、完全な戦闘体勢に入った知盛が素直に退いてくれる訳がないってのが厄介なんだよね。こっちとしてはもうこれ以上争うつもりなんて無いし、ここへ来た目的は果たしたのに。
「知盛、いい加減……っ、船に行けば?!」
鍔競りの音に紛れて目の前でそう告げても効果は無いし、何とか撒いて逃げようと思って隙を狙っていた時だ――。
「知盛殿、どうぞお急ぎ下さい!御大将の命に御座いますゆえ!!」
少し離れた位置から聞こえた叫び声が、知盛の剣を止めてくれた。御大将って呼び名で従うって事は、たぶん清盛からの命令なんだ。いつもの冷めた目付きに戻って腕を下ろした知盛は、まるで全ての事に興味を無くしたみたいにしてその場を去って行った。夕闇の中、次が最後になるだろうという小さな呟きだけを残して……。
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足止めした弁慶は景時が助けているだろうし、知盛は退いた。生田に居た平家は海へ逃げた筈だし、これで良い。西へ向かいながら、この後どうするのかを考えていた。一ノ谷へは雷矢が向かったし、福原には残りの守人達が居る。
「なら私は……」
九郎達が福原を目指しているのなら、一ノ谷へは行かずに福原を目指す方が良い。だけど、平家は生田を捨てた。もしかしたら、疾っくに福原の兵を退いているかもしれない。九郎達が辿り着く前に。どちらかを勝たせるつもりなら簡単な事なのに、どちらも勝たせずに終らせる事は難しい。今の状況、福原に残されているだろう兵の数を思うと、九郎達の急襲が間に合えば平家が負けてしまう。そうさせない為には、どうすれば良い?
「お嬢!」
少なくとも、まだ時間はある。それなら増援があればと思ってた。宵闇の中一ノ谷へ向かっていた私を止めたのは、福原に居る筈の風牙だった。その口から告げられた状況は、少なくとも私にとって良いものじゃない。一ノ谷へ向かった雷矢は将臣と一緒に福原へ向かっていて、九郎達は間も無く福原に着くだろうって……。
「何で……それじゃ早過ぎる!」
「だから俺が来たんだよ、乗って!」
変幻した風牙の背に乗って、姿を消したまま福原に着いた私を待っていたのは、御所に攻め入ろうとしている九郎達の姿だった。炎尾と霧鎖は予定通り帝と尼御前の傍に身を潜めているらしく、奥にその気配がある。雷矢の気は簡単に感じられないほど遠くて、その速さがいつもより遅い事を考えれば、ここに来るまでかなり時間がかかると思う。平家方には知った気配は無く、胸に不安が過ぎった。知盛は生田で退き、将臣はこちらへ向かっている。じゃあ、残りは――。
「――重衡は?」
「生田に向かったみたいけど……見かけなかったのかい?」
あの時感じていた熱は、知盛と別れた後には引いていた。あれが重衡に繋がった牡丹だったんだろうか?だとしたら、今は心配ないって事なんだろう。何か異変があれば……重衡が私を思い出せば、だけど……変化がある筈だから。
「見てない。けど…………今はこっちを何とかしなきゃね」
「そうだね、どうする?」
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和議が成るならそれが一番良いと思っていたが、そう簡単には行かなかった。だが、生田は何とかなるだろう。街道にも兵を割きはしたが……知盛の軍が居るし、御所の守りを固めた後は重衡が向かってる筈だ。それに、大和田泊には清盛が居る。あの船団があれば、攻めるにしても守るにしても――最悪、退くにしても役に立つ。俺が一ノ谷で食い止められりゃ良かったんだが……。
「悠長に構えている場合では無いぞ」
「お前は……!」
どこから現れたのか。こいつが俺の前に姿を見せたのは、源氏の急襲を警戒して崖下に潜ませていた兵達から何の異常も無いっていう報告があった少し後だった。和議が罠で、既に源氏は生田を攻め、福原を目指していると。態々それを伝えに来たのは、多分あいつの差し金なんだろうが……。敵なのか、味方なのか。それすら判らない奴の言葉を鵜呑みには出来ない。それを確かめる為に、俺は兵を走らせた。
「どうやら納得したようだな」
「くそっ!」
生田では戦いが始まり、乱戦になっているらしい。となると、源氏の本陣は疾っくに空になってるんだろう。そしてここ、一ノ谷で異変が無いって事は――。
「経正!俺は福原へ戻る。お前はここの兵達を連れて大和田泊へ急げ!!」
和議が失敗したのだとしても、ここでやられるわけには行かねえ。たとえ福原を落とされたとしても、あいつらが無事なら何とかなる。それだけを考えて、馬を走らせた。
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「やっぱり、弓は不便だなぁ」
番えた矢を放ちながら、木の上で呟く。もう何人の肩を射抜いただろう?なるべくなら九郎達に姿を見られるのは避けたいし、直接戦うのはもっと避けたい。そうなると離れた場所から狙い撃ちするしかなくて、私だと気付かれる可能性のある術は使えなかった。
「そろそろ心許無くなってきたみたいだね?」
不意に現れた風牙を振り返る事も無く奥の様子を尋ねれば、帝や尼御前達は逃げもしないでじっとしているらしい。忠度とかいう老将が、何の命令も受けていないのに退くわけには行かないとか言って踏ん張ってるとか何とか。この時代、この世界の武士にとってはそれが普通なのかもしれないけど……正直、呆れてしまう。
「どうする?矢が必要なら……」
「大丈夫、もう要らない。雷矢が近くまで来てるから」
乱戦が続いているとはいってもそれは門を抜けた辺りでの事だし、奥には炎尾と霧鎖が控えてる。こんな遅くに雷矢が来るって事は将臣も一緒なんだろうから、後は平家が逃げるまでの時間を稼げば良い。そう思ってたんだけどなぁ……。
「はあ?冗談でしょ?!」
まさか時間稼ぎに怨霊を使うなんて……考えもしなかった。そりゃ味方の犠牲を抑える為には一番の方法だけど、命令する人間が居なくなれば怨霊が野放しになる。将臣がそんな方法を?……執ってもおかしくないのかもしれない。この状況で平家の人間達を逃がしつつ、源氏にそれを追わせないようにするのなら――その後の影響を無視するのなら、確かにそれが一番効果的な手だ。
「どうやらそれなりに力のある怨霊みたいだけど――」
「数は?」
「一体だ。天姫、源氏の軍勢が御所内に攻め入ったぞ」
状況は刻々と変わって行く。駆け付けた雷矢から残りの二人もこちらへ向かっていると聞いた私は、ほんの少しだけ迷った。平家は退いた。なら、私達も長居しない方が良いと思う。でも……雑魚とは言えない怨霊を残したまま、この場を離れても大丈夫なんだろうか?もう間違えたくない。なのに、決めなくちゃならない事は次から次へと湧いて来る。迷う暇なんて殆ど無くて、過去を参考にする事も出来なくて。
「へえ、随分派手にやってたんだな。で?これからどうするんだ?」
「主だった者達は逃れたようだ。姫…命を」
「……雷矢と霧鎖は源氏を足止めして!風牙と炎尾は私と一緒に!」
覚えのある気配が集まっているのは門を潜った辺りだったし、望美ちゃんが封印出来る程度の怨霊じゃなさそうだ。出来れば九郎達に感付かれない内に逃げたかったけど……結局、私はそうする事を選べなかった。
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「どうやら、平家は福原を捨てたみたいだね」
禍々しい気が漂う中、私達は雪見御所の奥へと進んでいた。辺りに平家の人達の姿は無くて、ヒノエくんの言葉は、きっと正しいんだと思う。ただ……気を抜くなという九郎さんの声が響いた時。――私達の敵は、人間だけじゃないんだと知る。
「迂闊に近付いてはならない、神子。ただの敵ではない」
不意に開けた場所へ出た時。そこに怨霊を見付け、それが誰かと戦っているんだと気付いた。それが、今までに見た怨霊とは比べ物にならないくらい強大な怨霊だという事にも。ここに来るまでにだって朔に助けてもらいながら何度か怨霊を封印して来たけれど、それとは比べ物にならないくらい力ある怨霊。
「あれは――!」
「が……戦っているのか?」
先頭を歩いていた弁慶さんの視線の先には、いつも一緒に居る鷹や虎の姿をした式神と……九郎さんの言うとおり、さんが怨霊と戦っていた。吉野の里で会った後、そのまま姿を消したさんが――。
「……何故こんな所に?」
隣で呟く朔は、信じられないっていう顔をしている。きっと、私も同じような顔をしてるんだと思う。出来る事なら、こんな所で会いたくなかったから。
『あいつは――敵だ』
次に顔を合わせる事があれば、それは敵として戦う時だって九郎さんは言ってた。それが今だというなら、私達は……戦わなければならないの?景時さんが言っていたみたいに、敵なのか味方なのか解らない人だって事は知っているけど、それでも――。
「神子。怨霊が、消える……!」
その瞬間。さんが怨霊を倒した、本当に一瞬の事だった。私が怨霊を浄化する時とは全然違う力を感じたのは。浄化された怨霊は、龍脈に戻る。白龍はそう教えてくれたけれど、その怨霊は――何も残さずに消滅してしまったんだ。
「先輩、気を付けて!!」
「譲!駄目だ、弓を引いては――」
気を付ける?さんに?どうして――。これまで、あの人は私達に害を加えようとはしなかった。とても怖い人だと思った事はあったけれど、それすら偽物の顔で、宇治川では危ない所を助けてもらった。そんな人相手に、何を気を付ければ良いの?私がそんな事を考えている内に、さんは跳んでいた。
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次に会った時――俺が兄上を信じ続けていたなら、お前は俺の敵になる。あの時お前は、そう言った筈だ。なのに何故――?あの怨霊は、平家が放った怨霊だ。それを消滅させてこちらに近付いて来るのは、お前が敵ではないという事なのではないのか?
「九郎……、言った筈だよね?」
将は戦場で迷ってはならない。一瞬の迷いが、その先の命運を分かつ事もあるのだから。先生の教えが頭を過ぎった時、太刀を抜こうとしていた俺の手はに掴まれ、その動きを止められていた。どれだけ強くとも、腕一本で動きを封じられるなど……何か逃れる手がある筈だ。そう考え、身を退いた瞬間。の腕は、呆気なく俺から離れた。まるで、その時を待っていたように。
「まだ頼朝を……信じてるんだ?」
薙刀を振り翳す弁慶、俺の名を叫ぶ望美、それを庇う白龍。機を図るヒノエ、朔殿を後ろに構えを取る先生。その全てを掻い潜ったが羽交い絞めにしたのは、後方で狙いを定めていた譲だった。
「的にされちゃ敵わないからね。少し大人しくしててもらおうか」
そう言ってこちらに向けられた視線は酷く強いもので、逆らえば譲の身に危険が及ぶかもしれないと考えた俺達は、その場から動く事すら出来なかった。譲を放し正々堂々と勝負しろと叫んだところでは耳を貸さず、誰よりも離れた位置にいた敦盛を呼び寄せた。それに従いに近付いた敦盛は、首に手をかけられ――。
「やめろ!、その手を離せ!!」
俺の声だけでなく、何故そんな事をするのかという望美の声にも答えないまま、暫く経った後。は静かに敦盛から手を離し、そのまま譲を放した。その肩に舞い降りた鷹と足元に擦り寄った虎の式神を従え、こちらを見て。
「出来れば……もう二度と、戦場では会いたくないね」
小さく微笑んだ後。闇に身を躍らせるようにして、その場から姿を消した。俺達と戦いたいわけじゃない。そう感じさせる言葉を残して行ったのは何故なのか。敵になると明言したのに、何故ここで、平家の放った怨霊と戦っていたのか。気になる事は多々あったが、今はそんな事を考えている時ではない。福原を制圧した俺達は、景時と合流する為に雪見御所を後にした。

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熊野辺りからイベントの順番がごっちゃになっているのは、単に主人公を動かし易い状態にしたかったからです。一応考えてはみたんですが、ゲームの進行と全く同じにしてしまうと裏付けが難しい上に話が中々進まないんじゃないか?という結論に達してしまったので。
さて、これからはこちらの話を集中的に書き進めて行こうかと思います。何せ一番古くて一番完結に近い話ですからねぇ。一年くらいで書き終えられると良いなぁ。
橘朋美
FileNo.027 2011/3/11
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