ただ只管に、闇を走る。どちらの陣営にも守りたい人間が居るから。こんな時、身体が一つしかないのがもどかしい。人だった時も、そうでなくなった今も、考えるのは似たような事だ。そう思うと……昔も今も、私は大して変わっていないのかもしれない。
「この辺りで様子を見た方が良いかな?」
少し先に見えるのは、源氏の本陣が敷かれるだろう場所。最初の時には還内府、将臣の計略にかかって……リズヴァーンが欠けた後、ボロボロになったみんなが居た。二度目の時には崖下の待ち伏せを見破って、源氏側の優勢になった。けど―――その途端、平家は素早く兵を退いた。小競り合い程度で終わった一ノ谷の合戦が、また始まるんだ。
「そうだな。ここからなら、直ぐに対処出来るだろう」
雷矢の答えが合図だったみたいにして、風牙が駆けた。福原に居る、炎尾と霧鎖に知らせる為に。別れて行動するのは避けた方が良いって言われたけど、今回は――というか、源氏とも平家とも敵対する羽目になってる今じゃね。これから先も、事が収まるまではこんな風に行動しなきゃ仕方ない。多少の不安はあったけど大丈夫だと思えたのは、守人達が居るから。少なくとも、私は一人じゃない。そう信じられる事が、何よりも心の支えになっていた。
「じゃあ、何かあったら叩き起こして」
夜が明けるまで休めっていう言葉に甘えて、雷矢に凭れかかる。本性の時だとひんやりしてる身体も、人型の今は温かくて心地良い。こんな風に守人達に凭れて寝るようになったのは、いつからだったろう?大して深く考えていたわけじゃない頭は、直ぐに眠りへ落ちて行く。朝になったら。鎌倉の持ちかけた偽の和議が始まったら……。きっと、迷う暇も無いほど忙しくなると思いながら。
「天姫、起きろ。様子がおかしい」
完全に陽が昇った状態の空を見て、どれだけ寝ていたんだろうと考える前に――嫌な気配を見付けた。私が寝てる間に帰って来た風牙は、本性のまま鼻をヒクつかせてる。確認する必要も無いくらい覚えのあるそれは、茶吉尼天。前と同じ……じゃない。何で景時があんなトコに??
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「嫌だと仰るのでしたら、あなたは行かずとも構いませんわ」
望美ちゃんが居る。その後ろには、白龍と朔が。九郎と弁慶も居て、ヒノエや譲、敦盛やリズヴァーンも。けど、景時が居るのは初めてだ。……おかしい。気付かれないように姿を消して、木の上に潜んで盗み聞きなんて我ながら良い趣味じゃないと思うけど……背に腹は変えられないし。そんな暢気な事を考えていられたのは、その時までだった。
「ですが政子様、未だ気にかかる事もございます」
何者にも与せぬと言いながら、源氏、平家共にその中枢に位置する者達と深く関わり、その正体が何者であるかも定かではない。吉野では九郎殿に、次に相対する時には敵となると告げた事もございます。このように事を運ぼうとすれば、相手にとって絶好の好機となる恐れも……。
私はもう、みんなの敵。景時ですらそれを口にするくらいだ。九郎や弁慶だけじゃなく、あの場に居るみんなにとっても。それを判っていたとはいえ、目の当たりにするのは辛かった。
「景時。私は、鎌倉殿のご意思を伝える為に赴いたのです」
あなたの意見など聞いていないと言って景時を黙らせた北条政子は、頼朝に仕える武士ならば先ほど伝えたとおり実行しろと残して、そのまま陣を出て行ってしまった。沈んだまま、納得出来ないものを抱えたまま。それでも行動しないわけには行かないみんなと、呆然としたまま動けないでいる私を残して。
「……行くぞ。時は既に動き始めた。あなたがここに居ても、もう出来る事は残っていない」
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峠を下る源氏の軍は高尾山で暫く立ち止まって、また先へ――。行くのかと思ったのに、妙な所で止まった。周りに何かあるわけでもないし、道が崩れて進めないってわけでもない。先行する雷矢には先に行ってと頼んで風牙の背に乗ると、一気に望美ちゃん達の居る近くまで駆け下りた。
「ここからなら、平家の裏を掻けると思いますよ」
やけに急な斜面を指してそういう弁慶と、尻込みする兵士達。それを鼓舞する九郎と、一緒に行くって言う望美ちゃん?!頭が、混乱した。ここから攻めるのは、普通の人間じゃ難しい。よっぽど馬術に自信のある人じゃなきゃ……って、だから九郎なのか。でも、それをされたら平家が危なくなる。雷矢を先に行かせた事を悔やんでも、もう遅かった。なら、崖を下りられないようにすれば?土を崩すか、雨を呼ぶか、それともいっそ――。下手に怪我人を増やす可能性がある手より、自分が出て行って場を混乱させるのが一番効果的だと決心した時。
「ただ……少し、気になる事があるんです」
手綱を握った九郎を止めたのは、他でもない弁慶だった。何を考えているのか解らない。こんな時軍師が口にする言葉には、戦局を左右するだけの重みがある。だからこそ、より勝算の高い作戦を薦めるのが普通だっていうのに。
「弁慶、この期に及んで一体何を……?」
和議の為に街道を守っている兵の数は、決して少なくありません。それ以外で平家をの守りの表である生田と、裏である一ノ谷、海路を押さえる大和田泊。そして福原の四箇所に分散しているそれぞれの兵の数は少ない。ですが、実際には生田と一ノ谷にかなりの兵が集まっているんです。恐らく、福原の守りを削いで兵を向けたんでしょう。弁慶の言葉に次いだのはヒノエで――。いつの間にか崖からの急襲は取り止められて、福原への攻撃が決まっていた。生田に居る景時への伝令には弁慶が、福原には残る全員が向かう事になって。本当に……もう迷っている暇は無かった。
「風牙。今の話、雷矢を捕まえて一ノ谷に走らせてから福原へ伝えて」
生田には私が行くって言いながら、その時にはもう走ってた。一隊の兵を連れて生田へ向かった弁慶の所へ。福原が手薄になっているとしても、守人達に任せれば大丈夫。けど、それ以外は範囲が広過ぎて無理だ。だったら、その戦いの中心になりそうな人間を止めるしかない。戦場で遭った相手が敵だと判れば、戦いは避けられないんだから。たとえ、そこに誰が居たとしても――。
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「まさか――驚いたな。本当に君が、ここへ来ているなんて」
見開かれた目は、その言葉が嘘じゃないっていう印だと思う。けどそれは、ただそれだけの事でしかない。私がここに来ようが来なかろうが、関係無いんだ。弁慶は、そういう人間だから。利用出来るものを利用して、自分にとって有利な状況を作り出す。軍師としては一流の人間。それが味方なら心強いけど、敵なら脅威になる。
「弁慶、この状況で九郎達に危険な策を選ばせた意味は何?」
偽の和議を知っていて、奇襲をかけるチャンスを得ていて。それなのに、何で更に危険な策を選ばせたのかが解らない。源氏はまだ、こんな所で焦らなきゃいけないほど切羽詰っているわけじゃないのに。確かに、福原を落とせば源氏方に有利になる。格段に成功率が高ければ、それを選ぶのも解る。けど……元々源氏も軍を分けていたし、今はこうして三方に分かれてしまっている。分散化した状態では苦戦するなんて事、当然解っている筈なのに……。
「――僕は、可能性を示しただけですよ」
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こんな所で、君に会いたくなかった。まさか、景時が言っていたように……本当に?問い質す事は出来ず、君の質問から確信が高まる。それでも僕は――。兵達に先を急ぐよう伝えれば、その言葉が合図だったかのように君の姿が消えた。
「っ……?!」
薙刀を構えてもその動きを止める一手は出せず、周囲の兵達は次々と膝を折って行く。それは、まるで僕を追い詰める為に他の兵を倒しているようで……。その姿を見止めて太刀を振り被った者は、なす術も無く血溜まりに倒れる。
「ここで源氏を勝たせるわけには行かない」
「僕は――ここで退くわけには行かない」
他に比べれば少数の兵とはいえ、こうも容易く殲滅させられるなんて。悪夢のような光景の中に立っているのは、もう僕達二人だけだった。勝算は――――無いに等しい。情けない事に、軍師としての判断はそう言っている。けれど、それでも……もう他に、選べる策は無い。
「君を殺す気なんて無い。でも――私の邪魔はさせない」
次の瞬間、僕の足は捕らえられていた。足元から力が抜けていくのは、この絡み付く根のせいなのかもしれない。彼女の力を甘く見ていたつもりはなかったけれど、先ほどまでの戦いに気を取られて呪いを使う可能性を見落としていた、僕の……負け。
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弁慶の足を止めて向かった生田では、疾っくに混戦になっていた。平家と源氏が入り乱れている中で景時を見付けられたのは、あの目立つ格好とライフルのお陰だ。
「流石に簡単には行かないな……っと!ふ〜う、間一髪」
そこから放たれた術は、初めて会った頃と比べて随分威力が高くなってる。元から術の質は良い方だったし、あれから何年もかけて改良を加えたんだろうなぁ。なんて、そんな感傷に浸ってる場合じゃなかった。平家の本陣は、もう直ぐそこ。バリケードを破られたら、守る側だとしても苦戦する事になる。兵の数は多くてもこの乱戦で同士討ちも増えているみたいだし、どちらかを退かせないと――って、あれは!
「ほう?お前が、源氏の戦奉行か」
「平知盛……みんな、油断しちゃ駄目だよ!」
冗談でしょ?!何で知盛が――守る側の大将が陣を出る必要があるっての!!そう叫びたかった。けど、遠くの方で撤退を始めている兵達が見えて、それが大和田泊へ向かっているのを確認して、何となく判った。平家は生田を……福原を捨てて落ち延びるつもりなんだ。なら、ここは知盛を退かせて――の、前に景時を助けなきゃいけない。一騎で躍り出た知盛を囲んだ兵達を越えて景時の前に着地すれば――。
「っ?!……。そうか、君も――来てしまったんだね」
そう言って、銃口を向ける景時が居た。その術が、今度は効くと思っているのかもしれない。けど、その目に躊躇いが見えて――。私はそれを、逃さなかった。
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本当に、一瞬の事だった。木の葉が一枚、木から落ちて来たみたいに自然な感じだったんだ。目の前にが居る。けれど、それは……俺の守りたいと思っていたなのか?それともやっぱり、平家方に付いた敵としてのなのか。判らないまま、オレは…………その姿を見たなら殺せという密命を受けている相手を前にして、武器を構えた。
「駄目だよ景時、もう遅い」
無表情なまま俺の腕を捻り上げるその力はとても女性のものとは思えないくらいで、声を上げずにいるのが精一杯だった。
「君は……やっぱり敵なのか」
一瞬だけ驚いたの顔に、目を奪われた。でも、それが見間違いだったかと思うくらい綺麗に消された直後。背後から襲ってきた一太刀を、が止めていたんだ。そのまま避ければオレを斬っていた筈の剣の持ち主は――兵の囲みを抜けてきた敵の将、平知盛その人だった。君が敵なのか、味方なのか。オレには判らない。なのに、どうして君はオレを助けるのか。さっきはあんなに冷たい顔をしていたのに、今はオレに向けられた刃を止めているなんて。
「ほう?やはり、な。まあ……良いさ。邪魔をするならお前も敵。と、いう事だ」
「知盛、どうして君は退かな――っ?!聞くだけ無駄、か……」
その太刀筋は緩慢な口振りとは裏腹で、狙いを定めるのにも苦労するくらいの速さだった。だけど漸く――――そう思ったのに。その胸に放たれた術を、は簡単に弾いてしまう。
「なんで……、っ?!」
「無粋だな。それほど気になるのなら、……お前も交ざるが良い」
「景時、弁慶を助けたいなら退いて!……?!知盛、邪魔は――させない!」
生田の森の反対側に弁慶が居ると言う彼女の言葉を信じて森を進むと、そこには確かに弁慶が居た。まるで、木の根に生気を奪われてしまったみたいに憔悴し切って。オレはもう、彼女が敵なのか味方なのか――判らなくなってしまった。

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三章は一気に進めまーす。
…………多分。
橘朋美
FileNo.026 2010/4/27 ※2010/9/30修正加筆 |