桜散る
二章六



「あまり騒いでは皆が動揺する。そこまでにしておきなさい」

暗闇で脅えていた小さなリズヴァーンは、もう居ない。誰よりも大きく、誰よりも強く。見た目だけなら、私よりも年上の大人の男になった。普段は寡黙なのに、意見する時の彼の言葉は逆らい難い厳しさを持っている。だから私は、それをも利用した。

「誰かを選べって言うなら、一番付き合いの長いリズヴァーンを選ぶよ」

それを聞いて黙ったのはリズヴァーンだけだったけど、これ以上話を続けるなんて無理。誰の顔も見ないまま、頭を冷やそうと思って外へ急いだ。仲間としてはみんなが良い子だし、みんなが好きだって言える。男女としての恋愛感情はそれを台無しにするし、普通の人間じゃない私には関係の無い事だと思っていたかったから。

「随分冷たい態度を取るんですね」

宿を出る直前に私を呼び止めたのは、譲だった。ここで冷静に相手を出来るほど感情は収まっていなかったから、八つ当たりだと解っていても口を止められなかった。ただ真っ直ぐに一人だけを思い続けていられる君が羨ましくて、誰に対しても一定以上は近付かないように、誰も彼もを騙している自分が惨めだったんだ。

「私は、君達とは違う。……朝には戻るよ」

++++++++++++++++++++

これまでに見た事の無かった諍い。その結末は、私を混乱させるに充分なものだった。の意図を知らぬままでは、どういう事かと詰め寄る四人の問いには答えられない。幾度思い返しても、八葉が神子以外を選んだ運命は無く……私が神子以外を選んだ運命も無いというのに。いつの間にか降り出した雨に追われ、憮然としたままの四人と別れたのは夜半の事。

「何かあったのですか、リズ先生」

宿の一室で寝ていた筈の敦盛がこちらへ来た時、先に見えた譲は既に事を察しているようだった。宿を出て行ったを追いかねない神子を止め、無言のままこちらを見る譲の顔に不安を覚えたのは……。これから起こるであろう事が予測出来ないからだ。

「お前は湯に中っていた。まだ暫く休んでいなさい」

だが……。そう思っていられたのは、翌朝までの事だった。私がこれまで見てきた運命の全てに於いて、その中心には神子が居た。今、この運命の中心には――誰が居る?神子とそれを守る八葉だけでなく、敵対する者達の意識が向けられているのは……。それを容易く断ずる事は出来ずとも、浮かぶ者の名は唯一つ。そのような事が起こり得るのかと疑う声は、宇治川で相見えた時の疑問に掻き消される。は何故、この時空にしか存在しないのか。私はそれを、確かめたいのか?確かめなくてはならないのか。それすらも判らぬまま、それからの時を過ごすようになった。

++++++++++++++++++++

「久し振り。……で?」

確かにこんなトコで会えるなんて思っちゃいなかったが、顔を見た途端に疑問系の一音を出されてもな。こっちとしても、会いたかった訳じゃないんだ。

「なんだ、豪く不機嫌だな」

源氏の神子姫様御一行と、平家の還内府御一行が鉢合わせするかもしれない。そんな状況下で不機嫌にならない人間が居るんだったら、是非その顔を拝んでみたい。

「この時期に、こんな所で偶然見る顔じゃないでしょう?」

いつもより刺々しい喋り方なのも、表情が険しいのも、その所為ってワケか。だからって、それは俺達の所為じゃない。

「相変わらず侮れない奴だな」

不敵に笑っている君の方が、よほど侮れない。しかも、一緒に居るのは一介の将じゃないんだから。ここでは、君達の名前が知られただけで大騒ぎになるってのに。

「褒め言葉だと思っておくよ。それより、――」

++++++++++++++++++++

強い陽射しと蝉時雨。木々を湛える山々に、潮の香を運ぶ風。待ち構えているのは敵か味方か、そのどちらでもない者なのか。何れにせよ、全てに於いて神経を尖らせていなければならない状況だった。

「あれは……?じゃねぇか」

そう。将臣殿が、あなたを見付けるその時までは。何故あなたは、こうも危うげな場に居合わせるのか。私達……平家の動きを押さえられる、この場所に。それは故意なのか、偶然なのか。

「よう、久し振り」

振り向いたその顔に浮かぶ動揺が、極僅か。次いで向けられる視線は心地良いものではなく、これは互いに望まぬ再会であったのだと思わせる。いや……ただ私が、そう思いたいだけなのかもしれない。

「なんだ、豪く不機嫌だな」

平家が落ち延びるには、船が足りない。水上での戦に長けているとはいえ今の平家に喜んで力を貸す勢力は無く、一門の主だった者達は源氏に反感をもつ勢力を説得に回っている。ここへ来た、私達三人も。

「相変わらず侮れない奴だな」

源氏の手から逃れ、一門の者達が穏やかに暮らせる地を探す。その為に、打てる手を全て打つのだと言う将臣殿と共に熊野へ。そして、人知れず事を運ばねばならないというのに。何故あなたは……。

「あー、悪い。こっちも知盛を待たせてるんでな」

こうも深く、我等に関与するのか。将臣殿に会わせたい人が居るのだと言うに、私の心とは裏腹なまま口をついて出た言葉は――ただあなたの憂い顔を晴らしたいが為だけに。

++++++++++++++++++++

「でしたら、兄上には私が知らせておきましょう」

ずっと黙っていた重衡がそう言ったのは、望美ちゃんや譲と一緒に熊野へ来たと話した直ぐ後だった。将臣を源氏方の団体に引き合わせる事になるのは心配だったけど……前も、その前も――。私の思い出した記憶の限りでは、何も問題は起こらなかった筈。何より、今を逃せば三人を会わせる事が出来なくなるかもしれない。それが一番の理由だった。

「そうか。じゃあ、そっちは頼む」

「ありがとう、重衡」

これまで、将臣は一人だった。私の知らない内に望美ちゃんと会って、みんなと合流していた。なのに今は重衡と一緒で、知盛も熊野へ来ているなんて……。どんどん私の知らない事が増えていく。でも、重衡と知盛を連れて行くわけにはいかない。それを説明する事も出来ない。

「礼には及びません。私にも、あなたと共に過ごす時間を頂ければ」

「また取り引き?でも……そうだね。暇が出来たら会いに行くよ」

龍神の神子――。源氏の神子と呼ばれてる望美ちゃんを、平家の将を会わせるなんて出来ない。だから、私が行くと言うしかなかった。重衡がそれを解っていてそう言うように仕向けたと知ったのは、ほんの数秒後の事。過去を意識して行動するようになった私は、今を意識する事が出来なくなってきているのかなぁ……。

「ええ、そう仰って下さると思っていました。あなたに会える時を心待ちにしています。それでは、またその時に……」

「そうと決まれば、さっさと行こうぜ。今から行けば朝には着くだろ?」

将臣を連れて戻れば、タイミング良く望美ちゃんが出てきたところだった。みんなとの顔合わせで、改めて弁慶の卒の無さを知った。敦盛は、自分だけじゃなく将臣までもが八葉だったっていう予想外の出来事に驚いていたみたいだ。大袈裟に誤魔化したりはしてなかったけど、将臣は自分の立場を覚られないようにしていたんだと思う。でも、あの時の弁慶の顔は……。

。それほどまでに、兄上の事が気にかかるのですか?」

「えっ?」

高が半日で、あまりにも沢山の事があり過ぎた。この先も、あの気まずい雰囲気を引き摺っていくんだろうか。将臣を連れて戻った私に向けられた視線は、気持ちの良い物じゃなかった。白龍だけは、全ての八葉が揃った事を喜んでいたけど……。将臣も一緒に本宮へ行く事になって、私は暫く熊野を巡ると言ってみんなと離れた。重衡や知盛に会いに来たのは、将臣の事を伝える為。

「将臣殿が戻られるまではこちらに滞在せよとの事ですし、心配は要りませんよ」

「そういう事じゃ……ごめん」

酒を酌み交わしながら、私が何を考えているのか。少なくとも、知盛を心配しているんじゃないって事くらい……判らない重衡じゃない。人に覚られないよう、無表情でいる事が出来なくなってる。私は、動揺しているのかもしれない。意識的に避け続けていた事を、周りから意識させられるようになってしまって。出来る事なら忘れてしまいたいのに、私の記憶はそう都合良くは働いてくれない。今の私が考えなきゃいけない事が何なのかはっきりしているのに、集中出来ないでいた。

「いいえ、あなたが謝られる事などないのです。そう勘繰ってしまうのは、私の愚かさ故。ですが、もし許されるのなら――。少しだけ、私の話を聞いて頂けますか?」

全員を助ける為には、どうしたらいいのか。しかも、敵味方に分かれているみんなに私の正体を知られないままで。何とか無理矢理にでも引き戻そうとした思考は、重衡の話によって更に掻き乱されてしまった。



     

**************************************************************

夏は怪我に見舞われ、秋にはPCがイカれ、昨年は散々な目に。
PCの再セットアップと共にフォントやカラー、辞書等が消えてしまい、その間こちらにいらして下さった方々には大変見苦しい状態だったと思います。今更ですが、御迷惑をかけてしまい申し訳御座いませんでした。
現在はカラーや辞書を復旧させつつ書き進めている状態ですので冬眠直前の熊の如き鈍さとなっておりますが、どうぞ御了承下さいませ。
と、真面目に言った後で何ですが…PCを買い換えたら全面改装します。
まあ、まだ随分先の事ですが。きっといきなり変わっている事でしょう。





橘朋美







FileNo.023 2009/4/13 ※2010/9/29修正加筆