桜散る
二章四



三草山から戻り、そう日も経たない内に兄上からの書状が届いた。これから先の戦、海戦に備える為に熊野の力を借りて来るようにと。陸の戦に長けている源氏と、海の戦に長けた平家。力が存分に発揮されない戦場では、兵達の士気も下がる。そもそも、船の数からして源氏と平家では格段の差がある。だが、熊野へ赴き水軍の協力を得られれば戦の大勢は変わるだろう。

「九郎、聞いていますか?」

「ああ、聞いている」

「良かった〜。じゃあ、九郎も賛成なんだね」

俺が兄上の命令に反対する訳が無い。このままでは苦戦するのが目に見えているというのに。反対する者が居るのだとすれば、それは只の愚か者だ。思わず声を荒げた後にぽかんとした表情、苦笑い、呆れ顔。皆の後ろで、一人肩を震わせていたのはだった。些か呆れたような溜息と共に告げられた弁慶の言葉で、俺の聞いていた話は疾うに終わり、既に別の話の返答を求められていると知った。

「俺達は平気でも、先輩や朔は疲れも溜まっているみたいですし」

「温泉?本宮へはまだ遠い。こんな所でのんびりしている暇は無いだろう」

「そうだ。先はまだ長い。だからこそ、身体を休める事も必要になる」

先生や譲の言う事も尤もだ。しかし、俺が言いたいのはそういう事ではない。一刻も早く本宮へ着き、熊野水軍の助力を取り付けねばならない今。このような時に温泉でのんびり過ごそうなどと気を緩めていては、兄上に申し訳が――。

「どこで宿を取ろうと一晩は一晩。温泉に浸かってる間に本宮が逃げる訳じゃなし、偶には良いんじゃない?」

「っ……それはそうだが」

「この先は暫く人家も無い。日が暮れる前に宿を探した方が良いと思う」

の正論と敦盛の助言まで加わってしまっては反論を続ける事すら難しかったが、俺より先に譲が大声を出していた。此方を窺っていた何者かが現れたのは、その直後。

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「相変らずですね、ヒノエ」

「ヒノエ……久し振りだな」

望美ちゃんに口説き文句を並べ立てるヒノエを止めたのは、やっぱりって言うかなんて言うか……弁慶だった。敦盛は幼馴染なんだっけ。ヒノエが私達を窺ってるのに気付いていたのは三人だけかと思ったんだけど、リズヴァーンや弁慶以外に気付いている人間が居たなんてね。九郎はもっと驚いているみたいだけど……自分が気付けなかったのがショックなのかな?

「君が姿を現すなんて珍しいね」

「はあ……お前にだけは言われたくないんだけど?」

私は必要なら直ぐに顔を出すけど……なんて事、今はどうでも良いか。少なくとも、ヒノエは九郎達の目的を知っていて顔を出した筈。自分が熊野の頭領だって事を隠したまま……状況観察ってトコかな。少しずつ、確実に八葉が揃っていくのを喜ぶ白龍達を見ていると、最後の一人が平家に居る事を忘れたくなる。

「天の朱雀も、揃ったね」

「残る八葉は、天の青龍のみ……だな」

でも、それはどう足掻いても変えようのない現実で、敵味方に分かれたままの君達を護り抜くのが私の遣るべき事。せめて戦っていない時くらいは、平和な雰囲気を満喫しよう。煩わしい事を考えるのは、独りの時だけで充分だから。ふとした時に首を擡げる不安には、暫く目を瞑っておこう。

「じゃあ、ヒノエ君が案内してくれるのかい?ありがとう!助かるよ〜」

「野郎を喜ばせる趣味は無いんだけど?まあ、今回ばかりは仕方無いね」

良い宿を知っているから案内しようかというヒノエの言葉に釣られて、なんだか遊びにでも来ているような気分になっていた。望美ちゃんや朔と、一緒に湯船に入れないって事を思い出すまでは。いつもは見えない場所にあるから気にする事すら無かったんだけど、服を脱げば――嫌でも目に入るモノがある。

「確かに……土地の人なら、よく知っているでしょうから」

「ああ、そうだな。ではヒノエ、宜しく頼む」

牡丹唐草はともかく、参眼は……。もう私の身体に馴染んでしまった、人には無い筈のモノ。これ以上、誰かに見られる訳にはいかないモノ。何か巧い言い訳は無いかと考えながら、ただ足だけを動かす。薄暗くなった空の下を、みんなの声が耳を通り過ぎて行くのを感じて。その所為で宿へ着いてから妙な目に遭うなんて、思いもしなかった。

「ふふ。どんな所なのかしら?楽しみだわ」

「うん、露天風呂なんて楽しみ。ねえ、朔。一緒に入らない?」

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気もそぞろなまま歩き続けていたに気付いたのは、僕だけじゃなかった。ヒノエが合流した後で、暫く歩いた頃。景時が、こちらへ。

『弁慶、ちょっと良いかな?』

元々周囲を気遣うのが得意な景時がの異常に気付いたとしても、別段不思議な事じゃない。けれど、それはいつもの気遣いとは違っていた。

『顔色が悪いって訳じゃないんだけど、沈んでいるみたいでさ……』

その事なら、僕も気付いていた。でも、あの時の事を思うと声をかける事も出来なかった。それに、景時が言いたかったのはその事だけじゃなくて。

『なんだか―――で悩んでるんじゃないか、って……』

何を……誰が、誰の所為で?――聞こえていた筈の言葉を聞き返す。が景時の事で悩んでいるだなんて、一体どうして……。

『え〜っと……。ちょっとその、まあ、色々と事情があってね』

景時が平家に与していた頃からの知り合いだと、知っていた。景時に対して時折柔らかな微笑を向けているのも知っていたけれど。

『詳しい事情は話せないんだけど……俺さ、を守りたいんだよ』

そう言った景時を酷く憎らしいと思ったのは、僕の気持ちが……僕自身では誤魔化せない所まで来てしまっていたから。だから――。露天風呂の前で望美さん達と別れた彼女を見付けたのは偶然で、その後を付けた僕が、今ここでを組み伏せているのは必然だった。

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「いい加減、退いて欲しいんだけど」

「ええ、良いですよ。君が僕の質問に答えてくれたら、ですが」

何をふざけた事を言ってるんだか。守人達を離しておいたのは拙かったかな。お風呂には手合わせの後でゆっくり入るって言って望美ちゃんと朔を誤魔化して、リズヴァーンか九郎を探そうと思ってここまで来たのに。人気の無い薄暗い竹林を抜けた場所にあった、小さな滝壺のある泉。周りを気にしないで手合わせをするには打って付けのここは、夏の夕方とは思えないくらい暗くて静かで、少しだけ……寒かった。

「何度も言ってるでしょう?私はどこにも……」

「与しない――。そんな事じゃないんですよ、僕が聞きたいのは」

確かに笑っているのに無表情なままに見えるその顔は、ここよりも静かで寒い。淡々と続けられる言葉は、訳の解らない呪文みたいだった。なんで弁慶が……私はともかく、景時を目の敵にする必要があるっての?景時との関係?私が景時を利用してる?弁慶をどう思っているか?これまでずっと、出来る限り関わらないようにしてきたのに。なんで君がそんな事を聞くのか――私には解らない。

「私が誰をどう思っていようが、君には関係無いでしょう?」

「ええ、今まではそうでした。でも今は…………違うんですよ」

首筋に小さく痛みが走った後。耳元で囁かれるのは、なんの冗談なんだろう?どれだけ小さくても甘い声は、思考回路を掻き回しながら響いていく。

「僕は、君を手に入れたいんです。君が何者であろうと――」

弁慶にとっての私は、用心しなきゃいけない不審人物。私にとっての弁慶は、油断の出来ない切れ者。離れ過ぎず、近付き過ぎず。その関係が壊れる事は無いと思っていた。

「オン ヂリタラシュタラ ララ ハラマダナ ソワカ」

「っ?!君は一体……何故そんな事を」

薙刀を振るって襲い掛かってきたのなら、反撃も出来たと思う。けど、今の私は弁慶をどうにも出来ない。だから――呼び出した。現れた瞬間に弁慶を拘束したのは、土を喰らい尽くす木の力。雷を操る大気の将神。私を守護する者――東の守人、雷矢。

「弁慶、これ以上混乱させないで」

「それは……こちらの台詞です」

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露天を出た所で朔と望美ちゃんに会って、を知らない?って尋ねたら、リズ先生か九郎と一緒に居るんじゃないかって言っていたのに……。

「景時か。これから出掛けるのなら、灯りを用意した方が良いぞ」

「いや〜、出掛けるって訳じゃないんだけどね?」

宿を出た所でその二人に出くわしてが宿に居ない事を告げると、二人ともさっきまで鍛錬をしていたけれど、とは会っていないって。直ぐに駆け出そうとしたオレ達を止めたのは、いつでも冷静なリズ先生だった。騒ぎを大きくすれば厄介な事になりかねない、っていうのは判るんだけど。

「暫く様子を見た方が良い」

「先生?ですが、不慣れな土地で迷いでもしたら……」

「そうだね。の事だから心配ないとは思うけど」

「八葉ってのは、神子姫様を守るものなんじゃなかったのかい?」

九郎に加勢しようとしたオレの言葉を遮ったのは、軽い口調と共に現れたヒノエ君だった。初めて会った時からを知っているって口振りだったけれど、二人とも昔馴染みだっていう事以外には何も話してくれなかったんだよね。

「八葉かどうかなど関係無いだろう。も女だ。何かあってからでは遅いんだぞ?!」

「へえ。あんたがそんな事を言うなんて、意外だね。けど、ここはオレに任せておいた方が良いんじゃない?」

「九郎。この地の事は、この地に詳しい者に任せなさい」

「う〜ん……じゃあさ、弁慶も薬草を採りに行ってるし、戻ったらに会わなかったか聞いて……」

なんだか怪しい雲行きになってしまった二人を落ち着けようと口走った言葉で、ヒノエ君は舌打ちをして走り去ってしまった。

「ちっ、それを先に言えよ」

聞き取れるかどうかの一言を残して。オレは、が戻って来るまでその意味を理解していなかった。理解するのが、遅かったんだね。

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すっかり暗くなった泉で顔を洗おうと袖を捲った時、ぼんやりと牡丹唐草が光ってた。色を放つ牡丹は、朱色、黄緑、深緑の三つ。熱を持つのは黄緑――さっき触れたばかりの弁慶だ。あと二つも、きっと本人に触れれば判る。どれが誰を表すのか。そうすればきっと、この紋様は君達を護る助けになる。誰も居なくなった静かな泉で、私は混乱した頭を抱えながらも、また一つ得られたその証を見詰めていた。



     

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あいつの腕にある紋様には、十四の牡丹があるらしい。
片腕に七つずつ、それぞれが俺達の無事を確認出来るそうだ。
だが、どうやら対応する人間に触れて術のようなものを使ってからでないと、どの牡丹が誰のものなのかは判らない上に、効力を発しないらしい。
色はそれぞれの象徴色に対応していると聞いている。
番外編分岐頁の下の方に表があるが…なんだ?
ああ、”個人的主観に依るものなので保障は致しかねる”だそうだ。
これで全部読み終えたな。じゃあ、俺はもう行くぞ。

【全面改装に伴う番外編ページ削除後、象徴色対応表は存在しておりません】





橘朋美







FileNo.021 2008/4/3 ※2010/9/29修正加筆