六波羅から戻る時には陽が昇っていて、橋の上から見る景色はいつもと変わらないように見えた。けど、そこに見覚えのある黒い外套姿を見付けたのは初めてだったし、そこで声を掛けられたのも初めてだった。
「おはようございます。珍しいですね、こんな所で会うなんて」
弁慶は時々姿を晦ませて、どこに居るのか判らない時が多い。前からずっと間者のような事をしているみたいだったし、何かを探っているんだろうと思って深く考えた事は無かった。初めて会った時から良い印象は持たれていない。というよりは、あの出会いからこちら悪い印象しかないんじゃないかと思う。だからこそ、必要以上に関わらないようにしてたんだけどね。今だって気付かない振りをして通り過ぎるつもりだったのに、何故か弁慶はこっちに来る。何人もの人に声を掛けられて、一々それに答えながら。薬師として動いているんだろうけど……なんだか意外だ。ボランティア精神の旺盛なタイプには見えないし、ここに住む人達が薬師を呼べるほど裕福だとも思えない。ここで何かを探っている、なんてのは思い過ごしだろうなぁ。
「おはよう。珍しい場所に源氏の軍師が居るね」
何も用が無いのに弁慶が声を掛けるなんて、有り得ない。これまでがそうだったから今回もきっとそうなんだろうと思ったけど、なんでかこういう予感だけは……妙に当たるんだよね。
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宇治川での戦を終えて京へ戻る道すがら、望美さん達に聞いた話は興味深い事ばかりだった。彼女達を助けたのが朋美だという事も含めて。最後に見たのは、まだ紅葉の気配も感じなかった頃。様子のおかしかったを送ろうとして怨霊に遭った時。遅れて駆け付けた僕達を待っていたものは、何も無かった。
「僕は薬師ですよ」
どれだけ探そうと怨霊と戦った跡さえ見付けられず、彼女の言葉が本当の事だったかすら疑わしかった。真相を確かめたくとも、彼女もヒノエも姿を晦ませたまま時が過ぎただけ。
「軍師ってのも間違いじゃないでしょう?」
望美さん――本物の白龍の神子が現れた今、の利用価値は半減した。こちらの思うまま戦力に加わるのならばともかく、そうでないのなら邪魔な存在になるかもしれないのに。
「僕が軍師なら、君のような人を野放しにしておく筈が無いでしょう?」
不安の芽は、早い内に摘まなければならないのに。まだ利用価値が無くなったわけではないのだから、目を放してはいけない。そんな風に考えてしまう。
「野放しにしておけないから、目を光らせているんじゃないの?」
そう言われるまで、気付かなかった。僕が彼女の事を調べていると、当の本人に気付かれていたなんて。気付いていて尚、ここに居るのなら。
「参ったな……随分と余裕があるんですね、君は」
そうでもないよと答える彼女に問うたのは、単なる気紛れ。もしかしたら……自棄になっていただけかもしれない。君は本当に人なんでしょうか?三十年以上も変わらない姿だなんて。そんな事は有り得ないと思っていたから、これまで問い質しもしなかった。それを口にしたところで、何かが変わるなんて思わなかった。それが否定も肯定もされずに返されたのでなければ。
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血縁者っていうのは、やっぱりどこか似てるのかもしれない。弁慶もヒノエも、熊野に居た頃からずっと私の事を調べてる。今では二人とも、核心に触れるくらい近くで。
「弁慶の知ってる通りだよ」
下手な事は言えない。きっと昔の事は確実な情報じゃないから。話を濁して、これまでと変わらない接し方で過ごせば良いんだ。弁慶はまだ、私が普通の人間じゃないって気付いてないんだから。
「伝聞の通りなら、君はもう老女の筈なんですけどね」
実際にそうだからね、なんて言えない。人だとも言えないし、神だとも言えない。私が人なのかそうじゃないのかなんて、私にだって判らないんだから。
「失礼だなぁ、そんなに老けて見える?」
いつもみたいに当たり障りの無い言葉を選んでみても、話は終らない。いつもの作り笑いは消えて、妙に真剣な表情で続けられる言葉。いつもと違う状況に驚く暇も無いまま、自分のヘマを思い知る。
「九郎を遮那王と呼び、昔の景時と朔殿まで知ってる」
「誰かの昔を知ってると、何か不都合でも?」
「そんな事はありませんよ?三十年ほど前に京に居たという君そっくりな人が、君自身でなければの話ですが」
平泉へ向かう前から、かなり用心していた。出来る限り人に知られないように。口伝に登らないように。けど、まだリズヴァーン以外には誰も居なかった京では……迂闊だった。
「そんな昔の事、私が知ってると思う?」
極普通に……くすくすと、私は笑えているのかな。ヒノエは今の。弁慶は昔の。どちらも知られたくない私を知ろうとしてる。もしかしたら確信が持てないだけで、もう知ってるのかもしれない。
「それじゃ、僕はこれで失礼しますね」
どうでしょうね?っていうのが終わりの合図みたいに、いつもの表情に戻る。私も弁慶も、まるで何も無かったみたいに背を向けて。それが一番良い方法だって判ってるから、何も言わないままで。お互いに背中を向けて歩いて行った。
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あまりにも喜ばしくない事ばかりが立て続けに起きていた。取り乱したりはしないけれど、平常心ではない事だけは確かで。
「風牙、炎尾。庵へ……宇治へ戻ろう」
疲れた顔で笑うお嬢を背に庵へ戻ったのは良いけれど、少し眠りたいと言っていたのに輾転とするばかりとはね。
「久し振りに戻ったってのに、これじゃあ意味が無いじゃねぇか」
お嬢が眠れないのは、敵意を持つ者、信用出来ない者の気配がある時。俺達しか居ない庵で、寝息が聞こえないまま一刻余りが過ぎた頃だった。
「ねぇ炎尾……朱雀って、勘が良いのかな」
横腹に凭れ掛かっている身体は微動だにしなかったけれど、聞こえた声は少し震えているような気がした。
「さあな。けど、俺の眷属に鈍い奴は要らねえな」
冗談とも本気とも取れる炎尾の言葉に小さく笑って、そう、とだけ返すお嬢。昨夜からの出来事が原因だろうとは思っていたけれどね。
「人じゃないって知ったら、あの子達は……私をどうするんだろうね」
人の身体に神の能力を具えたお嬢は、どちらでもあってどちらでもない。それを知られたくないのなら、俺達が護ろう。
「どうもさせやしねえっての。さっさと寝ちまえ」
尻尾でそっと頬を撫でると、肩に掛かる重みが増して。小さな寝息が聞こえ始めたのは、もう陽が落ちる頃だった。
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一つだけ人の居ない膳を見て、初めて気が付いた。あの人が居ない、只それだけの事。本当にそれだけの事なのに、他の人達が慌てる理由が解らなかった。いつも小さな虎と鷹の式神を連れていて、男装している女性だという事を除けば普通の人でしかない。強い人だからこそ、心配する必要も無いと思っていた。
「さん、帰って来ないね……」
心配そうに呟く先輩と、それを慰める白龍と朔。やっと見付けた景時さんまでさんが戻らないと知った途端に慌てて、九郎さんは暗い顔で黙り込んでる。表面上は普段と変らないヒノエや弁慶さんも、毎回膳を確認しているみたいだ。
「きっとまた、その内会えますよ」
まるで影膳みたいだと思いながら、同じ言葉を何度言ってきただろう。その時も何か確信があった訳じゃなくて、ただ先輩を元気付けたかった。兄さんが居ない事を心配して、さんが居なくなった事を心配して。先輩は、いつも人の事ばかりを心配しているから。
「先輩、元気を出して下さい。そんな風に沈んでいたら、さんが戻って来た時、逆に心配されてしまいますよ?」
それに加えて、見知らぬ世界で触った事も無い剣をとって戦う事になってしまって……。それでも先輩は、泣き言一つ言わずに練習に明け暮れている。心も身体も疲れ果ててしまうんじゃないかと思う程、熱心に。
「望美ちゃんの事を一番心配してるのは譲だと思うけどね」
からかうような台詞に反論しようとした時には、嬉しそうに立ち上がった先輩と飛び付く白龍。嗜めるように話し掛ける、朔の姿があった。これから戦が始まるかもしれないという時に、少しでも先輩の気が晴れてくれた。そう思うと、俺も怒る気を削がれてしまったみたいで……。苦笑いを浮かべながら、みんなと同じようにお帰りなさいと告げていた。
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と初めて会ったのは、ずっと前。兄上がまだ平家に与していた頃だった。市で助けてくれた時には、男の人だと思ったのだったわ。共に過ごした事はあまり無かったけれど、あの頃から不思議な人だとは思っていた。そして、再会してからの……いいえ、違うわね。の周りの空気というのかしら?それは以前より鋭さを増しているように感じてしまう。
「はぁ……もう勘弁してよね〜」
「仕方がないわ。皆ずっと、心配していたのよ」
こうして話している時は昔と変わらないのだけれど……。一人で過ごしている時に見掛けると、どこか近寄り難く感じてしまうその空気を纏うのは何故なのかしら。皆が口々にする小言は、一月近くも帰らなかったあなたへの情の表れ。つい今しがた戻ったばかりだというのに、まるでさっきまでここに居たかのように振舞うから。
「。あなたは、力を増したね」
「白龍には……判るんだね」
嬉しそうに話し掛けた白龍に返されたのは、少し寂しそうな呟き。この留守が修行の為だったと思うと小言も鳴りを潜めていったのだけれど、それは夕餉の後までしか続かなかった。夜も更けて、九郎殿から三草山への出陣が告げられた時。あれほど険しい表情をしたのは何故だったのか。本当の意味を知っていたのは、きっとだけだったんでしょうね。

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やはり…大勢を登場させるのは難しいですね。
少しでも判り易くする為には、もっと絞った方が良いんでしょう。
けれど、僕にはそれが出来ない。
それでも僕は……ここで諦める訳にはいかないんです。
橘朋美
FileNo.019 2007/12/30 ※2010/9/29修正加筆 |