桜散る
一章八



どうして彼女はあそこに居たのか、何故こうして僕達に付いて来たのか。熊野へ戻る船で、何も聞き出せないまま時が過ぎていた。人を探しているのだと言い、その為にあの場で戦っていたという。それは、とても信じられるものじゃなかった。どの勢力にも属さずに一人で人を探しているとすれば、何故あの場に居合わせる必要があったのか。あの戦闘も芝居だとすれば?やはり……平家の間者と考えた方が良いんだろううか。

「難しい表情だね」

「当然でしょう?君について、判らない事が多過ぎますから」

「答えられる事は答えたし、危害を加えるつもりも無いのに?」

「裏付けの無い言葉を信用しろと言われた時、君ならそれを信用しますか?」

「敵意があったなら、あの場で殺してた。長引かせるのは趣味じゃないから」

「それは穏やかではないですね」

確かに。手傷を負った僕達を殺すのが目的なら、あの場で済ませた方が有利だったでしょう。彼女が平家の人間ならば尚の事。けれど、目的が違えば……それは通用しない。疑う理由は数多く、信じられる要素は余りにも少な過ぎる。兄が同行を許そうとした時に僕が反対したのは、不安の種を持ち帰りたくない一心だった。その種が熊野に根ざす危険性があるのなら、尚更。

+++++++++++++++++++++

本宮に着くまで何事も起きずに済んだのは幸いだったけれど、何日経っても彼女の素性は知れないまま。熊野の人間ではないという事以外は、些細な情報すら得られずに居た。本人の言葉を信じるとすれば、何処の勢力にも属さずに誰かを探している。それが何処の誰なのかも分からないまま、何かに導かれるようにして。

「どう取れば……良いのでしょうね」

「何をだ?」

ですよ。間者でないとは言い切れないでしょう?」

「まだ言ってやがるのか。あいつには何の痕跡も無いぞ」

「どういう事です?」

兄からの言葉は、思いもしないものだった。いくら気に入ったとはいえ、この人が何も調べずに得体の知れない人を手元に置いておくとは思っていなかったけれど。なんの痕跡も無いと言い切るだけの根拠が、一体何処にあるのかと。各地に散っている烏からの報告があったのだとしても――二月も経たない内に調べ上げるのだとすれば、余程重要な事でなければ有り得ないというのに。

「似たような人間が目撃されてるって報告はあったがな……」

「似たような……ですか。つまり、人違いだったと?」

「まあ、そうだろうな。――三十年前に京、十年前に京と平泉。とよく似た男だったらしい。本人だと思うか?」

「今の彼女の歳を思えば……別人でしょうね」

三十年前に京に居たのがだとすれば、今の彼女は年老いている筈。十年前に京と平泉に居たのが彼女だとしても、女性とは思えないほどの太刀筋を今尚保っていられるとは思えず、十年経っても同じ姿をしているとも思えない。それは彼女ではないとしか……判じ得ない。それこそ、清盛殿のように怨霊として甦ったのでもなければ。……?

「彼女が、もし清盛殿のように甦ったのだとすれば……」

「それこそ有り得ねぇだろうよ。が本宮へ入った時……。弁慶、お前は何も感じなかったのか?」

「何をです?」

「熊野の祝福と熊野権現の歓迎ってとこか。何にせよ、悪いもんじゃない」

「熊野の祝福と――神の歓迎?」

何故そんな事を言い出したのか。……さっぱり解らないまま切り出された話は、大方予想していたものとはいえ、とても歓迎出来るものではなかった。やはりこうなってしまうのかという後悔の念に苛まれる。平家に対して叛意が無い事を示せという通告は、熊野に服従せよと言うのも同じ。戦に巻き込まれない為に中立を保っていた熊野を、戦に巻き込んでしまったのは――僕。

「平家に降るつもりなんざ更々無い。俺が退けば済む話だ」

「そんな……兄上が退いた後、誰が熊野を纏めて行くというんです?!」

「……ヒノエだ」

「な……っ、子供に……熊野を任せると言うんですか?」

「いつまでも餓鬼じゃ居ねえだろうよ。数年もすりゃあ、箔も付くだろうさ」

「そんな!僕が平家に……」

それが当然だと思った案は諦めるんじゃないと一喝され、僕の犯した罪は、贖われる事なく嵩を増してしまった。これ以上、熊野を巻き込む訳にはいかない。これ以上、兄かに協力を仰ぐ訳にはいかない。最後まで、独りで戦い抜かなければ。そうでなければ、僕の犯した罪が贖われる事はなくなってしまうかもしれない。そんな強迫観念のようなものが、僕の心に芽生えていた。

+++++++++++++++++++++

「はあ?!……本気かよ?」

「お前を誑かして何の意味がある」

訳も判らず親父の所へ連れて来られた挙句に聞かされた言葉は、唐突すぎて耳を疑うには充分だった。別当職を退いて隠居するだって?しかも……その後をオレに継げだと?オレが親父を超える為に避けられない事だってのは判ってる。だけど、なんで今なんだ?現役として動けない状態でもないのに。オレにはまだ足りないものがある筈だ。そんな中途半端なヤツに別当を務めろっていうのか?

「待てよ。何でそんな事になってんだよ?」

「今のお前にゃ教えられねえな」

「何も聞かずに”ハイそうですか”で済ませられるか!」

「頭を冷やして、よく考えるんだな。別当のすべき事を」

それ以上何を言うでもなく、ただ座り込んでいるだけの親父。別当のすべき事なんて、決まりきってる。熊野を纏め、導き、守る。――それ以外に無い。それを今、辞めようとしているのは自分じゃないのか?海に沈んだ訳でも、戦いに散った訳でもないってのに。何が起きてる?厳島で……一体何があったんだ?別当職を退かなきゃならない程の、何が……。

+++++++++++++++++++++

あまり歓迎されていないのは当然なんだろうけど、こうもあからさまだと……ムカつくんだよね。正直言って、鬱陶しいの一言に尽きる。一日中張り付かれてる方の身にもなって欲しいよ。気配を感じるってのが厄介な事だなんて充分に知ってるんだから、これ以上身を以って知りたくなんてない。ここへ来て、もう三ヶ月近くになるっていうのに。一人が二人、二人が三人、三人が四人。一体、何人まで増やすつもりなのやら。本っ当に邪魔なんだけど……だからって、倒す訳にもいかないんだよなぁ。

「はあぁ〜………困ったもんだよねぇ?」

「嬢が姿を消すからだろ?」

そりゃそうかもしれないんだけどさ。九人目が判らないんだから仕方がないでしょーよ。藤原湛快と武蔵坊弁慶。どちらかなのは確かなのに。中々一人になった時に顔を合わせる事が無くて、いつまで経ってもどちらが九人目なのか判らない。平家に急襲を掛けた所為か妙な慌しさもあるし、静かな場所でのんびり出来る時間が欲しいと思うのは極普通の事だと思う。

「あまり刺激しない方が良いと思うけどね。お嬢……聞いてないでしょ?」

「まあね。判ってるんなら良い子にしててよ?」

抱いていた風牙を懐に押し込んで右後方の木に飛び移ると、そこに居たのは十代後半くらいにしか見えない男の子だった。そのまま胸倉を掴んで言い含めるように呟いたら、慌てて他の仲間に知らせに行ったみたいだけど……。何もそこまで真っ青にならなくても良いのに。ま、これで引き下がらないようなら真っ青になってもらおうかと思ってたけどさ。これで静かに過ごせるんだから、気にしなくても良いか。

「追う者が…去ったな。姫は何を言ったのだ?」

「鳥達の正確な居場所と、これ以上付き纏うなら主を狙うと脅していたな」

久し振りに静かな場所でゆっくり過ごせるんだから、上から聞こえる声は気にしないで放っておこう。どこか景色の良い場所にでも行って、のんびり波でも眺めようか?天気も良いし、陽射しのある所で昼寝ってのも良いかもしれない。そんな風に久し振りに味わう開放感に浮かれていられたのは、大して長い時間じゃなかった。その先に待っていたのは、更にややこしい現実だったから。

「うん、丁度良い枝振り。起きるまで放っておいて」

「はいはい。寝惚けて落ちるんじゃねーぞ?」

「ここは俺達に任せて。ゆっくりお休み」

「解った。ならば私は…根元で待とう」

「仕方が無い。あなたが目覚めるまで待つか」

海を見渡せる断崖絶壁にある、滅多に人の来ない松林。少し上の枝なら、充分に陽が当たって気持ち良く過ごせる。どうやってあの二人が一人切りの時に近付けば良いのか考えながら、何か引っ掛かるものを覚えた。それが何だか解らないまま、久し振りの静けさに身を委ねる。聞こえて来るのは波の音と鴎の鳴く声。枝を抜ける心地良い風の音だけだった。

+++++++++++++++++++++

月明かりの下、あても無く歩いていた。親父に対して圧力が掛けられている。それだけは間違い無い。熊野の英雄とまで称えられている男に干渉出来る人間なんて、そうそう居るもんじゃない。今考えられるのは、平家ぐらいのものだろう。どんな理由かは知らないが、水軍を率いて厳島で平家に戦いを仕掛け、そして……負けた。その代償が別当の隠居って事なら、辻褄が合う。

「くそっ!なんでだよ?あんなに強かったじゃねえか……」

高が一度の負け戦で引き下がるなんて、英雄の名が廃るってもんだろ?何を隠してやがるんだ。親父も、弁慶も……どうして次の策を立てないんだよ。熊野の為に戦う事、熊野を守り抜く事、それが別当のやるべき事。何を今更――。オレにそう教え込んだのは親父じゃねえか。解ってる。否とは言えない。言えば熊野は踏み荒らされた挙句、崩壊する。

「オレは、熊野の為に戦って……熊野を守る」

「戦わない事で守れる時もあるよ?」

「!……あんた、一体何者だい?」

「君の調べていた通りの者だと思うけど?」

「はっ、それじゃ答えになってないだろ?」

厳島から熊野へ来た得体の知れない女。っていう名前も、実の名とは限らない。ただそう呼ばれてるっていうだけで、他には何も判りゃしないんだ。恐ろしく腕が立つらしいが、それを知っているのは親父達だけだ。こいつに差し向けた烏達はそこそこ腕の良い奴等だったってのに、それが悉く撒かれた挙句、脅されて何も掴めないまま舞い戻ってきやがった。

「あんたが平家の人間じゃないってんなら、何が目的で熊野へ来たんだい?」

「人を探しに」

「誰を探してるんだか。熊野に害が無きゃ構わないけどね」

「何か弊害でも?」

「あんたを厳島から連れて帰って以来、親父達の様子がおかしいって事くらい知ってんだろ?」

妙に気に障る奴だ。年上とはいえ、女相手にこうもイラつくなんて。身に染み付いている筈の所作が、こいつには通用しない。まるで、親父や弁慶を相手にしている時みたいに。相手の言動の先を読み、逸早くその隙を突き、裏を掻く。相手を翻弄するように。自分が翻弄される事の無いように。それが出来ずにいる事を判っているのに――認めたくなかった。

「用が済んだなら、さっさと熊野を出るんだね。敵なら女でも容赦しないよ」

「そうだね。でも――そうもいかない」

「は?どういうこ……っ?!」

いきなり突き飛ばされたオレの目に入ってきたのは、の抜いたニ本の太刀に斬り刻まれる数本の松の大木。怨霊だと気付いてジャマダハルを構えた。だけど……立ち上がった時には、既に勝敗が決する直前だった。月明かりの中。僅かに見えるのは――斬り刻まれる度に端から消える怨霊と、太刀を振るうの身体を浮き上がらせるようにして輝く髪。それ以外、何もかもが暗い海の底に呑まれているような――そんな感じがした。

+++++++++++++++++++++

ヒノエに別当の座を譲る。何れ来る筈だった時が早まっただけだという言葉に、僕は返す言葉を持たなかった。その時を早めてしまったのは、他ならぬ僕。これ以上、熊野に居る訳にはいかない。直ぐにでも京に戻らなくては。支度を整え、夜半に本宮を後にして。幸か不幸か、その場に出くわしてしまった。まるで草でも刈るようにして怨霊を斬ると、その横で戦うヒノエに。

「あれは……っ?!怨霊が消滅していく?」

「はぁ…なんで見られちゃうかなぁ?しかも、この二人とはね」

「へえ。噂に違わぬ腕前、ってトコだね。中々やるじゃん」

怨霊が……消える?有り得ない。斬られた怨霊は崩れ落ちるのみで、消滅させるだなんて。そんな事が出来るのは神でもない限り――。『この地からの祝福と熊野権現の歓迎ってとこか』それは、何かに頭を殴られたような感じだった。これから先どうすれば良いのか、それが判った気がした。怨霊を消し去る手立てがあるのなら、それを利用出来れば。

「で?こんな夜半にお出ましなんて珍しいんじゃない?」

「君こそ感心出来ませんね。子供の出歩く刻限ではありませんよ?」

新しい別当としての責務が待っている筈なのに、何故こんな所に居るのか。それも、と一緒に。彼女には注意が必要だという噂を、聞いていない訳が無いだろうに。ましてや、自分で探っていた素性の知れない人間に不用意に近付くなんて。いや、もしかすると……。近付いたのではなく、近付かれたのでは――?ヒノエの立場を知れば、考えられない事じゃない。ならば、注意を逸らせば良い。

「私は失礼する……後は御自由に」

「え?」

「はあ?!」

+++++++++++++++++++++

なんなんだろう?もう訳が解らなくなりそう。九人目が判る前に十人目が現れた。こんな事、初めてだ。しかもそれは私を疑っていた弁慶と熊野の次期別当で、これ以上誰にも知られたくなかった事を知られてしまった。私が怨霊を消滅させられるのは、兄さんと同等に近い力を持つ事による恩恵だって、霧鎖が言ってた。ただそれは、あまり望ましい事じゃないらしい。怨霊を消すのは極力避けるようにとも言われていた。気にかかる事は、それだけじゃない。昼間感じた引っ掛かりは、これまで以上に大きくなっている”ずれ”。

夢で見せられた時間と場所とは、違い過ぎる現状。それに気付いたといっても、どうする事も出来ない。

「次が……十一人目」

肩に感じる重みと腕にある温もり。両側に感じる静けさと穏やかさ。私が遣るべき事から外れないように、私が進むべき道を忘れないように。近くで護り続ける守人達と遠くで護ろうと足掻く私では、一体どちらが確実に護るべき者を護り通せるのか。答えは考えるまでも無く、守人達。

「あと四人……」

先に進むにつれて、どんどん不安が大きくなっていく。それでも――約束を守る為には必要な事。あの子達をる為には先へ進まなければいけないし、止まる事は出来ない。考えたところで結果は変わらないんだろうから、足掻けるだけ足掻けば良い。独りで放り出された訳じゃないんだ。辛ければ、少し寄り掛かれば良い。昔みたいに独りで怯える必要なんて、今は無い。私には守人達が居てくれて、彼等に甘える事が許されているんだから。



     

**************************************************************

叔父甥コンビには中々信用されないんですよ。(よく言うぜ。自分の趣味だろ?)
まあ、一章は前振りみたいな物と言うか、本編に至るまでの補足とでも思ってやって頂ければ宜しいかと。(ふぅん…それにしちゃ長いじゃん。 姫君達に飽きられるぜ?)
次節は熊野を離れますよ〜。 (随分早いじゃないか。オレから逃げようってのかい?)

今回の一言:思ってたよりも梃子摺った

お相手はヒノエでした!(ふふっ…さあ、おいで。オレは、いつでもお前を歓迎するよ)





橘朋美







FileNo.015 2006/11/11 ※2010/9/28修正加筆