身体中に纏わり付くような感触から解放され た時、漸く人界に着いたと思って安心した。うん、着いた事には違い無かったんだけど――足元に地面が無くて空気だけって状態が意味するのは、当然一つなわけで……。
「ぅわっ…おぉ〜お?!」
間の抜けた叫びと共に斑な闇へ落ち、 乾燥した破裂音と耳障りな摩擦音を聞きつつ、 木の上から落ちているんだと気が付いた。 それなりの高さとはいえ、地面までは数秒。
運が良いのか悪いのか……。背中で着地して散々咽た後、ぼそりと呟いた。
「兄さーん……可愛い妹に対して、これは酷いんじゃないの〜?」
申し訳程度の着地音と共に感じなくなっていた気配が集まって、 全員が無事に辿り着いた事を実感した。 しっかり足で着地しているのが、ちょっとばかり恨めしい気もするけどね。
「大丈夫か?怪我は無いな」
「随分派手に落ちたみたいだね……大丈夫?」
「まーね」
けど、何で私だけ落ちるかなぁ?初めの一歩がこれじゃ、幸先悪い気がする。ちょっと格好悪いな〜と思いつつも仰向けのまま目だけをキョロキョロさせると、木が沢山ある事だけは判った。抱えた太刀を支えにゆっくり身体を起こして、準備運動みたいに動かして――。
「なーに落ちてんだよ」
「何故…浮かなかった」
「や、それ私が聞きたい……って、ちょい待ち!浮けるの?どうやって?!そういう事は先に教えといてよ〜」
瞠目してる八つの眼。 口は半開きで、さっきの私よりも間抜け面なんじゃない? そんなに変な事言った覚えは……無いんだけど。
「まさか、神力が使えないのか?」
「さーね。突然使えるもんなの?」
「さーねって……。ここへ落ちる時、何を考えていたんだい?」
「んー……別に?あ、地面が無いって思ってた」
「”落ちるな”とか”浮け”とか思わなかったのかよ?!」
「そんな非現実的な!」
「使えないのではなく…使い方が判らないのか」
「うーん、まぁ多分そうなんじゃない?」
どうやら、神力の使い方を知らない所為で痛い思いをする羽目になったらしい。 だったら使い方を教えてと言おうとした時、いきなり足元に子供が現れた。あの夢みたいな幻影じゃない小さな身体が――。
「ひっ―――う、く……おとう、さっ…おかあさ…ぅあああ!」
既視感と同時に違和感を感じたけど、泣き叫ぶ男の子を放っておくわけにも行かなくて、肩に手を触れながら声を掛けた。 飛び上がらんばかりに驚く男の子。此方を向いた左の頬は、夢のままに焼け爛れていた。
「綺麗な水場を探して」
その子から目を離さずに短く告げれば、守人達は更に短い返事と共に散開した。
++++++++++++++++++++
警戒して身を竦め、顔を強張らせて窺うような視線を投げかける男の子。
「ごめん、驚いたよね。虐めたりしないから、水場が見付かったら冷やしに行こう?」
何を言ったら良いのか判らなくても、脅えている事だけは判る。 少しでも緊張を解せるようにと、腰を落としてやんわりと話し掛ける。
「おねえ、ちゃん……ぼく、こわく、ないの?いじめない?」
弱い月明かりでもよく見える金髪を梳きながら、哀しくなった。 子供の頃の自分のみたいに、自分に危害を加える人間を恐がっている。
「私達は君を虐めたりしない。約束する。君にとって私達は恐いかもしれないけど、 少なくとも敵ではないよ?もし君を攻撃する奴が来たら、私が君を守るから」
脅えながらも不思議そうに私を見る見は、雨のような涙を降らせている。けれどそこには雨空の青鈍色ではなく、晴れ渡る空の青があった。
「ぼくは、鬼なのに……おねえちゃんは、人なのに。なんで、まもるの?」
鬼?角と牙があって、金棒持ってる――あれの事?で、この子が鬼??
「なんで君が鬼なの?」
「ぼくのかみと、めの色は…いぎょうの力をもつ、鬼の一族のもの、だから」
民族差別や地域差別、難破した外国船員を鬼に見立てていたって俗説も聞いた事ある。けど――そんな事、知ったこっちゃ無い。
「あのね、君が鬼だろうと人だろうと構わない。私から見れば、君は傷付いて、脅えて、泣いて助けを求めている子供にしか見えない。だから守るよ」
「人は鬼の一族を…はいじょしようとするから、見付かっちゃだめって……」
この子だけじゃなく、一族揃って迫害されてるって事か。
「私の髪と目、君とは違う色してるよね。恐い?」
「こわく、ない」
さーて……浮けって思うだけで浮けば良いけどね。 ん?あれ……っと?!
「異形の力っていうのは知らないけど、私の下、見て――恐い?」
「?!……こわく、ない」
あはは……ホントに浮いてるなんて――自分でも驚きだね。
「そーお?人にはこんな事出来ないよね?君は出来るから恐くないの?」
「できない。けど……おねえちゃんは、こわくない」
さっきまでの脅えの色は無くなって、必死で言葉を紡ぐ男の子。まだ笑う事は無理でも、きっとその内笑えるようになる。――今はこれで良い。
「ふふ、ありがと。そうだ、名前教えてくれる?私は。君は?」
「ぼく……リズヴァーン」
その答えと同時に、まるで狙っていたかのように現れた守人達。全員がそれぞれ違う表情をしてたけど、小言を言われそうな雰囲気だけは同じだった。浮こうとしている時には気配があったから守人達が戻っていた事には気付いてたけど、こんなに怒ってるって事は……名前を教えたのが拙かったのかな?それとも――。
「姫、少し離れた所に泉がある…行こう」
「おいチビ、こっちに来い。背負ってってやる」
「……」
「そんな言い方したら恐いでしょ?!リズヴァーンは私が抱いてくから、」
「ぼく、歩ける」
「はいはい、二人とも大人しくして。ほら、取り敢えずこれで冷やしておきなさい」
「っあ、……ありがとう」
「子供の足では無理だ。あなたの身体も、まだ慣れていないだろう」
「……わかった」
「はいはい、判りました。んじゃ急いで案内して?」
結局、水の滴る布切れを頬に当てたリズヴァーンは炎尾に背負われ、私はその後ろから先頭を行く霧鎖を追った。 かなりの速さで飛ぶように駆ける、翔ける。
自分が付いて行けるのが不思議で仕方ないけど、これが兄さんの言ってた身体能力なんだろうな。違和感を感じたのは暫くしてから。前を行く二人と後ろで左右に付いた二人、殆ど直感だった。
「ねぇ風牙、これって陣形でも組んでるの?」
「そうだよ。なんだか結構余裕みたいだね、お嬢」
「天姫、後にしておけ。余計な力を消耗するぞ」
本題に入る前に雷矢の一言で黙らされたけど、違和感が拭えないまま走るのはちょっとね。どうしても気になって早口で聞いてみれば、人界に来たばかりなんだから警戒するのは当然だ。なんて……。四人とも妙に殺気立ってて、なんだか警戒してるって雰囲気じゃないのに。その答えに納得出来なくて食い下がろうと思ったんだけど、さっきよりもスピードを上げて走る皆に遅れないように走るのが精一杯になって、諦めるしかなくなってしまった。こんなに必死にならないと皆から遅れそうになるって事は、やっぱりまだこの身体に慣れていないからなんだろうな。
「明日から何か訓練でもした方が良いのかも……」
私にしては珍しく殊勝な考えを呟いてからは走る事だけに専念して、聳え立つ木々の合間を駆け続け、身を切るような空気を掻き分け、どれくらい走り続けただろう?元の世界に居た頃だったら絶対に走っていられないような距離を裕に過ぎているのは確かで、僅かに感じた潮の香に、海が近い事を知る。皆は月の位置が変わるほどの距離を汗も掻かず息を切らせる事も無く通り過ぎていたのに、私はと言えば……。暑くもないのに汗を掻いて、息を乱していた。軽い昂揚感と、妙に身体が重たく感じる疲労感も一緒に味わいながら。
+++++++++++++++++++++
頬を冷やす布切れを取り替えて直ぐ、リズヴァーンは眠った。色々と話しておきたい事や聞いておきたい事もあったけど……疲れているのは当然だろうし、話の内容を聞かれない為にも好都合だった。今は何より自分達の状況を話し合う方が先決!と、焚き火の反対側へ回って誰よりも早く口を開く。
「リズヴァーンに名前教えたのって、拙かった?」
「いや。人界でなら…問題は無い」
「なら、浮いたのが拙かった?」
「当たり前だろ!」
「今更だけどね、神力を使う時は”人”に知られないようにしないと」
「だろうね」
「解っていて何故、あの子供の前で浮いた?!」
何故?リズヴァーンに私を拒絶させない為。安心させる為。違う、物事は至極単純だ。理由なんてもの、無いのと変わらない。
「それが必要だと思ったから」
そうとしか言いようが無い。 私だって無関係な人間に自分の力を曝け出す気なんて無い。そんな事をすれば混乱を招くって事くらい、簡単に判る。逃走、攻撃、捕縛。大概の人間がそうするだろうって事くらいはね。
「無闇に使うつもりは無いから安心してよ。それより、これからどうするの?」
近くの港で支度を整える事、京の鞍馬山へ向かう事。神力を操れるように訓練する事。太刀を使いこなし、馬を駆る訓練をする事。そこまでは然して驚くような事は無かった。人界の状況は予想以上に悪い。それがどういう意味なのか、驚くべき事はそこからだった。白龍の逆鱗を使い、時間と空間を越えて運命を変えようとしている白龍の神子。謀らずしも白龍の逆鱗を奪い、白龍の神子とは違う時空を越えるリズヴァーン。その楚となる時間と空間がこの時空。それが、時空の狭間に生じた混沌に呑み込まれようとしている。その動きは微少だが確実で、それを止めるにはこの時空で運命を締結させる事が重要。
「じゃあ……私は何をすれば良いわけ?」
聞いた時には驚いたけど、私の遣るべき事には変わりは無くて安心した。今そこで眠っているリズヴァーンと、最後に出会う筈の白龍の神子。二人との出会いの間に現れる筈の十二人。全員が死なずに済むように動けば――それで良い。最初から私の成すべき事は変わっていないのに今更そんな念押しをするのは、もっと気を引き締めろって事なのかな?着いたばかりの人界でそんな事を考えていた私は、四人の守護者達が複雑な表情で見ている事に気付きもしなかった。
++++++++++++++++++++
「では、交代で手合わせの相手をする」
「あはは……お手柔らかに〜」
リズヴァーンが寝ている間にやっておきたい事は、他にもあった。兄さんから貰ったばかりの刀はまだ鞘から抜いた事すら無かったし、自分がどの程度戦えるのかも判らない。少し試してみたいっていう好奇心もあったけど、興奮していたんだろうか?とてもじゃないけど寝られなくて、手合わせを頼んだ。
「なんか不思議な気分……」
代わる代わる相手をしてくれたみんなは何でもないって感じだったけど、私は違った。ここまで走って来た時にはまだ慣れていないと思っていた身体が、ビックリするくらい思うように動く。二本の刀は自分の腕みたいに振り回せるし、相手の攻撃を避けたり止めたりするのも呼吸するのと同じくらい自然に出来る。そろそろ終わりにしようと言われたのは、陽が昇る前の一番暗い頃だった。
「俺達は人前で姿を消す事が多くなるからね。気を付けるんだよ?」
「どこかに消えるの?」
「いや、見えねーだけだ」
「見えないって……空気に向かって喋る人なんて怪し過ぎるでしょーよ」
「変幻術を使えば…平気だろう」
「はい?何かに化けるの?誰が何に?」
桃太郎みたく、犬猿雉だったら笑ってやる。あ、一人多いか。だけど今でも人の姿なんだから、そのままで大丈夫なんじゃ……ん?術って事は、私も化けられるとか??それはちょっと――や、かなり楽しそう。訓練すれば出来るようになるのか、後で聞いてみよう。
「蛇、虎、鷹、亀。縮小変幻でも全員は無理だ」
「縮小って……なんか、凄そうな術だね」
「俺はどうだろうね。小さくなっても、猫にはなれないよ?」
「猫って事は、風牙は虎?」
「なら俺もだぜ?鴉にゃなれねえしな」
「鴉?じゃあ、黒い鷹なの?炎尾は」
「私は無理だろう…陸では大して役に立てない」
「霧鎖は亀なんだね」
――って事は、雷矢は蛇か。犬が居ないのは寂しいけど、そんな事言ってもしょうがないよね。
「ねぇ風牙、炎尾も。試しに小さく化け……じゃなくて、縮小変幻?してみて」
「御意〜」
「了ー解」
何やら不満気な返事の後、ぼひゅっと小さな音がした。目の前に銀色の虎縞と少々斑な黒が現れたけど、これじゃ大きい。腰の辺りから見上げてくる小さな虎、見下ろす鷹は開いた傘より大きそうだ。
「もっと小さくなるのは無理?」
「具体的に言ってやれば良い」
「うむ。手乗り程度ならば…恐らく平気だろう」
「流石に手乗りじゃ心許無いと思うけどね」
「ったく、人事だと思いやがって!」
うわ、凄い。変幻姿で喋れるなんて便利……って、問題はそこじゃないか。大きいのも拙いけど、手乗りじゃ心許無いってのは同感だしなぁ。
「じゃあ、肩に乗れるくらいの大きさになってみて?」
「御意〜」
「了ー解」
小さく笑って心の中で謝ってみると、さっきより更に小さな音がした。 ぽひゅんって――えーっと……可愛いって言ったら怒られるかな?足元にころっころの子虎と、くりんくりんな眼をした小さな鷹が居る。
「決定。風牙と炎尾はそのサイズで付いて来て」
途端に揃って単語を鸚鵡返しにする守人達の顔を見て、横文字は通じないんだと判った。うーん……これから先、気を付けないと面倒な事になるかもしれない。
「ごめんごめん、つい。サイズってのは大きさって事だよ」
夜が明けて、リズヴァーンが起きたら港へ行く。支度を整えたら、ここまで戻って夜中を待つ。その間に私達に同行するよう、リズヴァーンを説得をする。深夜、守人達が龍になって鞍馬山の結界にある庵まで飛ぶ。皆の本性を知られないように、リズヴァーンを寝かし付けておく。今出来る事は、もうそれだけだった。
++++++++++++++++++++
『んー?これはね……え?―――どうして?!』
あの人がそう言った時、辺りが光に包まれた。その背後から振り下ろされた刀が、その先の運命を変えてしまった。
『どうしたの?』
その後、肩に触れた手の先に見えた顔は……あの人のものではなかった。けれど、その人はあの人と同じように優しく接してくれ、そこに居た全員が、あの人以上に強い事を後に知った。
『おねえちゃん!うしろっ !!』
ぼくを助けてくれたおねえちゃんが殺されそうになった時、目がさめた。
『厭な夢、見てたみたいだね』
そこにいたのは五人の人で、女の人は。男の人達はよく知らなかった。
『どうしてわかったの?』
とてもこわかった。ゆめだけど、本当のことだから。
『酷く魘されてたからね。何があったのか、教えてくれる?』
鬼の一族の里が怨霊におそわれて、かぞくも里のみんなも殺されて、ぼくも殺されそうになった時、おねえちゃんに助けてもらったこと。おねえちゃんがやけどの手当てをしてくれた時、怨霊が後ろからおそってきたこと。光の中から、ぼくだけがここに来ていたこと。あの時あった事をせんぶ言いおわってから、ぼくは言ったんだ。
『ぼく、あのおねえちゃんみたいに……強くなりたい』
『じゃあ、私達と一緒においで?修行相手にはなれるから』
どうかな?と首を傾げるに首を縦に振って答えたあの日から、あの人より強くなる事を目指してきた。
++++++++++++++++++++
達と暮らすようになって十余年。俺の身体は成長し、日々の修行で強さを得た。そう感じていた頃、己の浅はかな考えで――過ちを犯した。
「リズヴァーンが謝る必要は無いよ」
人の多い所は嫌いだ。鬼と判る容貌を晒し歩けば、嫌な思いをする事はある。関わりを持ちたくないと避けられるのも、侮蔑の言葉や眼差しも構わない。火傷痕を揶揄されようとも。その程度の事、里に居た頃から理解している。だが、攻撃を仕掛けてくる輩相手に逃げる事には苦痛を感じていた。それでもは反撃しようとせず、いつも相手から逃げた。
「俺の所為で厭な思いをさせたのだな……。すまない」
謝る俺に返って来る言葉は昔からいつも同じで、それを聞く度に自分を不甲斐無く感じていた。俺が強くなれば、も安心して戦えるだろうに――と。己の強さに対する自信が驕りだと気付いたのは、初めての実戦とも言える戦いの時だった。だがその代償は……俺ではなく、に科せられた。
「山から下りるのは何ヶ月振りだっけ?」
その日の買い出しは、少数の調味料と俺の着る物だった。山の麓に来る行商では着る物を揃えられなかったから仕方なく、 雪を踏み締めて山を下り、二人で市へ向かった。
「覚えていない」
子供の頃のように膝を折って話し掛けられる事は無くなったが、未だの背丈を超さない自分。剣の修行でも、一度も勝てた例が無かった。いつかあの人よりも強くなりたいと願い、日々修行を続ける俺に、や男達は、まるで赤子の手を捻るようにして対するのだ。
「ここまで来るのは私も久し振りだなぁ」
それでも、己が身に付けた強さは生半可なものではない。数人の大人と戦おうとも負ける事など無い。そう自負していた。それは間違いでは無かったと知ったのは、少し後の事だ。雪が融けたら釣りに行こう。暖かくなったら畑に何かを植えよう。土産に団子でも買って行こう。繰り返す他愛無い日常会話を遮られた時……。
「ま、お土産は今度にしようか?」
「ああ、早く帰ろう」
冬将軍は見る間に暗雲を運び、雪に伸びていた影は輪郭を失ってゆく。数日前に積もった雪は、融ける間も無く嵩を増す事になるだろう。吹雪いたところで遭難する訳ではないが、荷物が濡れてしまっては困る。風邪など引こうものなら煩い目付け役達に揶揄される羽目になるという事も、嫌と言うほど身に染みていた。何より――。
「ほ〜う。珍しい毛色の兄弟じゃねえか」
「失礼するよ、急いでるんでね」
籠の半分ほどの調味料を買い、丈の合う衣を買った帰り道。市から離れた川辺に現れた野盗に遭ったのだ。六人なら充分に戦えると思い、柄に手を掛ける。そのまま通り過ぎようとしたに倣い、歩を進めに並んだ時。端にいた男がそれを遮り、下卑た笑みを浮かべる男達に囲まれた。
「奇遇だなあ?俺達も急いでんだ」
無駄な争いを避けるように言われていたからこそ、逃げる事に苦痛を感じながらも、の行動に従っていたのだ。――相手に武器を突き付けられるまでは。
「両方纏めりゃ良い値が付くぞ」
野盗ではなく、誑かしの類。どう扱われるかなど愚問だろう。
「大人しくしてりゃ命だけは助かるぜ?」
常套句と共に向けられた切っ先に、迷い無く剣を抜いた。
「リズヴァーン!止めなさ……っ?!」
制止の言葉に振り返った時。足元には落ちた腕が二本と、血塗れでのた打ち回るその持ち主が二人。
「何故止める?!」
目に映るのは緋の飛沫、それと共に転がる骸。修行の時とは比べ物にならない凄絶な太刀筋。初めてが人を殺すのを見た。初めて俺は人を斬った。それは瞬きの間に終ったというのに、何故――。
「リズヴァーン、今直ぐ結界まで戻りなさい。触れれば誰かが通すから」
その言葉を耳にした後、本気になったの強さは俺など足元にも及ばないと思い知る。その場から逃げようとする男を捉えた太刀は容赦無く振り下ろされ、物言わぬ骸がまた一つ、その場に転がる。
「聞こえなかったの?今直ぐ力を使って戻りなさい!」
それと同時に血に塗れた相貌で言い放たれた言葉は、 強く、冷たく、絶対的なものだった。 逆らうことは出来ず、それでも結界に触れる事無く。どれだけの帰りを待っだろう。夕暮れは疾うに過ぎ、闇の中で降り積もる雪に苛立ちを覚え始めた頃。ゆらゆらと動く物を見つけた。暫く見続ける内に、それがだという事に気付いたのだが――その姿は尋常ではなかった。
「傷を負ったのか?!何故……っ」
月も星も無い空の黒と、雪に覆い尽くされた地の白、。足取りの覚束無いが身に纏う深い緋の――血の色。一体、何が起きたというのか、俺には理解出来なかった。
「なんで、ここに居るの……」
身体を支えようと手を伸ばせば、触れた衣はべっとりと身体に張り付いて冷え、濡れた髪から落ちる雫は地面に緋玉を作り続けていた。の吐く息は確かに白いのに、まるで尖った氷を思わせる様相で。
「入りなさい」
結界内に促され、直後。に駆け寄り、その身体を支えた四人の男達は何があったのかと声を荒げ、殺気にも似た感情を露にした。だが――。俺が答えられる事など何一つ無く、只その場に立ち尽くす。視界に入ったの背は、斬り裂かれていた。
「ごめん、ヘマした。雷矢、炎尾、麓の始末……風牙と霧鎖は止血、……」
それだけを告げ、床に運ばれる背中を見ていた俺の身体は、寒さ以外のものによって震えていた。
「おい、てめーは無傷か?!」
「何があった、言え」
どれほどの間、立ち尽くしていたのだろうか。麓から戻った二人に詰め寄られ俺が帰された経緯を話せば、呆れ返ったと言わんばかりの表情が並び、深い溜息が吐かれた。
「教えてくれ、麓で何があったのか。何故だ?何故が――あれほどの深手を負うような敵ではなかった筈だ」
俺は、吐き出すように告げられた事実に項垂れるしかなかった。彼等が始末した物は三十ばかりの馬と、その三倍ほどの人だったもの。
「俺の、所為で……?が――」
「まったく。お嬢が傷を負うなんて……随分と無茶をしたようだね。満足かい?リズヴァーン」
「己の置かれた状況を読み切れず、先走った結果だ。それを…肝に銘じておけ」
庵に入るなり、背を向けたままの二人の言葉に気圧される。俺は、あの場に居た敵を倒した事で更に大きな災いを招いてしまったのだ。己の力量では太刀打ち出来ない程の……。
「今日こうなったのは偶然。これまでが幸運だっただけだよ」
「それでも俺が……」
「大丈夫。君が私に対して責任を感じる必要は無いよ」
うつ伏せたままのは、ただ静かにいつもの言葉を呟く。 俺はその時、謝る事さえ許されなかった。
++++++++++++++++++++
あの時の事は忘れられない。私を助けた所為で背後を取られたあの人。私の軽はずみな行動が引き金となって背を斬り裂かれたこの人。二人の恩人に恥じぬよう、修行に明け暮れてきた。幼い頃から共に暮らし、家族のように時を過ごして早幾年。私は既に大人と呼べる年になっていた。この数年、不思議に思っていた事がある。私以外の者達は、出会った頃と変わらない。精悍な男達との――あまりにも変わらぬその姿。此処へ連れて来られる前に名を教えられ、年を尋ねた事があったが……。
「年の話は無作法に取られる事が多いからね、気を付けなきゃ駄目だよ?」
小さく笑いながら言われ、それ以来、二度と尋ねる事は無かった。あれから二十年近い時を経たというのに、は今の私と同じほどにしか見えない。どう考えても納得出来ない事象ではあったが、それでも此処は居心地の良い場所だった。家族のように過ごす平穏な日々が終わる事など、無いものと思っていた。それが何でもない事のように告げるは、早朝の澄んだ空気に溶け込むような微笑を浮かべていた。
「私は私の成すべき事を成す為に行く。君は君の成すべき事を探しなさい」
私の成すべき事とは何なのか……。その答えは、恐らくあの人の首飾りにあるのだろう。
「結界は解いてあるから、庵は自由に使って?でも、周囲には気を付けて」
目線を上げて話していたは空へと浮き、消えた。突然の別れよりも、その事実に呆然と空を眺める。どれほどの時が過ぎようとも、忘れ得ぬ人達。優しく強い二人の女性は――もう居ない。
「私の成すべき事を――か」
必要なだけの荷を纏め、庵の周辺に結界を張る。の結界に比べれば微弱なまでのそれは、ただこの場所が他者に侵されぬようにする為のもの。己の成すべき事を探す為、私はあの者達と出会った場所へ向かう。胸元にある白い欠片から震えるような光が漏れたのは、それから十余年も先。そして私は、運命の始まりと終わりを知ったのだ。

***************************************************************
漸く人界編へ突入〜。とはいえ、まだまだ初めの一歩。(そのようだな)
かなり長いのに出せたのはリズヴァーンのみ…あははははは〜。一番長く付き合う人だし、今のところ唯一守人達を見た事のある人だし、最初っから薄々感づいちゃってる人が一人は欲しいし!(…落ち着きなさい)
しかも、最初に出来たヤツが闇仕様でボツとは…く〜〜〜何でこんなに 話を増やすかな?!(とにかく、深呼吸をして落ち着きなさい)
今回の一言:子供リズヴァーンの口調は妄想限界を越える。
相方はリズヴァーンでした!次行くぞ〜。(うむ。…息災でな)
橘朋美
FileNo.008 2006/9/9 ※2010/ 9/24修正加筆
|