40.出雲の国から舞鶴まで (その2)
2016.08

 
  道の駅 神話の里 白うさぎ


道の駅 神話の里白うさぎ





白兎神社入り口





道の駅にある案内板





神話 因幡の白兎の物語
八上姫(やがみひめ)と大国主命(おおくにぬしのみこと)と白兎





不増不減の池
  池の深さは1.5メートルくらいで一年を通じて水位が変わらない
不思議な池だそうです




白兎神社





白兎神社側面、写真左端が本殿
本殿を支える土台石(菊座石)には菊の紋章が彫られている














  餘部鉄橋


餘部鉄橋の列車転落事故は昭和61年12月28日に起きました。
この鉄橋は地上41,5メートルの高さに有り風速33メートルの突風により客車7両が41メートル下の水産加工場を直撃、加工場に働く従業員5名と車掌1名が死亡
他、6名が重傷を負う大惨事となりました、その後風速規制が30メートルから20メートルに引き下げられて列車の運休が頻繁に発生するようになり鉄橋の建て替え工事が
始まりました。そして平成22年8月新たにコンクリート橋が完成、風防壁を備えたコンクリート橋は風速40メートルに耐える頑丈な橋梁に生まれ変わりました。
古い鉄橋は3本の橋脚とレールを現地保存し現在の餘部 空の駅展望施設として保存されている。

道の駅 『あまるべ』 は、かつて水産加工場のあった場所に...そして慰霊碑が建てられ12月28日には法要が執り行われています。







餘部鉄橋の建設から列車転落事故、新餘部鉄橋の建設工事に至るまでビデオや資料が展示されている。







かつて、鉄橋の在った跡地は公園施設となり東屋もあります。





慰霊碑











主橋げた





旧鉄橋が空の駅展望台となり保存されている
展望台からの日本海、餘部漁港や民家の眺めはまた格別。





餘部駅が出来たのは鉄橋が出来てから後、昭和30年代、
其れまでは次の鎧駅まで線路沿いに歩いたそうです。





ホームからも空の駅展望台まで行けます。






この坂道を上り餘部駅に行く
左上は無人の駅舎




橋脚の跡には東屋が



此の餘部鉄橋 空の駅展望台に向かう途中足を痛めてしまった。
無理をして展望台までは登って来たが...痛みは増すばかりで歩けなくなってしまった。



  天橋立、宮津
餘部鉄橋から天橋立に向かう...が足の痛みが治まらない!!
山の中腹から眼下に天橋立が見えたが観光するのも難しい、残念だがスルーして宮津の道の駅 『海の京都宮津』 へ、
此処で今夜の宿にチェックイン、湿布薬やエアーサロンパスなどを購入し明日に備えるも、夜中に痛みに耐えかねて眠れない。



宮津湾





天橋立行の観光船



旅行の最終日、宮津を出発舞鶴へ
足の痛みが良くならない...!諦めてまた道の駅 『舞鶴港とれとれセンター』 で旅のお土産を買い其のまま帰途に...。

     

道の駅 『舞鶴とれとれセンター』



      
















舞鶴とれとれセンターを後に帰途に、幸いにも車の運転には支障はない模様だが...。

今回は、出雲から日本海を東進しながら神話の国や日本三景の一つ、天橋立、そして戦後の引き上げ船の舞鶴港など観光したかったが
いくつかの名所、旧跡はアクシデントに妨げられて止む無くスルーしてしまいました。
それでも最大の旅行目的である出雲大社への参拝は無事に終える事が出来ました。