お惚気同心




定町廻りの仕事は、結構忙しい。


先日ワケあって、長い間就いていた与力及び加役の火付盗賊改の職を辞した。
辞したと言うよりは、クビにされたと言った方が適切であろうか。

その後与えられたのが格下とはいえ花の3廻りの内の1つ、定町廻り同心のお役目だ。
通常同心とは与力の下につく役職だが、今回就いた定町廻り同心を始め隠密廻り同心、臨時廻り同心の3廻り同心は奉行
直属だ。
人の下に付くわけでもなければ、お役目自体は結構美味しい位置にある仕事なのだ。
父親の親心と言ったところか。

とはいえ、その内容の余りの違いに舌を巻いたゾロだった。

前職は、疑わしきは斬り捨て御免。
犯罪人とその被害者以外、相手にすることは皆無に等しく。
近付いてくるのは怪しげな職を持つものとか、妓楼とか船宿とかの商売人が殆どで。
どちらかといえば恐れられていたのだが。

定町廻りは、庶民の暮らしに密接していて、隣近所の諍いから夫婦喧嘩までヘタすりゃ引っ張り出される。
町を歩けば、あちこちから旦那旦那と声を掛けられ、井戸端会議にも参加させられる始末だ。
初めの内こそ閉口したものの、世話好きな連れ合いならどうするかと考えると意外と楽しめるようになってきた。
町の連中も、火盗改から転身してきた変わり種と敬遠していたが、最近では案外話のわかる旦那と気軽に声を掛けてくる。


ただ、関わりたくない揉め事に遭遇するのは確かだ。


今日も今日とて、とある呉服屋の若夫婦の痴話喧嘩に巻き込まれた。
女房がその辺りじゃ有名な小町娘だったらしく、若旦那の悋気が激しいらしい。
勿論、若女将も負けちゃいない。
美人を鼻に掛け、若旦那のヤキモチに知らぬ存ぜぬだ。
噂が耳に届いていたので、なるべく近寄らないようにしていたのだが。
偶々運悪く通り掛ってしまったゾロを若女将が呼び止めたのだった。

只でさえ女の少ない江戸の事。
間男なんぞ日常茶飯事。
町人同士なら、金さえ払えば重ねて4つにもならずに済んでしまう世の中だ。
とはいえ、それでも惚れてくっ付いた若夫婦。
旦那が諦め切れずに妬くのも無理は無く。
女将の方も、売り言葉に買い言葉で三行半を持ってきて離縁を迫る有様。

犬も喰わない喧嘩の様相に、ゾロがつい言ってしまったのだ。
「美人ったっておめぇ、オレのに比べりゃてぇしたことぁねぇぞ。」と。

その言葉に、2人がくわっと牙を剥いた。
そんなに言うなら連れて来い、と。
旦那の言葉通りなら、反物何本でも只で差し上げます、と。

「私より美人なんて有り得ない。」と女将。
「コイツより別嬪なんぞ見たこと無い。」と旦那。

反論する息もピッタリ。
大体喧嘩が終わった時点でお役御免なのだが、2人の収まりがつかないようで。
連れは仕事中だからと言っても聞く耳持たずの彼らに、ゾロの言葉が届く事は無くて。
仕方なく、半刻待てと言い置いて、仕込み中のサンジを引っ張り出した。


「オレと呉服屋夫婦と何の関係があんだよ?」
と渋るサンジ。

ただでさえ、ゾロの情夫と見られることに抵抗のあるサンジだ。
自分自身は別にどう見られても構わないらしいのだが。
ゾロの沽券に関わると、仕事中のゾロには極力近寄らないと決めているようなのだ。

だが、サンジに出てきてもらわないことには、話が進まない。
喧嘩の最中に、どんどん増えていった見物客からも散々言われたのだ。
逃げちゃダメだよ、とか。
一遍見てみたかったんだよねぇ、とか。
最後の駄目押しに、若夫婦にも言われてしまった。
これで来なかったら、こちらから旦那の家に押しかけるからね、と。
そんなんされた日にゃ、サンジの機嫌が悪くなる事は目に見えてる。
そして何より、自分の言葉に嘘偽りはないと証明したかったのだ。

誰がなんと言ったって、サンジが一番の別嬪だ、と。

だから、殊勝に頼んでみた。
「今度上役んとこ挨拶しにいくのに、新しいの誂えてぇ。オレじゃよくわかんねぇし………。頼めねぇか?」
顔を覗き込んで、少し躊躇いがちに言ってみたのが効いたのか。
頼むと言う滅多に言わない言葉が、サンジの世話好きな部分を突いたのか。
「………仕方ねぇな。」
と帰ってきたのには、ゾロも心の中で自分に拍手喝采を送ったものだ。




ごめんよ、と暖簾をくぐるゾロに若夫婦がハッと目を向ける。
続いて入ってきたサンジを、マジマジと見つめるので、サンジが訝しげにゾロに囁く。

「オレの顔、何か付いてるか?」
「あ?ああ、別に……。」

理由を知っているものの素直に言おうものなら、脚が出てくるのは目に見えている。

「てめぇが良い男だから見とれてんじゃねぇの?」
「………ふ〜ん。で、どんなんがいいんだ?」

納得はしないながらも、反物を品定めし始めるサンジ。
ゾロが何も嗜好を言わないからか、適当にあちこちと見て廻って。
そして、その中の3本に目星を付けたのか、すみませんと若女将に向き直った。

「ここにある品々、どれも素晴らしいのですね。でも、貴方の美しさの前ではどんな綺麗な織物も霞んでしまいます。どれが
いいか選んで頂けたら、望外の幸せなのですが。」
「あ、あら、でしたらこちらのお色目なんていかがかしら。」

いい男に褒められて満更でもないらしく、女将がいそいそとサンジの相手をし始める。
それを見て若旦那は当然いい気はしない。
ゾロの方へと詰め寄り、耳打ちしてきた。

「なんでぇ、旦那。そりゃ確かに見目麗しい事ぁ確かですが、男でしょうが。」
「まぁな。そりゃ普通にしてりゃ、ただの色男なんだがよ。ちっと、待て。」

そう言い置いて、サンジへと近付く。
サンジは若女将と仲良さ気に話をしていたが、ゾロが近づいてきたのを知っていたのか、チラッと振り向いて1本の反物を
差し出してきた。

「これなんか、どうだ?濃紺に黒い糸で紗綾形が織り込まれてんだと。見た目地味だが、手は込んでるし、てめぇには似合い
そうだ。」
「そうか、んじゃそれにすっかな。序にてめぇのも1本選べや。」
「あ?オレ?オレぁ別にいいよ。」
「ダメだ。」

遠慮するサンジに変わって、今度はゾロが品定めだ。
とはいってもよくは分からないから、殆ど女将任せだが。
色違いの水浅葱に縹色の糸が織り込んである反物を渡されて、それをサンジの肩に当ててみる。
その反物を見ながら、サンジが遠慮がちに言ってきた。

「本当にオレのはいいよ。どっか行くわけでも無ぇから、何かこう、勿体無ぇだろ。」
「何言ってんだ。上役んとこはてめぇも一緒に来いって言われてんだぜ。」
「へ?」
「オレが入れ揚げてる別嬪さんの顔が是非見たいと先様も御所望でな。」
「な?!!!」

ばばばばっと真っ赤に染まるサンジの頬に手を当てて、その耳元へと口を寄せる。
そして、態と吐息が掛かるような声で囁いた。

「それによ、仕立て上がりのこの着物着たてめぇはさぞかしそそるんだろうなぁ。襟足とか裾から覗く脚とかよ、想像するだに
堪んねぇぜ。」
「!!!!」

今度は首筋から鎖骨から腕やら脚やら、身体中が見事なほどに薄桃色に染まる。
きっとサンジは昨夜の情事でも思い浮かべたのだろう。
着物着たまま襟足を甘噛みした事とか、裾割って太股に吸い付いた事とか。
最初の1回はそれこそ帯を解かずに上り詰めたものだから、両者の欲情の証が着物に染み付いてしまった。
それが鮮明に脳裏を過ぎったのか。
目を潤ませ、口元押さえて必死で耐えてるようなその有様。
そこが呉服屋じゃなくて、自分達の部屋ならば速攻押し倒していただろう妖艶さだ。
思わず目的を忘れそうになっていたゾロだったが、はっと気付いて若旦那を見遣り、ニッと笑う。

若旦那の顔も、ポォッと赤らんでいたからだ。
サンジに見惚れて、そのサンジの後ろでわなわなと怒りの余りに震えている若女将など眼中に入らない様子で。

「んじゃ、コレ貰ってくわ。」

ちょいとお前さん!!と怒鳴る若女将にそう一声掛けて、ゾロが2本の反物片手に、反対の腕でサンジを抱えて店を出る。
言い争う若夫婦の声が通りまで響いてきて、ゾロは可笑しくなって大笑いだ。
見物人からも、ほおっと言う溜息やら、「いよっ、旦那!」とかいった掛け声が飛び交っている。
一方サンジは、そんな中ゾロに腰を抱えられて呆然と歩いていたが、彼岸から戻ってきたのかキッとゾロを睨み付ける。

「どういうことだ?!!」
「ん?まぁ、いいじゃねぇか。これ、只だぜ。」
「只って、てめぇ………一体何の茶番にオレぁ付き合わされたんだって聞いてんだよ!!」
「只の惚気だ。気にすんな。」
「惚気って………ば、バカか!てめぇはっ!」

又しても真っ赤になるサンジに、往来にも拘らず口付けたくなった気持ちを抑えて、手を繋ぐだけで我慢する。
繋いで、少し後ろを歩くサンジを振り返ってニカッと笑うと、サンジがプイッと横を向いた。
髪で顔を隠したところで、首まで染まってるから照れてるのなんか丸わかりなんだけれども。

「2度とこんななぁゴメンだぞ。」
「わあってるよ。でも、コレ着たらよ――――」
「だあああっ!往来で妙な事口走るなっ!!」

更に顔を赤くしたサンジがゾロの手を引っ張って、その場を走り去ろうとする。
解かれない手が嬉しくて、ゾロはくっくっと笑いながら、そのサンジの歩調に付き合った。




それから暫くして。
サンジの勤める引手茶屋に変化が起こる。

客じゃない見物人がわんさか押しかけるようになった事。
それらが皆一様にサンジ目当てである事。

ゼフにこってり絞られて、ゾロが暫くサンジの連れ出し禁止を喰らった事は言うまでも無い。




END


人前で堂々とサンジの事を惚気る同心ゾロv




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