梅雨を知らない北の大地へ来て、早3ヶ月が経とうとしている。 いつものように大学の講義後、荷物運びのバイトを終えて。 満天の星空の下、家路を急ぐ。 誰も待たないボロアパートのドアに鍵を差し、くるっと廻して扉を開く。 そして目に飛び込むものは、1DKの室内、ど真ん中に置かれた卓袱台の上。 留守電ボタンが点滅する電話。 思った通りの光景に、嬉しさと切なさが綯い交ぜになった気持ちで、それに近付く。 近付いて、教科書等が入った肩掛け鞄を床に置く前に、そのボタンを押した。 『もしもし、ゾロ。おかえり。オレ、サンジ。今日はね………』 聞く前から、その相手がわかっているのに。 その声を聞くまでは、心臓がバクバクと音を立てる。 そして、聞いてからは安堵と胸を締め付ける痛みが走る。 ゾロがこちらに来てから、毎日繰り返されるこれ。 それが、ゾロの気持ちを更に助長している等とは、サンジは考えないのだろうか。 *** 「ゾロ、本当にいいの?サンジくんにお別れ言わなくても。」 「ああ。」 今から3ヶ月前、3月も終わりに差し掛かった頃。 ゾロは、空港に居た。 平日朝まだ早い空港のロビーは、それでも結構混雑していて。 30分前に受付でチェックインを済ませたから、あとは自分の乗る飛行機への搭乗開始のアナウンスを待つのみだった。 見送りにきたのは母だけで、父は会社に行った。 昨夜、頑張って来いとエールを貰ったから、それでいい。 荷物は小さなウェストポーチ1つのみ。 家から持ってきたスポーツバックは受付で預けて、今手元にはない。 行き来する人いきれを、する事も無くボーっと見送るゾロだった。 サンジへの気持ちを自覚して、ゾロは焦った。 何しろ相手はまだ小学3年生。 しかも、同性なのだ。 焦らない方が、当然と受け入れられる方がどうかしている。 なのに、サンジは平然とゾロへの好意を言葉で、態度で表してくる。 「大好き。」と臆面もなく告げてくる。 「会いたかった。」と抱き付いてくる。 ………キスまでしてしまった。 嬉しいと思う反面、そこにつけこんではダメだと自制する。 まだ10歳にならない子供なのだ。 異性のいる教室でマッパで着替えても恥じらいなどしないだろうし、同性とふざけてキスもするだろう。 『好き』の意味合いに、大人の考える愛が入っている事など有り得ないのだ。 だから、ゾロは傍にいる事をやめた。 受験と言う時期を隠れ蓑に、サンジへの自分からの接触を一切絶った。 サンジが家に遊びに来ても、3回に2回は居ないと居留守を使った。 2人きりになるのはヤバイと、サンジが居る時はリビングで、母親の目の前で勉強した。 母も受験だからとそれを許してくれた。 そして、地元から通える大学に進学する事を望んでいた両親を、学費以外は自分で持つからと説き伏せて、北海道に |
ある大学を受験した。 勿論、サンジには内緒で。 言えば、泣かれるだろう。 好かれている事は確かだから。 「何でそんな遠いとこ行っちゃうの?」と涙をポロポロ零されたら、決心がぐらつくかもしれない。 それだけならまだしも、自分の気持ちが溢れてしまうかもしれない。 サンジの祖父ゼフには、昨日サンジが合気道に行っている間に挨拶に行った。 「寂しくなるな。」と言ってくれて、それでも「頑張れ。」と握手してくれた。 サンジには今日自分が飛行機に乗るまで内緒にしてくれるよう頼んだ。 泣き虫なサンジのことをよく理解しているからだろう、ゼフは1も2も無く頷いてくれた。 サンジがこれを知る頃には、自分は飛行機の中だ。 もう春休みに入っているサンジではあったが、今日は習い事の合気道で道場に行っているはずだ。 昼に家に帰って、ゼフから自分の事を聞いて、サンジはどう思うだろうか。 ひと言くらい言ってくれてもと嘆くだろうか。 行っちゃったんだと寂しがるだろうか。 挨拶もしていかないヤツはもういいと嫌うだろうか。 そこまで考えて、ゾロは額に手を当てて自嘲する。 嫌われるのならば、それこそ好都合と思うべきだ。 あれ程の好意を自分に向けていてはいけない。 ……相手を間違えていると気付くべきだ。 今から始まる自分の新しい生活を思い浮かべて期待に胸膨らませる筈なのに。 気持ちは全て、可愛い幼馴染に向かっている。 心は全て、愛しく想う幼馴染に囚われている。 傍に居て、ずっと見守って、可愛がってやれるだけの度量が自分にあればいいのに。 彼が自分から離れても、それを笑って見送ってやれるだけの度量があればいいのに。 (まだまだ、オレもガキってことだ。あっち行って1人で生活していけば、日々一杯一杯で考えなくなんだろ。) 自分自身をそう判断したからこその今回の別離。 サンジの為などと自分に言い聞かせてはみたものの、全ては自分の為だ。 自分の成長不足が招いた結果なのだ。 「お袋。」 だから、ゾロは母親に言う。 「サンジにごめんなって伝えといてくれ。」 「………ゾロ。」 「ちゃんとお別れ言ってかなくてごめんなって。」 「今からでも遅くないのよ。母さん、電話持ってるし、道場の電話番号も入ってるのよ。」 「アイツの邪魔したくねぇ。ただ謝っといてくれればいい。」 「直接自分で謝ったら?」 「ダメだ。」 ゾロは首を横に振る。 声なんか聞いたら、帰ってきてと懇願されたら、きっと余計な事を喋ってしまう。 何も残さずに行けば、寂しがるにしろ怒るにしろ、自分への気持ちが残ったままになってしまう。 だから、ごめんと。 そう告げてもらえば、それで終わりだ。 年上の優しい幼馴染は、ちゃんと自分の事を考えてくれていたと思うだろう。 いい思い出は、直ぐに忘れるものだ。 自分の事も直ぐに忘れるだろう。 それでいいとゾロは思うから。 「悪ぃな、お袋。厄介な事頼んじまって。」 「ゾロがそう言うならそうするけど。サンジくん、きっと泣くわよ。母さん、あの子泣き止ます自信ないわ。」 「20分抱っこしてやれよ。そんでいい。」 「………わかったわ。」 母親の返事が聞こえると同時に、空港のアナウンスがゾロの乗る飛行機の搭乗手続きを開始した事を告げてきた。 ゾロは母親と目を合わせて、差し出された手に手を重ねて、行ってきますと声を掛けて。 母親に背を向けて、ゲートへと脚を向ける。 切符を係員に見せ、ウエストポーチを腰から外して、金属探知機を潜って。 「…………、ロっ!!!」 ポーチを受け取り、母親を振り返ろうとしたゾロに届いた声。 ハッとして振り返り、周囲を見渡す。 聞き間違う事の無い、聞き慣れた半泣き声だ。 走って走って走りすぎたのか、少し掠れて自分の名前を呼びきれていないけれど。 そして、視界の端に入った金色の髪。 「ゾロっゾロっ!ゾロぉおおおおおっ!!!」 ゾロの母親が、ゲート内に飛び込もうとしたサンジの身体を必死に止める。 お互いにお互いの姿を認め、その場に立ち竦む。 ゾロは目を見開いて。 サンジは目に涙を一杯溜めて。 「ゾロぉ………!!」 漸く見つけた安堵感からか、サンジの身体がガクッと崩れ落ち、床に座り込む。 その背後からゾロの母親が、サンジの肩を優しく抱く。 今までならば、ゾロが駆け寄って抱き締めて腕の中でわーわーと気の済むまでサンジは泣いていたのに。 ゲートの奥と手前、その場所は現実の距離よりも遠くて。 ポロポロとその場で泣くサンジに掛ける言葉もなくて。 ゾロが拳を握り締める。 ここで、全然心の整理など付かないけれど、この場所でこの時に。 ちゃんとお別れをしないと、とゾロが口を開いた。 その口から言葉を発する事はなかったけれど。 何故なら、サンジが笑ったから。 泣き始めたら20分は泣き続けるサンジが、涙を零しながらも笑ったから。 呆然と見つめるゾロに、サンジが言う。 「ゾロ、オレおっきくなる。」 「…………。」 「おっきくなって、大人になって……強くなるから。」 「…………。」 「泣かないから……ゾロに迷惑掛けないから。」 「…………。」 「だから、だから………。」 そこまで言って、涙をグイッと腕で拭って。 サンジはニッコリ微笑む。 見たこともないような、成長した顔で。 ゾロに向かって大きく手を振りながら、言ったのだ。 「オレが迎えに行くから待っててな、ゾロ。」 その言葉にゾロの涙腺が緩む。 瞳が潤んでいくのがわかる。 こんな事をしても自分を慕ってくれるサンジに、どうしようもなく愛しさが募ってしまって。 だから、ゾロはくるっとサンジに背を向けた。 母親がゾロの名を呼び、サンジに声を掛けてあげてと言うのを無視して。 ゆっくり歩を進めながら、右手を上げる。 待ってるとも、来るなとも言えない自分の弱さを痛感しながら。 ただ、ゾロは手を振る。 自分にはどうにも出来ない想いを胸の中に秘めて。 飛行機に乗り込んで、離陸して。 眼下に広がる街並みには、家々の他には緑しかなくて。 サンジを思い浮かべる色はなくて。 サンジから離れてしまった事を痛感して。 シートベルト着用のランプが消灯した頃、ゾロは涙を流したのだった。 *** 向こうのアパートに着いた時、留守番電話にメッセージが入っている事に気付いた。 最初は母から。 『サンジくん、あの後ちゃんと涙拭いて、私の事も慰めてくれたの。オレが傍にいるから小母さん寂しくないよって。 |
サンジくんの方がゾロよりも大人になったみたいね。』 と。 それを聞いて苦笑しつつ、次のメッセージを聞く。 聞いて、胸が苦しくなった。 『ゾロ、オレ泣かないよ。絶対オレがゾロのとこ行くから。それまで小母さん小父さんはオレに任せて、ゾロは頑張って。 |
オレ毎日電話するからね。』 と。 サンジからの応援メッセージだった。 自分への気持ちと、ゾロへのエールを込めたそのメッセージは今も残っている。 別の留守電用テープを翌日買って、取り替えたから。 それからというもの、1日と措かずに入るサンジからの留守電。 両親の事、学校の事、サンジの祖父の事、部活の事。 他愛ない話を少しして、そして最後に付け加えられる言葉がある。 『ゾロ、待っててね。オレがおっきくなるまで。じゃあね。』 その口調に不安が混ざっている事に気付く。 気付いてしまう自分に、また改めてサンジへの気持ちを自覚する。 だから、電話は自分から掛けない。 家に居ても電話には出ない。 ただ、サンジからのメッセージを待つ今の状態。 それが、今は夜だから見えないが、アパートから見える一面覆われた緑の景色に重なる。 緑だけの世界。 自分だけの世界。 ………サンジの居ない世界。 その中でゾロは思う。 アイツが大きくなって、それでも自分を好きでいてくれたら。 自分はどうしたらいいのかな、と。 その答えは、その時までに出せるだろうか、と。 留守電が再生を終えて、ランプが消える。 もう一度、留守電を起動させるとランプが点灯した。 電気も点けない真っ暗な部屋でただ1つ、明るく光る留守電ランプの黄色がサンジを髣髴させて。 ゾロはいつものように溜息を1つ吐いて座り込む。 いくら考えても堂々巡りの自分に、いつまで経っても思い切れない自分に呆れながら。 END |
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空港での別れのシーン。
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