自然の理




「桜、見に行かねぇか?」
目の前にある廓の桜を見ながら言ったゾロの台詞に、サンジが目を丸くしたのは昨日の事だ。




有名な廓の夜桜。
上巳の節句である3月3日の雛祭りに始まるそれは、大紋日もあってか物凄い賑わいを廓に招き寄せる。
普段は訪れない一般の女性も、それを目当てにやって来る程だ。
だがその桜、実はその場に最初から植わっているのではない。
植木屋が一生懸命調整して、適度な高さに育てた桜を2月下旬に廓内に持ち込み、3月3日に咲くようにしておくのだ。
仲の町通りを彩る数十本もの桜。
散るまで紋日であるため、得意の花魁に呆れられないように男共が必死になって金を使う、廓内が最も華やぐ季節だ。

「一度てめぇに見せたいと思ってたんだ。」

お互いに仕事が忙しい事もあってか、滅多に誘ってくる事のないゾロがそこまで言う桜を見てみたいと思ったサンジだったが。
当然、紋日の間、サンジの勤める引手茶屋もてんてこ舞いの忙しさで。
その期間に他所へ遊びに行くなど出来るはずもなく。
その旨をゾロに伝えれば、紋日前でいいと言う。
結局ゼフにお願いして、大紋日前日の3月2日の夜に暇を取ることにした。








「綺麗でしょう?サンジさん。」
「・・・・・・はい。」

道場の縁側に2人きり。
ゾロもその家の主人も席を外し、この場をどう乗り切るか困っていたサンジにそう話し掛けてきたのは隣に座る女性。

ゾロの通う剣術指南役コウシロウが娘、たしぎ。
ゾロの元許嫁だ。




行き先を教えられずにゾロに連れられて訪れた場所は、ゾロの剣術指南役コウシロウが開いた道場だった。
その道場脇に根を張る桜を、毎年見に誘われていたのだそうだ。
それは、ゾロがコウシロウの娘くいなと許婚になってから恒例となっていたようで。
いつもは父ミホークと共に訪れていたそうだが。
今年は一緒に来るわけにも行かず、ゾロは初め気にも留めていなかったらしい。
が、たしぎにどうしてもと言われ、明日の桃の節句にミホークを招待し、その前に自分を連れてくるように強く言われたのだとか。


「えっと…これ……オレ、いや私が作ったものです。お口に合うといいのですが。」
「わあっ、嬉しい。茶屋で板前さんしてらっしゃるんですってね。。ロロノアから聞いてます。そんなに気を遣わないで下さいね。」

渡したお重をニッコリ笑って受け取るたしぎに、照れながらサンジは俯く。
ゾロはどんな会話をたしぎとしているのだろうか?
こうして呼ばれたということは、当然自分とゾロの関係を知っているに違いない。

もし自分がいなければ、今頃ゾロの隣に居るのは彼女だったろうに……。

ずっと、ゾロが勘当同然に家を飛び出してきてしまってからずっと、気になっていたのだ。
自分の事件の直後に、ゾロと祝言を挙げる予定だった女性がいると。
それが………自分の隣に居る彼女で。

そう思うと、まともに顔なんか見れない。
ゾロがこの場に居てくれれば、自分が直接彼女の相手をしなくてもいいのだが。
何でももう来てもいい筈の人物が来ていないそうで。
その人を迎えにゾロとコウシロウが席を外してしまったのだ。

縁側に並んで座る、サンジとたしぎの2人きり。

何を話していいのか、正直戸惑うサンジにたしぎがぽつんと言った。


「あの桜、ちょっと歪でしょ?」

「え?……ええ。」

言われて見た縁側先の桜は、廓の桜のように手入れされたものではなく。
腰が折れたように曲がっているかと思えば、花を咲かせる枝は塀の上部から上へと伸びていて。
枝の数もそう多くはなく、花の付き具合も疎らで。
お世辞にも形がいいとは言い難い。
正直、初めてこれを見た時は、これが本当にゾロが見せたいと思った桜なのかと他の桜を探した程だ。

「私、ずっとこの桜嫌いだったの。」

たしぎの言葉に驚いて、サンジが視線を彼女に移すと、たしぎはうんと頷いた。




***




小さな頃から見慣れていた桜だった。

どう考えても綺麗な枝振りとは程遠くて。
何度も父コウシロウに、もう少し手入れをしてはどうか、植木屋にお願いしてはと言ってみた。

だが、その度に父は言うのだった。

「これでいいんですよ、これで。」

3つ年上の姉くいなも父と同じ意見で。
全く意味が解らないながらも、季節は過ぎていく。

姉が8歳の時、父コウシロウが1人の男の子を連れてきた。
名をロロノア・ゾロ。
現勘定奉行ミホークの1人息子だそうで。
稽古をつけて貰う只の弟子なのかと思いきや、姉くいなの許婚として訪れたと言う。
その闊達で幼いながらも精悍な眼差しを持つ1つ年上の少年に、たしぎは思った。

身分も容姿も、そしてその後見せて貰った稽古での真摯な態度も、全てが申し分なく。
姉は幸せになれるだろうと。

その姉が10歳で亡くなり、自分がその少年の許婚になった時は驚いた。
驚いたと共に、心配になった。
自分如きで大丈夫だろうか、と。
その不安を直接本人にぶつけたこともある。
すると、決まって少年は言うのだ。

「大丈夫だ。何も変わらないよ。」

そう、姉が死んで悲しんではくれたものの、家同士の結び付きとしての要素が強い昨今の婚姻。
少年が言うのも最もと思っていた。

それが……。




ある時、少年が言った。

「この桜のように、生きれたらいいな。」
と。

その時もたしぎは、この桜の良さが解らずに問い返した。

「これのどこがいいのですか?」
と。

少年は笑って、それも諦めたように笑って、何も答えてはくれなかった。





そして、少年が青年になった頃。
もうあと1ヶ月もしない内に祝言となった時。


道場に呼ばれた。
他家に嫁ぐ身とあって、いつまでも剣など握ってはとしばらく離れさせられていた道場に何故と向かえば、そこに青年が居て。

「此度の祝言、なかったことにして頂きたい!」

道場入り口、一番の下座で頭を床に擦り付けて言う青年を呆然と見たのだ。
そして父コウシロウを見れば、もう既に納得したかの様子で。
たしぎは震える声で、青年に問い質した。

「……何か、私に落ち度でも………。」
「いえ、あなたに落ち度などあるわけもない。ただ……。」
「ただ……、何でしょう?」

その時顔を上げて、くっと自分を見据えた青年の瞳に圧倒された。
迷いのない、澄んだ瞳。
何か吹っ切れたかのような、そんな清々しい視線で。

「この道場脇の桜のように生きられる、そんな場所を見つけることができたので。」

そう言い切る青年の誇らしげな様子に否やを言うことなどできなくて。

わかりましたというのが精一杯だった。




***




「……その、何と申し上げたらよいか………。」

謝るのも失礼に当たるだろうし、かといって何も言わないのもとサンジが逡巡していると、たしぎが首を横に振った。

「いえ、まだその時もよくわからなかったんです。そして、それは今の今まで。サンジさん、あなたに会うまで。」
「え?」
「漸くわかりましたの。父の言っている事、姉が残してくれた事、そしてロロノアが言わんとしていた事。この桜がどれだけ素晴ら
しいかを。」
「………あの、私にはよく――――」


サンジがたしぎに聞こうとした時、道場の入り口付近からたしぎを呼ぶコウシロウの声がして。
すぐ参りますと、たしぎが立ち上がる。
そして、それを見上げるサンジを優しく見つめて、たしぎが口を開いた。

「サンジさん、ロロノアのこと、お好きですか?」
「はい。」

直ぐに返したサンジの答えに満足したのか、たしぎがニッコリ笑って言葉を続ける。

「玄関先でお会いした時、ロロノアの顔を見た時、思ったの。これが答えなんだなって。」




そう言ってたしぎが席を外すと同時に、ゾロが場内に入ってきた。


「悪い、遅くなっちまった。」
「いや、いい。誰か来たのか?」
「あぁ、たしぎの許婚だ。」
「え?」
「オレが紹介した。同期のスモーカーだ。オレよりも性格は固いが、たしぎには合ってる。」
「そっか。よかった。」

ゾロがサンジの横に腰を下ろして、何かあったかと聞いてきたので、いやと笑う。
そして、先程たしぎに聞こうと思っていた疑問を投げ掛けた。

「何で、あの桜がいいんだ?吉原の桜の方が断然綺麗だろ?」
「ん?……オレも昔はそう思ったんだけどよ。」

そう言って、ゾロがサンジの手を取り、自分の膝の上に乗せた。

「植木屋が丹精込めて作った吉原の桜。見た目綺麗で、誰もが褒めてくれる……でもよ、桜自体はそれを望んでるのか?」
「………。」
「ここの桜はよ、そりゃ不恰好だし、少し下から覗かねぇと道場内から見えねぇくらい上のほうで花が咲いてるし、そりゃ人間様から
見たら歪なんだけどよ。桜自体は自由に生きたいように生きてるような気がすんだよ。」
「………で?」
「あぁ、てめぇに会って、てめぇに惚れて、でもてめぇの傍に居られなくて。でも許婚はいる、仕事は申し分ない、収入も地位も傍から
見たら文句の付け所がないだろう?まさに吉原の桜だって、オレは思った。」
「………ゾロ。」
「こうしててめぇが一緒に居てくれる、それだけでよ、こんなに幸せなんだオレは。自然のまま、自分のまま、てめぇと共に生きていけ
たらさ。きっとオレは、傍から見たら不恰好でも最高に生きてるって実感できると思う。」

手をギュッと握って、真剣に話してくれるゾロのその目を見てたしぎの言った事が解った。

否定など出来ない、圧倒的な自信と喜悦。
自然のままであることが、どれだけ難しいか経験し、理解した上での言葉。
そして、それを実行していくだけの気力と、そしてそれの根底にある自分への気持ちと。

感極まって、横に座るゾロの肩に額を押し付ける。
着物に滲みていく暖かい滴。
ゾロは黙って、サンジの手を反対の手に取り、外した手でサンジの肩を抱いてくれた。

「綺麗だろ?この桜。」
「………あぁ。」

そう言われて、顔を上げて桜を見上げれば。
道場の明かりが照らし出すのは塀の下半分で。
花のある上部は暗くて余りよく見えないのだけれど。

それでも、その美しさを理解する事が出来る。




どれだけ歪と思われても、自然のままに、心のままにゾロと一緒に居られたら。




霞む視界の中で微かに舞い散る花びらを見つめるサンジと、そのサンジを優しく見つめるゾロの前で、桜が風に揺れて笑ったように
見えた。




END


サンジと居るのが一番自然だと言うゾロv




TOP  『振りの客』部屋