夢見たものは ひとつの幸福
願ったものは ひとつの愛

それらはすべてここに ある と




その時までは、そう思っていた。




ひとつの愛 ひとつの幸福




遠くに見えた立ち上る炎に、見惚れたことを覚えている。




八州から府内への帰り道、直後に控えた元服式にゾロは思いを馳せていた。
漸く14歳だ。
付くお役目も内々に決まっている。
父の仕事の関係だろう・・・奉行所内での見習いからゆくゆくは父の後を継げるよう計らってくれるはずだ。
許嫁も、ちゃんといる。
父の友人でゾロの師匠でもあるコウシロウの1人娘、たしぎ。
本来なら彼女の3つ上の姉、くいなと決められていたのだが。
ゾロ8歳、くいな10歳の時、くいなが不慮の事故でなくなりたしぎが替わりに許嫁となった。
別に違和感なく受け止めたゾロ。
それが当たり前だったし、家を継いで、誰でもいいから妻を娶り・・・・・・それが愛と幸福だと、全て自分の手の内にあると思ってい た。


そして、見えた紅蓮の炎。

興味本位で駆けつけたそこには、ゾロのそれまでの人生を根底からくつがえす光景があった。

燃え盛る中心は1軒の料亭。
その前にゾロと同じように駆けつけた野次馬の中で――――ただ1人。

呆然と、ただ立ち尽くす少年が居た。
涙を流すのでもなく、拳を握るのでもなく。
何をしていいのかわからず、途方に暮れて火の行方を見つめていた、その少年。

炎の色がその姿を燃えるように染める。
火事が引き起こす風がその金髪を翻らせる。

その姿に見惚れ、美しいと思うその心をゾロは恥じた。
そして、何も彼にしてやれない自分を。


暫くして彼の傍に駆けつけた老人が、持っていた包みを少年に渡し、少年が老人の胸で泣き崩れるのを見てゾロは決意した。


願った愛が、手に入らなくても。
夢見た幸福が、自分のものでなくとも。

必ず彼に、自分の心を釘付けにした彼に何が何でも与えるのだ――――愛と幸福、それらすべてを。




それからのゾロは必死だった。
自分に力を付けよう―――彼を守れるだけの武力と権力を。
唯でさえ鍛錬好きのゾロが、それ以降楽しむでもなく真剣に向かい合うようになった。
そう、あの後。
拉致されかけた彼を救えたのはいいものの、相手が油断していたのも幸いした。
自分の顔を見ただけで震え上がらせれるだけの名声を得るのだ。
それまで付くお役目に関して何も要望しなかったゾロが、父であり北町奉行であるミホークに火付盗賊改を願い出たのはその為だ。
前例がないと何度も考え直すよう説得され、それでもと何度も食い下がり。
御先手組に入り手筈を踏んではと言われ、そんな悠長な事はしていられないと首を振り。
根負けした父と、その話を聞き付けた目付が出した条件――現在の御先手組組頭全員との手合わせでの完全勝利――を2つ
返事で引き受け。
漸く武力も権力も名声も手に入れた時には、2年の歳月が経っていた。
勿論、その間知り合いに少年を見守ってもらい、敵に目星を付け、その内情を探っていた。
本格的にその捜査に乗り出した際、相手が大物過ぎると父に釘をさされ、止める様忠告されても耳を貸さず。
この1件片付いた折には、加役である火付盗賊改を辞し、妻を娶って八州へ出向することを約束させられた。

そして・・・・・・。

事件は起こった。


事前調査が功を奏し、今や青年となった彼が勾引されるのを未然に防いだ。
また、彼に付き纏っていた茶屋の人間を一部ではあるが捕える事に成功し、残党にも追っ手をかけた。
陰で糸を引く人物にも、何らかの沙汰を下して頂けるよう掛け合ってある。


これで、これで、幸福を彼に―――。


彼から気持ちを返される事など、考えてみたことも無かった。
戸惑い、目の前の身体を抱き締めながら思った―――一夜の夢と。
もう、会うことは無いだろうと。
想いの丈全てを彼の裸身に刻み付けて、別れようと。

翌朝、彼に背を向け一度も振り返らずに帰った。
そうしなければ、二度と離してやれないだろうから。
頬を伝う涙を拭いもせず、ただ前だけを向いて歩を進める自分が居た。







そうして、今―――


6年前と同じ場所に立ち、ゾロは永いこと瞑目し手を合わせていた。
彼と会ったこの場所で、彼と会ってからの6年間を思い返しながら。

暫くして俯いていた頭を上げ、合掌していた手を下ろし、目を開けて目前の風景を見る。
あの時の火事の面影などもはや無く、あの少年の両親の料亭が在った場所には、自分と歳の違わぬ若夫婦が下駄屋を切り盛り
していた。
見慣れぬ建物、見慣れぬ住人―――その前に、今。

「どうした、ゾロ?えらく永いこと拝んでくれてたじゃねぇか。」
声を掛けられて、ゾロがそちらに顔を向ける。
そこには―――

初冬にしては穏やかな陽光を受けた姿。
その暖かな日差しに煌めく金髪。

あの時の少年、サンジが居た。

彼と共に火事の現場に訪れたのだ―――両親の命日のお参りとして。

自分を優しく見つめるサンジのその姿に、呆然と所在無く立ち尽くしているあの時の少年が重なって見えた。
その少年がゾロに問い掛ける。
6年前、自分自身に課した事をゾロは成し得たか、と。
結局、サンジを襲った一味は行方知れずのまま。
黒幕と思われる人物は、お咎めなしのまま。
何もかも中途半端なまま、ただサンジの傍に居る自分を省みる。
サンジに与えられたのだろうか―――幸福は。
サンジにとってこれでいいのだろうか―――愛は。

少し感傷的になってサンジの手を握れば、なんだよと少し照れた風に笑って握り返してくれた。
そして、サンジは視線をゾロから下駄屋に向ける。
「あそこの下駄屋の夫婦さ、オレがここに住んでた時の地主の知り合いでよ。オレが行くと事情を知ってんのか、少し負けてくれん だ。
申し訳ないからいいっつったんだけど。そんなら、毎年新調する時ぁうちで誂えてくれって言ってくれて。だから、毎年じじぃのも
一緒にこの日に買いに行くんだ。」
はにかんだ様に笑いながら、サンジが言葉を紡ぐ。
ゾロはそうかと頷いて、ふと思い付いて言った。
「ゼフと来なくてよかったのか?命日だし、それに下駄も誂えんだろ?」
「あ?あぁ・・・・・・それな。」
サンジが俯いて、クスッと笑う。
「自分のはいいから、てめぇのを誂えてやれって。・・・・・・んでもって、きちんと紹介して来いってよ。」
「え?」
ゾロが思わず聞き返す。
それに答えないまま、サンジは繋いでいた手を離して歩き出したかと思うと、少し行った所で立ち止まった。
そして、ゾロに背を向けて小声で呟いた。

「あん時、地主さんがオレに言った。『辛い事があっても、その分だけ幸せな事があるもんだ。』って。その時からついこの間まで、
ずっとその意味がわからなかった。・・・・・・でも、今やっと合点がいったよ。てめぇがこうしてオレの傍に居る。これが、その分
だけ、いやそれ以上の幸せだってな。」

後ろからだからその表情は見えないが、風に靡く髪の間に見える耳は赤く染まっていて。

それを見て、ゾロは漸く笑った。
安堵して、嬉しくて。
ゾロの様子を悟ったのだろう、サンジは恥ずかしいのを誤魔化そうとスタスタと下駄屋へ向かう。
そんなサンジをゾロは暫く見守った。


呆然と我を無くして立ち竦んでいた少年が、
振り返り、枯葉が舞い散る初冬の空の下、嫣然と微笑んで自分の名を呼ぶ。

「措いてくぞ、ゾロ!」

その姿に見惚れる事を、もう恥じる必要はない。
ゾロは自分の幸せを噛み締めながら駆け寄った―――自分を待つ愛しい者の元へ。







夢見たものは ひとつの幸福
願ったものは ひとつの愛


それらはすべてここに―――サンジと共にここに ある と




END


某教育番組で聞いた下の詩に触発されてv


冒頭と最後の文章は、以下の詩から引用させて頂きました。


「夢見たものは・・・・」 立原道造(以下青空文庫『優しき歌 二』より転載)


夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢見たものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と


教えて下さいました貴方、ありがとうございましたv




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