19年前の明日。
 ゾロは生まれた。




 海賊狩りだ、魔獣だと言われた頃のゾロに、誕生日を祝うなんて習慣はなくなっていたが、幼い頃はそれなりに家族や道場で誕 生日を
祝ってもらった事がある。
 あまりにも遠い記憶過ぎて、詳しく思い出すこともできないが。

 けして裕福ではなかったが、子供に習い事をさせるだけのゆとりのある家に生まれたゾロには、それでも、確かに誰かに「おめでと う」と
言われた記憶がある。
 日がな一日、道場で汗を流した幼少の頃の記憶を思い返しても、師範と夭折した幼馴染の顔は浮かんでも、両親の顔はとうに忘 却の彼方だ。
 記憶障害というわけではなく、あまりにも両親と接点が無かったせいか、殺伐と日々を生きてきた中で塗り替えられる記憶の中に 紛れて
しまっていた。


 ただ。
 覚えているのは。
「おめでとう」
 そう穏やかに言う声と、シュワシュワ弾けたラムネの舌に残る甘い味だけだ。






大輪の華






 ゾロの誕生日4日前。
 船は、最悪な事に食糧難の最中にあった。
 原因は2つある。

 1つは、ここ暫く寄港した島が、未開の地であったこと。
 1つは、底なしの胃袋を持つルフィの襲撃を、サンジが防ぎきれなかったこと。

 先の1つは、辿り着いた島で買出しができない代わりに、天然の食材でも手に入ればよかったのだが、砂礫の折り重なった無人
乾燥地だった為、それも不可能だった。
 その前に立ち寄った島で十分な買出しをしていたとはいえ、かれこれ1ヶ月にも航海が及べば食料のストックも底が見え始める。
 それでも少しでももたせようと、サンジが工夫に工夫を重ねたものの、燃費の悪い船長を積んでいる船はジリジリと食糧難への道
辿っていた。

 そこに、止めを刺すような盗み食いだ。
 サンジの努力も苦労も、へったくれもあったもんじゃない。




「別に、祝う必要なんかねぇぞ」
 元々、誕生日を祝う気持ちは忘れていたものだ。
 今更、無い袖を振ってまで祝ってもらおうなどと、ゾロは微塵も思っていない。
 食料が豊富にあるなら、酒をたらふく飲める機会だから、ありがたく祝ってもらうが、今はそうも言っていられないだろう。
 減った量を品数で補ったサンジ苦心の品で昼食を終えた後、甲板に集う仲間にゾロが事も無げに言う。
「誕生日は1年に1回しかないのよ。ルフィに責任もって大物を釣らせるから大丈夫よ」
 ナミはそう言うが、太公望気取りで船首の上から釣り糸を垂れるルフィは、肩肘をついて鼻を穿ってだらけたものだ。
 既に飽きているとみて間違いない。
 あれに釣られる魚がいれば、逆に釣られた魚が可哀想にすら思える。
 とはいえ、その心配もないくらいに、ルフィの竿にアタリはない。

「俺も大物釣るぞ、ゾロ」
 チョッパーが釣竿片手に言うが、こちらも、何のアタリもない様だ。
 ウソップ仕様のアーティスティックな釣竿は、デザイン的には優れているが、竿としてはあまり優れていないのか、その竿で魚が釣 れた
所をゾロは見たことがない。
「もう、プレゼントも用意しかけてるしよ。そう言うなよ」
 ウソップは、砲弾を1つ解体して取り出した火薬を風に飛ばされないように袋に移しながら、ゾロに言う。
 そんな仲間の言葉に、ゾロは溜息を吐いて穏やかに流れる雲を見上げた。




 立ち寄る島がないだけで、航海はいたって順調だ。
 この日の空のように穏やかなもので、海も荒れず、攻撃をしかけてくるような船にも出会わない。
 海賊狩り時代のゾロが相手をしてきた海賊は、もっとこう、殺伐としていたように思う。
 それとも、斬って捨ておいた名も知らぬ海賊達も、こんな風に呑気なものだったのか。
 ゾロは、海賊のイメージからかけ離れた仲間の姿を見て、もう1つ溜息を落として、甲板に腰を下ろした。


 ゾロが海賊狩りとしての人生を選んだのは、世の海賊狩りの様に生きる為でもなければ、人を斬ることを好んでいたからでもない。
 けして貧しい家の出ではないから、記憶にも無い親の庇護の元、平々凡々に生きる道も残されていた。
 大量殺人の趣味も嗜好もない。

 ただ単純に。
 ただただ、純粋に。
 幼馴染との約束を果たす為だけに、剣の道を極める為だけに、選んだ道が海賊狩りだった。
 賞金という形で強さを知ることのできる海賊は、自身の強さを計るには丁度良い相手だった。
 それだけだ。
 だから、賞金が付いていれば女も子供も関係なく狩った。
 勿論、歩みを阻む者は、海賊でなくとも斬り捨てた。
 それが、魔獣といわれる所以だとしても、ゾロにはそんな事どうでも良かった。
 共に年をとると疑いもしなかった、幼馴染の生が時を刻むのを止めてから、ゾロの人生から世界最強を目指すこと以外の全てが削
落とされている。
 真っ直ぐに。
 ひたすら脇見をせずに辿る、世界最強への道は一直線を描いている。

 そんなゾロの生き様にとって、誕生日などという概念は何の意味を成さない。
 年齢がなんだというのか。
 19年前に生まれた事が何だというのか。
 生れ落ちた日の事は記憶にすら残っていないのに、それを祝われるというのは、なんとも珍妙な気さえしてくる。


「辛気臭い面すんな、クソマリモ。祝ってやろうって皆の気持ちに泥塗る気か」
 変化を遂げる秋空を見上げているゾロに、ふいに声がかけられた。
 振り返らずとも声の主が誰か判別できるが、一言物申したくて声の方向に視線を向けると、ゾロよりも幾分辛気臭い顔をしたサン ジが
ポケットに手を入れて立っていた。
 ここ数日の食糧難は、万年百面相かと思えるほど変化するサンジの表情に影を落としている。


「何もそんな事ぁ、言ってねぇだろうが。無理して祝ってもらっても、こっちが気ぃ遣うだけで、心底喜べるもんでもねぇ」
 まぁ、これもゾロの本音だ。
 祝う祝わない以前に、底を尽きかけた食料をさらってまで祝われる事は、今後の航海の負担を考えこそすれ、手放しでありがたく 思える
わけがない。
 今日よりも明日、明日よりも明後日、食料は日に日に尽きていくのは、まぎれもない事実だ。
 そもそもゾロにとって、19年も前に過ぎた誕生日なんてどうでもいい事だから、正直、迷惑な気さえしてくる。

「気ぃ遣うってタマか、てめぇが」
 へっと鼻先で笑ったサンジの横っ面を張り倒す。
 この男の人を小馬鹿にした態度が、ゾロには、この呑気な航海の中でもはらわたが煮えくり返る気がした。
 振り下ろした手は空を切ったが、それを合図にいつもの如くの喧嘩が始まる。

「このクソコックが!!!」
「っだと!? このジリ貧の中、やり繰りしてる俺に向かってよくも!!!」
「てめぇがボサっとしてっから、ルフィに盗み食いなんかされんだろうが!! 食材管理もクソコック、てめぇの仕事だろうが!!」
「なっ――――」

 カチンと強張ったサンジの表情に、ゾロは一瞬、「しまった」と思った。

「うるさ〜〜〜い!!!! 盗み食いしたのはルフィが悪い!! 喧嘩についてはアンタ達の両成敗!!!」
 しかし、言った言葉を深く考え、反省する前に、両手を上げて大声を上げるナミの声で、殴り合いに発展していたゾロとサンジの動 きが止まる。


 そんな事は言わずもがな、だ。
 売り言葉に買い言葉で出た言葉なだけに、ゾロは本気でサンジの責任を問うているわけではない。


「とにかく!! 前の前の島で聞いた話を考えても、次の島には1週間もあれば到着するわ。それまで食料は乏しいかもしれないけ ど、
今はできる範囲ででも、誕生日当日にお祝いしたいじゃない」
 だから、それが迷惑なんだ。
 ゾロは思う。
 だけど。
「祝ってやろうって皆の気持ちに泥塗る気か」
 そう言った、サンジの言葉が耳にこびり付いていて、迷惑だとはとても言えなかった。


 今、共にある仲間は、それぞれがこの世に生まれてきた日を喜び祝う。
 中でも、この船のコックであるサンジは、繰り返される仲間の誕生日には、腕によりをかけた料理を並べた。
 レストランで副料理長をしていたというサンジの祝い膳は、本格的でソツが無い。
 ケーキには年齢分の蝋燭を。
 メインを肉料理にしたコースメニューは、ただ贅を凝らすわけではなく、味よく豪勢に並べられた。
 乾杯は、金色の泡沫が蝋燭に輝くシャンパンで。
 ジョリーロジャーのはためく海賊船が、豪華客船にも勝る瞬間だ。
 蝋燭を吹き消す瞬間に、明るい「おめでとう」の声と、弾ける様な笑い声に包まれて、旨い酒と食事を口にするのは悪くない。


 悪くないが、何もこの食糧難の現状でまで誕生日に拘る意味がゾロには分からない。


 同じ祝ってくれるなら、次の島に着いてからでもいいじゃないか。
 そう、ゾロは思う。



 そもそも、誕生日は4日後で、その後少しすれば次の島に到着予定なのだから。
 その方が、いっそ浴びる様に酒を飲めるってものだ。
 365日、コックとして誰かしらの誕生日を祝い続けたサンジなら。
 ゾロが忘れてしまった、誕生日を祝う意味を知っているかもしれない。
 背を向けてナミの手元の海図を見下ろすサンジを見ながら、ゾロはボンヤリと、そう思っていた。








 ガタン、ガタンと単調に続く音が何か分からなくて、ゾロは意識を手繰り寄せる。
 その音が、波が船底にぶつかる音だと気づいたとき、ゾロは自分が甲板に腰を下ろしたまま眠っていた事に気づいた。
 ぎゅ、と眉を1度寄せてから目を開くと、午後の日差しが白く目を射す。
 先ほどからあまり時間は経っていないのだろう。
 秋晴れの日差しは、まだ明るく、目を細めて見上げた空には、太陽が燦然と輝いている。

 雲の流れが遅い。

 ようよう意識がはっきりすると共に、船が停泊している事に気がついた。
 仲間の歓声を耳にして、島にでも到着したのかと思ったが、先ほど「1週間もあれば到着する」とナミが言っていたのを思い出す。
 1週間寝っぱなしか?
 それだとさすがのゾロも自分自身に唖然となるが、どうやら島に到着したのではないらしい。



「袋、落とすか?」
「あぁ。引き上げたら甲板に重ならないように並べてくれ」



 大声でやり取りしているのは、チョッパーとサンジの様だ。
 ゾロは、大きな伸びをすると、声の方へ足を向ける。

「あ、ゾロ! 起きたのか」
 チョッパーが袋一杯の屑を甲板に引き上げながら弾んだ声で言う。
 赤いモサっとした屑は、海草の一種だった。
 釣果の期待できない釣りを早々に諦めたというところか。

「何やってんだ、あのグル眉……」
 着衣のまま海中を泳ぎ回るサンジを見て、ゾロがボソリと零す。


 時折、深くに潜るのか、サンジの姿が海に溶ける。
 そして、気泡を従えて海上に姿を現す。
 その、長い手足が優雅に水をかく姿は、まるで海の生き物のようだ。
 オールブルーを目指す男の、海中遊戯の姿に、ゾロは貶すのも忘れて暫し見入る。


「魚が釣れないから、サンジが海に潜ってんだ」
 チョッパーは、「サンジ魚みたいだ〜」と嬉しそうに笑いながら、言われたとおり甲板に赤い屑のような海草を広げ始めた。
 チョッパーが、ブン、と海草を振って海水を飛ばす度に、海上にいるというのに潮の香りが広がる。
「凄いんだぁ、さっきはな、大きな魚を捕まえてた。それに、昆布も一杯だ」
「それ、食うのか?」
「うん。食えるって言ってた」
 ゾロは、どうみても昆布ではない赤い海草を鼻先に寄せて、臭いを嗅いでみたが潮の香りがするばかりで臭いはしない。


「やけに親しげだな。親戚か何かか?」


 すると、いつの間にか海から上がっていたサンジが、ペタリペタリと濡れた足音を立ててゾロの横を通り過ぎ様に言う。
 その片手には、40センチ超の青い魚が3尾握られていた。
「な――――」
「再会の挨拶が済んだら、ちゃんと干しとけよ」
 ゾロに反論の余地を与えず、サンジは甲板に足跡を残しながらラウンジに消えた。
「なんだ……クソっ」
 こういうのは、言い返さなければ、腹の底に妙な苛立ちだけが残るというものだ。
 ゾロは釈然としないものを腹の底に抱えたまま、海草を甲板に投げ捨てると、鍛錬の為に後甲板に向かう。


 その後甲板には、既に先客がいた。

 山ほど干された赤い海草と、海藻。
 腹から開かれた魚。
 まるで、どこかの漁港のような光景に、ゾロは暫し唖然と足を止めた。


「あ、邪魔か?」
 1度キッチンに魚を置きに戻ったサンジが、立ちすくむゾロの背後に立って言う。
「なんだ、これ……」
「鍛錬なら、甲板でやれよ。日に晒してぇから、太陽がある間は、親族優先で頼むわ」
「親族言うな!」
「細かい事に突っかかんな、アホマリモ」
「…食えんのか?これ」
 煮え湯を飲まされた気分だが、先程から気になっていた、もさっとした赤い海草を指差してサンジに問う。
 すると、サンジは干していた海草を裏返しながら「食えもしねぇもんに手ぇかける程暇じゃねぇよ」と言う。


 確かにそうだろう。
 この船で一番忙しそうに動き回っているのは、サンジだ。

 だからこそ。
 今、忙しいサンジが海に潜ってまで食料を調達している事をおもんばかれば、火急ともいえる船の窮状を測り知れる。
 その原因の一端は数日後に迫る自分の誕生日なのだからゾロにすれば、複雑な心境にもなった。


「誕生日にこだわる意味がわからねぇ」
 そう吐き捨てて言えば、誕生日に拘る理由を知っていると思っていたサンジも、「俺もだ」と答える。
「まぁ…誕生日なんてのは、祝われる方が主役なようでいて、祝う方が主役みてぇなもんだ。祝いたいって言うなら祝わしてやれよ」
 コックとして、人を祝い慣れたサンジの言葉に返す言葉を失う。
 そんなものか?
 ゾロは眉間を寄せて一瞬考えた。


「お前は?」
「あ?」
「それでいいのか。食料……ヤバいんだろ」


 食糧難でなければゾロだって、サンジの言わんとすることは分かる。
 今、この状況では食料管理する立場として、頷けるものではないだろう。
 ゾロの意図を酌んだのか、サンジは海草を裏返す手を止めて、ゾロを振り返った。
 赤い海草の絨毯を背景に、サンジの金糸が風に流れる。


「まぁ……なんとかなんだろ」


 そう言って、サンジは事も無げに鼻を鳴らした。
 食料不足の中にあっても、空腹を感じた事がないのは事実。
 一見、根拠の無い言葉のようでいて、サンジの言葉は信頼に足る何かがある。
 実際、それからの数日間、サンジは海に潜り続け、海の幸で彩られた食卓に食糧難の印象を微塵も見せず。
 迎えた誕生日には、海の幸で豪華な誕生日ディナーを作り上げてみせた。



 誕生日の昼間、普段よりも長く海に潜ったサンジは、50センチを超える銀赤色の色鮮やかな魚を捕らえて来た。
 他に小振りながら銀黒色に黄色いヒレが特徴的な魚に、トゲトゲしいヒレが特徴の口の大きな魚。
 身体だけで40センチを超えるイカもいる。
 それだけの漁獲量を上げれば流石にサンジの疲労の色は濃かった。
 ペタリペタリと濡れた足音を立てて歩く姿が、幾分、心もとない。
 普通の海にはない潮の流れをみせるグランドラインの中を、魚相手に泳ぎ回ったのだから当然と言えば当然。



 その中で作られた料理は、どれもゾロの見知った物ばかりだった。


 真鯛の塩焼きには紅白の水引が結ばれ、銀黒色の黒鯛は湯引きした透明な白身に採ったばかりのマクサが添えられた。
 残り少ない米と小豆で赤飯を炊き、口の大きな魚とイカはフライに。
 残った魚のアラは、潮汁となってラウンジのテーブルに並べられた。


「小麦粉にゆとりなくてよ。ケーキはこれで勘弁してくれ」
 そう言って、最後にテーブルの中央に置かれたのは、オレンジの果実を房から取り出してシロップ漬けしたものを、ミルクの寒天で 固めた
丸いゼリーだった。
 食糧難であった事を忘れさせる豪奢な料理の数々に、「すっげぇ!!!」と仲間が歓声を上げる。

 その声に。
 ふと、ゾロは、忘れていた何かを思い出した。
「鯛か……」
 幼い頃、この目の前に並んだ料理に似た物を誕生日の夕食に、口にした事があった。




 小豆ともち米で炊いた赤飯や、紅白の水引で彩を添えた小ぶりな鯛。
 食器が普段と変わらないものだったから、それが特別な料理だという印象は少なくて、夕食の後に出されたシュワシュワ弾けるラ ムネの
印象ばかりが心に残っているけれど。




 遠い昔の誕生日の記憶が蘇る。




 ケーキの代わりに何故かオハギが2つ、皿に載せて出された記憶。
 甘い生クリームのケーキを食べたのは生家ではなく、多分、剣道場だ。
 月初めに11月生まれの門下生を集めて、甘い柚子のジュースと町で売っている飾り気のないショートケーキが振舞われた。
 今、目の前に並ぶ、少ない食材の中から供された豪華な料理とは、比べ物にならない質素なものだったにせよ、ゾロにとっては誕 生日を
祝われた記憶に違いない。




 そう。
 確かに、自分の生まれた日を祝われて、素直に嬉しく思った頃もある。




 いつからだろうか。
 こんな風に、誕生日を祝われた日々の事を忘れてしまったのは。
 酒を覚え、甘いジュースに感動を覚えなくなったからか。
 共に年を重ねると信じて疑わなかった友の死からか。 
 世界最強を目指す中で、「誕生日」という概念そのものが振り落とされてしまったか。


 それとも。
 個が何を成すかを重要とする大海賊時代に、年を経る事なんてさしたものではなく、誰もが至極当然に祝うことを忘れるのか。


「それなりに、なんとかなったろ」
 カツンとゾロの手にしたカップにサンジがグラスを当ててから、ニヤリと笑って見せた。
「ケーキじゃなくて、寒天だけどよ」
 咥えた煙草の煙をフイと揺らしてサンジが言う。
「寒天?」
「おう。こないだ甲板で干してただろ。アレがコレ」
 グラスを持つサンジの指が、ゼリーを指差す。
 看板を埋めた赤い海草が原料とは思えない、涼しげなケーキは、ラウンジの灯りにキラキラと光っていた。

「でも、凄いよサンジ! 食料が無くなったって言ってたから、ゾロのお祝いは無理だと思ったよ」
 チョッパーが、我が事のようにエヘエヘ嬉しそうに笑いながら言う。



「無いからできねぇなんざ素人でも言えんだろうが。無いところをやってみせんのが、コックだ。海の一流コックを舐めんな」
「皆、それなりなプレゼントを考えてたみてぇだしよ。このジリ貧の中で最高のバースデーディナーを用意するってぇのが俺からのプ レゼントだ」



 そう言うサンジは、ただひたすらに、コックとして生きてきた男の目をしていた。



 海から上がったばかりのサンジの疲れ方は、本当に泳ぎ疲れただけか。
 ここ数日、元々無駄な肉のない痩躯が、更に薄くなったように感じるのは気のせいか。
 何よりも、誰よりも人を生かす事を知っているサンジが、仲間と一緒に食事をする光景を見なくなったのはいつからか。


 一口口に含んだ鯛の塩焼きの味は、遠く古里の味がした。


 ただ単純に。
 ただただ、純粋に。
 自分以外の人を生かし、料理人としての生き方を全うする為に、生きてきたサンジ自身が歩んできた道が。

 ただ単純に。
 ただただ、純粋に。
 幼馴染との約束を果たす為だけに、剣の道を極める為だけに、生きてきたゾロの人生と重なる。




 サンジなら、何故、遠い昔、記憶にも無い生まれた日の事を祝うのかを、知っているような気がした。






 食事を終えた頃、ウソップが仲間を中央甲板に呼び出す。
 砲弾の火薬を解して花火を作ったというウソップが、打ち上げの準備をしている間に、サンジは樽の上に寒天のケーキを載せて細 い蝋燭を
19本立てた。


「ゾロの誕生日祝いだ! 盛大に打ち上げようぜ!!」
「よし! 打ちあがった瞬間に、蝋燭消せよ!!」
「蝋燭消す瞬間に願い事を考えなきゃダメよ」
「あら。目標を言うんじゃなかったかしら」


 わいわいと姦しい仲間の声に、ゾロは目を細めて星の輝く空を見上げた。
 願う事はただ1つ。

 世界最強。それだけだ。
 でも、それは何かや誰かに願う事ではなくて自分自身に誓う事。
 だから、好奇の目に晒されながら、何も考えずに19本の蝋燭を一息に吹き消した。


 その背後で、「誕生日おめでとう」という仲間の声と、天翔る龍の如く炎が天空を目指す、ひゅるひゅるという音がする。
 龍は、天空で力尽きると、耳鳴を響かせながら破裂した。
 ドーンという破裂音と共に、星降る夜空に、一際明るい大輪の華が咲く。




「わぁああっ、すっげぇ!!」
「すっげぇえ!!」
 子供のように目を輝かせるルフィとチョッパーに。
「もう一発いくぜ!」
 と、実験を成功させた子供のように、ウソップが答える。
 ウソップが、導火線に火を点けると、龍が空を翔け、金色の華を咲かせた。
 夜空に咲く大輪の華は、春に咲く桜よりも短命に散りゆく。
 生まれた瞬間に散る刹那の輝きは、見る者の胸に感動という名の記憶を刻む。


「祝われるのも、いいもんだろ?」


 ゼリーから蝋燭を抜き取りながら、サンジが笑みを含んだ声で、ゾロに言う。
 花火の影響か、少し笑いを浮かべて空を見上げていたゾロは、サンジに視線を向ける。
 乳白色にオレンジの花火が花開いたようなゼリーを、切り分けながら、サンジがもう一度言う。
「これが皆したかったんだ。素直に喜んどけ」
 ニカリと笑って差し出された、ゼリーが瑞々しく輝いていた。
 それを受け取りながら。
「あぁ。いいもんだ」
 確かに思う。




 三発目の花火が夜空を彩った。
 風の少ない夜は花を丸く大きく形作り、硝煙を白くくすぶらせる。
 その硝煙が無くなると、ウソップが次の花火を打ち上げる。


 こうして刹那の華は東の空が白むまで咲き誇り続けた。






 明けの明星を見て、少ない酒ながら花火の興奮で酔いを回した仲間が、1人、また1人と眠りに就く中、ゾロは残りの酒をチビチビ と口に運ぶ。
 少し距離を置いた隣には、熱い紅茶を飲むサンジが座っている。
 疲れと酒の影響か、とろりと溶けた眼差しのサンジが、機械的に口元に運ぶ煙草の先端がポウと赤く光る。
 その時。
「流石にケーキは無理かと思ったけどよ」
 ポツリポツリとサンジが独り言のように呟き始めた。


 前に東の出のコックに心太の海草からの作り方を聞いてていた事。
 もしかしたらと思って潜ったら、この海域が寒天の原料であるマクサの群生地だった事。
 海底に広がる赤い絨毯が目を見張る程美しかった事。


 ゾロに語って聞かせるつもりはないのだろう。
 煙草を吸って途切れがちになる言葉を、ゾロは黙して杯を傾けながら聞いていた。


 それでも、2人にしては珍しくゆっくりと空に上る煙草の煙のように穏やかな時間が過ぎている。


 サンジの指が灰を弾き、薄暗がりに赤い火花が散る。
 夜空に咲いた華が大輪の菊だとすれば、サンジの指先に咲いた赤い華は、まるで野に咲く花のようだった。
 小さいながら、強く長く咲き続ける花のように、サンジの指先に風を受けて赤く火が熾る。


「なんで、誕生日なんだ」
 その小さな赤い花を見つめたまま、ゾロがサンジに問う。
「……は?」
「いや……。誕生日って言ってもよ、生まれた瞬間の事なんか覚えてもいねぇし。親の顔も覚えてねぇ。なのに、何年も前の誕生日
祝うって何かおかしくないか?」


 365日、コックとして誰かしらの誕生日を祝い続けたサンジなら。
 ゾロが忘れてしまった、誕生日を祝う意味を知っているかもしれない。


 そう思った事を思い出して、サンジに問うた。
 すると、サンジは眉間を寄せて低く呻くと、生まれた瞬間なんか覚えてる奴ぁいねぇだろ、と答える。


「ただ、誕生日を祝ってんのは、その生まれた瞬間を祝ってるわけじゃないだろ? その日が無けりゃ、生まれてなかったわけじゃ ねぇか。
だから、ただの記念日だと思うぜ?」
「そんなモンか」
「そうそう。記念日だから、祝う方も祝われる方も楽しけりゃいいんだよ」


 サンジの指先に再び、小さな華が咲いた。


「まぁ……今の時代、親を知らない奴も、親を忘れた奴も大勢いるし、珍しくもねぇだろうけどよ。誕生日を利用して愛されてた過去を 思い返す
のもいいんじゃね?」


 愛という言葉が、サンジらしかった。
 存在すら記憶にないのに、愛されてたかどうかなんて、怪しいところだ。
 返事もせずに、朝日に白む東の空を眺めていたゾロを、サンジが咥えた煙草をフリフリ振って、目だけで笑いながら「おい」と呼び かける。


「あ?」
「俺もよ。親の顔なんか、ろくすっぽ覚えちゃいねぇよ」
「……」
「でもよ、愛されてた自信はあんぜ?」
 ニヤリと笑ったサンジが、ゾロの手を取って自らの後頭部に押し当てる。

「撫でてみ?」

 笑みを含んだ声に、内心カチンとしながらも、ゾロは滑らかな肌触りの金糸を梳く様に、後頭部に沿って手を撫で下ろした。
 片手に余る小さな頭は、丸く弧を描きながら襟足に繋がる。



「これってよ、愛のカタチだぜ? 赤ん坊の頃、放ったらかしにされずに、ちゃんと構ってもらってた証拠だってよ」



 泣けば抱き上げ、寝入れば身体の向きを変えてくれた存在。


 例え、その後の人生を共に歩まずとも、1人で生きる事のできない時を育んでくれた存在の愛を感じる。
 そう言いながら、僅かに近付いたサンジの瞳の青に目を奪われた一瞬の隙を突いて、ゾロの後頭部をサンジが撫でた。
 青が、笑うように細められる。


「お前も覚えてねぇだけで、大事にされてたのな。っていうか、習い事まで行かせてもらってて、大事にされてねぇはずないわな」


 パンと臀部を払いながら立ち上がったサンジは、クシャリとゾロの頭を撫でて甲板に残された食器を集め始めた。
 海風に揺れる金色の髪が、朝日に光る。
 その丸い後頭部は、夜空に浮かぶ月の様にも太陽の様にも見えた。


 海賊狩りとして始まった1人の生活の中、殺伐と繰り返した日々の中で暦の必要性もなく、ただひたすらに強さだけを見つめて生 きてきた。
 繰り返す日々に塗り重ねられていく過去は、記憶から薄れ去っている。
 誕生日に祝われた記憶も。
 両親の顔でさえも。


 それでも。
 昨夜、目の前に出された、紅白の水引で飾られた鯛と赤飯に、薄れていた記憶がほんの少し蘇った。
 これが、サンジの言う「愛されてた過去を思い出す」という事か。




「ラムネって知ってるか?」
 誕生日の記憶として残るのは、シュワシュワと爆ぜる甘いラムネの味。
「ラムネってお菓子の? ジュースの?」
「ジュースの方。誕生日にだけ飲んでた覚えがある」
「へぇ。……作ってやろうか?」
「作れんのか?」
「まるっきり同じじゃねぇだろうけどな」




 鯛。

 赤飯。

 それから、ラムネ。

 塗り重ねられた過去の記憶にの上に、新たな誕生日の記憶が重ねられる。



 19年前に生まれたからこそ、今がある。
 世界最強を目指すこと以外の全てを削り落とし、真っ直ぐに。
 一直線を描いている世界最強への道を、ひたすら脇見をせずに辿る。


 それは、今までもこれからも変わりのない事だ。




 ただ。
 全てを削り落とした中で、たった1日だけ、忘れた過去を思い出せる日があっても良いかもしれない。
 仲間という存在に囲まれながら。






 誕生日の翌日。
 高く蒼穹を描くの空には、薄い雲が空色に白く溶けていた。
 ゾロは手にしたグラスを空に翳す。


 空を映す透明なグラスには、丸い氷と、シュワシュワ爆ぜる透明な液体が入っていた。
 グラスの底には、緑色のビー玉が1つ転がっている。
 一口含めば、口内で弾ける甘い味は、記憶に残る誕生日の味だ。
 多くを忘れた中で、この味を覚えていた理由は正直、思いつかないが、多分、子供心に気に入っていたのだろうとゾロは思う。
 酒の味に慣れた舌には甘かったが、胸に残る記憶がその味を好ましく思った。




 記憶には、夜空に弾けた大輪の菊のように刹那に消えるものと、サンジの指先に咲いた赤い花のように、小さくも長く残るものが ある。
 この甘いラムネの味は、遠い過去の誕生日の記憶ではなく、新たな記憶としてゾロの胸に刻まれた。 




 先の見えない時代を生きる中で、塗り重ねられる数多の記憶。



 だけど、ラムネの味と共に、右手に残る丸い感触は、いつまでも消えそうに無い。




 愛のカタチ。




 それを片手に収め口付けを交わすのは、まだ随分と先の話。





 今は、まだ。





 蒼穹を映しながら弾けるラムネの様に、間近に見た青に弾ける想いに戸惑う。




 ただ、それだけ。











「薇々庵」の響さんから、ゾロ誕SS頂きましたv

ゾロサン未満なのに、この雰囲気は・・・・・・もう、うっとりvv
喧嘩上等の2人が、いつになく穏やかに会話する。
それだけできっと2人は幸せなんか、感じちゃったりするんですよねv

いつも、いつも、響さんの心に響く文章力の素晴らしさに圧倒されている私です。


響さん、ありがごうございました。




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