ピアノを中心に回っていた俺の生活は、あの大会の後一変した。周囲の無責任な声を振り切って、学校へ行く以外の時間は部屋に篭って何もしない日々が何日か続いた頃。
俺が欲しかったのは、単なる暇潰しだ。運動は嫌いだし、本を読むのは好きじゃない。テレビやゲームになんて興味も無かったし、ピアノを失った俺には何も無かった。
そのサイトを見付けたのも、単なる偶然でしかない。インターネットを使って、音楽とは無縁の高校を探してた時だ。
――世界中の相手と対戦しよう!――
横長のバナー広告には色んなボードゲームのカットが散りばめられていて、その中にチェスの駒があって――。それをクリックしたのも、単なる暇潰しでしかなかった。
その先にあったのは、かなりの数のゲームだ。チェス以外にもリバーシ、将棋、囲碁、麻雀、カードに至っては子供の遊びのようなものからギャンブル的なものまである。これなら暇潰しになるかもしれない。相手は俺の事を知りもしない人間だし、たとえ知っている人間だとしても俺だとは気付かないだろう。それも好都合だ。
「これのどこが簡単なんだ」
ユーザーアカウントを作成しろという指示に従って進むと、HNだのIDだのPassだの。一番鬱陶しかったのはHNだ。イニシャルを入れると既に使用されているとかでエラーメッセージが出て、いつの間にか苛立ち紛れに入力したWSが設定された。
「まだあるのか!」
チェスの出来る所へ行くとまた何か入力しろという指示が出て、いい加減面倒だしやめるか――と考えた所で思い直した。一度登録してしまえば、この先良い暇潰しになるかもしれない。そう思ったからだ。
やっと入室出来たそこには、既に対戦している四人以外のプレイヤーは一人しか居なかった。人の対戦を見学する事も出来ると書いてあるが、そんなもの見てたって面白くもなんともない。
「英語で、可能…、チャット…、英語圏の人間か?」
だから、そいつに対戦を申し込んだのだって単なる偶然と暇潰しでしかなかった。英語は簡単な会話しか出来ないが、それでも良いか?と入力して、相手は会話を楽しむ気は無いから意味が通じれば良いと答えた。
相手の顔を見ないで対戦したのは初めてだったが、向こうはかなりチェスに慣れてるみたいで中々楽しめた。それからだ。時間に余裕があればパソコンを立ち上げ、そのサイトで暇潰しをするようになったのは。
◇◆◇◆◇
ピアノを弾きたくて、それでも弾くのは嫌だった。あの頃の、俺のピアノを知っている人間には聞かれたくなかったんだ。だから、はばたき学園に進学すると決めた。一流音大とは何の関係も無いし、付属の中学高校とも距離がある。それなりの成績じゃなければ難しいと言われ、暇な時間を受験勉強に充てて数ヵ月を過ごす事になったのは誤算だったが。
「……やっと終わった」
こんな苦行みたいな生活をしたのは初めてだった。敵わないと思い知らされたあの日から一年以上が過ぎて、合格通知が届いたその日の夜。久し振りに例のサイトを開く。
いつ見ても大して賑わっていない画面を見て、相変わらずだなと思う。幾つか見知った名前もあるが、今日はどうするか……。特に考えるでもなくリストを見ていたら、callボタンが点滅した。相手を確認して思う。ああ、こいつも居たのか。丁度良い、って。
『暇なんだな、Shadow。付き合うか?』
『第一声がそれかい?久し振りじゃないか、WS』
『このところ忙しかったからな。それで?』
『良いよ、息抜きに付き合おう。今日の予定は?』
『そうだな、気が済むまで』
『驚いた。シンデレラは夜更かししないのかと思ってたよ』
本当の名前も国籍すらも知らないこいつは、いつも12時には切り上げる俺を偶にそう呼ぶ。君はまるでシンデレラだね¥奄゚てそう言われた時は、気障な男なのかもしれないと思った。だけど、理由を聞いてみたらそうじゃないかもしれないとも思えた。
ゲームの開始ボタンを押すとボードが現れ、あっと言う間に駒が配置される。本物とは比べ物にならないが、それなりに見た目の良い駒が。
Shadowとは割と頻繁に対戦していた。会話を楽しむつもりは無い。初めにそう言っていた通り、長々と遣り取りを続ける事は無かった。それでも、回を重ねれば何となく判る事もある。
先ずはチェスの腕だ。はっきり言って、俺より強いだろう。対戦成績は五分に近いが、勝つ事よりもゲームを楽しむタイプの人間にとって、それは何の意味も無い。Shadowがそういうタイプの人間だって気付いたのは、偶にセオリー無視とも言えそうな駒運びをしてたからだ。それに気付いた時には腹が立って、本気を出すつもりが無いのかと聞いた。返って来たのは、私は本気で遊んでいるよという答え。
『駄目だ。集中力が切れて来た』
『こんな時間じゃ無理もないだろうね』
『流石にこれ以上は辛い』
『そうか、じゃあお休み。またいつか』
『ああ、じゃあな』
後は、育ちも悪くないだろう。会話ならともかく、読むのはそんなに得意じゃない。書くとなれば更に……というのが、俺の英語レベルだ。Shadowはそれを気にしないと言ったが、俺に合わせるようにして複雑な文を打たなくなった。他にも、切り上げる時には毎回お休み≠ニまたな≠ニいう感じの事を必ず言う。他のやつ等に比べれば、礼儀正しいとすら思える。
まあ、そんな事が判った所で赤の他人同士。その上お互い何者だかすら知らないんだから、何の意味も無いんだけどな。そんなどうでも良い事を考えながら、ベッドに潜り込む。
明日は休みだし、入試にも受かった。おまけに今日は真夜中まで起きていたんだ。偶には目覚ましを使わずに、気が済むまで寝てるっていうのも良いかもしれない。実際にそうした翌日から、俺と入れ替わるようにしてShadowは現れなくなった。
◇◆◇◆◇
春になって始まった高校生活は、俺が思っていたより鬱陶しいものだった。学校でなら、周囲を気にしないでピアノを弾ける。そう思っていたんだが、どうやら俺の事を知っている人間が居たらしい。
色々聞かれて適当に返していたら五月蝿いやつ等は自然と居なくなったが、一人だけ妙なやつが居た。ピアノの事を聞いて来たくせに、弾いて聞かせれば良いのかと言えば、聞いても判らないからと断る。顔を見かけると何かと声をかけて来るそいつは、紺野って名前だった。
丁度良い暇潰しの相手がまた現れたのは、退屈な毎日続いて半年くらい経った頃だ。名前も国籍も条件も同じ。間違いなくあのShadowだろう。久し振りにと思ったが、疾っくに対戦中のリストの中だった。その名前が待機中のリストに戻るのを待って声をかけたのは、あいつが相手だと苛立つ事が無いと知っていたからだ。
『やあ。こんばんは、WS』
『何か久し振りだな、Shadow』
『ああ。長いこと忙しくてね。今日の予定は?』
『日が変わるまでだ。そっちは?』
『勿論、付き合うとも』
いつものような遣り取りの後、いつものようにゲームが始まる。違ったのは、ゲームが終わってからの遣り取りだった。
『もう遅いな。ここまでにするか』
『そうだな。お休み、WS。また桜の散る頃に』
『桜が散る頃?お前も日本に住んでるのか?』
『しまった。お互い口が滑ったね』
これまで、こんな話をした事なんて無かった。知る必要もないし、知っても意味が無い。だから聞こうともしなかったし、言おうとも思わなかったんだ。単なる偶然。桜っていう単語と、散る頃っていう時期。それが偶々引っ掛かって、ついお前も≠チて使ってただけだ。
『それくらいの事、知られたって俺は気にしない』
『そうか。まあ、今更だね』
『本当に日本に住んでるのか?』
『ああ、そうだよ』
『驚いた。英語圏に住んでると思ってたからな』
二年前より早くなったタイピングはShadowに比べれば相変わらず遅いが、これだけ続く遣り取りをするのは初めてだ。受験勉強のお蔭で読み書きも少しは上手くなったと思っていたのに、それもShadow相手にはあまり意味が無かった。だからだ。
『シンデレラ、もう12時の鐘が鳴る』
『ああ。じゃあ、また。春に』
『お休み。良い冬を』
シャットダウンした画面から目を離してベッドに向かうまで、全然気付かなかった。伝える相手も居ないのに、つい声が出る。
「あいつ――、日本語を使えば良いじゃないか」
それを実際に伝えたのは、Shadowの言った通り桜が散る頃だ。まあ、最初は忘れてたんだけど。一応、いつものように英語で日本語が使えるんじゃないのか?≠チて聞くと、あいつは日本語での遣り取りを嫌がった。l面倒事を避ける為。そんな理由を聞けば無理強い出来る筈がない。結局俺は、変わらない遣り取りを選んだ。二学期の期末で英語の点が上がったのは、多分その所為だろう。

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設楽はきっと、ある程度は英語が出来る!と思う。っていうか思いたい。いや、思っとく。国際共通語とも言える言語で会話不可能だとすればコンクールとかで不便だし、パリに留学なんて無謀だよなぁ。というワケで、設楽はこんな設定。まあ、英語が出来んでも仏語が出来れば留学は出来るだろうけど。
そういえば、英語は夢主と設楽では解釈が違います。例えばこれ。
『それくらいの事、知られたって俺は気にしない』←設楽解釈
『その程度の事を知られても、私は問題無い』←夢主解釈
こんな感じで、年齢性別不明とかって勘違いが続いているというワケです。
ちと短いけど一纏めにすると長くなるのが目に見えとるし、ここで区切りー。あ、すんません。今更ですが、今回名前変換皆無です。
橘朋美
FileNo.AS.S-01 2012/9/25 |