それは、オレがまだ頭領として立ったばかりの頃。
「本日より傍仕えを申し付かりました。が一子、にございます」
膝を着いて礼を執る烏は、オレより二つ年嵩の女。目立つ容貌や体躯でもなく、その声だけが印象的で耳に残る。一瞥しただけの重鎮どもはが抜擢された事に不満らしいけど、譲れないね。目鼻が利いて役に立つ。命令に忠実で、余計な事には口を出さない。こいつなら有能な右腕になると、前々から目を付けていたんだ。だけど、そんなお前にも一つだけ……。どうしても気に入らない所があった。
「?……聞いておられるのですか、若様」
オレの親父は水軍を率いる頭領で、お前の親父はその片腕。親父の影響を受けたお前は、決してオレの事を名で呼ばない。一緒になって遊んでいた幼い頃から、変わらないままの呼び名。そんなお前を言い表すなら、サイコーの仕事馬鹿という以外に何がある?神子姫様を見付けた時も、その一行に加担する羽目になってからも、源平の合戦にケリが着いた今も、それは変わらない。
「頭領、弁慶殿がいらしております。何でも火急の用件だとか…」
だから名を呼べと命じる事も無く、若様と呼ばれる不快感を味わってきたんだ。
▼△▼△▼
平家の直系、惟盛の息子か。確かに厄介事の火種にしかならないだろうね。そんな子供を引き受けてくれるだろう心当たりも、他には無い。
「では、早急に水と食料を調達して参ります」
その身を預かっているヤツまでもが不穏な動きをしているとなれば、出来る限り早く確実に事を運ぶ必要がある。しかも、最小限の人と動きで。
「ああ、それは僕の手の者に任せてきましたから…」
弁慶がに何かを頼みたいっていうのは少し意外な気がしたんだけど。まあこの場合、以上に適当な奴は居ないだろう。
「じゃあ、そっちは頼んだぜ?」
そう言ってそれぞれの役割を果たしに散ったオレ達が次に顔を合わせたのは、西へ向かう舟の上。波に揺られ、月に照らされ、風に撫でられながらの事。
「六代様、どうぞこちらへ」
オレは目を疑ったね。だってそうだろう?目の前に居るのはサイコーの仕事馬鹿であるお前だっていうのに、その姿はまるで別人のものだったんだから。
▼△▼△▼
傍仕えを命じられた以上は、日頃から女である必要は無い。何よりも烏である事を優先するべきだ。それが私に目をかけてくれた先代と若様に対する唯一の恩返しだと思い、これまで仕えてきた。
「それじゃ、僕は先に休ませてもらいますね」
そう言って下へ降りて行く弁慶殿を見送り、未だ盃を傾けている若様に声をかける。夜が明けるまで暫くとはいえ、お休みになられては?と。それより共に酒をと招かれるのは、珍しい事ではなかった。幾分か酒が回っている所為があるのだとしても、船縁で月に照らされるその艶かしい姿に見惚れない女は居ないだろう。事実、熊野にも京にも、若様を待つ女達は大勢いる。そう……満点の夜空に輝く星の数ほど。
「ねえ、お前の話を聞かせてよ」
意図が理解出来ずに何を話せば良いのかと聞き返せば、隠密行動の時によく使う手はあるのかい?と。若様が烏に与えた任以外の事を聞くのは、恐らく初めての事だろう。些か曇った若様の表情に何か思う所があったのだと感じ、口を開く。相手の趣味嗜好を把握し、それに合ったものを使う。品であれ、人であれ、それは絶対に外せない。それこそが、相手を油断させる第一歩なのだから。あまり口にしたくない話もあったけれど、隠す意味は無い。彼はそれを知らないわけではないのだから。
「ふぅん……。じゃあ、相手がオレなら何を使うんだい?」
僅かに下向いている若様の表情を読む事は出来ず、溢れんばかりに注がれた酒に映る月を見る。それを掬えと言われた方が、まだ簡単かもしれない。そんな思いが頭を過ぎった。それでも、頭領に問われた烏が答えぬわけには行かない。どれほど美しい白拍子を使おうと無駄でしょう。舶来の品を並べようとも、煌びやかな宝を積もうとも、それは同じ事。熊野を盾に取れば逆鱗に触れ、あまりにも有効な手段が無い。もしそれを命じられたのが私なら、勝算は無いと答えるでしょうね。
「なら好都合だね。降参しちまいなよ」
任を命じられた時のように、一つずつ可能性を探りながら答えたその時だった。飲みかけの酒を散らしながら足元に転がる盃。間近で感じる吐息と、狙いを定めた時の確固たる眼差し。引き寄せられた体躯と、絡め取られた髪。酔っているのか、ふざけているのか……それとも女が必要なのか。そのどれもに否と答え、耳元で囁くように尋ねる。何故お前はオレの名を呼ばないのかと。幼い頃から呪いのように繰り返してきた、言霊の意味を。
「今頃気付くなんて、オレも莫迦だね」
知られてしまった。烏として、手足となって働いていられれば良いと思っていたのに。あまりの羞恥に顔を上げる事すら出来ず、陸に上げられた魚のように成す術も無く項垂れる。まだ少女と呼べる年の頃、決して口にしないと決めたその答えを抱えたまま。それでもその腕から逃れようとしない私は……。既に捕らえられている。その事実を上手く把握出来ずにいた。
「それともこれは、オレの自惚れでしかないって言うのかい?」
頭、六感、女の躯、親から仕込まれた技や術。私の使えるものを駆使し、烏として役に立ってきた。少しでも、若様の近くにある為に。若様の烏である事が、私の誇りだと思って。
▼△▼△▼
オレは欲張りだから、どちらも諦めないよ。熊野を束ねる頭領の右腕。有能な烏としてのお前と、愛しい女としてのお前。必ず両方を手に入れてみせる。
「ねぇ。オレは、本気だよ」
だからもう、観念しなよ。オレの腕の中で波の音を聞きながら、その目に宿した眩い光でオレを見詰めたまま。それを口にしたら最後、死ぬまで愛してあげるから。
「お前は優秀な烏だからね。状況判断は得意だろう?」
小さな花から、零れ落ちようとしない甘い蜜を舌で舐め取るように。その微かな呟きを、漏らさず飲み干してやる。だからほら、ちゃんと呼んでみなよ。オレの名を――その唇で。
▼△▼△▼
数日後。熊野に着いた私達を迎えたのは、居並ぶ水軍衆と先代。そして、私の父だった。
「よう、。お前の娘はオレがもらったよ」
本人がそう望んだのならと答える父と、その横で目出度いと喜ぶ先代。唖然としている私を余所に、その場で指示を出すヒノエ。これは…?と思わず口を衝いて出たのは、呼び慣れた名。
「……ヒノエ、だろ?」
拙いと思った時には既に遅く…。それぞれの腕に引き寄せられた頭も腰も、びくともしない。新しい言霊以上に強い、男の力。
「野郎ども!オレの大事な花嫁だ……っ?!」
衆人環視のその中で、息が止まってしまうのではないかと思うほどの口付け。直後に口上を上げるその余裕が憎らしくて、思わず足を踏み付けていた。
「後で覚悟しておきなよ、」
知りません!とそっぽを向けば、やんやと騒ぐ水軍衆。二人の父や呆れ顔の弁慶殿も、大した事だとは思っていないらしい。これが語り草になる頃には――きっと私も、新しい言霊に慣れている事だろう。

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キリ番23456:黒川さま
リクエスト:ヒノエ・その他お任せ
なんと黒川様も初めてこちらにいらしてくれたのだとか。
朔良宴のキリ番は一見さんホイホイですか?!と、思わず失礼な事を考えてしまった。
そういえば、ヒノエの短編を書くのも初めてでしたねぇ…。
シリアスのようでいて実はそうでもないという初書きヒノエ短編、如何でしたでょう?
少しでもお気に召して頂けたのなら幸いです。
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橘朋美
FileNo.002 2009/7/9 ※2010/10/10修正加筆 |